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13 跳躍アニタ


 遠くからでも容赦なく入ったリリアンからの洗礼。

 しなやかで強い鞭は肉が裂ける程強力なはずだが、トロは笑顔でお礼を言いながら倒れた。


「我々の業界ではご褒美です!」

「わあ…」

「ぎょー…?」


 フォンテは知らない世界からアニタを庇うように彼女の目を覆った。ちょっと手遅れだったがアニタは何もわかっていなかった。


「アンタねぇ…余裕があるからって遊んでるんじゃないわよ」

「アーッそこですそこがいい! 内臓に届きそうで届かないこの角度ォ!」


 いつの間にか登ってきたリリアンが、トロのみぞおちにヒールを突き刺す。トロは悶絶したが、悶絶の種類が違う。フォンテはアニタを抱えてずるずる下がった。


「ねえねえフォンテ。リリアンちゃんもう忙しくない? もういいかしら?」

「まだだ。まだダメだ。捕まえた奴らを、これから懲罰室に連れていくから…」

「ちょーばつ?」


 何もわかっていない無垢な目に見上げられて、フォンテは説明に困った。

 本来ならば規律を守らない船員や言うことを聞かない奴隷に罰を与えるためにある懲罰室。奴隷船だからなのか、やけに備品が多い恐怖の一室。

 襲ってきた奴らは全員、そこで徹底的に心を折られる――奴隷として落ちるまで、徹底的に。


 フォンテがこの船がギリ合法だと思っているのは、人を攫うのではなく犯罪者を捕まえて奴隷落ちさせることの方が多いからだった。


 奴隷が合法の国では、奴隷へ身を落とす刑罰がある。相手が犯罪者の場合、犯罪証拠さえあれば奴隷商は犯罪者を奴隷にすることができる。国へ経緯を報告する義務こそあるが、捕まえた犯罪者は自由にしていいのだ。

 襲ってきたのが何者か知らないが、商船を装う船を襲うなら海賊だろう。


 海賊が襲ってきたから捕まえて奴隷にした。

 この件はこの一言で終わってしまう。


 勿論冤罪や言いがかりも多く発生するので、報告せずに奴隷に落とす商人は多く存在する。それは相手が犯罪者だろうと人攫いと変わらない。

 リリアンは手間を惜しまず合法の国へきっちり書類を提出しているので、フォンテはギリ合法だと思っていた。


(今回の奴らも、奴隷落ちだろうな)


 下の甲板を見れば、甲板長のヴェレが男達を拘束して回っていた。

 ペンチを手放した機関長のツァイヒェンはよぼよぼのおじいちゃんになっており、部下に支えられて船内に戻るのが見えた。本当にどうなっているんだあの体質。

 司厨長のキューマは率先して遺体を片付けているが、片付けていると言うより物色しているように見えて目を逸らした。直視してはいけない。


「とにかく、まだ終わってないから一旦中に戻って」

「ねえねえ壊した所直したわ! ぐいってね! 直ったのだわ!」

「話し聞かねぇ!」


 ぬるっとフォンテの腕から抜け出したアニタが、いつの間にかリリアンの足元をぐるぐる回っていた。

 簀巻きからぬるっと抜け出すアニタがフォンテの拘束から逃れられないわけがなかった。


「アンタ今のを見ても怖じ気づかないの本当になんなのかしら」

「アンタじゃなくてアニタ! あのねあのね、アニタが壊した所ね」

「今壊した所って言ったかの?」

「はわっ」


 そんなアニタの背後に、ぬっと現れたのは先程船内に入ったはずのツァイヒェン。

 今までマイペースを貫いていたアニタが、ここではじめて飛び上がった。

 猫が背後のキュウリに気付いたとき見たいな跳躍だった。

 老人の、白い毛で覆われた目元がギラリと光る。


「今、壊した所って、言ったかの???????」

「はわわっ」


 ずずいと老人に詰め寄られたアニタは間抜けな声を出してリリアンの背後に隠れた。今までにない挙動に、苦手意識を見せるアニタに、リリアンが意外そうな顔をした。ツァイヒェンの勢いなど意に介さずマイペースを貫きそうなのに、老人の気迫に押されている。


「な、直したのだわ。本当なのだわ。えいって捻って戻したのだわ」

「えいって捻って何か壊したんじゃな? どこ壊したんじゃ? 儂の可愛い奴隷船を虐めたんじゃろ? どこじゃどこじゃどこじゃ。場合によってはおちびをえいって捻ることになる」

「はわわわわっ」


 じりじりと間合いを取り合う子供と老人。ごっこ遊びのようでいて、老人の背負う気迫と子供に浮かぶ焦燥が全然遊びの枠じゃない。

 リリアンを真ん中にぐるぐる回り出した二人。間に立たされたリリアンが、綺麗な笑顔でアニタの首根っこを掴んだ。


「はれ?」

「奴隷室の鉄格子を捻り壊したのよ。お仕置きしといて頂戴」

「なんじゃと有罪。おちびとて許せぬ。船の一部にしてくれるわ」

「はれー!?」


 今まで制御不能だったアニタが苦手意識を持つツァイヒェン。お仕置きやお説教するなら彼しかいない。この好機を見逃さず、リリアンはツァイヒェンにアニタを押しつけた。

 首根っこを掴まれたアニタはうねうねと抵抗したが、あっさりツァイヒェンへ引き渡される。そのまま老人の細腕で捕まえられて、ずるずる甲板を引きずられた。


「直したのだわ直したのだわ本当なのだわ! アニタちゃんと直したのだわ! ちょっと形が変わったけどちゃんと直したのだわー!」

「形が変わっているならそれは変形って言うんじゃおちび。許さぬ許さぬぞ船に仇為す者は許さぬぞ。お前の手足で船を修理してやるからの」

「はわー!!」

「人骨で船が修理されるのはちょっと嫌ね…」


 引きずられるアニタと怒り心頭のツァイヒェン。役職持ちに逆らえず見送ることになったフォンテは、このままだと本当にアニタの人骨が船の修理に使われるのではと蒼白だ。


「あ、アニタから手足をとらないでぇー!」


 半泣きで、アニタが叫ぶ。

 その叫びと、見張り台から警報が鳴り響くのは同時だった。


「五時の方角! 怪魚の群れだ!」


 視線を向けたその先で。

 ダツの頭部に人の身体をした怪魚が、波間から飛び出して来た。



手足をガチでもがれそうだったアニタ。

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