第八話 ユキムラちゃん、“姫騎士の計”を企てるの巻
その日ラノヒ砦は酒と女が手に入ったという報ですぐに持ちきりになった。
略奪はダイルマ軍の御法度だが一部の者が独断専行でやったこと、もしバレたとしても切り捨てるのは容易い。
即ち略奪の恩恵にだけ預かれるとてつもなくウマい話が転がってきたという訳だ。
砦の駐留兵は誰もが夜を心待ちにしていた…そんな折だった。
「か、火事だーーーーっ!!」
誰かの叫び声が響き、砦の一角からもうもうと煙が上がる。
不意を打たれた砦は蜂の巣を突いたような騒ぎとなる。前線砦が失火したなどと上官に知られたら略奪行為などよりも重い罰が下る可能性が高い。
火元はどこだ!誰が何をやりやがった!などと喧騒が交錯する中、口元に布を巻いた俺とユキムラちゃんは咽ながら砦の裏手から脱出する。
「ゲホッ、確かに物凄い煙じゃのう…あのモシケ草とやらは…」
「ゴホゴホッ、だから多すぎるって言ったんスよ…危うく俺らまで酸欠になっちまうとこでした」
実際に火をつけたわけではない。そんなことをすれば砦が焼失してしまう可能性があるからだ。
そこで使ったのはあちこちの山に自生しているモシケ草、ほんの少しでも燃やせば大量の煙を起こすこれは猟師たちの狼煙によく使われている。
それを三束ほど一気に火をつけて厨房に放り込んだのだ。しばらくは煙で前も後ろも見えない有様になるだろう。
そしてこの立ち上がる煙はもう一つ意味がある。
「クソッ…なんだってこんな時に…ぐっ!?」
「お…おい!どうしたんだ!?ぐあっ…!」
騒然とする砦の中、門の番兵が突如飛来する矢に射られて倒れる。
リカチ率いる猟師たちは音もなく弓を番えて次々と番兵を射殺、一掃した後リカチは物陰へ向けハンドサインを出す。
虎の紋をつけた遊撃隊はサインを確認後、姿勢を低く駆けだし門の隣のハンドルを手に取った。ギゴゴゴ…と重く軋む音を立てて門が開かれていく。
そこでようやく駐留兵たちは気付いたようだ、これは決して失火などではない…
「よっしゃあ!いくぜ野郎どもっ、突撃だあっ!!」
「混乱に乗じて迅速に制圧する!私に続け!」
開いた門からヴェマとロミリア様を先頭に、砦周辺に潜んでいたヨルトミア軍が突入を開始した。
二人が斧槍と長剣を振るえばまさにそれは旋風と稲妻…ダイルマ兵の首が弾けるように次々と飛んで地に落ちていく。無茶苦茶な強さだ。
その光景を前にヨルトミア兵は士気を上げ、ダイルマ兵は恐慌状態に陥った。
中には慌てて臨戦しようとする者もいたが…
「おっ、おい!砦の周り包囲されてるぞ!どうするんだよっ!!」
「東じゃ!東口はまだ塞がれとらん!そこから逃げようぞ!!」
壁の外は既にサルファス様とラキ様が軍を構え、包囲の態勢を取っていた。
それを確認後、打ち合わせ通りに俺とユキムラちゃんはわざと大きな声で会話してそんな情報を流す。
完全包囲してしまえばダイルマ兵たちは死を覚悟して向かってくるだろう。そうすればヨルトミア軍にも少なからず損害が出る。
だが、敢えて逃げ口をひとつ作っておけばどうか…明確に生き残れる道があるなら我が身惜しさが勝ち、兵士たちの多くは撤退を選んでしまう。
まさに人間の心理を突いたユキムラちゃんの悪魔的策略。現に兵士たちの多くは東口に殺到し始めていた。
結果…―――ものの数十分でヨルトミア軍はラノヒ砦を制圧した。
「さて、最後の仕上げのようね…行ってくるわ」
「姫様…」
ラキ様の最後まで葛藤する言葉を振り切り、本来戦場にいるはずもない姫様は兵士たちの助けを借りて高い門の上に立つ。
その衣装はいつもの煌びやかなドレス姿ではない。優美ながら勇ましく仕立てられた鎧とマントを身に纏った騎士の姿。
逃げるダイルマ兵が思わず目を惹かれる中、姫様の凛とした声が響き渡った。
「惰弱で傲慢なダイルマの兵よ!帰って私の言葉をツェーゼンにお伝えなさい!」
姫様は腰の細剣を抜き、高く掲げる。陽光を浴びてきらきらと刃が輝いた。
その美しさたるや…ダイルマ兵でなく思わずヨルトミアの兵たちも手を止め見入ってしまったほどである。
「ヨルトミアは決して屈しません!父祖の遺志を継ぎ、最後までこの地を侵す悪と戦います!」
歓声。
さらに士気を上げていくヨルトミア軍の前にダイルマ軍は撤退を再開する。
後は砦を完全掌握するのみ…ふと隣を見るとユキムラちゃんはにぃぃと裂けるような笑みを浮かべていた。
すべては思惑通り…そんな悪魔の笑みである。
◇
「そしてもうひとつ…どちらかと言えばこっちが本題なのじゃが…―――」
時は遡りラノヒ砦奪還の作戦会議室。
二本目の指を立てたユキムラちゃんは少々勿体ぶって言葉を続けた。
「ラノヒ砦攻略の次の戦、そこでツェーゼン=ダオン=ダイルマ本人をおびき出すこと」
動揺が走った。
この時点でユキムラちゃんの考えを皆が察したのだ。
“ツェーゼンを戦場に誘き出し直接討つ”…それこそがヨルトミアがダイルマに勝つ唯一の方法だと言うのだ。
確かに圧倒的な兵力差のあるヨルトミアが勝つにはそれしかない。しかし…―――
言い放ったユキムラちゃんにおずおずとシア様が異論を口にする。
「しかしユキムラ様…どうやってそのようなことを…」
「シア殿、ここで重要なのはツェーゼンの人となりだとわしは考えておる」
ツェーゼン=ダオン=ダイルマ…
前領主の死と同時にダイルマ公国の軍事化を急ピッチで推し進め、瞬く間に大陸西部のほとんどを掌握した嫡男。
性格は好戦的にて残忍、敵対者は徹底的に痛めつける蛇のような執拗さも持っている。
その苛烈ぶりは貴族でありながらも総大将として頻繁に戦場に出、自ら殲滅戦の指揮を執る動向からもよく伺えるだろう。
また、自身は非常にプライドが高いにも拘わらず他人に屈辱を与えることを至上の喜びとしている。絵に描いたような暴君だ。
無論反感も買っているのだが、全てその実力で捻じ伏せている…まさしくタイクーンの血を引く者である。
「ヤツは最早この大陸西部の戦いを消化試合と考えておろう、残るはヨルトミアだけだからのう」
「我々はナメられている…ということか」
「左様じゃロミィ殿、だからこそヤツは“遊ぶ”」
仮にタイクーンの後継を名乗り王都へ進出するのならば、こんな消化試合は配下に沙汰を任せ既に出立している状況だろう。
だがヤツはそれをせずダイルマに留まっている…つまり当面はタイクーンの座を他の地方の強国と奪い合う気がないということだ。
それが戦力差分析の結果なのか元々その気はないのかは不明だが、この後訪れるのは好戦的なツェーゼンにとって退屈な時代。
ならばこそ最後に残ったヨルトミアとの戦…ツェーゼンはここで存分に鬱憤を晴らすだろう。
それがユキムラちゃんの見立てだった。
「ああ、そいつは十分にありえる話だぜ、アイツにとっちゃ戦なんてのはただの遊びみてえなもんだからな」
元配下だったヴェマが頷いて同意した。
軽く聞くだけでもヴェマとは全くそりが合いそうにない男だ。遅かれ早かれ出奔はしていただろう。
「うむうむ、して気になる噂がもうひとつ…ツェーゼンは大層好色らしいのう、ヴェマ殿」
「ああ?そんなことも知られてんのかよ…ったく、ダイルマとは縁切ったってのに何故か恥ずかしい話だぜ」
にひひと笑うユキムラちゃんにヴェマは頭をがりがりと掻いた。照れているのだ。
ツェーゼンは服従させた国にすべて姫を差し出させている。姫がいない場合は身内の女性、もしくは領主の奥方。
そうして奪った姫や奥方を婚約者や夫、あるいは重臣や領民の目の前で凌辱するという只ならぬ性癖の持ち主であるとの専らの噂だ。
他者に最大限に屈辱を与えようとするツェーゼンらしいといえばらしいのだが…同じ男としてもまったく恐ろしい暴君である。
ちなみにこの話を聞いた時の潔癖気味なシア様とラキ様の冷たく凍てついた視線を俺は忘れることができない。
「という訳で、ここは姫様にひとつ釣り餌となっていただきたく…」
「あら…裸踊りでもして誘惑すればよろしいかしら?」
「ひ、姫様っ!?」
「絶対にいけませんよっ!!」
ユキムラちゃんの言葉に対し冗談めかして返す姫様にラキ様とナルファス様が凄い勢いで目を剥いた。
豪胆な姫の冗談にユキムラちゃんは呵々と笑い、手を振る。
「逆でござる、逆…脱ぐのではなく、“着込む”」
着込む…?首をかしげる全員に対しユキムラちゃんは策を語り始めた。
ツェーゼンはプライドの高い高貴な人間を徹底的に辱めるのを好む。公言は差し控えるが男としては正直納得できる性癖である。
それに対して姫様はどうだろう…人形姫を脱却し、君主としての自我を持ち始めた今の姫様は非常に魅力的なお人だ。
そんな人が仮に、もし仮に騎士の鎧を着て前線で兵士たちを鼓舞した場合…ヨルトミアの民たちの最後の希望と成った場合…
健気で美しくも勇ましい“姫騎士”として戦場に立った場合…
おそらく好戦的かつ好色なツェーゼンはその歪んだ欲望を抑えきれないだろう。
必ずや姫様に釣られて自らも前線へと出、“趣向”を始める筈。これが危険の伴う戦ならばまだしも、彼にとって遊びの範疇にあるならば猶更だ。
「名付けて『身体は屈しても心は決して屈しません!“姫騎士の計”』で、ござーる!」
べべん!
一同はあんぐりと口を開けて黙り込んだ。驚き半分、呆れ半分である。
確かに理には適っている…理には適っているのだが、まさかこんな低俗な作戦を主君である姫にさせようとは…
沈黙が場を包む中、クスクスと小さな笑い声が響いた。
「ふふふ…本当に面白いことばかり思いつくのね、あなたは」
姫様が…あの姫様が心底おかしそうに笑っている。
一同ぎょっとして見守る中、ユキムラちゃんはお道化て大仰に跪いた。
「お褒め頂き、恐悦至極」
姫様は立ち上がり凛とした声で命じる。
「ナルファス、すぐに私用の鎧を仕立てなさい、ユキムラの策…試してみる価値はありそうね」
かくしてツェーゼンを戦場におびき出す“姫騎士の計”がここに相成ったのだった。
果たして、その効力は如何なるものか…
【続く】




