172.鬼首再誕
群がる。
皮に忍び込み潜み肉を抉る。
骨を砕き血を啜る。
物理的に。
群がる。
決意に忍び込み潜み魂を抉る。
意志を砕き心を啜る。
本質を。
ただ奪う。
それこそが真理。
オレの在るべき姿。
そしてまたひとつ。
簒奪が終わる―――
「ガァァァァッァァアアア……ッ!!?」
鬼が哭く。
目の前でオレの“騎の腕”に捕獲された宴禍童子。
その体にこちらの無数の牙が突き立てられている。
そのまま細分化された咢が物理的にその柔肌に潜り込み、肉を喰らい血を啜りながら蠢き霊力を飲み干し始めた。
まだ時間としてはそれほど長くはない。
正確に計ってみてもおそらく数秒ほどだろう。
だがその間の変化はかなり劇的だった。
流れ込んでくる力。
そこにはいくつも鬼の力が重なる。
まず土台となる基本能力、そして全体を纏める役割をしている宴禍童子。
次にそれらへ方向付けを行い強弱緩急精緻な操作を行うための技術を提供している具眼童子。
最後に場に存在する力そのものを意志のままに動かすことの出来る悠揚童子。
混ざり合った絵具のように混在してはいる。外から見た限りでそれを厳密に区別することは簡単じゃないだろう。
だがひとたび取り込み始めてみれば、それは高級な料理を舌で感じているかのようにそれぞれを理解することが出来た。
とはいえ、ちょっと事情が特殊なことも事実。
分霊六鬼というだけあって、どうもこの鬼たちは主という鬼から分けられた存在らしい。つまるところ鎹となる主がいないからこそバラバラでいられているが、それをひとつに纏め上げるという行為はその対となる行為に等しい。
つまるところ、オレは自分の中にその主という鬼を組み立てる部品を収集している、とも言える。
だからだろうか。
管理されているオレの中の鬼たちの力は油断するとひとつに纏まろうとするのだ。以前伊達の部下から奪った式の鬼は別として、静穏、宴禍、具眼、悠揚といった名持ちの鬼はもとより、それ以外の霊力吸収目的で喰らった漆黒鬼を始めとする雑魚鬼までもが。
「なんかアレだな。百姓一揆起こされないように頑張るお殿様な気分…?」
とはいえ、“簒奪帝”のほうが強さとしては優位だ。こちらが意図して支配を手放すか、一時的にでも支配力が衰えるようなことがなければ問題はない。
なので軽く冗談を言いながら、ふと巨人を見上げた。
また、異常が起こっていた。
オオオオオ――――ォォォ―――オォ…ン―――
光の巨人の肩口の輪郭が膨れ上がり始める。
実体はないのか肉が膨張しているような感じではないが、逆に静かにすーっと腕が生えていく光景は結構不気味ではある。
生えた腕は6本。
合計で8本。
オレの“騎の腕”の最大値と同じ本数。
その理由はわかりやすかった。
「……羅腕童子、か」
元々オレが最初に簒奪に成功した名持ちの鬼。
彼が得意としていたのは腕を自由自在に変化させられることと本数を増やすこと。
……いや、まぁ確かに口の中に最後の隠し技とかも持っていたけども。
んで取り込み、それをベースとして使いだしたのが“騎の腕”。
そしておそらく目の前の鬼の本体?に関しては、先ほどオレが死んでたときに引っ張られて剥がされた羅腕童子の力が上手く混じり、結果として腕が生えた。
どちらもその現象の由来は同じ。
なら似てくるのは当たり前とも言える。
だとすると、残る分霊六鬼は幽玄と洞見なので、さっき取り込まれて輪郭が強く、それでいて揺らぎ出したのはそのどっちかの能力なのだろうか。
冷静になってひとりひとりを確認してみても、
「……って、アレ? なんか数が合わないなぁ。
羅腕、宴禍、具眼、悠揚、幽玄、静穏、そして洞見……で7だと分霊六鬼にならないし」
誰かひとり。
そう、誰かひとりだけ除け者がいる。
誰が正しく誰が違うのか、それとも分霊六鬼というのは何かの比喩で実際は七人いるというのか。
流れ込んできた鬼の力の中から記憶っぽいものを探って解明しようとするが、記憶が阻害されているようでよくわからない。記憶の取り込みが難しいというよりは、どうも取り込んだ記憶自体が何かしらの影響を受けているようだ。
「それも全員取り込んでみればハッキリするか」
【これ、充。おぬし……】
「あー、はいはい、わかってるってば」
エッセの声に苦笑した。
ちゃんと自覚はある。
キチンと制御できているとはいっても“簒奪帝”は自身の本質、わかりやすくいえば本能などと密接に結びついており、感情とリンクしている。
理性で制御しているつもりでも起動している以上感情と無縁ではいられない。
結果、かなり好戦的だったり、残虐だったり、まぁそんな感じの傾向が出てきているのはわかっている。わかっているので、まぁ、わかってないよりは大丈夫なんだろうと思っていたり。
なんとか拘束を解こうと抵抗していた宴禍童子の動きが徐々に弱々しくなっていく。そのために使う力ごとどんどんオレの中に奪られているのだから。
【名持ちの鬼を取り込むのなら、一気ではなく順を追ってひとつずつ処理したほうがよいかもしれぬな。現状、宴禍童子から重複した力をまとめて取り込んでおるせいで、鬼の力の抗支配力がかなり上がっておる。先ほどの推理通り、おそらく元々ひとつの鬼であったからじゃろうが】
分割して統治せよ、だったっけ?
なんかそんなこと言った歴史の人がいたとななんとかかんとか。
「でも羅腕童子は取り戻したいしなぁ……腕を増やすって単純な能力だけど、単純だからこそ他と併用したときの汎用性も高いわけだし」
【そんなことを考えているよりも、先に目の前のことに集中したほうがよいのではないか?】
えー? ほら、きっと“騎の腕”の完成度もより高くなるだろうし。
もっと操作性とかリーチも伸びるだろう。
……いや、元々取り戻したいから、取ってつけたような理由に聞こえるのは気づかないでくれてもいいんだけどね?
油断はしていない。
していないつもりだった。
だが、そんなことを考えていることそのものが油断していたということなのか。
侮るべきではなかったのだ。
“名持ち”の鬼というものを。
ほぼなくなる寸前まで弱まっていた抵抗が突如膨れ上がった。
ズ…ォッッ!!!
腕一本。
その最後の抵抗の力を集中し、宴禍童子の片腕がぐるぐると巻き付き拘束している“騎の腕”を突き破った。
だがそれだけ。
残った力を全部振り絞って尚自由になれたのは腕一本のみ。
もうその腕を使って残りの部分を引き剥がす力もなさそうだ。
だが、宴禍童子は全く違う手法に出る。
皮膚を剥がされ肉を抉られ顔の半分に頭蓋骨が露出しかけているようなボロボロの顔。
拘束されて見えないはずのそこに、笑みが浮かんだような気がした。
自壊。
一瞬にして鬼のカタチが崩れ一塊の力だけが残る。
それは腕が抜けた隙間から一気に外に吸い出されるように飛び出た。
「しま……ッ!?…」
気づいたときにはもう遅い。
奪えた力は全体としておそらく半分ほど。
残りは霊力特有のきらきらとした軌跡を残し、三色の流れ星の如くあっという間に光の巨人へ向かい吸収されてしまった。
オオオオ――ォォォ―ォォォォォンン―――ッッ!!!
鳴動。
山を揺るがしていたその揺れが、激震と呼べるようなものに変わった。
分霊のおよそ半数、三体もの鬼を一気に取り込んだ光の巨人は一気に自らの動きを活発化させていく。
ズズズズズ……ッ。
輪郭が変化する。
まるで宴禍童子と似た着物でも纏っているかのようなシルエットが浮かび上がり、同時に輪郭そのものがすこし丸みを帯びた女性らしさを感じさせるものへ変わった。
ヴヴヴヴ…ヴン…ッ!!
携えた八本の腕それぞれ、手の部分に不可視の力が満ち溢れ景色が歪んでいく。その力の性質は紛れもなく悠揚童子のもの。
ギョカッ!!!
顔のない巨人。
その額に具眼童子の如く縦に一筋の亀裂が生まれ、瞳が開いた。
「………やっぱ、そう上手くはいかないよなぁ」
さすがは宴禍童子。
最後の最後で一矢報いられた感じだ。
【だから言うたではないか、充】
「確かにフラグ覿面、だわ……」
これであの本体が吸収した分霊は都合五体。
無論、そのうち三体はオレが半分くらい力を奪った不完全体だったとしても、完全復活までかなり近づいてしまったことは間違いない。
「問題は、それをこれからどう対処するかなんだけど」
見上げる。
ゆっくりと体の感触を確かめているのか、光の巨人は自分の腕を確認するかのように動かしつつ手を開閉させていた。
今のところは暴れだす気配もないし大人しい。
でもいくら完全復活はしていないとはいえ、このまま放置するわけにもいかない。
「本当は一気に簒奪しちゃうのが手っ取り早いんだろうけど……さっきエッセに言われたばかりだし。すでにフラグ一個立ててその通りにしちゃってる現状としては最後の手段だな、うん」
“簒奪帝”で一気に吸収することは出来ても、それで鬼の力が制御できずにオレの中で完成されても面白くない。
なら、ベストなのはひとつだ。
「普通に倒してから考えるか」
羅腕刀を抜く。
意識を集中させると霊力を消費する代わりに柄糸が伸び手首に巻きつく。
同時にこちらが臨戦態勢を取ったことに気づいたのだろうか。
光の巨人は緩慢な動作ながらもオレのほうへと体を向けた。
宴禍童子たちの力を得たことによって、いくらかの知識を手に入れることが出来た。当然のことながらその中には彼女らの主―――封じられている古の鬼の情報も。
彼女らよりも格上の鬼。
まさに相手にとって不足はない。
ぶぉん―――ッ。
轟腕。
単に腕を振るってオレへ掌を叩き付けるだけの動きだが、そのサイズたるや自動車が突っ込んできているようなものだ。不可思議な力場っぽいものを纏ったその攻撃が迫る。
思いっきり横っ飛びすることでその攻撃を回避する。それを予測していたのかただの反射なのかわからないが、敵は他の腕を使いその攻撃を連続で放ってきた。
オレが避ける度、地面に巨人の掌大サイズに50センチほど陥没した破壊痕が増えていく。あれに潰されたらヤバいことになるだろう。その巨体から比べれば、オレなんてネズミ程度の認識しかないだろうが、そんな小さい的にも関わらず避けるとすぐに次の攻撃が飛んでくる。
だが、
「甘いッ!」
高い精度を齎す具眼童子の力を得たのはこちらも同じこと。
ひゅるん、と逆手に刃を持ち替えて地面についた腕の手首へ突き刺す。
肉とは違う、硬めのゼリーに針を刺したような妙な手応え。そのまま霊力を込めて刃の部分を太くし切れ味を鈍くする。刃が切れるのは刃先を鋭くすることによってそこにかかる圧力を極限まで高めているためだ。ならば、逆に刃を鈍く出来れば斬れない。素材に伸縮自在の羅腕童子の骨を使っているからこそ、刃の面積を変えることで鋭い鈍いを調整できる。
結果、切れ味の鈍くなった刃はそのまま手首に引っ掛かり握っているオレ毎、引き戻された腕が持ち上がっていく。
離れていく大地。
高さ10メートルほどまで上がると、今度は刃を鋭くして切れ味を増した状態で力を込め引き抜く。
浮遊感。
そのまま落下が始まる前に羅腕刀を投擲。
宴禍童子の膂力で撃ち出された刃は、オレの腕に巻き付いたままの柄糸が伸びるのも構わず、肩口へと突き刺さる。同様に刃が引っかかるよう、そして柄糸が縮むように意志を出せばオレの体はそっちへ引っ張りあげられていくッ!!
斬ってよし、投げてよし、引っ張ってよしのその性質をフル稼働させ肩へ到達。巨人は腕で肩のオレを掴もうとするがもう遅い。
そのまま刃を握ったまま首筋へ向かう。
「遅い…ッ!!!」
可能な限りの深さで首を断つべく全力を解き放つ。
だがその刃が触れた瞬間―――
ず、ぷんっ、と。
―――腕ごと、刃が飲み込まれた。
「……え?」
首に溶け込んだように右腕の肘から先が羅腕刀ごと巨人の中へ沈んでいる。
意味がわからず一瞬躊躇した瞬間、そこを起点にオレの中の名持ちの鬼の力が凄い勢いで内部に吸い込まれ始めた。
「…く、馬…ッ、これはオレの……ッ」
“簒奪帝”を顕現。
体が一瞬で赤黒い気流を纏った異形に変態する。本来ひとつであるはずの本体の鬼の力にも勝るとも劣らない支配率で引き剥がされそうな鬼の力をこっち側に逆に引き寄せる。
引く力と引く力。
しばし拮抗して引っ張り合う。
鬼の力を引っ張る巨人、そしてその力を引っ張られまいとするオレ。
―――そして結果、鬼の力を引っ張っているオレごと引っ張られてしまった。
光の巨人の輪郭に溶け込んでいく体。
肘、腕、足、胴体、首、と一気に沈んでいく。
思わず叫ぶ。
顔が半ばまで取り込まれ、声らしい声でないとしても。
ふざけんな、茨木童子ィィィ―――ッッ!!?
その古の鬼の名を呼んだ叫びが最期。
オレは取り込まれた。




