第十六話 時代、再び動き出すの巻
息を切らし、俺は駆ける。
伝えねば…一刻も早く伝えてこの戦場から皆を撤退させなければ…
“あんなもの”は今まで一度たりとも見たことがない…“あんなもの”がこの世界に存在していたなんて…
あれの前にはいくら今のヨルトミア軍が強くても太刀打ちはしまい、いや…この世界に太刀打ちできる存在がいるのだろうか。
倒木を跳び越え、草むらをかき分けながらようやく俺は本陣に到達する。
そしてそこに座る小さな影に背中から呼びかけ…
「ユキムラちゃ…―――」
無数の轟音が響き渡った。
チュンチュンと空気を裂く“なにか”が飛び交い、眼前でヨルトミア兵たちが突如全身から噴き出しながら倒れていく。
一瞬にして俺の眼前は本陣から血の海へと変化を遂げた。俺は声を失い、恐怖にへたりこむ。
そしてその中心ではユキムラちゃんがその小さな身体を横たえて…―――
◇
ぶしゅっ!
「うおおおああああっ!?」
俺は額を打った冷たい感覚に驚いて飛び起きる。起きる…夢、今のは夢か…?
ハァハァと息を荒げながら額を拭うと袖に少なからぬ量の水が染みた。威力的におそらくは水からくりの術。
こんなことをしやがるやつは一人しかいない…
「サイゾーちゃん!いきなり何すんの!」
「もう“たんれん”のじかん…おきてこないサスケがわるい…」
目の前には初夏だというのに口元をマフラーで覆った仏頂面の少女が一人。
夜闇に溶けるようなダークブルーの髪と瞳を持ち、その肌色は透き通るように白い。
この女の子の名はサイゾー、もちろんその名前はユキムラちゃんがつけたコードネームだ。元の名前はわかっていない。
というのもこの子出身は旧ノーノーラ領、ダイルマに領民総奴隷化されていた国の人間だ。これまで名前ではなく番号で呼ばれていた。
ヨルトミアがダイルマを倒した後に奴隷化されていた領民たちは解放されたが、たとえ短い年数でも奴隷だった影響は結構重い。
サイゾーのように物心つく前に親元から引き離された子は特に…
「いそげ…“へいはせっそくをたっとぶ”…」
「へいへい、今行きますよ」
拾われたサイゾーは今ではユキムラちゃんを恩人と信奉している。
最初は人に懐かない獰猛な獣のようだったが衣食住が満たされるうちにやがてその心は氷解していった。
その後、彼女はユキムラちゃんの役に立ちたいと自らサナダ忍軍への加入を申し出てめきめきと忍としての腕を上げていっている。
俺もまるで妹のように可愛がってはいるのだがいまいち懐かれないというか…何だかナメられている気がする。
聞くところによると犬は家庭内で序列を作るらしいのだが…いや犬じゃないけど…
「くみて…かまえろ…」
「あいあい、まったく飽きんね毎日毎日…」
ヨルトミア領、カッツェナルガ家の館の隣に築造された“ニホン家屋”…これが俺たちの住処、サナダ屋敷だ。
木と土壁で作られた平たいこの屋敷、周囲の景色からは明らかに浮いているも住めば快適。夏は風が通って涼しく冬は土壁の蓄熱であたたかい。
砂利が敷き詰められた庭園は広く池などもあるのだがここは専ら俺たち忍の鍛錬場となっている。
「せいっ…はっ…」
「ほいっ!ほやっ!」
俺はサイゾーの鋭い貫手を最小限の動きでさばきながら掴み投げるタイミングを伺う…
ダイルマとの戦い以降、俺はかなり強くなった。忍術鍛錬の日々が身体能力を大幅に底上げし、尚且つ多くの技術を身につけた。
親父のような立派な兵士になるという夢からはかけ離れたが…これで国のためになれるなら悪くはない。
甘いところに伸びてきたサイゾーの突きをぱしりと強めに弾くとガードが開き隙が生まれた。
「そこだっ!」
「あまい…」
胸倉を掴んで背負い投げようとするもサイゾーはするりと下に抜けてスライディング、小さな身で俺の股を抜く。
その際に片足を引っ掴んで引き倒しながら素早く関節技をかけた。秘技・サソリ固め。
関節を締め上げられる激痛が襲ってくる。
「あだだだだっ!ギブギブ!ギブアップ!」
「たあいなし…」
俺を含め僅か三十名のサナダ忍軍だがその中でもサイゾーは飛び抜けた身体能力を持っている。
その生まれ持っての身体能力は少女だったのに愛玩用ではなく闘技奴隷として売買されていたほどだ。
廃闘技場内をユキムラちゃんと巡っていた際、野生化した魔物を素手で絞め殺して屍肉を啜っていた少女奴隷を見た時のことは鮮烈に覚えている。
あれから随分とサイゾーも文化的に成長したものだ…組み伏せられながらもお兄ちゃんはすっかり感慨深くなってしまった。
どうやらサイゾーはそれが気に入らなかったらしく、サソリ固めの角度が増す。
「ぐわああああっ!だからギブアップ!ギブアップだよサイゾーちゃん!!」
俺たちが騒いでいると中庭に面した木の廊下を軽い足音がトントンと鳴ってよく見知った小さな白髪頭が現れる。
赤い衣(小袖と言うらしい、特注品)をゆるく身につけたラフな格好、くせの強い髪は無理矢理後頭部でまとめたせいかちょろんと立ち上がっている。
その姿を見るや否やサイゾーは即座に技を解き素早く片膝をついて廊下に向け拝礼する。一方俺は両足の激痛から立ち上がれず倒れたまま目礼のみ。
彼女は中庭に面した廊下…縁側にすとんと胡坐をかいて、倒れたままの俺の姿に苦笑した。
これこそが俺たちの主君、“転生軍師”ユキムラちゃんだ。
「おう、サスケにサイゾー、鍛錬ご苦労…サスケはちょっと情けないがの」
「おっしゃる通りでございます、返す言葉もございません…」
「ふふん…」
サイゾーが得意げに笑う。やっぱり序列か、序列だろうか…
そしてユキムラちゃんは懐から一枚の書文を取り出して差し出す…その宛先はリーデ=ヒム=ヨルトミア様。
城への使いと言うことならサイゾーではなく俺の任務だろう。サイゾーは高貴な身分が集まる城には自分からは滅多に近づかない。苦手なのだ。
書文を受け取るとユキムラちゃんはいつになく真剣な顔になった。
「ジンパチからの報告じゃ、ついにイルトナが軍を動かしたぞ…まだ領内に留まっておるがのう」
「五つ国の連合会議を目前にしてッスか?」
ノーノーラとダイルマが亡びて以来大陸西部は七つ国から五つ国にその数を減らした。
ここまではそれぞれの国の混乱が大きく二国旧領は切り取り次第の早い者勝ちとなっていたがそれゆえに小競り合いも起きていた。
あの戦いから一年…ようやく連合を復活させ再び西部を平定しようと各国君主たちは動き始めた。
だが今回はあの時とは訳が違う。連合間のパワーバランスが大きく変動し対等な立場での対話ができなくなっているのだ。
その中でも最も国力を持つのはヨルトミア…ダイルマを打倒し隣国ノーノーラの旧領を丸ごと獲得、二倍以上の大きさとなった我が国である。
「だからこそかもな、あそこはヨルトミアを最も恐れておるじゃろう」
イルトナは先のダイルマとの戦いでヨルトミアとの同盟を裏切って窮地に陥れた仇敵国だ。
おまけにこちらの前大臣や文官を金銀で釣って引き抜いていくという周到な策略ぶり。
その結果、先領主様や多くの騎士を失っておりヨルトミアでは恨み骨髄といった者も少なくない。
かくいう俺もあの戦いで父親を失ったわけで…
「妙ッスね…だとしたら猶更武力でなく机上で決着をつけたいはずでは…」
違和感を覚える。
武力でぶつかれば明らかに将も兵も多いヨルトミアに理がある。むしろそういう展開を望んでいるはずだ。
だがいくら脅威を覚えているとはいえあの狡猾なイルトナがそんな無謀な真似をするだろうか…
決して勝ち目のない戦いはしない国だ。それゆえに先の戦いでダイルマにつくことを選んだのだから。
「…サスケよ、わしが思うにイルトナは既に策を巡らせておる」
「俺もそんな気がしてきました…今度の連合会議、どうもキナ臭いッスね」
「うむ…警戒するに越したことはあるまい」
イルトナが何かを企んでいるというのならリーデ様が出席する今度の連合会議、何も起こらないはずがない。
そこでぱしりとユキムラちゃんは手を打つ。そして中庭の俺たちへと命じた。
「サナダ忍軍よ!次の任務は連合会議でのリーデ様の護衛!何か仕掛けてくるようなら連中の鼻を明かして参れ!」
「はっ!」
空気が引き締まる。
俺はサイゾーの隣、膝をついてユキムラちゃんの命を受けた。
ちょいちょいとサイゾーが脇腹を突いてくる。
「…つまり…なにをすればいい…?」
「あー、リーデ様が危なくなったら守れってことだけど…まぁ現地で指示するよ」
「そうか…せいじはむずかしい…」
政治ではないのだが…
そんなサイゾーを見てユキムラちゃんはいつものようにくくっと笑う。
本日のヨルトミアの天候は晴れのち曇り…初夏、嵐を予見させる黒い雲が間近まで迫っていた。
【続く】




