幸せな朝再び
翌日、ルナはたなびくカーテンの隙間から優しく差す朝日と共に、ふんわりと鼻先を通る小麦とコーヒーの香りで目が覚めた。
「お目覚めですか?」
(ああ、やっぱり夢じゃなかったのね…)
目の前にタキシードを着たオリヴァーがいる。そして部屋の小さなテーブルに用意してあったのは、完璧な朝食だった。こんがりと焼けたトーストにバター。スクランブルエッグにサラダ。そしてコーヒー。きっちり二人分。時間の感覚で言えばほんの数日前の出来事だったはずなのに、とても懐かしく感じた。
「おはよう、オリヴァー。とっても幸せ!」
「そうか、ルナは前回も同じ朝を迎えているのでしたね?」
「そう、これが2回目よ。朝食をありがとう。どれどれ…」
ルナが立ったままトーストをつまんで一口味見すると、口に入れた瞬間に小麦の芳しい香りが口の中に広がった。オリヴァーはトーストを楽しむルナを微笑ましく見ていた。ルナは食卓についてオリヴァーに目をやると、相変わらずタキシードを見事に着こなし、美しいアッシュグレーの髪の毛が艶やかに輝いていた。
「私の顔に何か付いていますか…?」
「い、いえ……。」
ルナの顔が赤くなる。オリヴァーが聞いた。
「それで今日は、この後ルナがお仕事に出ている間に、私はチェスターに出会うのでしたね?」
「そうよ、私が夕方に仕事から戻ってくるとあなたの姿が消えていて、チェスターと仲良くなって帰ってくる…。それが前回の流れ。でも今回は、私もあなたとチェスターと行動を共にしてみようと思うの。」
「屋敷のお仕事は大丈夫なのですか?」
「あとでエミリーに休むと伝えておくわ。確か前回は仕事中にイブリンにハドソン様とのディナーの話をされたから、イブリンは私のことを探し回るかもしれないけれど。前回は確か車で出かけていったのよね。前回いつチェスターが来たかも分からないし、朝食後に寄宿舎に隣接した駐車場に行ってみましょう。」
ルナは、前回ルナが経験しなかった空白の時間を埋めているようで、なんだか楽しくなってきていた。
***
駐車場で蒸気自動車を見たオリヴァーは目を輝かせた。
「ルナ、この馬車にはどうして馬を繋ぐところがないのでしょうか?」
「あら、100年前には自動車はないわよね…。これは馬が引かなくても蒸気の力で動くようになっているのよ。」
「蒸気でですか…。フーム、私の時代にはこんなものはなかった。」
「チェスターが車に詳しいから聞くといいわ!」
オリヴァーは蒸気の自動車を珍しそうに、下から横から覗き込んでコンコンと叩いたりしていた。チェスターがなかなか来ないので、2人は寄宿舎のベンチに並んで座って作戦会議の続きをしていた。
「前回、時間的には明日夜のことなのだけれど、あなたに魔法のような素敵で豪華なディナーに連れていってもらったの。きっとあなたはチェスターやモーガン家の助けを借りたのではないかしら?今日チェスターと一緒にモーガン家の屋敷に行ければ、一日早く何か助けが得られるかもしれないわ。」
「なるほど。記憶にはありませんが、私の性格から言って恐らく何かしら役に立つものを未来の私のためにモーガン家の屋敷に残している気がします。」
昼過ぎ頃、蹄の音が聞こえてきた。
「おやおや、心配して来てみたら。」
純白の愛馬に跨ったチェスターが馬を寄せると、軽やかに飛び降りて馬を繋ぎ、乗馬用ヘルメットを取った。漆黒の美しい短髪が露になる。黒のライディングキュロットを履き、上は紺色の襟付きベストを着ていた。
チェスターがオリヴァーとお互いに会釈したあと、ルナとチェスターは笑顔でハグし、お互いに向き合って話しかけた。
「婚約破棄の件があったからルナを心配して来てみたら、こんな貴公子と楽しそうにしてるじゃないか。心配して損したぜ…。うちは両親の決定は絶対だからな、まぁ仕方ないさ。なぁ、どんなことがあっても、僕とルナの友情は変わらないからな。」
「元気そうでよかったわチェスター、ちょっとあなたに相談があるの。ひとまず車を出してもらえる?」
「…お、おう。」
チェスターがルナの勢いに気圧されるように蒸気自動車のエンジンをかけると、側にいたオリヴァーが「すごい音ですね!」と子供のように喜んだ。チェスターはオリヴァーを一目見た時、とんでもないイケメンがなんでここにいるのかと思ったが、車好きで良い奴そうだな、と思った。
「あんた、面白いな!まぁ最新型だし見たことないのは仕方ない。3人でドライブだな。」
「私、久しぶりにモーガン家にお邪魔したいわ。」
「あいよー。それじゃあ、まず街の方に向かうか。」
チェスターはハンドルを握ると、オリヴァー、ルナを乗せて3人で屋敷の門を抜け、街へと蒸気自動車を滑らせていった。
***
イブリンは、その日朝から不機嫌だった。屋敷で使用人の仕事をしているはずのルナがその日に限って見つからなかったからだった。他の使用人仲間であるエミリーに聞いたところ、風邪で寝込んでいるという。
(なんでこんな大事な時に!風邪で寝込んでようがどうしようが、這ってでも今日のハドソン様とのディナーに私の代わりに行ってもらいますからね!)
イブリンは、珍しく使用人の寄宿舎に向かった。寄宿舎はかなり古くボロボロでところどころ木の腐った部分を補修した跡があり、綺麗好きのイブリンにはこのような建物に入ること自体が拷問のようだった。
(どうして私がこんな汚らわしい場所にわざわざ来ないと行けないのかしら。ああー腹立たしい!ルナのやつ!)
ノックもせずにルナの部屋に入ったイブリンは、中心が盛り上がった小さなベッドを見つけると、勢いよく掛け布団を剝ぎ取った。
「こんなところでいつまで仕事をさぼっているつも……あのアマッ!!!!」
ベッドの上には、おでこの部分に「ルナ」と書かれた、大きな馬のぬいぐるみがあるだけだった。




