38 変幻アニタ
巨大な蛇が、勢いよく海面を叩く。
突然の高波に、船が大きく揺れた。
「うわああああ――――!?」
巨大生物への危機感よりも、海に放り出される危機感で悲鳴が上がった。今海に放り出されたら命はない。それだけ海が波打っていた。
しかし船が揺れたのは最初だけで、すぐに揺れが小さくなる。
その原因は、見張り台という見晴らしのよい所に居たフォンテとリリアンによく見えた。
「嘘でしょ…」
船は、赤い鱗の上にいた。赤い鱗を持つ蛇の胴体。その上に、乗り上げていたのだ。
商船を騙るだけの大きさを誇る船より太い胴体。波に流されないだけの巨体。船を乗せた大きな蛇は、その長い胴体でドラゴンの身体を絞め上げていた。
ドラゴンも船より大きく、その巨大生物同士が絡み合う様は生命の危機を覚える所だが、余りにもスケールが違いすぎて現実味がない。しかもドラゴンを絞める動きがありながら、船は落ちる様子がない。それだけ、巨大な蛇は圧倒的だった。
『ドラゴンはねー! アニタ達みたいにおっきくて長くて強くて空だって飛べちゃうのだわー! トカゲみたいな形じゃなくて、アニタ達に近いんだから! 近いんだから! こんなんじゃないんだからー!』
肉声ではない不思議な声が頭に響く。現実では蛇の威嚇音しか聞こえないのに、フォンテの耳にはアニタの声が届いた。リリアンにも届いたようで、引きつった顔で耳を押さえている。
『よく見たら、アニタ知っているわ! こいつらはただの人食いオオトカゲ! 食べれば食べるだけ大きくなっちゃうオオトカゲなのだわ! こんなに大きくなるまで食べちゃうなんて、放っといたらひっくり返って起き上がれなくて、餓死しちゃうのだわー!』
だって手足が短いから自分で起き上がれないんだものー! なんて怒っている声音で呑気なことを言うこの声は、どこまで響いているのだろうか。
離れていても、港が騒がしくなったのがわかる。あちらからすれば、何の前触れもなく現われた巨大生物に無敵のドラゴンが絞め殺されそうになっているのだ。しかも声が届いているのなら、自分たちが育てたドラゴンの予想される死因がとっても間抜け。混乱も計り知れないだろう。
勿論リリアン達も、あまりの事態に頭が追いつかない。
「あ、アニタ…?」
呆然と、フォンテが名前を呼ぶ。
目の前で姿が変わるのを見たが、大きさが違いすぎて実感が湧かない。
とても小さな声だったが、ドラゴンを締め付けて威嚇していた蛇の頭が小さな船を振り返った。爬虫類特有の縦に割れた瞳孔。琥珀と言うよりも、黄金に近い色合いの目が、ぎょろりとフォンテを映した。
こちらの声が届くと思わなかったフォンテはぎょっとした。
今のアニタはフォンテの遙か上空に頭がある。だというのにフォンテの呼び声に反応して、長い胴体を器用に丸めて船の横に巨大な頭を持って来た。
『フォンテ、びっくりした?』
「そ、りゃぁ…」
一口で、噛む必要もない程あっさり呑み込まれそうな口が真横にあって、フォンテの動悸は速まった。ゴクリと唾を飲み込んで、黄金色の丸い目を見上げる。
感情など、全く察せない瞳が、じっとこちらを見ていた。
『そうよね。びっくりよね』
ちょっとしんみりした声音で、囁くようにアニタの声が響く。
『今までドラゴンだと思っていた生き物がオオトカゲだって知って、びっくりよね』
「そっち!?」
フォンテの脳裏で、少女の姿をしたアニタが訳知り顔で頷く姿がよぎった。
違う。そっちじゃない。
『フォンテ達が、ドラゴン好きくないって言っていたの、不思議だったの。あんなに素敵なのになんでかなって…でも好き嫌いは人それぞれだから、自分の意見を押しつけちゃいけませんってお姉ちゃんが言っていたから、そういうものなのねって思っていたのだわ。それは仕方のないことだと思っていたのだわ』
「う、うん」
その辺りの分別があったのは姉の教育の賜物だったようだ。
しかしそこじゃない。フォンテ達の驚きはそこじゃない。
『でもやっとわかったのだわ…皆、こいつをドラゴンと間違えていたのね!』
感情を読み取れない黄金の目だが、声音が明るすぎてペッカペカの笑顔に見えてきた。
『間違えていたなら仕方がないのだわ! どうして食欲を抑えられなくて目の前の物は何でも食べちゃう食いしん坊で、大きくなりすぎると自分の巣から出られなくて、自分の巣も食べちゃうオオトカゲがドラゴンになったのかわからないけれど…間違えていたなら仕方がないのだわ。アニタがちゃんと正しいドラゴンを教えてあげるのだわ!』
フンスフンスと興奮した声音は、小さな少女が薄い胸を張っているときのものだ。
話しについて行けなくて目をぐるぐるさせているフォンテの横で、リリアンが口を開いた。
「なぁに? こいつ…自分の巣まで食べちゃうの?」
『そうよ? そもそも最後は動けなくなるから、巣の近くは餌場なのだわ。だから近くにある物ぜーんぶ食べちゃうの。ひっくり返って起き上がれなくなってからも、届く範囲はぜーんぶ食べようとするから、あちこち穴ぼこにしちゃう悪い子なの!』
「あらぁ、そんな悪い子、お世話していたら大変ねぇ」
『お世話? こいつら食べることしか考えていないから、餌を与えられたらついていくと思うけれど…だからこんなに大きくなっているのね。これだけ大きかったら、お腹が空くのも早いだろうし…そうね、とっても大変!』
だって人食いオオトカゲはモンスター。
モンスターを手懐けることは誰にもできない。
できたと勘違いしたが最後。
『きっと巣の近くはおっきな穴になっちゃうわ!』
フォンテはぽかんとアニタを見上げた。
彼女の正体。この展開。全てに付いていけないが、リリアンの確認でわかったことが一つ。
ドラゴンを飼い慣らしたと、そう思っているヴォルティチェ国。
飼い慣らしたドラゴンは勿論、ヴォルティチェ国に居を構えている。
巣は、ヴォルティチェ国にある。
アニタが驚くほど大きく育ったドラゴン…否、オオトカゲ。
彼らが最後に喰らうのは。
「きゃはははははっ! なぁにそれぇー!」
リリアンの高笑いが響いた。
とっても愉快そうな、楽しげな笑い声だった。
マジウケるんですけどーっ!?




