日和の告白
僕達は花火が上がっている中、遊園地の外に出る。
日和はさっきからずっと無言だ、いつものように笑うこともなく、僕の前をすたすたと歩いていく。
その歩く早さは僕の存在を忘れているかのような早歩きで、僕は徐々に日和との距離が開いていくのをその背中を見ながら理解していた。
追い付いた所で話しかける勇気もないので、僕は追い付く気もなく、そのせいで日和との距離は更に開いていく。
帰りの電車に乗ってもそれは変わらず気まずく感じてしまう。横に居てもいいのだろうか?
日和は横にいるはずなのに遠くに行ってしまったみたいな感覚だった。
まるで、日和との間に壁が出来てしまったのではないかと錯覚する程に話す事がなくなってしまった。
ふと目を横に向け、日和の顔を見る。
未だ、仮面を被ったかのように無表情のままだ。
何を考えているのだろう? それが気になり声をかけたくなるが勇気の出せない僕は言葉をかけることが出来ないまま時間だけが過ぎていく。
どうすればこの状況を元に戻す事が出来るのか、僕は空いた時間でそればかりを考え続けていた。
やがて日和が降りるべき駅へと近づいてきても答えが出ることはなく、とりあえず謝るしかないな、と考えてタイミングを見計らう。
「ねえ、話たい事があるから次の駅で降りてもらえないかな?」
──日和が突然言葉を発した。
まさか日和から喋りだすとは思わなかった僕は驚いてしまい、「い、いいよ⋯⋯」とどもってしまう。
電車はホームに止まる。ここは、いつも日和が降りている駅だ。
⋯⋯そして、日和に誘われるまま電車を降り駅を出た。
──ここがいつも日和の降りている場所。日和がいつも見ている風景。
この駅から外に出るのは初めてかもしれない。
そこは電灯が少なく、少し薄暗い場所だった。
しかし、日和は僕に何を言いたいのだろう?
何か嫌な予感がして、額に汗が滲んでくるのを感じた。
「──じゃあ、少し場所を移動するから付いてきてね」
日和は僕にそう言うと前を歩きだす。僕はそれに黙って付いていくことにした。
電灯のあまりない暗がりの道を、日和は迷いのない足取りで進んでいく。
どこをどう歩いて来たのかはもう覚えていない、帰りは携帯を見ながら駅へ戻る必要があるだろう。
日和は狭い道へと入り始める、僕をどこへ連れて行くつもりなのだろうか。
結構な距離を歩いていると、少しずつ息があがり始めてしまう。
──まだ着かないのか? そんな事を思いながら日和を必死に追いかける。
考える余裕が無くなり始めた時、ようやく日和が止まった。
「お疲れ様、ここにしよ」
日和は僕を労う言葉をかけてくれる。しかし、その言葉に温かみは無い。その声は少し震えているように聞こえた。
僕は辺りを見る。
そこは特に何もない空き地だった。
駅前よりも更に暗く、一ヶ所だけぽつんと電灯が灯っている。
後は自動販売機の明かりが光っているくらいで、それ以外の明かりは見当たらなかった。
その自動販売機の光には大量の虫が集まっていてその気持ち悪さに少し鳥肌が立った。
僕はその嫌な光景から目を逸らし、空き地の中を見る。
フェンスの向こうには暗くてハッキリとは見えないが、ブランコみたいな遊具があった。
しかしそれ以外は何もなく、何故日和はここに歩いて来たのか意図がわからない。
横にいた日和は、ブランコに歩み寄りそのブランコに腰を掛けた。
僕はどうしようか迷ってから日和の真横にあるもう一つのブランコに座ったその瞬間、ギシギシ⋯⋯という音が上の方から聞こえてくる。
鎖を触れてわかったが、かなり錆び付いている。手入れもされていないのだろう。
そのブランコは子供用のサイズなせいか少し小さく感じた。
僕がそんな事を思っていると、日和がこちらを見ているのに気付き、そちらへと顔を向ける。
僕達の目が合う、その顔はさっきまでの無表情ではなく覚悟を決めた顔に変わっていた。
それでも、どことなく悲しそうに見えるのは気のせいだろうか?
僕はその顔から目を離す事が出来ない、その人は少し震える唇をゆっくりと動かしながらこう言った。
「⋯⋯君に、言わないといけないことが、あるんだ」
その唇から出された言葉、その一文字一文字を身体が、頭が理解するのに時間がかかってしまう。
──君。いつものように名前で呼ばれることはなかった。
それに対して距離感を感じて少しの寂しさを覚えながらも僕は頷く。
「聞くよ」短くそう言った後にまたも違和感を感じてしまう。
何故、このタイミングで? その疑問が頭に浮かぶ。
思えば最近の日和にはずっと違和感を感じていた。
僕のその疑問を余所に日和は顔を伏せてこう言った。
「──君が気にしていた事を全部教えてあげるよ」
何でだ?何で日和はこんな事を⋯⋯
──まあ、聞けるのならいいか⋯⋯
頭の中にそんな言葉が浮かんでくる。
悩んでも答えが出ないのはわかってる。とりあえず、日和の話を聞こう。
そう思い、僕は日和の言葉に耳を傾けた。
「⋯⋯最初はあのアパレルショップで聞かれた事から話すね」
──そして、日和はポツリポツリと自分の過去を語り始めた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「聞かれたのは、なんであのゲームで私そっくりのキャラクターにしたの? だったっけ⋯⋯」
──私は彼が前に聞いて来た事を再確認する。
その言葉に彼の喉仏が少し動き、唾を飲みこんだように見えた。
彼の私を見る目は好奇に満ちている。早く聞きたくて仕方ないといった感じだ。
最近、彼はその目をよくするようになった。
その事に本人は気づいていないのだろうか?
──その視線で記憶の蓋が少し開き、過去を思い出して心が痛む。
彼からはこんな目を向けられたくなかった。
──この目は嫌いだ。
「あのキャラを私に似せた理由はね⋯⋯」
そこまで言った所で頭の中に『日和』を思い浮かべる。
私そっくりに作ったキャラクター。
それを作った理由は⋯⋯「自由に動き回っている私が見たかったから」。
その言葉に彼は首を傾げ、「どういう事?」と私の次の言葉を促してくる。
私は次の言葉を言うために頭を動かし言う順番を整理しようとする。
順を追って話していくしかない、かな?
こういう事は苦手なんだよね⋯⋯
「私の母さんの話は覚えてる?」その私の問いかけに彼は縦に首を振って肯定をする。
「私の秘密は、母さんとこの公園が関係しているんだよ」
私は公園の隅に視線を移す。
そこには滑り台があったはずだ、懐かしさが胸を満たすと共に後悔が胸に押し寄せてくる。
彼を見ると訝しげな顔をしていた。頭の上にハテナのマークが見えるような気がする。
「じゃあ、話をするよ⋯⋯私の過去に何があったのかを」
私は記憶にしてあった蓋を取り外すと、物心がついた時まで記憶は遡っていく。
「──女の子として育てられてきた私は、ずっと女の子だと思いながら生きてきた」
そう、自分が他の女の子と違うと感じることもないまま幼少期を過ごした。
「母さんは毎日、私に女の子の衣装を着せながら怪我をしないように、大人しい女の子でいなさい。何て言ってね⋯⋯私はそれに従っていた」
母さんの言った事が世界の全てだと躾られていた私は、自分が世間とずれている事に気付くはずもなかった。
母さんに従って大人しくして、何も変わる事のない生活をしていた。
「そんな日々はある事で全て崩壊した」
そう、ずっと女の子で通す事は出来なかった。
「一年の時の身体測定で私の性別がバレてしまったんだよね⋯⋯」
──その時の周囲のざわめきを未だに忘れる事は出来ない。
周りの同級生の嫌悪の目、好奇の目、驚きの目、様々な感情が私に向けられていた。
「最初、私は何が起きたのか理解出来ていなかった。理解出来たのは先生に教えてもらってから」
担任の先生は私を引きずるように引っ張っていった。
そこで、先生に私が男だってことを教えられた。
「──そして、私は他の皆と違うんだと自覚してしまった」
先に母さんに言っていれば、この事態は防げていたかもしれない。
そうすれば、私はまだ女の子として生きていられたのだろうか⋯⋯
今まで幾度となく考えたけど、結局わからなかった。
だから私は、いずれバレる運命にあったと自分を納得させ続けた。
「その後に、私と母さんは校長室に呼び出される事になってね。どうやら母さんは私を女の子として学校へと提出していたらしいんだ」
学校と母さんはしばらく言い争いをして、母さんは一向に認めなかった。
「そして、その事件は全て⋯⋯母さんが学校を買い取る事で解決した」
「⋯⋯え?」
突然の展開に目の前にいる彼は驚きを隠すことは出来ないみたいだ。
目を見開き、口をぽかんと開けている。
「ちょっと待って、日和の家ってお金を持ってるとか言ってた気がするけど、そんなにお金持ってる家だったの?」彼は興味津々と言った感じで聞いてくる。
「そうだね」私は即答した。
私の家は、曾祖母の代から続くここいら一帯の地主みたいなものだ。
町の発展に一番力を入れた家で、様々な開発をする事でお金を集めているらしい。
母さんはその後取り娘で、自分で立ち上げたアパレルの会社も大ヒットして今や世界中で人気のブランドになっている。
私がその会社に入る事になっているのも、後継ぎとしてノウハウを教え込むためだと思っている。早ければ早い方がいいだろうから。
「話を戻すけど、母さんが学校を買い取ったから私の処遇はそのままになった。それでも⋯⋯私の居場所はどこにもなかった」
学校全体に私の噂は瞬く間に広がっていき、皆が私に対して腫れ物を触るみたいに扱い始めた。
私に向けられるのは様々な目、身体測定の時と同じような視線を私は半年間もの間浴び続けた。
私はそれでも、自分が男だということが信じる事が出来なかった。
頭では理解していても心が追い付かず、私の心は疲れていく。
その時に私は人に見られるのが嫌になり登校拒否になりかけた。
「⋯⋯そして、私に対するいじめが始まった」
気付いたら、誰も私に近寄らなくなっていた。
「人に近寄ろうとしたら逃げられたこともあったっけ⋯⋯実害はなかったけど辛かったな」
その時の事は思い出したくもない。
「それでも全員が私をいじめてたわけじゃなくて、一人だけ私の事を気に掛けてくれている女の子がいたんだよ」
その子がいるから私は学校に行きたいと思えるようになっていった。
「その女の子とはよくこの公園で遊ぶようになってね、あそこにあった滑り台とかでよく遊んだな」
そう言いながら、そっちの方面に指を指す。
その子と遊んでいる時は、母さんの言いつけや私の性別、学校でいじめられている事を全て忘れる程に楽しむ事が出来た。
「それでね、母さんの言いつけを破った私は大怪我を負うんだよ」
私は右の袖をまくり肩の部分を見せる。
そこにはもう大きな傷痕は残っていないけど、よく見るとわかるくらいには傷が残っていた。
「あそこにあった滑り台から落ちた拍子に落ちていた硝子でざっくりといっちゃって」
その子はあまりの血の量に顔を青くさせ、涙を流していた。
私もあまりの痛さに泣きじゃくり、二人して泣いていると近くを通った人が病院まで連れていってくれた。
その子はそこでお別れをした、また遊ぼうねとも言えずにいた事が気がかりだった。
そして、病院から家に帰った私を待っていたのは、顔を真っ赤にさせた母さんだった。
「治療はしたけど、傷痕は残るって言われちゃって⋯⋯」
傷口を見せながらそう言うと母さんは顔が蒼白くなり倒れそうになっていたのを覚えている。
「──そして、もう怪我をしないように母さんは私を部屋に閉じ込めた」
その後私は、子供の時期をずっと部屋の中で過ごすこととなる。
「私は学校へ行く事すら許されず、ずっと部屋の中で過ごし続けた⋯⋯小学校一年生の冬から今に至るまで、学校に通っていないね」
そのせいで、その子と会うことは二度となかった。
私は彼女に会いたかった、会って謝りたかった。
⋯⋯その願いは、叶う事はなかった。
その時期から母さんは一人家政婦さんを雇い始め、私の世話をその人がしてくれた。
その人が教えてくれる勉強は学校で習うものよりわかりやすく、学校へ行きたい理由を作る事すら不可能だった。
一息をつき、無言になっている彼を見る。
彼は神妙な面持ちをしながら何かを考えるような仕草をしていた。
彼は何かを考える時に、目が宙を見る。
そこに何かが書いてあるのかと思うくらい、彼はよくこの仕草をしている。
そして数秒の時間が流れた後、その目が私を捉えた。考えがまとまったのかもしれない。
「⋯⋯日和は母さんを恨んだりしていないの?」
「──してないよ」
私は間髪入れずに返事をした、自分を納得させるかのように。
他の選択肢を取る事は出来ない人生だった。だから、私は現状に満足している。
ただ一つ、後悔している事があるとするなら一緒に遊んでいたその子に謝れなかった事、それだけだ。
──そして、私は次の話に移る前に携帯の電源をつけ時間を見る。
時間は九時を過ぎていた。門限の時刻を三時間も過ぎてしまっている。
母さんの言いつけを破ったのはこれで二回目だ。
着信の履歴は百件を越えて入っている。私はそれを見て覚悟を決めた。
⋯⋯もう、時間はあまりない。
──私の夢の時間は終わりを迎えようとしていた。




