弾丸列車構想(1935年2月16日)
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1935年2月16日
東京の鉄道省、南満州鉄道株式会社大連本社に遥か彼方の欧州から提案書が届いた。差出人は藤伊栄一伯爵。提案書のタイトルは弾丸列車構想。要は新幹線整備計画だ。
「藤伊伯爵家の投資目的はこれだったのか........。」
鉄道大臣の内田信也がボソッと言った。鉄道省はJRの民営化前の日本国有鉄道を保有する行政機関だ。内田信也は実業家上がりの大臣である。
「拒否権はないですね。」
官僚の一人が頭を抱えていた。彼は建設担当のトップ建設局長だ。鉄道省は藤伊伯爵家に大きな借りがある。東京から神戸までの日本の大動脈と言ってもいい、東海道本線の整備負担をしてもらっていた。
「あの時は、気前がいい貴族だと思っていましたが、世の中そんな甘くないですね。はぁー。」
「経理局長の私は仕事が増えますよ。これ絶対!」
監督局長、経理局長も藤伊伯爵家の印象を改めた。海軍横須賀鎮守府がある横須賀までの震災でダメージを受けた横須賀線の整備費全額負担。東京ー小田原間の複々線費の一部負担。関西地区の滋賀県の草津駅ー兵庫県神戸駅間の複々線工事費の一部負担。なんだかんだで、藤伊伯爵家は東海道本線の高速化整備費を色々負担していた。
それにより、鉄道省は熱海駅ー沼津駅のトンネル工事に集中出来た。1934年に現在のルートになる熱海駅ー沼津駅ルートが1931年に完成していた。東海道本線の東京ー神戸間の一部区間よる複々線工事は1933年に終わっていた。史実より完成が4年ほど早い。
国民の見本となる様な行動する、国家思いの貴族。
これが鉄道省上層部の藤伊栄一伯爵に対する印象だった。支援してくれる事には感謝していた。まあ、支援額も半端ではなかった。国家発展を理由にして寄付していた藤伊伯爵の国民から人気は大変良かった。選挙に出馬したら当選するくらいだった。
藤伊伯爵家の財源が気になったが鉄道省は一切これに触れなかった。国会で藤伊伯爵家を名指しで非難した議員が数日後に逮捕されて、刑務所へ送られたからだ。
ところがどっこい、藤伊栄一伯爵は利益にならない事を一切しない人物である。こいつは今までの寄付額以上を回収つもりだった。その為の新幹線整備計画だ。史実の東京ー大阪、東海道新幹線を作り、ルートは殆ど史実と変更がない。
藤伊栄一は建設案に示されている都市部から離れた土地を買い占めていた。それも格安でだ。新幹線は田んぼの真ん中など、住宅地から離れた所も走行する。都市部から離れた辺鄙な土地の地価は安い。それに提案書には大物国会議員達の署名まであった。これは提案書でなく、命令書だと誰もが感じていた。断ったら、自分達のクビが飛ぶことくらい目に見えている。
「ともかく、余っている資金で建設予定地の購入を始めよう。研究所などの整備は国会で承認されてからだろう。まずは、準備だけでもするぞ。」
内田鉄道大臣がそう言うと経理局長がボソボソ言いながら早期購入可能地を調べ始めた。もう、仕事が増加したのだ。経理局長が先ほど言った言葉は正しかった。
「仕方ないかもしれない。我々鉄道省は藤伊伯爵家の名前を使って軍部、政党から逃れてきたのだから。」
「監査局長が言うと説得力がありますね。」
「軍部の輩が藤伊伯爵家の名前を出すと何もなかった様に消えていきますから。建設局長も軍部の迷惑さを知っているでしょう。」
「ええ。私個人としては電気機関車運転の為に民間企業まで介入する海軍に驚いています。軍艦より電気機関車ですか...。」
周り全員が一同に頷いていた。それもそのはず、海軍は東京駅ー横須賀駅間の電気機関車よる運転をする為に色々と動いていた。1920年代後半に東京ー横須賀間の電化が完了した。電化完了と同時に蒸気機関車による運転を取り止め、電気機関車による運転へと切り替えた。が、当初は故障が相次いだ。最近は改修が行われ殆ど故障が無くなった。故障が相次いでも、海軍からの要請で電気機関車の運転継続されていた。
都市部以外ではまだ電化されていない為、蒸気機関車が運行されている。東京ー大阪間も蒸気機関車で運行されていた時代。企業も大きな蒸気機関車製造ラインはあっても、大きな電気機関車製造ラインがなかった。
無ければ作る。電気機関車を製造している民間企業へ海軍が資金援助した。異例なことだ。企業を駒としか考えていない海軍の資金援助。大きな話題を呼んだ。海軍の資金援助より、電気機関車の大量生産が始まった。今では、東京ー横須賀間は全て電気機関車に置き換わっている。
電気機関車により、輸送時間が短縮されたことは事実である。輸送量も増えた。海軍はこの2つの為に資金をつぎ込んだ。これが功をなすのは太平洋戦争まで待つしかない。
それ以降、その他の民間企業からは海軍の資金援助を取ろうと必死になっていた。海軍がこれから必要とする技術などの研究所を設立し始めた。日本中の企業が海軍の要望にある程度一致する物に切り替わりつつあった。企業の陸軍離れは激しくなった。満州事変が発生していない為、泥沼化した日中戦争の発生がない。発生していないから陸軍の物資消費がない。
企業は海外出兵を望んでいるかもしれない。中国東北部、別名満州。この地の軍閥と友好関係にある日本。日本政府は満州に不干渉の立場をとった。日本国内開発終了後に乗り込めばいいと考えていたからだ。
日本陸軍の主力部隊は日本列島に多くいるので、大陸進出には海を渡る必要がある。海軍に要請したが案の定、大陸進出部隊を乗せた船団護衛と補給物資の輸送拒否の返答だった。そのため、海軍が一切動かないから、陸軍は満州に進出したくてもできなかった。
やりたければ、陸軍の船を使え!海軍は船、1隻も貸さない!
これが派閥対立に明け暮れている海軍軍人でも意見が一致しているおかしな部分である。
陸軍が海軍に要請せざるを得なかった事情は史実と違い、朝鮮半島が全く使い物にならないから後方大規模物資補給基地が九州となるからだ。今回の朝鮮半島は補給基地にならないくらい開発が進んでいない。ウラジオストク、大連、台湾、樺太優先の為、朝鮮半島は後回しだった。これが数年続いたので上記の場所よりもインフラ整備が遅れている。朝鮮半島でマシなのは京城ソウルと日本列島との航路がある朝鮮半島の南の港街、釜山くらいだった。その他は手付かずだった。
朝鮮総督府は朝鮮半島全土のインフラ整備を諦めて、京城の開発に集中していた。朝鮮総督府の赴任はハズレだと本土の役人達の中で有名になっていた。余りにも、本土の役人達が嫌うから度々役人不足となっていた。公立学校も京城しかないから現地出身の者が役人になりにくい。役人になれる規定を変更することまでになった。
朝鮮総督府の役人と言っても、警察官、消防士など種類がある。予算が少ないから役人の給料が安い。治安も不安。インフラ整備が遅れている。日本人なら誰でも嫌うだろう朝鮮総督府の役人に好んでなる者たちがいた。ロシア人だ。ソ連から逃れてきた人々だ。
日本領ウラジオストクへの入国は人道的な配慮から許可された。本土への許可は下りなかった。許可が無ければいけない。何せ、日本列島は島で大陸と陸続きでない。ウラジオストクはそこからどこへも行けない膨大な数のロシア人を抱えていろんな意味でパンク状態だった。
そんな中、朝鮮総督府が手を挙げた。
人手をくれと
ウラジオストクで朝鮮総督府の役人試験が行われた。給料が安くても明日の生活を考えながら生きるより、何十倍もよい。よってロシア人の多くが試験を受けた。技術者の引き抜きは既に海軍が終えていたので、技術者が殆どいなかったが、知識があるものは行政関係役人へ、体力に自信がある者は警察、消防へ配属された。
朝鮮総督府のある京城はインフラ整備をもっと進めたい。だが、現地の人の教育が行き届いていない為、指示が上手く出来ない。ロシア人は体格がいいから、作業ペースがいい。少しは工事が進むだろう。こんな考えで朝鮮総督府はウラジオストクにいる大量の若いロシア人を受け入れていた。日本領ウラジオストクが誕生してから約15年経た京城の人口はロシア人が多くを占める。
「藤伊伯爵夫人は天使の様な優しい心をお持ちで素敵な方なのに、隣に魔王がいるから損していると妻が言っていました。当時は笑えた話でしたが全くその通りなんですね。」
「天使に親しくさせ、魔王が横から全部取る算段か......。」
「天使と魔王の夫婦なんて珍しいですなぁ。はははは!」
鉄道省の会議室から笑い声がしていた。いつも会議で滅多に笑いがないのに笑ったことは頑張って現実逃避していたのかもしれない。
「最近の海軍はどうかしているな。」
窓から見えるユーラシア大陸の大地を見ながら後藤新平が言った。後藤新平は初代南満州鉄道株式会社の総裁である。南満州鉄道はその名の通り、中国東北部の走る鉄道を保有する中国大陸の日本領遼東半島の大連に本社がある半官半民の株式会社だ。炭鉱などのその他の事業も展開している。
「私としては、総裁が戻られた事に驚いています。」
肩書きは理事である十河信二が言った。彼は新幹線の父と言われるほど、戦後の新幹線開発を推し進めたトップだ。現総裁の後藤新平は1929年に亡くなるはずだったが、今回はなぜか知らないが生き残っていた。総裁になる予定であった松岡洋右が国連の仕事で帰国出来ない為、後藤が急遽、総裁になった。
「電気機関車が欲しいから民間企業へ資金援助か。」
「少し前に話題となったことですね、私も知っています。まさか、海軍からの要件ですか?」
「そうだ。満鉄の最速特急あじあ号に目をつけているらしい。」
最速特急あじあ号は大連とハルビンを結ぶ特急列車である。動力は蒸気機関車であるが、最高時速130kmで走る。当時日本本土の最高時速95kmを超えるものだ。満鉄のシンボル的な列車だ。
日本の鉄道の線路幅は1067mmで狭軌と言われる。世界的な標準線路幅は1435mmである。国土が狭い日本本土は狭軌であるが、大陸の満鉄は世界的な標準線路幅1435mmを採用していた。線路の幅が広い最大のメリットは狭軌よりも速いスピードで走行出来る。
21世紀の日本の多くの在来線は狭軌対応だ。但し、新幹線は違う。1435mmである。時速200kmを超えるスピードで走るため狭軌では車体の安定性が欠けるなど役不足と判断されたからだ。
1930年代では、世界的な基準からみて特急あじあ号が最速の部類に入っていない。世界では時速150km以上の最速蒸気機関車特急が走っている。
代表的な例がイギリス首都ロンドンからスコットランドの古都エディンバラを結ぶ最速特急フライングスコッツマンだ。時速150km以上で走る。フライングスコッツマンとは1872年から21世紀の現代も走り続ける列車の名称。午前10:00のロンドン発の列車をフライングスコッツマンと呼ぶ。第二次世界大戦が激化する中でも午前10:00ロンドン発のフライングスコッツマンは走り続けた。イギリス人のプライドが見える。世界で鉄道が走り始めた19世紀後半からの歴史を持つ伝統的な列車なのだ。
「日本の狭軌で、あじあ号を走らせる事なんて無理ですよ。本土は欧米に比べて遅れを取っています。」
「早とちりするでない。まあ、作る場所は日本本土だが、1435mmの線路幅で作るつもりらしい。」
そう言って後藤は十河に藤伊伯爵から送られてきた提案書を渡した。提案書の表紙を見ただけで十河は驚いていた。弾丸列車構想と書いてあれば、高速鉄道絡みに関するものだとわかる。
弾丸列車構想を纏めるとこうだ。
⚫︎時速300kmの高速鉄道を走らせる計画
⚫︎1435mmの線路幅は採用
⚫︎全線高架及び踏切を作らない
⚫︎東京と大阪を3時間で走る
新幹線を知らない者からすれば、夢物語である。鉄道関係者らは違うだろう。とんでもない計画が国家を動かす者達によって考えられている。高速鉄道計画はやり甲斐のある仕事だと思うのだろう。
「時速300kmですか........。」
「ああ、その速度で走る鉄道を作るには海軍の次世代航空機の完成が必要らしい。」
新幹線には戦前の航空機の技術も利用されている。零式艦上戦闘機の技術である。現在、海軍で生産中の零戦の一世代前の機体は九六式艦上戦闘機。後藤が言っているのは零式艦上戦闘機のことである。
「軍事技術を公開するつもりなのでしょうか?」
「うーむ。我が国は大博打をしているのかもしれん。下手したら国が滅ぶ。」
後藤は堅物頭から脱却しつつある政府に内心喜んでいた。満鉄内部で考えられている高速鉄道計画に目をつけてきたからだ。だが、根拠がない。藤伊栄一伯爵と言う人物がわからなかった。
なぜ、自信があるのだ?
「そのゲームに勝てたら、軍事技術を公開でしょう。」
「ゲームはもう、始まっているだろう。」
そう、ゲームはもう始まっている。
「内地の連中は、大陸進出が余程したいようだ。」
「外にいないと内務省からの監視が厳しいですからね。」
日本領遼東半島の大連の日本陸軍司令部に2人の陸軍軍人がいる。梅津美治郎陸軍中将と今村均陸軍少将だ。梅津は別名、お山さんと呼ばれている。日本領は日本列島、樺太、台湾、ウラジオストク、朝鮮半島、そして遼東半島だ。陸軍の大陸進出には遼東半島の陸軍部隊の協力が必要不可欠だ。ここの司令部が大陸進出のきっかけを作らないから、陸軍の大義名分がない。
梅津は遼東半島に駐屯する日本陸軍の最高司令官だ。大陸進出を頑なに拒み続ける。遼東半島の陸軍部隊は大陸で大規模な演習すら行ったこともほとんどないが故に、遼東半島で縮こまっているとバカにされていた。バカにされても動かない、司令長官。それが梅津であった。
動かざること山の如し
武田信玄が掲げた風林火山。ピクリとも動かないから、お山さんと呼ばれる様になった。この名を広めたのは海軍軍人である。梅津が司令長官ならば大陸進出を陸軍が出来ないと考えたからだ。海軍は大陸進出すると予算が陸軍に取られて減る事を防ぎたかった。陸軍で嫌われ過ぎると左遷されるかもしれない。梅津は陸軍軍人なのだから。海軍はそれに関して何も出来ない。
だから、別名を広めたのだ。国民からの支持を得るために。臆病者ではない。お山さんだと。動く時までジッと待っているのだとも付け加えた。
風林火山
風のようにはやく
林のように静か
火のように激しく
山のように動かない
梅津は武田信玄の様な人物である。一般人に見えていないものが見えている。梅津は有能な人材だ。国民の多くがこの様に思っていまい、陸軍は梅津の左遷が出来なくなった。
遼東半島駐屯陸軍は国土防衛前線部隊を理由に陸軍から予算を大量に貰っていた。近代化の為だ。陸軍はまだまだ、武器の近代化が追いついていなかった。第一次世界大戦後、武器は異常なスピードで発展したから。
陸軍は海外勤務こそが出世だと思われている。但し、朝鮮半島を除く。内地だと内務省の監視が大変厳しい。陸軍予算のことについて大蔵省(現在の財務省)が口酸っぱく言っていた。世界恐慌からの経済立て直しがまだ終わっていなかったからだ。陸軍は関係各省から色々と横槍を入れられていた。それらを渋々受け入れていた。なぜなら、内務省がジッと見ているから、お得意の武力による解決を出来ずにいたのだ。
「海軍の航空隊にはいつも最新の航空機が配備されていることが不思議でたまりません。」
「いいじゃないか。遼東半島の海軍航空機は陸軍が使っても問題ないからな。」
海軍大連航空基地の航空機は陸軍軍人でも使用可能であった。大日本帝国軍はパイロットの育成が必要である。大連基地ではソ連と関係が安定している内に大規模な育成を行っていた。陸軍、海軍なんて関係ない。パイロット育成が目的。
「まあ、そうですけど...。」
「こちらの海軍トップは波風立てない性格だから、色々とやりやすい。」
日本海軍大連航空基地には海軍最新鋭機が配備され始めていた。九六式艦上戦闘機である。史実では1936年から生産が開始される。今回は、1935年から生産が開始されている。何処かの誰かさんが、会議やらをすっ飛ばして採用させた。
九六式艦上戦闘機は大連航空基地に150機ほど配備されている。優先的に配備されていた。本土では前のタイプの航空機が飛んでいる基地もあるのに関わらずだ。理由はこの海軍基地の司令官にある。
日本海軍大連航空基地司令官は嶋田繁太郎海軍少将だ。そう、藤伊栄一、山本五十六らの海軍兵学校の同期生だ。彼らは嶋田性格を知っている。自分の意見を言わず、強い者につく人物であるということ。統合航空本部は海軍寄りの機体ばか採用している。陸軍は航空機の配備が後回しにされている。陸軍に最新鋭機が配備されることは難しい。
藤伊や山本としても、対ソ連の拠点基地に最新鋭機が配備されない事はおかしいと感じていた。上から言っても、改善されないだろう。面白いことに嶋田が司令官になった途端、最新鋭機が配備される事に反対もなかった。配備されることが重要だったから上層部は何も言わなかった。
遼東半島は対ソ連への拠点となる地だ。陸軍国家ソ連より優位に立つ為、最新航空機の配備が急務であった。地上部隊と航空部隊でソ連に対抗するつもりだ。だけど、陸軍航空基地では優先的に配備されない。海軍基地でも内地優先とされる。
最新戦闘機配備をする為に陸軍上層部の人選で一人の海軍軍人に白羽の矢が立った。海軍に要請しても海軍側が断りにくい人物で尚且つ、陸軍に理解がある人物。名は嶋田繁太郎海軍大佐。台湾田舎に彼はいた。左遷されていたのだ。陸軍は海軍に嶋田繁太郎の大連航空基地司令官就任を要請した。普通なら門前払いされるものである。
担当者はそれが出来なかった。嶋田繁太郎の同期生が藤伊栄一海軍中将、山本五十六海軍中将。日本でも有数の富豪であり、政界にも影響力を持つ藤伊栄一。海軍の出世頭、山本五十六。同期生のレベルが違う。担当者も出世したい。ここで、将来の為に恩を売っておくべきと判断して嶋田が大連航空基地司令官となった。大連航空基地司令官が藤伊、山本の同期生という理由だけど優先的に最新鋭機が配備される様になったのだ。皆、ごまのすり方は得意であったのだ。
「梅津中将。嶋田少将は下手したら、後数年は大連勤務ですね。」
「そうかもしれん。はっはははは。」
陸軍的にはそれが好ましい。
ドンドン
「失礼します!緊急事態です。ソ連軍が中国東北部の国境線に展開しています!!ソ連側は軍事演習と言っています!」
司令官室へ士官が飛び込んできた。
「張一派からの連絡はないのか?」
「ないです。南京の国民党、蒙古の共産党が介入する可能性もあります。」
梅津の問いに士官が答えた。
中国の大部分を占める国民党の拠点は南京である。北京郊外が東北部を支配下に置く張一派と国民党の事実上の国境線だ。張一派の支配下は史実の満州国とほぼ同じである。蒙古、モンゴルには中国共産党が潜伏している。
「ソ連軍が中国東北部の国境線に展開か.....。うーむ。何か腑に落ちない。」
「梅津中将。ソ連軍は囮だと思います。ソ連軍が東北部へ侵攻すればするほど、我が軍の勝利が確信に近づきます。」
「その時は今村少将の機甲師団の出番だな。ウラジオストクに陸軍2個師団と海軍陸戦隊1個旅団がいるから、ザッと約3万の兵士がいるか。」
ソ連陸軍が東北部へ侵攻するとウラジオストク周辺や沿海州沿岸部の防衛が薄くなるだろう。東北部へ侵攻はソ連軍の補給線の問題が浮き彫りになると考えられる。数で勝負のソ連軍。東北部の奥深くまで侵攻した時ソ連軍の補給線は伸びきっている。その補給線を破壊するだけでソ連軍の戦闘力はダウンするだろう。
遼東半島の日本陸軍が弱り切ったソ連を叩く。その間に本土日本軍が沿海州沿岸部から上陸して占領する。その後、ソ連と講和する。ソ連が従わなければ、海軍部隊を欧州へ派遣して牽制する。
「では蒙古の共産党、南京の国民党に同調してソ連が侵攻してくる可能性が高いと言う事で、張一派に伝えます。」
「頼む。」
士官は急いで出て行った。
「長官。演習と考えれば、モンゴルの中国共産党、中国東北部の張一派、南京の国民党の内紛ですね。我が国とソ連は睨み合いで終わると思います。」
「決め付けはよくないだろう。」
今村の考えを梅津は素直に受け入れる事が出来なかった。賛成することは簡単。考えなくてもいいからだ。梅津はまだ考える事を放棄していなかった。
コンコン
「失礼します。海軍大連基地司令官の嶋田海軍少将をお連れしました。」
付添人によって扉が開けられて、海軍将校が入ってきた。一度、梅津と今村は立ち上がって、三人で同時にまた座った。嶋田はだるまさんの様な体型をしていた。運動を殆どしていない事が丸分かりだった。
「嶋田海軍少将、ソ連軍の事は聞いていますか?」
「もちろんです。梅津中将。」
「では、話は早い。海軍航空機で中国東北部及び内戦の戦闘地域の偵察をしてほしい。」
「もちろんです。政府は中立を望んでいますから。そう言えば、友人の藤伊中将から伝言で、内務官僚が一時的に派遣されるそうです。」
「「........。」」
嶋田の何気ない言葉に梅津と今村は固まってしまった。内務省の介入が一時的に開始されることに幻滅していたのだ。嶋田にとって内務省は友人の組織だと考えている。だから、自分は悪いことしていない為、何一つとして恐れていなかった。
監視に来る彼らを対応するだけでも色々と苦労が付き物なであるからだろう。
結局この後、国民党と共産党でちょっとした武力衝突があっただけでまたいつもの状態に戻ってしまった。
弾丸列車よりも新幹線の方が良かったかなぁ?




