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百魔の主  作者: 葵大和
第九幕 【魔王歌劇の幕が上がる】
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91話 「舞台裏の暗闇で」

「もっと人を集めなよ。この街にはボンクラが多いからね。もっと集められるだろう?」

「わかっています」

「本当かな。本当にわかってるのかな? ――実は『あれ』、使ってないんだよね?」

「っ……!」

「アハッ! やっぱりそうだ! そうだと思ったんだよぉ。たしかに客の実入りは良いんだけどさぁ、なぁんかこう、病的なものをまだ感じないんだよねぇ」

「……病的とはよく言ったものですね」

「だってぇ、本当のことじゃーん。……いやでも、キミはすごいよ。『魔王』としての力を使わないでこれだけ人を呼び込めるんだからさぁ。それって本当にキミの歌とか踊りが悪魔じみてるってことだしさぁ」

「褒めるならもっと言葉を選んでください」

「あいにくボク、人を褒めるのが得意ではないんだ。アハハ」


 芸術都市のどこか。

 ほの暗いどこかの劇場の『舞台裏』で、二つの声が交差していた。


 一つは、この世のものとは思えないほどおそろしく美しい音色の声。

 それは優れた声を持つ鳥の一鳴きよりも人の心に響き、瞬く間に精神の傷を癒さんばかりの不思議な力を持っているようにさえ聴こえた。

 声に、魔性とまで言えてしまいそうな包容力が潜んでいる。


 対照的に、もう一つの声は、美しい音色を持ちながらも人を小ばかにしたような、声音にさえそんな色を混ぜこんだ――別の意味で不思議な力を持った声だった。


「ころころと表情が変わる方ですね。役者にでもなったらどうです」

「だめだめ、ボクすでに演じてるから、二重に演じることになっちゃう。ボクはそんなに器用じゃないから、今はこれでいいの。もし今の役よりもおもしろそうなものがあったら、ちゃんと今の役をやめてから、そっちに(くら)替えするよ。どう? 誠実でしょ?」

「誠実な役者ならちゃんと最後まで役を演じきってから舞台を降りますよ」

「アハッ、正論すぎて胸に刺さるなぁ」


 舞台からの照明が、わずかに暗幕の隙間からその舞台裏を照らしていた。

 空からの一筋の陽光のごとく、線となって舞台裏に入り込んできたその光は、一瞬、舞台裏で軽妙な声を弾ませていた人物の相貌を照らす。


 それはまるで、道化者(ピエロ)のような格好をした男だった。


 一見して、おどけている雰囲気が伝わってくるような、軽妙で派手な(なり)をしている。

 だが、不思議とそこには妖艶さも混じっていて、形容しがたい色気を感じさせた。

 服装的にかろうじて男かもしれないと判断がつくが、厚く化粧を施された顔は中性的な美貌を(てい)している。

 身体も大きすぎず、小さすぎず、されど細身で、また、その四肢の動きが奇妙ななめらかさを伴った(つや)を演出していた。


「あなたも表舞台に立てばいいのに。今はそんな道化師のような化粧をしてますけど、もともとずいぶん整った顔をしていますよね」

「あれ? ボク褒められてる?」


 道化師はおどけた仕草でわざとらしく驚愕を表して見せた。

 口元を隠すようにあげた手の爪に、黒い爪化粧(マニキュア)が光っている。


「いやいや、でもボク、表舞台ってもう飽きちゃったんだよ。さんざ小さい頃に出ていたからね」

「初めて聞きます。あなたの身の上話」

「嘘かもしれないよー?」

「たしかにあなたは常人に比べたら嘘つきですけど、かといってやたらめったらと嘘をつくタイプでもありませんから。なんとなく、本当か嘘かはわかる気がします」

「あらら、なんか付き合い長くなってボクの性質見抜かれちゃった? 魔性だねえ、キミの眼は本当に魔性だ」

「皮肉はよしてください。今、あまり良い気分ではないので」

「なんでい、一曲終えて、この歌劇場にやってきた観客たちがみんなキミにメロメロになったところじゃないか。女としてはこれ以上ない幸せじゃない?」

「わかってて、言っているでしょう」

「ああ、そうだった、そうだった。キミは本意じゃないんだよね。――サイサリスのためにこうして人を惹きつけるのが」

「……」


 道化師は妖艶な微笑を浮かべた。


 と、暗幕の向こう側で舞っていた光がまた方向を変えて、今度はやや角度をつけて舞台裏に差し込んできた。

 それは、ついに道化師の対面に立っていた女の姿をちらりと映す。


 道化師の対面に立っていた女は、誰にもケチのつけようがないと思えるほどの、絶世の美女だった。


 もはやそれ自体が芸術品のごとく、非の打ちどころのない麗女として存在している。

 どんな宝石よりも、美しい女。


「少し怒った顔もまた、女としての隙がないね」


 すらりと伸びた背に、女らしいたしかな丸みのある身体の線。

 タイトなドレスの上から見える腰元のくびれは、それのみで芸術細工の一片のようでもある。

 それでいて(しと)やかさを失わない上品な顔立ちは、気品がありつつも鼻につかない、物腰柔らかな雰囲気を演出していた。


「うーん、役者としては完璧だけど、女としてはちょっと完璧すぎるかなぁ」


 彼女には女としての隙がなかった。


「私は〈魅魔〉の名のもとに生まれた女です。普通の女としては生きられません。だから、いまさらそういう観点で評価される意味も、ありません」

「自分を卑下するね、キミ。〈魅魔〉なんて悪い呼び名じゃなくて、おとなしく〈魅惑の女王〉って言えばいいのに。魅魔って、怪物的な意味合いもあるからなぁ……。あの号制度って、力の序列だけじゃなくて、そのほかのいろいろな人の思念によっても位が変わるのが面倒だよね。……印象とか、そういうので。たとえば――憎悪の深さとか」

「特に、魔号はそうでしょうね」

「魔、なんて言っちゃうとねえ」


 道化師の声のあとに、一間の静寂が吹き込んだ。


「しかし、魅魔は魅魔です。もっとも世に一般的なあの号制度が私を魅魔だと断定するかぎり、私は魅魔なのです」

「ふーん。……じゃあ、もし誰かがそれを壊したら?」

「アレが壊れることなどあるのでしょうか。悪徳の魔王の時代から、英雄の時代にまで続き、そしてなおも、レッテルを貼るための道具として今にまで残っているアレが」

「たしかに、長年続いている文化だから、それそのものが壊れることはないかもしれない。――でも、今の号に込められた否定的な意味合いが、また昔の肯定的な意味合いに変わっていったら? あの号は、すでに何度か意味を転換しているじゃないか」

「ありえません。ムーゼッグという強国がそれを使って力を貪るうちは。そして力を貪ったムーゼッグは、誰の手にも負えない怪物になっていきます」

「……ま、キミがそこまで言うなら、今はこのままにしておこうか。ムーゼッグがいなくなったとて、まだキミの『今の主』であるサイサリスもあるからね。

 ともかく、キミには課せられた義務がある。また貪欲な力の追及者たちに追われたくなければ、おとなしく義務を果たして、サイサリスに守ってもらうべきだ。――その点は忘れないように」

「……わかっています」

「じゃ、ボクはそろそろ行くよ。いやぁ、久々にいっぱい喋ったから、疲れちゃった」


 不意に、舞台裏から気配が一つ消える。

 まだ光は女の艶めかしい肢体を照らしていたが、その光はしばらくして元の位置に戻った。

 そのときに走った光の線の中に、すでにあの道化師の姿はなかった。


 舞台裏の暗闇の中には、ただ宝石のように美しい女の姿態が、ゆらゆらと漂っているばかりだった。



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