119.主役枠の陥穽
戦の終わり。
兵は自らを待つ場所へと帰っていく。
次なる戦までしばしの安らぎを。
倒された暴君の地位は引き継がれた。
全てが終わって尚残るもの。
敗者が持つ財貨の分配。
城塞を、財宝を、領土を、最も多くの財貨を得るは誰か?
攻め入った兵だろうか?
打ちとった英雄だろうか?
否。
最も得るは将である。
軍勢を率いる者こそが全てを得るのだ。
□ ■ □
どうしてオレはここにいるんだろう。
どうしてオレはこんなことをしているんだろう。
今のこの姿を見られた。
見せたくなかったのに。
こんな浅ましい姿を見られたくなったのに!
だからもう全てを諦めた。
半ば逃避するように“簒奪帝”に思考と感情を任せたのに。
眩い月の光を糸にして織ったような見事な衣。
それを纏った月音先輩が何かをしたら途端に能力が鈍くなった。
食わせていたはずの思考と感情を吐き出すほどに。
でもそれを認めたくなくて、何も考えたくなくて、向かってきた長刀の女性と隠身さんに鬼を放った。なのに認めたくなくても感情はオレを邪魔する。
途中せっかく“宵獄”で捕らえた隠身さん。そのままエッセのように一瞬でぐしゃりと潰してしまえばそれだけで勝敗が変わるというのに。圧力をかけようと手を握るもかつて一緒に話したときのことを思い出してわずかに躊躇った。
その隙に長刀の女性が“宵獄”を破壊。鬼も全滅した。
ワルフを再度召喚しようとするも、なぜか力が入らないことに気づく。消耗しすぎてついにガス欠になってしまったのだろうか。
次に向かってきたのは出雲だった。
三日月刀を出して迎撃。
“暗視像”と重心を自在に操る能力もプラスしているにも関わらず押される。
どれだけ差があるのかわからない。
冷静になった思考には手加減しているのがわかったから。
少しして出雲が居合の体勢に入った。
それまでの比ではない圧力。
体がこの上なく警戒する。
彼を中心として一定の範囲内に入ればその瞬間真っ二つにされると確信させる。まるでそこから先が死の世界でもあるかのように触れるべきではない領域。
耐えがたい緊張が続く。
微動だにしていないのも関わらず短距離走を走っているかのように疲労が積もっていく。
静の争い。
突然その圧力が一瞬だけ止まる。
予想もしていなかった空白にほっと一息をついてしまう。
それが失敗。
空隙を縫うように再び高まる圧力。
そして飛ばされた殺意。
―――殺られた。
そのあまりの密度に、そう明確に自分が首を落とされた姿を錯覚し体が硬直した。
出雲の刀が疾る。
目にも追えないような速度で瞬いた後、唐突にオレの体にまとわりついていた“簒奪帝”の装甲にいくつもの切れ目が走り見事に砕け落ちた。
だがそんなことは驚くことじゃない。
「………ようやく、顔見せたな、親友?」
その言葉に比べたら。
思わず目を見張る。
出雲がオレのことを覚えている。
その事実に。
冷静に考えれば、オレのことを覚えていなければこうやって向かいあっているはずもないのに。今になってようやくそれを理解した。
その硬直が解ける前に最後の相手が飛び込んできた。
走り込んできたその黒髪の女性はよく知った顔―――綾だ。
思わず目が合う。
覚えていてくれているのだろうか。
間近に迫った綾が右手をあげた。
思わず反射的にガードしようを腕を上げかけたが、左手も同時に上がっているのに気づくと最早力は入らなかった。
そう、あの時と同じ。
ぱん、と両手で頬を挟まれた。
そのままじっと眼差しをぶつけられる。
ぎゅらぎゅらと裡で“簒奪帝”が荒れ狂っている。もう少し、もう少しで再び動き出せる。そう叫んでいるのがわかる。
でも今はそれよりも、目の前の女の子から目が離せなかった。
「私は充のコト、勝手に決めない。だから教えて?」
あのときと同じ言葉が突き刺さる。
言いたいことがあれば言っていいのだと。
子供ながらにクラスが違ってしまった幼馴染に遠慮して、全てを独りで抱え込んでしまったオレにそう教えてくれたその一言。
ちゃんとそれを彼女は覚えていてくれた上で投げかけてくれた。
今も同じ。
綾が殺されたと思った。
だけどもうとっくに気づいていた。
能力を発動させたとき、あの地下室で綾の死体だと思われたものが全然違うものだったことがわかった時点で実は生きているんじゃないか。どこかで捕まっているだけなのではないかと。
だけどそれを知って尚、伊達への復讐に焦がれた。
沸き立つ簒奪の欲望のままに一度火がついたその激情を振るうための理由とするために、気づいたそれについて蓋をした。
綾が殺されたから復讐をしているのではなく、自分の復讐のために綾を口実にしていたのだ。
結局見られたくなかったのはこの浅ましさ。
伊達を倒し無事な綾たちに今のこの姿を見られたとき、その愚かさにようやく気づいた。見られたくなくて、目を背けたくて、ただ現実から逃げたんだ。
勝手に思い込んで勝手に抱えて勝手に結論を出す。
あれから成長したと思っていても結局いつもの堂々巡り。
でも、それでも―――。
あのときと同じように、今からでも吐き出せばいいのだと。
何も変わらないのだと言ってくれた。
なら、戻れるんじゃないだろうか。
バツは悪いけれど、カッコ悪いけれど、ちゃんと素直に全部話せば、またいつもみたいに―――。
熱が冷めていく。
「……オレは…………」
ざざざざざざ―――ッ
突如、裡が破裂しそうになった。
“簒奪帝”が先ほどエッセから奪った力を完全に消化し終わり爆発的にその力を高めたのだ。
だが同時に足元に魔方陣が浮かび、それを押さえ込むように見えない力が“簒奪帝”の中の力そのものを絞り出すように分離させた。
砕けて地面に落ちた装甲と一緒になって、抜き出された“力”が上に噴き出してぐりゅりと球体状に圧縮されていく。“簒奪帝”の奥底に眠っていた銀に輝く力がオレの裡に居座りそれらを追い出してしまったような感覚。
「―――タイムアップ、じゃ」
どっと押し寄せる疲労感になんとか抗いながら声の主を探すように見上げる。
そこには宙に浮かぶ管理者の姿。
「月音よ、先陣にて簒奪を封じ込めしその所作、見事。
クズノハ、隠身よ、おぬしらがわらわの術を交えた波状攻撃を潜り道を拓いたこともまた見事。
出雲、綾よ、汝らが充を揺さぶったその絆、真に見事。
短き制限の内にその全てがあったればこそ、充の本体より溢れ淀んでおった力を分離させる機会、揺らぎが生まれることとなった」
まるで謳うように一人一人の労を労う。
ぎゅらりぎゅらり。
直径2メートルほどの赤黒い球体がエッセの横で揺らいでいる。
「これにて機構を狂わせる歪みは回避させたことを、管理者の名において宣言する」
ゆっくりとそう言って彼女は右手を球体に向けて突き出した。
ぐぎゅ。
赤黒い球体が恐ろしい速度で圧縮されていく。
何度か抵抗するように脈動しているものの、あっという間に直径5ミリほどの球体にまで縮んだ。
それを確認してから彼女は手を伸ばしていく。
ゆっくりと壊れ物を扱うように掴んだ。
「本日ここで在ったことは修正される。
結果については自らの目で確かめるがよかろう」
部活棟もかなり壊れてるし校庭なんてもう酷い状態だ。
このままだったら明日発見されてとんでもないことになるだろう。
なんとか修正されて上手く収まってくれるといいんだけど。
告げるエッセの有り様は管理者としての威風に満ちた姿。
オレと掛け合いをしていたのんびりとしたあの雰囲気とは全く違う。
ここにいるのは管理者エッセだ。
そう自覚し少し切なく想う。
「……もう平気?」
目の前にいた綾が心配そうにこちらを覗き込んできた。
「ん、ごめん」
周囲を見回せば皆ゆっくりと集まってきている。
月音先輩、隠身さん……さっきの話からするともう一人の長刀の人がクズノハさんなのかな? どっかで聞いたような名前だけども……ああ!? そういえばなんか上位者の中にそんな名前の女性いたような気がする!!
そんな彼女たちと出雲、綾の5人がオレのほうにやってきた。
まず最初に、
「…充さん。対抗戦から今日まで色々と言いたいことはありますけれど………おかえりなさい。貴方が無事でよかった」
生徒会長はそう言って金色の髪を揺らして微笑んだ。
ずっと見ていたいような柔らかい自然な笑顔。
「ヤっぱリ未熟だナ。百目とモっと遊……修行シないと駄目だゾ?」
いつの間にか背後に立っていた隠身さんに裾を引っ張られた。
返す言葉もございません。
「何があったか知らないけども、女の子を泣かすような無茶なあまりするんじゃないよ」
クズノハさんには長刀の石突の先でごすっと鳩尾を軽く突かれた。
うぐぐ…結構痛い。
「肝心な伊達との戦いに間に合わなかった分だけ借りを返しただけだ。気にするな」
笑って拳を突き出す出雲。
少し躊躇したけど、結局いつものように拳を突き合わせた。
「…ホント、馬鹿だね。でも…頑張ったんでしょ。おつかれさま」
一気に気が抜けたのかぶるぶると震えながら言う綾。
心配させて!と頬をぺしっと軽くはたかれる。
「あ、でもどうしてこうなったのか、ちゃんと話してもらうからね!」
その言葉に一同が皆小さく笑う。
ああ、本当バツが悪いったらありゃしない。
でもまぁいいか。
恥ずかしいのもバツが悪いのも、相手がいるからこそのものなんだから。
今はこうしてまた皆と再び笑い会えたことを素直に喜びたい。
ふと視界の端を見るとエッセの姿が薄れていく。
「…………ッ」
思わず何かを言おうとするが上手く言葉にならない。
聞きたいことも言いたいことも、山ほどあるというのに。
そのまま一言もかけることが出来ないうちに彼女は完全に消えてしまった。
気落ちして思わず俯いてしまう。
だが最後にこっそりオレの耳元にだけ音が届いた。
―――よく頑張ったの、充。
何、心配するでない。また、すぐに会えるじゃろうからな。
少し申し訳なさそうではあるものの、それはオレの部屋で楽しく会話していたときの彼女の声だった。
「……………ッ!!…」
思わずさっきまでエッセがいた場所を再び見上げた。
もう誰もいない。
ただ静かに星が瞬く夜空が広がっているだけだ。
でも確かに言葉は残っている。
「さて………話すことはいくらでもありそうが、一度解散するとしよう」
出雲の呼びかけに皆が賛成する。
オレも不満はない。
さすがに1日に色々ありすぎた。
って、あれ?
まずい…………ッ。
「…ごめん、もう無理そう」
意識がくらくらと揺れる。
安堵したせいで緊張が切れてしまったのだろう。
積み重ねた無理がついに決壊して体に襲いかかってくる。
慌てる出雲たちを視界の隅に捉えながら、そのままオレの視界は暗転していく。
□ ■ □
後に“主役枠の陥穽”と呼ばれることとなる主人公大量失踪事件。
様々な思惑が絡まり合い結んだこの事件こそが、その後に世界そのもの根幹を揺るがしていく“逸脱した者”が初めて起こした歪みとなった。
創造者、管理者、主人公、NPC、そしてそのいずれでもない者たち。
この事件の次に再び全ての関係が歪み出すのはもうすこし後のこと。
異なる終わりを夢見た結末は―――まだ見えない。




