33 絶体絶命フォンテ
(やばいやばいやばいやばい)
縛られ、甲板に転がされたフォンテは冷や汗を流しながら心の中で同じ言葉を繰り返していた。
フォンテの傍には同じ甲板員が転がされている。必死に藻掻いて逃げようとする者。意識を失っている者。じっと身を丸めている者と様々だが、誰もが為す術もなく転がされていた。
頬にはざらついた板材の感触。船の上で岸辺に打ち上げられた魚のように転がるフォンテ達は、自分たちの前を堂々と通り過ぎる軍靴を見上げた。
「まだ殺すなよ。確認することが大事だ。全員縛ってこの場に並べろ」
酷く柔らかい声音だが、言葉自体は酷薄。金色の髪を後ろに撫で付けた、三十代前半の男がダークグレーの軍服を着た男が、ダークグリーンの軍服を着た男達に命じている。
着ている軍服の違いと言動から、恐らくこの男が上官なのだろう。
柔らかな声、柔らかな笑みを浮かべながら、馬を躾けるのに使う鞭を指で撫でた。
男の前を通って、船底に積まれていた奴隷達が鎖に繋がれて船を下りていく。久しぶりの空の下を歩く奴隷達だが、誰も彼も表情は暗い。様々な理由で奴隷になった彼らも、これが救助ではないとわかっているからだ。
奴隷達の扱いは積み荷と同じ。船を検めるのに邪魔だから、一時的に移動させられたに過ぎない。
何よりヴォルティチェ国は奴隷公認。むしろ労働は奴隷に任せて国民は管理職。この奴隷船を降りた所で、ヴォルティチェ国に搾取されるだけだ。
そんな奴隷達の顔を確かめながら、男は軽く鞭を振る。
まるで、そこに知った顔がいないか確認するように。
「ネズミ一匹見逃すんじゃないぞ…見付からなければ打たれるのは自分だと思って探せ。一人ずつ、背中に傷を増やすとしよう。だって情報通りなら、この船に乗っているはずなんだ。我が国が取りこぼした、尊き血の一人がね」
優しくて力が抜ける声音なのに、背筋が凍るような冷たい口調。
男の言葉に、フォンテは蒼白になった。
(ヴォルティチェ国が取りこぼした、尊き血の一人…)
この国は、軍事国家だ。陸地で繋がる全ての国を支配して、海の向こう側にも手を伸ばすほど強欲に領土を拡大している。
この国に滅ぼされた国は数知れず。特に軍事力のない、小さな国などひとたまりもなかった。
ヴォルティチェは滅ぼした国の支配者を全て処刑し、ヴォルティチェ国の手の者に領地を統治させている。滅ぼした国が報酬の土地だ。彼らは恐怖と暴力で、じわじわとその手を広げて行っている。
そんな国が、取りこぼした尊き血とは…亡命して生き延びた、滅ぼした国の王族ではないか。
奴隷公認の国が、奴隷船を襲うのはおかしい。確かに不当な入港だったが、彼らがしているのは取り締まりではなく人捜し。つまり、奴隷船に、奴隷に、滅ぼした国の王族が紛れていると考えている。
そう、運良く生き延びることができた、フォンテのような。
――フォンテの本名は、フォンテ・スキューマ。
数ヶ月前に滅んだ小国、スキューマ国の第一王子だ。
ヴォルティチェは、スキューマ国のある小さな島に上陸し、あっという間に攻め入って土地を占拠した。
小さい島だった。小さな島で、更に小さく別れて統治している国の一つがスキューマだった。
文化の違いはあれど穏やかで、お互いの文化と尊びながら、狭いけれど平和に過ごしていた人々は、あっという間に捕らえられ…奴隷にされた。スキューマの国民は皆、ヴォルティチェ国のどこかに散らばっている。
しかし王族は権威を主張されては面倒だからと、皆殺しにされた。
父も母も、共に逃げた弟も――…。
「――……っ!」
フォンテの身体が大きく震えて、身を守るように丸まった。心臓が耳になったみたいに鼓動の音しか聞こえない。呼吸が浅くなり、胸が苦しい。
(見付かったら殺される。ばれたら殺される。せっかく生き延びたのに。ヴォルティチェの人間にばれたらダメだ。ばれなければ…!)
死にたくない。死にたくない。
だってここで死んでしまったら、あのとき家族と一緒に死なずに、生き延びた意味がなくなる。
(なんのために、俺は…!)
ここで終わるなら、なんのためにフォンテは生き残ったのか。
…弟の手を、振り払ってまで。
なんのために―――…。
「あと、トッレンテ国の迷子も忘れないように」
(アニタ――――!)
恐怖と罪悪感で呼吸が乱れかけていたフォンテは、突然のアニタに思わず心の中で叫んだ。
これは予想外。
アニタの自認は冒険ですが。
保護者から見ると迷子。
今月は日曜日更新…!
次回、9/14です。




