39 秘密アニタ
童女のようにキャハキャハと笑ったリリアンは、海水を浴びて生乾きの髪を掻き上げた。指に引っかかる感触も何のその、機嫌の良さそうな笑い声は止まらない。
「ひっくり返って起き上がれないなんて亀みたいね! しかも自分で最期がわかっているから、餌場のすぐ近くに巣を作るなんて…うふふ、巣に近い餌場を襲わないのは最期に備えてってことね?」
『そーなのだわ! 弱い生き物って、強い生き物の傍は怖がるけれど、害がないと判断したら守って貰おうとするでしょう? そうやって安心して増えた所を食べるのだわ!』
「やだぁー! 間抜けな割に狡猾じゃなぁ~い!」
リリアンはドラゴンが嫌いだ。ドラゴンを利用するヴォルティチェ国が大嫌いだ。
フォンテも同じだ。きっとこの船に乗っている者達もそうだろう。
だからリリアンが近いうちにヴォルティチェ国を襲うだろう悲劇に、自業自得な喜劇に、心の底からざまぁみさらせと笑っているのが理解できた。
沢山の人が死ぬとか、国が滅びるとか、国民達が可哀想とか、様々な想いが浮かんでは胸を過る。
過ったけれど。
――助けなければなんて、一瞬でも浮かばなかった。
何故ならフォンテも、奪われた側の人間だったから。
ただ、そんな自分に、良心が小さく痛んだ。
「それで、結局アンタなんなわけ?」
笑いすぎて痛めたのか、腹を押さえながらリリアンが巨大な黄金の目を見詰め返す。
出現したときはでかすぎて恐怖より驚愕の方が大きかったが、中身がアニタだと思うとその驚愕すら馬鹿らしくなる。奴隷商の親玉であるリリアンは図太かった。
『アニタはアニタ!』
「そういうの今はいいから…いいえ、本気よね。本気で言っているわね…聞き方を変えるわ。アタシは人間だけど、アンタは何? モンスター?」
『…? アニタ、モンスターじゃないのだわ。人間食べないもの』
ちょっと安心した。
何せ今のアニタは、船ごとリリアンとフォンテを丸呑みできる大きさなので。
『アニタはね! 大地の一族よ!』
自慢げな声で宣言されたが、フォンテには聞き覚えのない言葉だった。リリアンも知らないようで、器用に片側の眉を上げる。
「なぁにそれ」
『大地の一族は大地の一部なの。とっても大きくなるのよ。大きく育ちすぎて、いつの間にか大地になるくらい!』
「――――は?」
大地に、なる。
見たこともない巨大な蛇は、とても無邪気に溌剌な声で。
『この星はね、私たちの身体の上に国があるのよ!』
とんでもない世界の秘密を暴露した。
――脱皮すればするほど成長する蛇は、大地を埋め尽くし、星を覆うほど成長した。
星を一周して自分の尾を噛めるほど巨大な蛇は、世界の狭さ故に身動きがとれず、いつの間にか苔や木々が生い茂り、気付けばその上に人々が国を築いていた。
人々は自分たちの立つ場所が、巨大な蛇の胴体だと知らない。
アニタの母の頤近くに建国したトッレンテ国だけが、ご存命のご本人から事実を語られ、守られていた。
「は? はぁ? なに言ってるのよ蛇の鱗なんて土に埋まってないでしょうが」
『土じゃなくて脱げなくなった皮なのだわ。ちょっと掘ったくらいじゃお母さんたちの鱗に到着しないと思うの』
「嘘デショ皮なの?」
今まで踏みしめていた大地が大地ではないと言われて混乱するリリアン。フォンテはあまりの展開に思考を放棄した。深く考えたら精神が危ない。
「あ、アニタもいつか、大地になるってこと…?」
『おっきくなったらそうね! でもアニタは小さくもなれるから! 烏に捕まって大移動だってできるのよ!』
正体は巨大生物なのに、烏の餌になりかけている。
『そう! お空だって飛べるのだわ!』
大地の一族は、大地を這う蛇。
だからこそ、大地を這うアニタは、大空の覇者といわれる伝説のドラゴンにとても憧れていた。
『ちょっとだけだったけれどお空を飛ぶのって、とても気持ちよかったのだわ! 蛇に似ているけれど、お空を飛べるドラゴンって本当に素敵だと思わない? 思うよね? 思うのだわ!』
「興奮で我を忘れている…」
ふんすふんすと鼻息荒く目を輝かせるアニタは、拘束しているオオトカゲの存在を忘れているのか、ぎゅうぎゅう締め付けている。泡を吹いているが、誰も指摘しない。なんならもっとやれと思っている。
『お姉ちゃんは、昔の人がお母さんを見てドラゴンを創作したって言っていたけれど、蛇はお空飛べない物。きっとお空を飛んだ蛇、ドラゴンが世界のどこかにいるのだわ。だからアニタはドラゴンを求めて、大冒険をするのだわー!』
人の姿なら万歳して飛び跳ねているだろう声音。勢い余って高波がおきて、港が大変なことになっている。船も少し揺れた。
アニタという規格外の存在を認識した所為で、ドラゴンも本当にいるのでは…なんて想いが過る。世界は広い。フォンテは難しく考えることをやめて、ただ疑問に思ったことを口にした。
「お前小さくなれるならなんで鉄格子壊して外に出たんだ…」
『だってアニタの他に人が居たから。お姉ちゃんがね、お外に出るなら人のふりをしないとだから、人前で変身しちゃダメよって言うから』
だからえいってしたの。
相変わらずえいっがよくわからないが、そういえば蛇って全身が筋肉だったわね…とリリアンは口元を引きつらせた。呆然としたフォンテの疑問は続く。
「つまりお姉ちゃんも、蛇…?」
『お姉ちゃんは人間よ。お母さんが赤ん坊のお姉ちゃんを拾って、アニタのお姉ちゃんになったのよ。だからアニタは人間にもなれるのだわ!』
「その理論はわからない…」
まさかの人間に育てられて自分は人間だと思っているパターンかと思いきや、姉が人間なら妹も人間になれるだろうという謎理論だった。
これまでも伝え聞いていた、姉の苦労が目に浮かぶ。
浮かぶからこそ、フォンテは恐る恐ると問いかけた。
「…俺達の前で変身したのは、いいのか?」
『…はれ!?』
フォンテの言葉にきょとんとしたアニタは、意味を理解してぎょっとした。
言いつけを破ったこと、気付いていなかったらしい。
気付いてしまったアニタはびっくりして、締め付けていたオオトカゲを海に落っことした。
お姉ちゃん。100%人間。純粋なる人間。
血迷った人間により、お母さんへの生贄として丸呑み。お母さんの胎内で生き残り、お母さんにより口内で育てられる。毒耐性と強靱な肉体を持つ、メンタル弱々お姉ちゃん。自分が見た目に反して屈強なので、見るからに屈強な旦那様が大好き。
口内で生き残った妹のアニタのお世話もしていた。お世話したら、いつの間にか妹が人型に変身できるようになっていて腰を抜かした。
実はお姉ちゃんも世界の常識を勉強中の為、アニタへの教育が行き届いていない。




