166.裏の事情 from 狼(3)
今回で回想は終了です。
次回から再び充君視点に戻ります。
閉じ込められた俺にできることはひとつだけだ、
引き裂く。
引き裂く。
引き裂く。
傍から見れば空を切っているだけの無駄な行為かもしれない。
だが無駄ではない。
どれくらい経った頃だろうか。
傷。
それはまさに空間の傷とでも呼ぶべき亀裂が生まれる。
そして待ちに待ったチャンスでもあった。
この閉ざされた領域の中にようやくひとつだけ見えた瑕疵に爪を突き立て、押し広がれとばかりに力を込める。
硬質な破裂音。
まるでガラス細工が砕けるかのように割れ、破片となって落ちていく闇の向こう側。
新たな風景が視界へと入る。
それは間違いなく俺が洞見と相対した場所。
「………不味った」
油断。
そんな軽い一言で済ませることが出来るわけでもないが、最も的確な表現をするとすればそこに行きつくしかないだろう。
よもや術を使う鬼、しかもあれほどの威力を出せるものを行使する相手だなど想像もしていなかった。
確かに推測するに足る情報はなかったが、それは言い訳にはならない。敵を見誤れば自らの命という代償を支払うのが戦場の習いなのだから。
「問題はどれくらいの時間が経ったか、だな」
夜の帳に包まれた森。
同じ闇でも先ほどまでのものと違い星の瞬きが目に入る。
スマートフォンで日時を確認して舌打ちした。
閉鎖空間に封じられたときから今の今までひたすら全力で壊しにかかっていたため時間を忘れていたが、いざ出られていざ確認すれば7月7日の夜になっている。
つまりは最終日。
丸2日も閉じ込められていた計算だ。
「つっても洞見が言っていたように3日かかってそれこそ取り返しがつかなかったことを思えば、最悪の事態は回避できてるか」
だが時間的な猶予はない。
社の位置を思い出し手近な場所から手当たり次第確認することにした。
山中を駆け抜けているだけでも、あたりに鬼気が充満し鬼たちもこれまで以上の数がいることに気づくことが出来ることから、相当不味い状況であることを再度認識する。
原因はすぐに明らかになった。
「引きが悪いっつうのかなんと言うのか……相当運がないな、今回の俺は」
走りながらボヤいても仕方ないとはわかっているんだが。
一番近くにあった社は破壊されており、次に見に行った社も破壊されていた。
残るは第4班が守っている社だけ。それが破壊されているかどうかで大きく話が変わってくるのだが、手近なところから確認していったら一番遠いところだけが健在かどうかというのは運が無い。
こちらが最後の社を守りに行こうとしていると判断したのか、行く手を漆黒鬼が阻む。
「邪魔だ…ッ!!!」
速度を緩めずにすれ違いざま4匹の漆黒鬼を引き裂く。
構っている暇すら惜しみ、真っ二つになる様子を顧みることなく突破。
それを繰り返す。
十重二十重に編まれた鬼の陣を突破しながら向かい―――だが、結局間に合わない。
ドフッ…ッ。
目の前に開けた最後の社。
俺が到着したのはそれが破壊された直後だった。
何か力場の塊が解き放たれ、かすかに山が鳴動する。
破壊され残骸となった社。
その周囲には刀を手にした女―――匂いからするとおそくら“逆上位者”なのだろう―――と、そして鬼女が二人でそのうち片方には見覚えがあった。
「洞見……ッ」
「……? あれ? どうして狼クンがここに居るんだろうな。
確かに閉じ込めておいたはずなんだけど。ボクの見立てが甘かったのか、それとも狼クンの潜在能力が予想以上だったのか…後者なんだろうなァ」
楽しそうに嗤う洞見。
油断していたとはいえ、俺をあっさりと封じたその術は系統こそ違うものの魔女クラスと考えた方がいい。不覚を取らぬように警戒心を露わにし、
「……?」
そして見覚えのある匂いに気づく。
社の手前、血だまりに沈んでいる首なし死体。
そして少し離れた位置に落ちている首。
「……テメェら……ッ」
そう、気づいて、しまった。
「おやおやおや、これはこれは……予想外に狩り甲斐のある獲物が来たぜござるなぁ…ッ!!!」
背後に突然の気配。
いつの間にか社の前にいた女が刀を振りかぶっていた。
空を裂く刃。
だが避けない。
避ける必要を感じない。
ギィ……ンッ!!
「ッ!?」
女が目を見開く。
振り切ろうとした刃は俺の首筋で止まっていた。
正確には首に沿うように生えた黒い毛で、だ。
人狼は生来鋼の強さを持つ毛皮を持つ。さらに“魔王”も噛みしたその防御を“逆上位者”ごときが打ち破れるはずがない。
ましてや
「人の身内に何してやがるかぁぁぁっぁアァァァッ!!!」
三木充に手を出した愚か者如きに。
一喝。
ただそれだけで瞬時に俺の体を毛が覆う。
人の輪郭が消え獣へと変貌する。
憎悪、殺意といった負の感情を餌とし、これ以上無く“魔王”が昂ぶっていく。
上半身を完全な狼の形態にしたまま駆ける。
まず振り向く。
腕を一閃。
巻き起こる真空波で女の上半身が右肩を中心として半分ほど血と共に弾け飛ぶ。
踵を返し二人の鬼女へ殺到。
喪服のような黒い服を着た女の腹を腸ごと噛み千切り、洞見を爪で抉る。
その三撃を一息でこなした。
結果、
ヴォシュッ!!
ブヂィィッ!!
ガィンッ!!
刹那に届く三様の衝撃。
だが洞見だけは手を翳し五芒星を宙に浮かべ盾のようにして爪撃を防いだ。だが衝撃までは防ぎきれず2メートルほど後ろに飛ばされて尻餅をついた。
「ってて……迅過ぎやしないか?」
苦笑しながら立ち上がる洞見と対照的に、“逆上位者”の女と喪服の鬼女は致命的にも等しい攻撃を受けて膝をついている。
それを見下ろしながら、噛み切った腸をごくりと嚥下する。
「……分霊六鬼、静穏童子か」
その言葉に黒の鬼女―――静穏童子が再び目を見開く。
能力を奪う方法として喰うという手法を選択している俺ならば、相手を喰らうことで理解することは容易い。まして相手は霊力で成り立っていると言っていい鬼だ。名前くらいならば多少齧っただけでわかるのは当然といえる。
「なんて野蛮な獣でしょう。浅ましい……この感じでしたら3割は持っていかれましたわね」
すぐにその卓越した再生能力で傷を癒すもそれに使用した分の霊力は減る。だがそれ以上に顔色は優れていなかった。静穏童子は鬼の膂力はそのままに、どうやら武術を達人並みに使える鬼らしい。それだけの強者であるにも関わらず今の攻撃には全く反応できていなかったのだから、表情に陰りが見えるのもわからないではない。
「……全くでござる。不意打ちをするのは得意であったが、まさか自分がされるとこれほど厄介だとは思わなかったでござるよ」
きゅるるぅぅ…。
ベアリングが回転する音にも似た不気味な音と共に間合いを取った女が肩を竦めていた。
致命傷になりかねない一撃だったにも関わらず、いつの間にか腕と上半身が再生し終わりそうになっている。ただし鬼の再生能力が早回しを見ているかのような治り具合なのに対し、その女のものは映像の逆再生に近い。
絡繰りはわからないが先ほどの不意打ちといい、どうやら“逆上位者”の中でも使い手だろうということはわかる。
ただそれでも俺の優位は崩れない。
確かにこの場の敵3体が全て再生能力を持っていることは喜ばしいことではないが、それでも俺の反応速度についてこれているわけではない。唯一動けた洞見童子も防御で精一杯だった。油断をせず猛る“魔王”を制御し続けられれば勝ちは動かない。
だからこそ洞見と呼ばれた鬼はそれを崩す。
「確かに今のままなら、キミが勝つ可能性が高いと思うよ。
ただきっと長引くだろうね。その間に充君が手遅れになる、なんてことはわかっているのかな? 例え“魔王”であっても」
「………ッ!!」
なぜそれを知っているのかはわからない。
だが憎悪を糧にした“魔王”を使っていることで、戦闘能力の増している俺を止めるその一言に思わず首のない充の体を見る。
通常であれば死亡は避けられない。
だが血の様子からしてあの状態になったのはつい先ほどだろう。
ならば……と、洞見の言葉が頭をよぎり打つ手が浮かんだ。だがもしそれを実行するのであれば、こいつらの相手よりもまず優先すべきことがある。
与えられている任務か、それとも身内か。
どちらを取るのか。
もしくは……どちらも取るしかない。
「ホント、怖い怖い」
ゆらり、とまず薄笑いを浮かべた洞見童子が“隠”を発動させて消えていく。それは戦いたいのなら仕掛けてみろ、という誘い。
「今は他にやるべきことがありますので退きますが…いずれこの借りを返す時が来るのを期待しますわ」
「ござる、ござる」
いくらかの葛藤したまま、それに乗らない俺を確認したのか静穏童子も消え、そして“逆上位者”の女も鬼の言葉に同意しながら物理的に森の方へと消えていった。
周囲の森からしていた雑魚鬼の軍勢の気配もゆっくりと遠ざかっていく。
それを確認してからゆっくりと上半身を人に戻す。
「仕方ねぇ…プランBだな」
どこかで聞いたフレーズを意味もなく口ずさみつつ、充のほうへと向かう。
倒れ伏している体。転がっている頭部をその脇に置いた。
これを治すには“癒し”ではなく“蘇生”が必要だが生憎そんな便利なものは使えない。だから俺に出来ることはたったひとつだ。
ぶぢぃんっ!!
“魔王”を凝縮して形を成さしめている手袋ごしに自らの手首の動脈へ牙を突き立て、噛み千切った!
ぼたぼたと落ちていく血と、そして混ざっていく手袋の断片。
それが充の体に降り注いでいく。
血と黒が交じったそれは触れるや否や、闇色をした霧のようになり急速に体積を増やしながらその体を覆っていく。
榊さんによって致命傷を負った俺を癒した復元力。
それに賭けるしかない。
不安要素はある。
例えば充の体が完全に死んでいたら。
羅腕童子の再生能力を持っていたはずだから、首が切れても即死していない可能性は高い。無論時間の問題ではあるが生命をなんとか少しでも長く延ばそうとしていてもおかしくない。
だが死を受け入れていたら、“魔王”が寄生できるかどうかが怪しい。そして“魔王”が寄生できなければその時点でアウトだ。おそらく周囲に寄生体のいない“魔王”の断片は、同じ断片を持っている俺のほうへ戻ってくることになる。
さらに寄生に成功したとしても頭部が切断されたという重傷でも回復させることが出来るのかもわからないときていた。
だがそんな心配は杞憂だったようだ。
霧はこちらに戻ってくることなく、充の体の周囲に留まり続け切り裂かれた首や刃を突き立てられた頭部を急速に復元させていく。
その様子にほっと安堵する。
正直安堵している場合でもない。
問題は山積みだ。
逃がした“逆上位者”をこれから追わなければならないし、この山に封じられた大鬼も最早復活する前提で退治する算段をつけなけりゃならないだろう。
もっと先のことを言っちまえばこんな荒療治をやってしまって充が大丈夫か、というのもあった。
不安要素はいくらでも出てくる。
だが、それはそれだ。
俺が考えなけりゃならない問題であり充には関係ない。
そもそも兄貴分というのなら、いくら懸念があるからといってそれを大っぴらに弟に見せるわけにもいかねぇしな。
やがてゆっくりと充が目を開けた。
さて、九死に一生を得た弟分に対してどんな声をかけりゃ安心してもらえるだろうか。少し考えて結局自分らしくやるしかないか、と内心苦笑しながら笑いかける。
「よぅ、充。生き返ったか?」
そして、その試みは成功したのだった。




