27 見物リリアン
海風で帽子が飛ばされないように押さえながら、リリアンは二階の甲板から階下の甲板を眺めていた。
そこには数多くいる甲板員に紛れ、仲良くモップがけをしている小さい影が二つ。
紺色の髪の少年が何か説明しながら範囲を指示している。頷いた赤毛の少女は反対方向へ行進しようとして、早速少年に首根っこを掴まれた。不思議そうな顔をしているが、何故当然のように反対方向へ行くのか。相変わらず謎行動が多い少女である。
少女アニタが少年フォンテの逆鱗に触れ、ちびっ子コンビ解消の危機に陥るも、なんとか持ち直したらしい。
リリアンはアニタ渾身の駄々コネは見ていないが、立ち去った方向から響いたアニタの訴えは聞こえていた。とっても自分勝手な主張だった。
(まあ、ぶち切れなかっただけマシね。フォンテがアニタの抑止力のままでよかったわ。船は守られた)
視線の先で走り出そうとするアニタを止めるフォンテ。必死に何か言い聞かせているが、笑顔全開のアニタの耳には届いていない。
それに近付く三人衆。どいつもこいつも持ち場を離れて何をしているのか。
そんな彼らに躙り寄るツァイヒェン。よぼよぼした老人が遅々とした歩みで近付いてくるのに気付いたアニタが飛び上がり、フォンテの背後に隠れる。やんやと野次を飛ばす三人衆だが、枯れ枝のような腕に捕まったのはトロだった。
筋肉質な大男がよぼよぼした老人に連れられていく。
交代でやって来たのは釣り竿を持ったキューマ。今度はアニタの手を引いて、フォンテが全力で逃亡した。
「…うちの船員は何をしているのかしら」
「どいつもこいつも気が緩んでいますね」
思わず溢れた独り言に返事をしたのは、隣で一部始終を見ていたヴェレだった。
鍛えられた身体の所々に刻まれた傷。黒い髪と黒い目が無感動にじっと一点を見ているだけで迫力が違う。甲板長として、甲板員を上手くまとめ上げている。
「アニタ相手だとまともに取り合うだけ無駄なのよね…それとも他の所で緩みが出てるわけ?」
「新人のフォンテに付けていた輩が彼に仕事を押しつけていたのが発覚しまして、絞り出した所です」
何を。
一瞬疑問がよぎったが、リリアンは問わなかった。
賢明な判断である。
「よくある新人いびりに大袈裟ね」
「改善が見られず、新人が抜けてからも他の船員に仕事を押しつけようと画策していたので。基本的に怠惰なら、再教育するまでです」
「ああ、それなら当然ね。使えないなら生き餌…の機会がなさそうなのよね~ちゃんと使えるようにして頂戴」
「はい」
再教育を施しても仕事をしない船員に慈悲はない。奴隷として扱うのではなく生き餌にしている。船員達もそれを知っているので、職務をサボる輩はほぼいない。それでもやらかす馬鹿はいるので、生き餌として海に放られる姿がなくなることはなかった。
それだけ、航海が危険という意味でもある。
全く出くわさないときは出くわさないが、一度出くわしたときの被害を考えれば使えない船員を生き餌に使うのは躊躇わない。
しかし今回の航路は、一度出くわしたものの、その後はとっても平和だった。平和だからこそ、気が緩んでいるとヴェレも判断している。
アニタという、サメの怪魚をテイムしているテイマーがいるから、他の怪魚が寄ってこない。
アニタの言動は脅威だが、航海の安全には貢献していた。
(あー…このままだと奴隷の損失なく、次の国へ入港しそうね)
商品の損失がないのはいいことだが、元々損失を込みで考えている航路だけに、やはり物資が不足してきた。
(嫌ね…長居したくないのに、予定分の補給はどれくらいかかるかしら)
奴隷は、無機質な置物ではない。水と食料を必要とする人間だ。
食事の回数を減らせば奴隷の質が落ちる。しかし予定より加速した食材の消費に、キューマがアニタで魚を釣ろうとするのも仕方がない。
うっかり糸が切れても、恐らくアニタはサメの怪魚で追いかけてくる。追いかけてくるとわかっているから、リリアンとしては餌にしたくない。少女が乗った怪魚が追いかけてくる恐怖体験は一度で充分だ。
そんなの気にしないキューマがアニタを餌にしようと追いかけ回しているが、まあ捕まっても一時間でやめるように言っておこうとリリアンは彼らを見送った。
「リリアン様。質問よろしいですか」
「なによ。なんかあった?」
「あの新人をあの少女に付けたのは…特異な少女を、新人の盾にするのが目的ではありませんか」
リリアンはゆっくりと、発言したヴェレを振り返った。
大柄で傷だらけな壮年の男が、リリアンをじっと見詰めている。
「あなたがあの新人を…フォンテを気に掛けるのは、何故ですか」
ヘン爺は枯れ枝のような腕でも大男を引きずれるハイパーじいちゃん。




