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3 見習いフォンテ


 海原を進む商船の倉庫で、一人の少年が無心に掃除していた。


 高い位置で結って動くたびに揺れる髪は紺色で、大きな猫目は紺碧。ねずみ色のシャツと黒のパンツは草臥れていて、少年の細い身体より大きくだぼついていた。

 十二歳の少年はモップを抱えるように持って、細い手足を懸命に動かし続けていた。


「はあ…こんなものかな」


 モップがけを終えた少年は、軽く周囲を見渡して汚れがないか確認をする。

 隅々までとはいかないが、ぱっと見綺麗になったと判断して、少年は汗を拭った。


「流石に一人だと疲れる…」


 本来は、三人で熟すべき範囲の掃除。

 しかし少年は一人だった。


『奴隷が脱走したらしいぜ』

『俺たちそっちの監視にいくから、ここはお前が掃除しとけよ!』

(奴隷達の監視なんか、俺たちの仕事じゃないだろ)


 本来、船員は三人一組で行動することになっている。

 うっかり海に落ちた時の報告役だとか、協調性を持たせるだとか色々理由はあるが、基本的に三人一組だ。

 組む相手が気の合う人柄ならば良かったが、少年…フォンテが組んだ二人は、フォンテより年上で横暴だった。彼らは年の離れたフォンテを子分のように…いや、奴隷のように扱っていた。

 フォンテはこの船で最年少。

 しかも仲間になって日の浅い下っ端。

 フォンテより立場の低い船員は、それこそ商品の奴隷くらいだ。


(…仕方がない。俺は、一歩間違えれば奴隷だったんだ)


 仕事を押しつけられる境遇に思うところがないわけではないが、反抗して奴隷の焼き印を押されるのは避けたい。


 フォンテは大男に押さえ込まれ、背中に焼き印を押される奴隷の姿を見たことがある。

 肉の焼ける悪臭と断末魔のような叫び声。焼きゴテを持つ男達の笑い声は、十二歳のフォンテにとって恐怖でしかなかった。

 本来だったらお前も奴隷だったのだと、フォンテと組んだ男達が笑うたびに、匂いと声が蘇ってきて気分が悪くなる。


『リリアン様に目をかけられていなければお前なんか』


 彼らだけじゃない。

 誰も彼もがそう言って、フォンテに仕事を押しつける。


(別に、特別目をかけて貰っているわけじゃない)


 確かに、フォンテを拾い上げたのは彼…船長のリリアンだ。

 家族を失い、帰る場所を失ったフォンテを救った、金の髪を靡かせた美しい人。

 男なのに女みたいな話し方で、女性的かと思えば男性らしさを忘れないちぐはぐな人。お兄さんと呼んだら怒られて蹴られたが、ちゃんと加減をする慈悲は持っている。腰の鞭を振るわれなかっただけ手加減されていた。

 しかしフォンテにとっての恩人は、多くの人にとって疫病神とも言える奴隷商人の親玉だった。


 奴隷商人。

 その名の通り、奴隷を売買する商人のこと。

 ――国によって奴隷は合法だ。

 罪人を奴隷にして労働させる。それを刑罰として定める国もある。

 食べる物に困った貧民が我が子を売ることで金銭を得て、子供も労力として買われることで貧困から抜け出し、生き延びる場合もある。

 貧しさへの救済処置として、奴隷になるのは選択肢の一つだ。


 合法な奴隷商人の場合、買い手が奴隷を死なせると罰せられる。そういう契約書がある。

 奴隷に人権はないが命は命。無益な殺生は推奨されていない。

 しかしそれは合法の場合。

 多くの国では、奴隷は違法扱いである。


(さっき停泊していたトッレンテ国では非合法だったな。ヴォルティチェ国では奴隷が労働の主力で合法だけど、扱いは主人の采配によるって聞くし…結局奴隷は奴隷。扱いは家畜以下だ)


 よって奴隷商人も質が悪く、罪人や救済など関係なく人を攫って奴隷にする。見目の良い者、珍しい者を攫って売り飛ばす。命の価値は軽く、最低限の配慮も尊厳もない。

 まさしく物語に出てくる悪党だ。

 そして商船を装うこの奴隷商人達は、フォンテにとってギリギリ合法な奴隷商人だった。


 ギリ合法…の、はず。

 ちょっと自信がない。


 ないが、ギリ合法だから拾ったフォンテを奴隷にすることなく、船員にしてくれたのだと思う。

 拾ったリリアンが何を考えていたのかわからないが、フォンテは好意的に受け取ることにしていた。

 たとえアフターフォローが一切なく、厳しすぎる社会の荒波に放り込まれようと、働けば食事の出る船は行き場のない少年にとって代えがたい居場所だ。


「…よし、次だ」


 掃除用具を抱えたフォンテは、倉庫の扉を開けた。

 下っ端が掃除する場所は倉庫だけではない。

 荷物が多くて動きにくいが、往復するのは手間だ。見た目は細いが少年らしく力はある。フォンテは揺れる床を踏みしめ、慎重に移動した。


(倉庫の次は、洗濯場…ん?)


 倉庫の扉を閉めようとしたフォンテは、後ろ手で閉めた扉に引っかかりを感じて振り返った。

 振り返った先で、倉庫の扉が半開きだった。別に立て付けが悪いわけじゃないのに、閉まりきっていない。

 掃除用具が引っかかっただろうかと、半開きの隙間を注視して…。


 床に、転がる、赤毛。

 下からぎょろりとフォンテを見上げる、どろりと濁った琥珀色。

 扉の隙間に、見知らぬ少女の生首が――挟まっていた。


「ハラヘリ――――ッ!!」

「うわあああああああ!!」


 少年少女の絶叫は、タイミング良く波の音でかき消された。




突然のホラー

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