23 恩人リリアン
一夜にして全てを失ったフォンテがリリアンと出会ったのは、国境を越えた山の中だった。
命辛々逃げ延びたフォンテが、人一人入れそうな樹の窪みを見付け、膝を抱えて身を潜めていた所を発見された。
今と同じように訝しんだ顔で、明らかに憔悴している子供ににこりともせず。
だけど無視することなく、リリアンは蹲るフォンテに声を掛けた。
問われたフォンテが泣き出して、己に起きた不幸を語って泣き喚いても、リリアンは面倒そうな顔をするだけでフォンテを慰めることはしなかった。
今思えば、親兄弟を亡くして嘆くばかりのフォンテはリリアンにとってとっても商品にし甲斐のある子供だっただろう。
しかしフォンテが泣きながら語るのを一通り聞いたリリアンは、奴隷としてではなく船員として、フォンテを拾い上げた。
それが何故だったのか、数ヶ月経った今でもわからない。
わからないが、生きるための居場所をくれたリリアンは、フォンテにとって恩人だった。
「こんな所で何しているのよ。アニタを一人にしたら何をするかわからないでしょ。四六時中とは言わないけどアニタから目を離さないで見張ってなさい」
アニタという未知の生命体の世話を押しつけて来ても、フォンテにとってリリアンは恩人だった。
「まあ見張っていても毎日騒がしいけれど…なんで魚の餌にされる流れになったわけ? キューマから話を聞いてもよくわからなかったんだけど。アニタで十分二十人分の食料ってどういうこと?」
アニタが乗船したこの三日間、毎日頭を痛めているリリアンが今日もこめかみを揉んでいた。
リリアンはアニタの突飛な行動にいつも頭を抱えていた。
奴隷商の長に君臨するリリアンだが、なにげに一番常識的だと思う。根が真面目なのだ。
「アニタって可愛く言えば好奇心旺盛な仔猫よね。現実を見るなら生まれたばかりのゴリラだけど。ほんと視野が狭くて嫌になるわ。今まで自分の価値観でしか生きてこなかったんだわ。あの子の姉も育て方間違えたわね。ああいうのは、自分の特異性を理解しないとどこまでも普通のつもりで周囲を巻き込んでいくのよ。とっとと人の輪に突っ込んで、自分が枠外の人間だってわからせないとダメよ。じゃないと周りが迷惑だわ」
こめかみを揉みながら、フォンテの隣に立ったリリアンがブツブツ小言を零す。掃除用具とは反対側。膝を抱えるフォンテをそのままに、リリアンは不満を垂れ流していく。
「どれだけ頑張っても阿呆の子は阿呆よ。純真無垢を汚したくないとか、泣かせたくないとか甘いことを考えず現実を見せないといつまでたっても夢見がちのお子ちゃまだわ。あの子の姉は、過保護になりすぎたわね。おかげさまで立派な夢の世界で生きる女の子のできあがりよ」
「…船長から見ても、アニタは夢見がち、ですか」
「誰が見たってそうでしょう。あの子はあの子だけの世界で生きている。現実が全く見えていないわ」
鼻で笑ったリリアンは、食堂でのアニタによる夢語りは聞いていない。聞いていないが、普段のアニタの様子から彼女のあり方を理解していたらしい。
「アニタは…アニタは、ドラゴンに憧れていました」
「ふぅん。ゴリラらしく強さに憧れでもしたのかしら」
「ドラゴンに憧れるなんて、アニタは馬鹿だって、俺…」
「なぁに喧嘩したのアンタ達。やめてよね船が壊れるじゃない」
リリアンはアニタが暴れたらひとたまりもないと思っている。
未だに彼女の「えいっ」が意味不明だ。ツァイヒェンに怯えてはいるものの、感情的になったらその怯えだって役に立つかわからない。
言葉に詰まって肩を落とすフォンテを見下ろして、リリアンは「面倒くさいわね」と隠すことなく呟いた。
「アンタの事情は知っているつもりだけど、だからってそんなに反応するなんて、ガキね」
「だ、だってアニタが」
「いいじゃない別に。アニタがドラゴンに憧れていようが夢見ていようが。アタシには何の関係もないし、勝手に夢見て近付いて食われればいいわ」
整った爪を眺めながらの発言に、リリアンが本気で面倒だと思っているのを察する。
察したが、フォンテはリリアンほど割り切って考えられなかった。ドラゴンの脅威は身に染みていて、あの存在を全面肯定するアニタが全く理解できない。
しかしリリアンは「本当にガキねぇ」と嘲笑うだけ。
「どうでもいい相手の嗜好なんて全く気にならないわね。勝手にしてろって感じ」
リリアンはアニタを、どうでもいいと思っているらしい。
だけど船にとって脅威なので言動を気にせねばならず、なかなかストレスが溜まっている。とっとと下船させたいので、深く関わりたくないのが本音だろう。
だから、アニタの趣味嗜好などどうでもいいと言って不干渉を貫くのだ。
本当は関わり合いになりたくないが、警戒して何をしていたのか確認する。
一日の報告書に「本日のアニタ」がある。




