僕の大切な人。
ゲームの画面をクリックすると、登録してあるIDとパスワードを入力する画面が映し出される。
それを入力しながら、ゲームの中に日和が居てくれる事を願うのと同時にあまり考えていなかったものを意識してしまう。
──日和と再会した時に、僕はどう声をかければいいのだろう。
特にプランなんて何も考えていない。ただ伝えたい事があるという気持ちだけで動いているだけだ。
胸の鼓動がどんどん大きくなってくる。こんなのは久しぶりだ⋯⋯
いつぶりだったか思い返してみると日和に告白した時まで遡ってしまった。
あの時の僕も、今の僕も、不安に押し潰されそうになってしまっている。
しかし、そんな黒い感情を上塗りするように日和への好意が僕の心を温かくしてくれていて僕は前を向く事が出来た。
──もう言う事は考えなくてもいいか、心のままに話せばいいだけだから。あれこれとごちゃごちゃと考えてもいい言葉は思い浮かばないと思う。
言ってしまおう、僕の心に抱いているモノを。僕はそう吹っ切れて、既に始まっているゲームの画面へと集中をする。
ゲーム内にあるフレンドというアイコンをタップし上から順に名前を目で追っていく。これはゲーム内で友達になった人がゲームにログインしているかどうかが分かる機能だ。
その欄から日和を探すが見つからない。その名前はフレンドの欄になく、それを見た僕は少し呆然としたが直ぐに気を取り直して考えてみる。
⋯⋯これは日和が僕とのフレンドを解除したのが原因だろう。
「ははっ⋯⋯」思わず口から笑い声が漏れてしまう。
⋯⋯ようやく、光が見えた。
フレンドが消されているということは、このゲームに日和は居るということだ。その証拠が得られて胸の奥が沸き立つのを感じる。
しかし、フレンドを切られているせいで日和が今ログインをしているのか分からないし連絡を取る方法もない。
久々にログインすると運営からの連絡や、フレンドからのメールが少し貯まっていてそれを見る。
その中に、日和の名前が入っている事に気付く。
それは件名に「ごめんなさい」と書いてあるだけで本文に何も書いてなかった。
それを受信した日にちを確認してみると僕と日和が別れた次の日に送られた物だった。きっと、このゲームに考えが行き着く事を先読みしていたのだろう。
メールを返信しようにも、やはり繋がらない。「こんな事で諦めるか」僕は独り言を呟きながら日和が行きそうな所を思い返し、二人が気に入っていた思い出の場所へと行く事にした。
「この場所は相変わらず凄い景色だな⋯⋯」
僕がいるその場所からはこの世界が見渡す事が出来る。人気のスポットなんだけど、来るのが面倒であまり人がいないのが特徴だ。
僕は崖の縁まで近寄り、そこに腰を下ろす。いつも日和とそうしていたみたいに。
⋯⋯さて、当ても外れたしどうしようかな。
すぐに見つかるとは思っていなかったが、ここで会えると淡い期待を抱いていたのは事実だ。
僕は違う所を探そうかと思案し始め、そしてすぐに結論を出した。
──ここで待っていよう。
それが僕の出した答えだ。
僕が日和に告白したこの場所、ここからもう一度やり直すんだと心に決めた。
日和が僕を思い出すのならここに来るだろうと僕はそう思った。
一ヶ月も一緒に居たのだ、日和の事ならある程度わかっているつもりだ。
僕はそう考えながら、何かを忘れているような気がしてステータスやアイテムの欄をクリックをしていた。
このゲームにログインした時からずっと心の隅に引っ掛かっているものがあったからだ。するとすぐにその答えはわかった。
そっか、僕はこれを忘れていたのか⋯⋯
それを見た僕は全てが腑に落ちた感覚を得て、もう一段日和に会うという気持ちを強めた。
その後、じっと画面とにらめっこしたまま時間だけが過ぎていく。
頭をぼーっとしながら考え事をする。
──結局、日和と僕はどういう関係が一番良いのだろうか?
日和の事を女の子として見る事に無理があった、ならどういう風に接するべきなのかを考えておくべきだ。
僕は考え始める。幸いにも時間はたっぷりとありそうだった。
⋯⋯瞼が重い。気が付けば深夜になっていた。ご飯を食べるのも忘れて考え事に没頭してしまっていた。
ずっと頭を回していたせいか頭が重く感じてしまい、無意識のうちに机にうつ伏せになっていた僕の意識はそのまま闇に落ちていった。
──僕は今日和と一緒に笑いあっている。僕は今幸せを感じている。
幸せって実感出来ないものだと思っていた。けど、この胸の中にほのかに残る温かさや、優しくしてあげたいと思う気持ちが一緒にいたいという気持ちになっていく。
幸せが実感出来る事を僕は日和に感謝をした。
「ありがとう」そう言った途端、僕の意識は現実に戻されていく。
日和にまだ会えてない事を夢の中で気付いてしまった。
⋯⋯この言葉は現実で言わなくちゃダメなんだ。
「⋯⋯ん」気がつけば朝になっている。いつの間にか寝てしまったみたいだ。
意識が戻った僕は一気に意識を覚醒させてパソコンの画面を見る。ずっと起きているつもりだったのに寝てしまっていた事に冷や汗が出る。
もし、日和と会うチャンスを逃していたら⋯⋯そんな気持ちが胸を覆い焦ってしまう。
画面を見た僕は信じられないものを見て、目を擦りながらこれは夢じゃないかと疑ってしまった。
──僕のキャラクターの横には、僕の会いたかった人が崖の縁に腰をかけていた。
いつものように足をぶらぶらとさせながら空を見ている。
僕はチャットを見てみるが何も言っていなかった。僕が何も反応しないのを見て近付いてきたのかもしれない。
相変わらずの日和の抜けている所に僕は嬉しさと共に微笑んでしまった。
ああ、会いたかった⋯⋯僕は震える指でキーボードを押していく。
「日和、久しぶり」
これが僕と日和が三日ぶりに交わした言葉となった。
やや時間が経った後、「まだ三日しか経ってないよ?」と返事が来て僕は日和と久しぶりに話せた嬉しさから、地面から足が離れたような気持ちになってしまう。
落ちつけ、落ちつけ⋯⋯
「僕の名前は多々野小春です」いきなりそんな事を言ってしまった。
⋯⋯当たり前だけど、落ち着けるわけなんかない。
「そ、そうなんだ」日和も些か困惑してるみたいだ。
唐突に名前を言われるとは予想もしていなかったと思う。僕だって何で言ったのかわからないくらいなのだから。
日和に言われた名前も聞いていないって言葉に胸を抉られたのが原因なのかもしれない。もう一度会えたのなら教えないといけないと強く思っていた。
「えっと⋯⋯」
日和は少し間を置いた後に「どうしてここに居たの?」と聞いてきた。
「もう一度日和と会いたかったから」僕は臆面もなくそう言った。
「日和こそ、何で僕の隣に居たの? フレンドも切ってるのに」聞きたかった事を聞いてみる。
「ごめん、もう会わない方がいいかなって思ったからなんだ⋯⋯」日和はその後に「それでも、君がここにいたから」と続けた。
日和が居てくれて本当によかった。もし、日和の気が変わっていなければすれ違っていたままだっただろう。
「僕は、日和とちゃんと向き合うためにここにいた」僕はここにいる理由を日和に伝える。
「⋯⋯無理だよ」僕の言葉を聞いて日和はそう言った。
「私とは住む世界が違うから」日和は僕を突き放すように言ってくる。
僕はそれに対して言う事があった。ぼーっとしている時に考えていた事だ。
「ずっと日和を女の子として見ていたから違和感があったんだ」僕は続ける。
「大切な人に性別なんて関係ないんだよ、日和。ずっと一緒に傍に居て欲しい人が君だった、ただそれだけなんだ」
そう、たったそれだけの事だったんだ。
「ずっと一緒に居たい、そのためなら僕が言えなかった事も話そうかなと思った」
日和は⋯⋯いや、彼は何も言わずに僕の言葉を聞き続けている。
この時、僕はようやく無意識に彼の事を男か女か決めつけたくなくて『日和』と呼んでいた事に気付く。
それに気付いた時に少なからずショックを受けてしまったけど今は彼からの返事を待つ時だ⋯⋯僕はじっと返事を待つ。
「なんでいまなの」時間を置いて彼が返してきたのはその言葉だった。
それに対して僕は「ごめん、遅くなって」と返した。
「そんなことをいわれてもしんじられないよ」当たり前の話だ。僕が彼の立場でも同じ事を言っていただろう。
「日和聞いて欲しい」そんな彼に向かって、僕は一番言いたかった言葉を言う事にした。
「好きだ」これが僕が一番彼に言いたかった言葉だ。そして、そのまま彼に聞いて来なかった事を聞く。
「日和は僕の事をどう思っているの?」僕は答え合わせのような感じで聞いてみた。
母さんに聞いて答えはわかっているつもりだ。卑怯だろうがそれでもいい。二人が同時に前を向く為にはこれが必要な事だと思ったから。
それでも、胸はドキドキと張り裂けそうなくらいに鼓動が早くなっている。
もし、違っていたら⋯⋯そんな事が頭を覆いそうになる。日和からの返事が早く聞きたくて堪らない。
「その聞き方はひきょうだよ⋯⋯」彼は観念したかのように愚痴みたいにに小言を溢す。
「私だってハル君の事好きだよ」
ようやく聞けたその言葉が心の中にするりと入ってきて知らず知らずのうちに涙が流れ、僕は彼に心の中で感謝をした。
「ありがとう、その言葉が聞けてよかった⋯⋯」
今まで掴めなかったものが急に手に入ってきたような、そんな高揚感に酔いしれそうになる。
しかし、彼の続けた言葉は僕を現実に戻すのに十分だった。
「それでも、私達は一緒にいる事は出来ない」
彼は僕の事が好きなんだ、それでも一緒にいる事は出来ないと言う。
そこには何か理由があるのだろう。でも、今は聞かなくてもよかった。
気持ちが通じ合えているのならそれでいい。お互いに前を向けているのならそれで。
「小春日和」僕は日和が言ったその単語の意味を理解している。
「日和に何かあるのはわかってるよ、それでもいいんだ」今の彼は僕の言葉をどんな顔で聞いているんだろう。
「お互いに気持ちが通じあっているなら、どんなに距離があってもどんなに高い壁があっても大丈夫」これは詭弁に聞こえるかもしれない。
それでも、僕はもう彼を離さないと決めたんだ。
僕はその場の勢いで彼にアイテムを渡すためにアイテム欄をクリックしてそれを選び、日和にプレゼントとして提示する。
そのアイテムの名前は「魂の指輪」。
僕が前に時間をかけて取ったアイテムで、最初の告白の時に緊張していたせいで彼に渡し忘れた物だった。
「え、これって⋯⋯」
指輪を渡された彼は困惑しているようだ。彼もこの指輪にまつわる噂は聞いた事があるだろう。
「楽しい時、辛い時、悲しい時、まあ二人で共有出来る時間をもっと増やしていこうって事で⋯⋯これからも一緒にいて下さい」
僕は今笑いながら、キーボードの鍵盤を弾いていた。
彼がまだ指輪を受けとらないでいるのでずっと表示が出たままだ。まだ悩んでいるのかもしれない。
「本当にいいの?」
「当たり前だよ」
「もう、会えないかもしれないよ?」
「絶対じゃないんだろ?」
「ハル君を幸せに出来ないよ?」
「それは日和が決める事じゃない」
どうやっても日和は僕を遠ざけたいみたいに見える。
──だから、僕はこう言ってやった。
「日和がどれだけ僕を突き放そうとしても無駄だよ。もう僕は君の本心を知ってしまったのだから」
「そっか⋯⋯」
今の彼はどんな顔でこの言葉を見ているのだろうか。
現実で初めて告白した時のように、泣きながら笑ってくれているのだろうか。
何故か、彼が画面の向こうでその顔でいるような気がした。
「日和と一緒にいる時間は僕の世界に色をつけてくれた。君に突き放されて、君の大切さを初めて知ったんだ」
僕は気持ちを込めて言葉を紡ぐ。日和の心に届くようにと。
「もう一度言うよ、足りないのなら何度でも」僕はもう一度自分の気持ちを言う。
「日和の事が好きです。僕と一緒にいてください」
その言葉の後、少し時間が空いた。そして、返ってきたのは僕の待ち望んでいた言葉だった。
「私も好きです⋯⋯こちらこそよろしくお願いします」この瞬間、また僕の世界に色が灯ったのを感じた。
「ありがとう」僕はもう一度言った。今度は夢の中ではなく現実で。
そのまま指輪は彼の元に渡り、それを装備してくれた。日和の薬指に赤色に輝く指輪が付くのを見て、僕は嬉しい気持ちになる。
「ありがとう、小春君!」そう言った彼は画面の向こうでも笑っているのだろう。
「こちらこそありがとう」その言葉に対して僕は気持ちに応えてくれた事にお礼をした。
僕達はこうして、初めてお互いにきちんと心を通わす事が出来たのだった。
きっと僕達の間には深い溝や高い壁があるのだろう。
それでも、きっとなんとかなるような⋯⋯そんな気がした。
──僕達はようやくスタートラインから一歩を踏み出したばかりなのだから。




