160.本殿防衛戦(4)
まさに紙一重。
自分と幽玄童子の勝負は正に薄氷の勝利だったと言っていい。
光の粒子となって山頂の方へ溶けるように消えていった鬼を見送った後、座り込みたくなる衝動を必死にこらえつつ周囲を確認する。
ひどい乱戦模様を呈してした。
漆黒鬼を主体とした鬼の軍勢は主人公たちとそれぞれ戦いを演じており、質では主人公たちが、量では鬼たちが優勢といったところ。
宴禍童子と具眼童子と戦っていたはずの“童子突き”こと武倉槍長は、いつの間にか別の鬼と壮絶な一騎打ちを繰り広げている。
口調や行動は宴禍童子だが、服装は具眼童子に似ている、体格の違う鬼。
彼女と一進一退、これまたかなり押し込まれてはいるものの互角に近い攻防を演じていた。
結論として、拮抗。
それが現在の攻め手である鬼と、護り手である主人公たちの戦況。
もし自分が幽玄童子に敗北していたら完全に相手の流れだったところだ。
逆に自分が勝ったからこそ、逆にこちらに流れに出来るとも言える。
持っている制氣薬でいくらか気力は回復した。自分に自己再生や癒しの能力はないものの、使用者自身限定で体の筋肉を使い傷を一時的に塞ぐ技法がある。技を使って消耗した気力さえ保てば、治療の時間くらいは稼げる。そのあとは体力の回復を待てば漆黒鬼の相手くらいは問題なくなるだろう。
懐から鎌鼬の塗り薬を取り出し、はみ出そうになった腸がしっかり筋肉で押し込まれているのを確認の上で破れた腹に塗りこんでいく。一般的に出回っている塗ることで傷を癒す河童の軟膏の上位品だ。出血を伴うような大きな傷などにも効果がある。
と、耳に人の声が飛び込んで来た。
「だあぁぁぁ~ッ、宴チャンたち合体してから隙がねぇぇぇぇ…ッ!?」
などと言っているものの、口調からすると武倉は随分と余裕があるように思える。
どこか掴み所ののないのは元からだったが、苛烈さを増す相手の攻撃に対して凌ぎ続けながら時折反撃を織り交ぜている。
そして台詞から察するに相手は宴禍童子と具眼童子が合体したもののようだ。
そうかといって名前はわからないし紛らわしいので宴禍童子のままでいこう。
分析することしばし。
やはり単純な戦力としては相手のほうが武倉よりも強い。
おそらく10回戦えば9回は相手が勝つだろう。
それくらいの差がある。
剛柔も伸縮も自在な裾と袖口、プラス手足から繰り出される波状攻撃。
その猛攻に晒されつつ“童子突き”は傷を負っていく。
だが不思議なことにそれら致死の攻撃のオンパレードを受けているにも関わらず勝負の綾に繋がる致命傷だけは受けない。
逆に続く猛攻の最中、間に単発でしか放っていない武倉の攻撃の中には偶然上手く当たってそれなりのダメージに繋がるものがある。
思わず呟いた。
「どうやら噂は本当らしいさ~」
そう、“童子突き”にはいくつもの噂があった。
その噂によると、彼は鬼属に対してだけは神がかった勝負強さがあるらしい。
勿論、彼が手にしているという鬼属にだけ性能が跳ね上がるという槍の効果や、彼自身の上位者としての強さ、そしてこれまで無数の鬼と戦ってきた経験もあるだろう。
だがそれだけでは説明がつかないくらい勝負強い、というものだ。
曰く、槍を手にしていなくても勝ったりする。
曰く、まったく初見の鬼の必殺技を避けた。
曰く、どれだけ押されても致命傷を受けない。
曰く、相手の鬼が女性だと2割くらいやる気と戦闘能力が違う、などなど…。
最後のものはともかく、気になるものがあるのも事実だった。
特に目の前の光景はその噂を肯定するようなものだ。
完全に押されているのに負けるような傷は負わず、結果として相手にだけダメージが溜まっていく。
ならば当然の帰結として勝てるだろう。
上位の鬼であれば幾許かの再生能力を持っているがゆえに、それは途方もなく長期戦になっても良いのなら、という条件がつくが。
つまるところ理由のわからない勝負強さの根幹をなしているのはあの回避に違いない。
「………どういうことだい」
一連の攻防が終わり宴禍童子が不審そうに足を止めた。
「最初の攻防で実力はある程度見切ったつもりだったけどねぇ……どうしてこのレベルの攻撃について来れる……?」
おそらく答えが返ってくることは期待していないんだろう。
だがそれでも言わずにはいられない、そんな雰囲気を感じた。
従来であれば武倉が実力を隠していたんだろう、と帰結するところだがどうやらそれとは違う得体の知れない印象を持ったらしい。
「え~? 別に絶対無敵ってわけじゃないから安心しておくれよぅ」
だが予想の斜め上をいくのがこの“童子突き”という男だ。
冗談めかしながら槍を構えつつ彼女の問いに答える。
「まぁアレだよ。これからその命を御代に頂くワケですし? 勝利に繋がるヒントチャ~ンスをあげる感じで。
こう見えても己ってば上位者なのよん。実力は折り紙付き、体力だってまだまだイケイケなわけで、これっくらいの攻防なら……ん~」
何かを計算する仕草を見せる。
「あと8時間はイケるんじゃないかな? 宴姉がそれくらいかかるくらいの攻撃を一瞬で叩き込めるってんなら勝てるよ~ん???」
んん?と人を食ったような言い回しをする。
暗に今のこの勝負強さに種も仕掛けもあるのだと。
正体はわからないが、おそらく何か制限というか限界があると言いたいのだろう。
宴禍童子の顔が小さく歪む。
これまでの攻防とて彼女が手を抜いていたわけではない。
むしろ悲願である主の復活を前に手を抜くという理由そのものがない。
必殺の意志を込めた全力の攻撃。
それを8時間放つのと同じ破壊力を攻撃をしろ、と言われても不可能だ。
千日手。
そんな言葉が頭をよぎる。
だからといって言葉どおり8時間かけることも出来ない。
鬼首大祭は今日が最終日。
このタイミングを逃せばまた1年待つ必要がある。
そうでなくとも、ここまで鬼の勝利に肉薄しているのだ。
また来年同じことが出来るとも限らない以上は時間切れで失敗などというのは論外。
時間が経てば経つほど困るのは鬼側。
今の状況でこのアドバンテージは大きい。
宴禍童子もそれはわかっている。
わかっていて尚打つ手が無いからこその表情だ。
が、そこで不意に鬼の表情が緩む。
もう諦めたのか、と思えるほどに。
「……?」
相対していた武倉も同じ印象を抱いたのだろう。
怪訝そうに首を傾げた。
「あぁ…やめやめ。やめよう。こんな細かいこと気にして戦うのはあたしの流儀じゃあ、ない」
ぎょか!と額の瞳を開閉させながら鬼女は一息つく。
「物には適材適所ってものがあるってぇ人間の言葉もあるくらいだ。“童子突き”とか言ったっけ?
確かにこのままあんたの相手をするのは無理だし無駄ってもんさね。
だからといって何かいい打開策を考えれるわけでもなし、はっきりいって手詰まり」
敗北宣言とも取れるように淡々と言い放つ。
だがその直後の言葉が全てを裏返した。
「ああ、でも勘違いしないでおくれよ? 諦めたわけじゃあない。
適材適所、って言っただろう。つまりは何かいい打開策を考えれる奴がいる、ってことさッ!!」
激しい踏込の音が響く。
その言葉を皮切りに再び宴禍童子が突進し、武倉が槍を使いながらその攻撃を凌ぐという映像を再生しているかのような光景が再開されていく。
そこまで見て、再び自分の状態の確認に戻る。
さて、どうやら傷はある程度回復したようだ。少なくとも動くのに支障はない。
もっとも、そうで無ければ困る。
なぜなら、
「………もうひと踏ん張りさ~」
「ふふ、今回はしっかりと人物の選定がされていますわね」
宴禍童子とは別に、強烈な鬼の気配が漂ってきているからだ。
気配の主は木々の間からゆっくりと歩を進めてきた。
黒い着物、黒い髪、黒い草履。
夜に溶け込むかのような黒一色で染め上げられた弧を描く角の持ち主。
その女性は嬉しむかのように上機嫌で視界に入って来る。
「この程度の気配も読めないような未熟者でしたら、一撃で葬って差し上げようかと思いましたけれど……気が変わりましたわ。少しお話致しましょう?」
圧倒的強者の放つ余裕。
そうとしか表現が出来ない。
そして最も不味いのは、その歩みが教えるこの鬼の存在そのもの。
素手で戦う、ということは武器で戦うということとは少し違う。
通常であれば圧倒的な間合いと破壊力を誇る武器相手に、動きを止めるということは死に直結するがゆえに必要以上に居着くことに対して過敏になる。
緩急自在に動き出せる身体操作を目指すがゆえに必然的に、体捌き引いては重心の操作にも長ける。
そして相手の動きを見たその感覚が告げていた。
「お初にお目にかかりますわ。
ワタクシ、分霊六鬼が一鬼、静穏童子と申しますの」
目の前で艶やかに微笑むこの鬼が、他の鬼とは違うということを。
自分と同じであることを。
武術を使う鬼。
危険極まりないその存在を。
身体能力で大きく人間を凌駕する鬼、それが闘争における理の粋を手にしたとしたらその脅威度たるや想像するだけでも恐ろしい。
「随分と警戒なされているようですけれど……ええ、その心配は正しいですわ。
ワタクシはアナタ如きが勝てるほど安い女ではありませんもの」
その挑戦的な言葉とは裏腹に、女は構えない。
ゆっくりと扇子を傾けるだけだ。
少し前に投げかけられた台詞を思い出し、
「………話?」
「まさか幽玄が倒されるだなんて、興が乗りましたの。
ああ、誤解しないでくださいましね? 正面から正々堂々闘った結果に物言いはつけませんわ」
ぱちん。
少し開いた扇子を閉じる音がする。
その先端がかすかに淡く光る。
わずかに黄色がかったまるで蛍のような鬼火。
「ただ、今アナタがワタクシに倒されようが倒されまいが関係ありませんから。
それなら問題ないでしょう? 堤を崩す蟻の一穴はここではありませんものね」
す、と扇子の先端がどこかを指し示す。
闇夜の中を光の筋が走り一点で止まった。
意図を測りかねるが結局警戒は続けつつ、示された方向を見る。
その先にあったのは、鬼と対峙する“童子突き”の姿。
だが対峙しているのは宴禍童子だけではなく、もうひとり見知らぬ女性が居た。
おそらく立ち位置的に鬼なのだろう。だが中央に高く突起が作られている笠―――確か市女笠と言ったと思うが定かではない―――を被っているためか角の有無はわからない。
それどころか笠回りの縁からベールのように薄布が垂れており顔すらも見えない有様で、菱形の模様が入った薄い黄緑の着物から辛うじて女性とわかる程度だ。
だが周囲の漆黒鬼たちとは違う存在感が、特殊な相手だということを感じさせる。
先ほど、目の前の黒ずくめの女性、静穏童子は“分霊六鬼”と言った。
つまるところそれはボスクラスの鬼が6人いるということだろう。
倒した幽玄童子、喰われた具眼童子に喰った宴禍童子、そして目の前の静穏童子以外にまだ2体残っている計算になる。
武倉と対峙している女性は残った鬼のうちどちらかの可能性が高い。
「具眼を喰った宴禍、そして悠揚。これだけでも十分だと思いませんこと?」
鬼首神社の防衛の成功、不成功。
そんなものにまるで頓着していないかのような口調は、すでに勝利を確信しているかのようだった。
あの女性が静穏童子の言うように悠揚童子という“名持ち”の鬼というのなら、その相手3体分に襲われては敗北は疑いないように思える。
「うえぇぇぇ、もうひとり増えたぁッ!? しかも顔隠したシャイガールッ!!」
………だが当の武倉を見れば、そのような悲壮感は感じられないな。
宴禍童子と悠揚童子が同時に襲いかかってもその様子は変わらなかった。圧倒的な速さと技量で攻め込む宴禍童子とは対照的に、ゆっくりとしたゆるやかな流れの如き動きで死角へ滑り込む悠揚童子。
これ以上ないほどの連携攻撃。
にも関わらず一撃、二撃、三撃……今までよりもさらに圧倒的に攻められているものの、同じようにクリーンヒットを許さない。
目で追えない攻撃、見えていない攻撃もなぜか致命傷を与えるには至らない。
どんな絡繰りがあるのかはわからないが、具眼童子を吸収した宴禍童子の攻撃をあと8時間は凌げると言った先の言が確かだとして、悠揚童子が加わっても尚5、6時間保つ。
その可能性が頭をよぎり、
「……それなのに、もう一手ないと駄目だなんて洞見も中々鬼が悪いですわね」
くすり、と微笑んだ目の前の鬼によって消えたのと同時に、“童子突き”が突然横っ飛びして間合いを取った。
宴禍童子たちの攻撃とは全く関係のない動き。だがそれが意味のあるものだったことは肩口についた斬撃の傷が物語っていた。
「ぐ……ッ!!?」
それまでの余裕はどこへ行ったというのか。
出血する肩を抑えつつ、武倉は直前まで自分が立っていたところへ警戒心の高い視線を送った。
その先にはその不意打ちの実行者、つまり新しい乱入者が居た。
目の間が見えないほど細かく黒い繊維が編みこまれた点を除けば、その着衣はライダースーツにも似ており、体のラインから女性であることはおそらく間違いない。
振り切ったその手には血の滴る刀。
だが彼女が何者かを雄弁に物語っていたのはその顔。
歌舞伎の黒子のような頭巾、それも顔を隠す部分だけが白い布で作られたものを被っている。その白い部分に赤い字で記されているのだ。
参、と。
そんな恰好をする存在を主人公たちはひとつしか知らない。
見ての通り顔がわからない姿だから、同じような服装をすれば存在を騙ることも可能だろう。
だがそんなことをする必要がそもそも存在しない。
忌み嫌われる悪評の高い存在に誰が好き好んでなるだろうか。
「………“逆上位者”ッ!!」
彼らが正体を隠す時に使う恰好のひとつ。
しかも書かれている序列は3位。
それが“童子突き”を不意打ちした者の正体を明確にしていた。
「ワタクシには“童子突き”と名乗られる方の絡繰りが何かはわかりませんけれど、洞見によれば鬼だけに限定されたものだとのこと。なら………鬼じゃなければよいのでしょう?」
その言葉を裏付けるかのように、遠目にも武倉の表情は厳しい。
表の“上位者”と裏の“逆上位者”3位。
序列は同じでも片方は鬼退治専門と言って憚らない者だ。
「………チッ」
あまりの状況の悪さに舌打ちし自分が目の前に立ち塞がる静穏童子に戦いを挑んだのと、武倉が“逆上位者”と刃を交えたタイミングはほぼ同時。
ゆえに本殿へと向かうべく“隠”を発動させた宴禍童子たちを止めることが出来る人間はこの場にはいなかった。




