第九十六話 家康の懸念…の巻
東部地方・エド城…
総出撃の命が下された城内は兵たちが忙しなく走り回り、呪術教団の魔術師たちが神兵の整備を行っている。
着々と進む軍備を満足げに確かめながら城内を歩く家康は送りつけた書文のことを思案する。
あのような要求が通るとは思っていない…当然ながら現タイクーンであるヨルトミア公は東部制圧に軍を動かすだろう。
だが今回はそれが目的だ。大軍勢である《皇帝の剣》を正面から打ち破り、天下に徳川の存在を知らしめる。
さすれば水に朱を落とすようにこの大陸の勢力図は色を変えていくだろう…二度目の覇業はそこから始まるのだ。
「故に此度の戦は絶対に負けられぬ…分かるな?」
「無論、承知しております!」
覇気に満ちた言葉は後方に控えた若武者から返ってきた。
彼の名は井伊直政…十六神将でもさらに中核を成す四人、徳川四天王が一人。
容姿端麗ながらも武人としてのオーラを放ち、纏う鎧は真紅の赤備え…前世では井伊の赤鬼と噂された。
「この直政、今再び殿と共に戦えることに猛烈に感激を覚えておりますッ!」
「…にしては、今回は余計な戦力が多い気がするがね」
「―――水を差さないで頂きたい、本多殿」
直政がじろりと視線を向けるのは見事な槍を担いだ壮年の男だ。
彼の名は本多忠勝…同じく徳川四天王の一人にして、東国無双とも呼ばれた戦国最強格の武将。
歴戦の武将であるというのにその体躯には傷一つない。即ちそれほどまでに卓越した腕前ということだ。
忠勝は不満を覚えるように整備されている神兵、そして自らの掌を眺める。
「神兵に神権…戦するのにそんな大層なモンはいらねえよ、槍一本あれば十分だ」
「フン、貴様はそれでいいだろうがな…少しはこの世界の兵たちのことを考えてはどうだ」
「うげっ…酒井殿…」
忠勝が思わず辟易した声を上げたのは二人よりもさらに年上、立派な口髭を蓄えた男。
彼の名は酒井忠次…徳川四天王が一人にして、前世では家康の最も古参の家臣に名を連ねている。
全盛期の肉体にしては僅かに老いが見られるがこれは彼自身が望んだこと。この時代こそが彼は全盛期と考えていた。
彼はバツの悪そうな顔をする忠勝に詰め寄り叱責する。
「戦は将だけで行うにあらずと何度言えば分かるのだ、貴様の猪武者ぶりは前世から何も変わっておらんようだな」
「わかってる!わかってるって!兵力で負けてるから仕方ないってことだろう?」
「いいや、貴様は何も分かっておらん!よいか、そもそも戦というものはだな…―――」
「よ、蘇ったってのにまたお説教かよ!勘弁してくれ!」
「まぁまぁ酒井殿、抑えて抑えて…」
くどくどと説教を始める忠次に対し、理知的な雰囲気を纏った忠勝と同年代の男性が割って入った。
彼の名は榊原康政…徳川四天王が最後の一人。武将として指揮官を務めると同時に策謀家としての能力も高い。
現タイクーンを糾弾する文書を書いたのも彼であり、戦端を開くにあたり家康は康政の策を取り入れた。
変わらない会話をする四天王に家康は僅かに頬を緩める。前世では天下に近づくにつれ聞かなくなっていったやり取りだ。
「して…殿、此度の戦…特に警戒すべき敵はどの者と見ますか?」
康政は取り纏めた敵陣営の名簿を差し出しながら家康へと問いかける。
今回の敵は前世とは様相が違う。古今東西の名将たちが時代も場所も越えて結集した混成軍。
例え神兵と神権を以てしても油断ならない…甘く見ていれば必ずや痛い目を見る。
その名簿に並ぶ名は北条早雲に始まり上杉謙信、竹中半兵衛に黒田官兵衛…どれも壮絶な功績を遺した甲乙つけがたい難敵だ。
だが、家康は敢えてその中の一番後ろに書かれた名を凝視する。
「最も警戒すべきは真田……真田の動きに注視せよ」
「真田…ですか…?」
康政は思わず困惑した表情を浮かべ、他三人もまた思わず顔を見合わせた。
真田に徳川が幾度となく煮え湯を飲まされてきたのは確かであるが、それは決して北条や上杉の脅威には及ばない。
その上、真田と言っても出涸らしの真田幸村だ。攻め弾正の真田幸隆や、表裏比興の真田昌幸ではない。
一体何故殿はそんな取るに足らない存在を恐れているというのか…
不可解な顔をする四天王に家康は溜息を一つ吐き、西の空を睨みつける。
「お前たちは知らんのも当然か…大した功績もない取るに足らん存在…しかし、そういう者だからこそ最も恐ろしい…!」
空を睨む家康の手は僅かに震えていた。
その震えは大きな戦を前にした武者震いか、それとも…―――
◇
「ぶぇっくしょい!」
ガハラカーンの決戦へと向け急ピッチで軍備が整えられていく中、陣頭指揮を執っていたユキムラちゃんが大きなくしゃみをした。
同じく騎兵たちを取り纏めていたロミリア様が呆れ交じりで笑う。
「大きな戦を前に体調不良は勘弁願いたいぞ、ユキムラちゃん」
「あー、いや、そういうわけではない…おそらく誰かがわしの噂をしておるんじゃろう」
そう言って軽く頭を振ったユキムラちゃんはずびびと鼻をかんだ。
今ユキムラちゃんの噂をするとなると十中八九徳川方の者だろうがそれはいいのだろうか…
そんな緊張感のない二人の様子を見ていたヴェマが軽く肩を竦める。
「やれやれ…本当にこれで天下一統なのかねえ、まだまだ戦いは続きそうな気がするぜ」
「まぁ、徳川を倒したとてすぐには戦は終わらんだろうな…本当の課題は東部平定後…天下を治める時になってからじゃ」
「なんだい、随分と知った風な口を利くじゃねえか」
「知っておるんじゃよ、天下を治めるという難しさをな」
ヴェマの言葉にユキムラちゃんは少し遠い目をして言葉を返した。
そう…全勢力を倒して各地方の戦乱を平定したとしても、乱世の気風が変わらない限り覇権を狙って立ち上がる者たちはいくらでも出てくる。
それどころか一大勢力と化した《皇帝の剣》内で権力争いが巻き起こり、大きく割れて再び乱世に逆戻りという展開もありえないとは言い切れない。
ユキムラちゃんが前世で仕えていた初代タイクーン…異世界の天下人、豊臣秀吉の築いた政権はそうして内部から滅んでいったのだという…
その引き金を引いたのが何の因果か徳川…今回の敵という訳だ。つくづく運命とは数奇なものである。
「そうならんためにも、貴殿ら…中核を成すヨルトミアの将たちが率先して地位と権力、そして自身の所領を得てリーデ様をお支えするのじゃぞ」
「うへっ、マジかよ…所領持ちってこたぁオレらが内政もしなきゃダメなのかあ…」
「ついに果たすべき義務が回ってきたということだろう…観念してナルファス殿に教えを乞わねばな…」
ロミリア様とヴェマは顔を見合わせ、ヨルトミアでのナルファス様の激務を思い出して顔をしかめる。
だが俺としては二人は領主としてもやれそうな気はしていた…何せダイルマと戦っていた時とは違う、もはや二人とも天下に武名轟く大将軍だ。
数多の戦いを経て培ってきたカリスマ性や統率力がきっと政務の面でも遺憾なく発揮されるだろう。
尤も、色々と細かい勘定を行う補佐役は必須であることは確かだ。大雑把なヴェマは特に…
そこまで想いを馳せつつ…傍で聞いていたリカチがツッコミを入れた。
「ってユキムラさん、他人事みたいに言ってるけどユキムラさんもヨルトミアの将の一人でしょ」
「んん…?それはまぁ…そうじゃな…」
何故か言い淀むユキムラちゃんに対し、ロミリア様とヴェマは目を剥く。
「まさかユキムラちゃん、自分だけ逃れられるとは思っていないだろうな!」
「いや…そんなつもりは…」
「怪しいぜ!テメエ、オレらに厄介事押しつけて一人だけ楽隠居決めこむつもりだっただろう!」
「ご、誤解じゃ!わしがそんなズルするタマに見えるか!?」
「「見える!!」」
二人に揉みくちゃにされるユキムラちゃんに、リカチとその場の兵たちは軽やかに笑った。
とても最後の決戦間際とは思えない緩い空気…しかしこの平常心を保てるのがこの軍の強みでもあるのだろう。
平常心を失わなければ例えどんな敵が出て来ようとも最悪の事態は回避できる。シリアスになる時は窮地の一瞬だけでいい。
だが俺は…このいつもの光景の中で、ユキムラちゃんに対してどこか落ち着かない空気を感じつつあった。
まるでこの戦いが終わったらどこかに行ってしまいそうな、そんな直感だ。
「サ、サスケぇ!何をボーッと見とるんじゃ!早く助けんかっ!」
「はいはい、しばしお待ちを」
…気のせいだと思いたい。
何にせよ、今は目の前の戦に集中するだけだ…明日には各軍ガハラカーン平原へと出陣、昼前には布陣し終えていることだろう。
これが最後の戦い…になるはずだ…
【続く】




