24話 「暴帝の願い」
「はい、跳びますよお!」
「跳びますよぉ!」「ぴょーん!」
「ふ、ふざけんな! これ壊れかけじゃねえか! うおおおおおお! 向こうにすげえ段差見えるんだけどッ!!」
「大丈夫ですよ! 金の力は偉大ですからね!!」
「まともな答えになってねえ!!」
霊山を滑走していく奇怪な黄金船の中は、これでもかとしっちゃかめっちゃかになっていた。
段差に船底が乗り上げるたびに中がかき混ぜられ、二十二人の魔王がぐるぐると回る。
十分に加速した船体に任せ、双子も船内に避難し、きゃっきゃと楽しげに笑いながら宙を舞っていた。
そんな二人を〈拳帝〉サルマーンがつかまえ、大人しくしてろと言わんばかりに近場に座らせる。お転婆な娘に振り回される男親のようだった。
そうやって、放っておいたらなにかと危うそうな少女二人を捕まえたあと、サルマーンは周りに視線を移した。
まっさきに視線が誘われたのは窓辺だ。
派手に醜態を晒している魔王がいた。
「おろ、おろろろろろろろろろ」
「おい! 吐くんじゃねえよ! おまっ、さっきの〈剣帝〉っぷりはどうしたよ!」
「おろろろ――うっぷ、わ、私は乗り物は苦手なんだ……おろろろろろろ」
「美人が吐いてると余計残念な気分になるから我慢しろ!」
黄金船の窓辺から首を出して吐瀉物をまき散らしているのは〈剣帝〉エルマだった。
黒髪が滑走の風に靡き、彼女の〈剣帝〉号の由縁たる〈魔剣クリシューラ〉は黄金船の中に投げ出されて危険物と化している。
「おろろろ――あ、誰か魔剣取ってくれ。おろ――危ないからなおろろろろろろ」
「吐きながら喋るんじゃねえよ!!」
サルマーンのツッコみが飛ぶ。
よくよく見渡せばエルマ以外からもぽつぽつと嗚咽があがっていた。
凄惨な船酔い状況を察したサルマーンは、砂色の髪をぐしゃぐしゃとかき乱し、大きなため息を吐く。
すると、そのサルマーンの視界に今度はメレアが映った。
当のメレアは、
「おろろろろろろ」
「おめえもかよ!!」
エルマの隣に身を寄せて、その窓から首を出して盛大に吐瀉していた。
「こ、こんなアトラクション初めてだ……ゆ、揺れがやばい……!」
「お前はお前で戦闘から一歩離れるとダメダメじゃねえか! なんだお前らっ! 姉弟か!」
「その場合私が姉だなおろろろろろろ」
「謎の意地張ってんじゃねえよ!! ――あーっ! なにこいつら疲れる!」
「ツッコまなければいいんじゃね?」と、なんとか平静を保っているほかの数人の魔王から声があがった。
「そういえばお前の名を聞いていなかったな、拳帝の」
「あ? 俺? ――俺はサルマーンだ」
「そうか、サルマーンか。良い名おろろろろろろ」
「わかったから! 褒めるのはわかったからあとでにしろ!」
そうしてメレアとエルマが仲良く外に吐瀉しながら、虚ろな目で「お空きれい」と呟いている間に、サルマーンはまたほかの魔王たちの様子を窺った。
「金がっ! 金が足りませんよぉぉぉおおお! もっと金の輝きをおおおおおお!!」
徐々に崩れはじめている黄金船の床に跪いて、悔しそうに拳を打ち付けている奇人が一名。
〈錬金王〉シャウだ。
さっきは『金の力は偉大』と叫んで自慢げだったが、こうして謎の奇声をあげているのを見ると、やはり少し不安になる。
大丈夫なのかダメなのか、判断しづらい。
――人間的には誰がどう見たって完全にダメだ。
思いながら、隣に視線を移す。
「あー、これ酔うわねえ……、あー……」
奇人の隣では、〈炎帝〉リリウムが頭上に紅蓮の鳥を飛ばしながら、間延びした声をあげていた。
メレアやエルマほどではないにしろ、彼女も多少船酔いしているようだった。
と、そこへ、
「こ、これ、ちょっと、楽しい……ね」
さらに声があがって、サルマーンは視線を移した。
今度の声はなかなか元気だ。
そして声の主は意外な人物だった。
「おい、大丈夫なのか?」
「う、うん。わたしは、大丈夫、だよ?」
サルマーンの心配げな問いかけに対し、儚げな笑みを浮かべて返したのは、魔王たちの中でも特に華奢な身体付きの〈天魔〉アイズだった。
華奢な少女の体ながら、こういうところですさまじい耐久力を見せつけている。まさしく意外だった。
「アイズ様、先ほど霊山の一角で『橙甘草』を見つけたのでササっと採取してきたのですが、お召しになりますか? 甘くておいしいですよ?」
そのアイズの隣に正座して、懐から橙色の植物を差しだしている奇特なメイドもいる。
体は不動、顔は無表情で、動じている様子は微塵もない。
「あれ、そういえばそこのメイドはどこの魔王だ?」
サルマーンはふと、思い出したようにメイドの正体が気になって、素直に訊ねていた。
メイド――〈マリーザ〉の方は、サルマーンの声に気づいて視線を向け、何気ない様子で答える。
「〈暴帝〉の号を与えられた魔王の末裔です」
「うわあ……」
「なぜそこでヒくのですか?」
「いやだって、〈暴帝〉ってアレだろ? どっかの戦闘民族国家で生まれた暴力の化身で――」
言いかけて、サルマーンはとっさに言葉をかみつぶした。
そのあとに続く言葉を、〈暴帝〉の末裔である彼女に言ってしまっていいものか、迷った。あまり良い言葉ではなかったのだ。
そうやって言いよどんでいると、逆にサルマーンのためらいを察したかのように、マリーザの方がその言葉の先を紡いでしまっていた。
「ええ、始祖こそ英雄的であったと言われていますが、それ以後の〈暴帝〉はわりと悪徳的でしたからね。力にものを言わせた侵略くらいなら、していました。そういう過去の歴史を知っていれば、怖れの一つや二つ、抱くかもしれません」
「……いや、でもあれはかなり前だろ」
サルマーンはマリーザがその〈暴帝〉とは違うことを確信しているふうに言った。
サルマーンはマリーザの素性をくわしく知らないから、どちらかといえばそれは『願望』のようでもあった。
「お前は違うよな」と、そういう問いかけを言葉の中に含ませていた。
マリーザはマリーザで、サルマーンの言わんとすることに勘付いていたようで、
「――まあ、わたくし自身はかつての〈暴帝〉の所業を嫌悪します。まったくナンセンスです。彼らは人に仕える、そして人に喜んでもらうという喜びを知らなかったのです」
頷きとともに答えていた。
言葉が出てくる前にやや表情が曇ったような気がしたが、言葉自体はハッキリしていた。
表情が曇ったのは、一言では表しきれない葛藤があったからだろう。
ともあれ、自らの先祖の所業をナンセンスだと言い切る彼女の目は、そのときばかりは強い意志の光を宿していて、だからサルマーンはひとまず彼女の言を信じた。
そうしてすぐに、話題を暗い方向から逸らすべく、おちょくるような剽軽さを笑みに乗せ、訊ねた。
「人に仕える喜びね。じゃあ、俺にも仕えてくれんの?」
肩をあげ、「どうよ」と笑いながら問う。
マリーザはサルマーンの問いに一瞬だけ目をきょとんとさせたが、即座に鼻で笑った。「あなたではだめです」そう言っているようだった。
「わたくしはわたくしが仕える方を自らで決めます。第一主人の条件はわたくしより強い方。第二主人の条件は可愛い方」
「え、なにその判断基準」
サルマーンは鼻で笑われて、少しムスっとした表情を浮かべたが、すぐにマリーザの謎の基準に対し疑問を投げかけていた。
マリーザはあらかじめ訊かれることがわかっていたように、仄かな微笑を浮かべてつらつらと言葉を並べた。
「――だって、わたくしより弱かったら仕えているうちに殺してしまうかもしれないじゃないですか」
物騒だ。
まさか仕えるか仕えないかの話で、そんな単語が出てくるとは思わなかった。
サルマーンはまたもや「うわあ……」と頬をヒクつかせた。今度のヒき笑いに躊躇いはない。
「な、なんで? なに? なんなの? 要人暗殺メイドとかそういうのなの?」
「わたくしが小突いても大丈夫な方でなければ、『暴帝期』に入ったときに止めてもらえないではありませんか」
「なにそれ……」
「女の子の日、みたいなものです。ちょっと凶暴になってしまう日です。もう、女子の口から言わせないでくださいよ。デリカシーがありませんね」
「そっ、そんな薄っぺらい照れ顔浮かべてもだまされねえからなっ!! 暴帝期とか絶対ヤバい単語じゃん!! 女の子の日とさも同じであるように語るなよっ!」
サルマーンはマリーザに向けてビっと人差し指を突きつけた。
マリーザはわざとらしく「てへへ」と頭を小突いているが、目が笑っていない。むしろ顔もたいして笑っていない。無表情で動きだけが照れモーションというのはかなり不気味だった。
「……はあ、まあ魔王の末裔だし、何かしらどうしようもねえ血の力もあるか」
しかしサルマーンはすぐに息を整えて、マリーザにそう言った。
魔王の子孫は生まれながらにその魔王たる由縁を身に宿してしまっていることがある。
それをサルマーンも知っていた。
だから、望まずに手に入れてしまった類の力もあるのだろう。
そう結論付けて、「これ以上踏み込むとヤケドしそうだな」という第六感の警笛に大人しく従うことにした。
ただ最後に、一つだけは聞いておきたくて、サルマーンを意を決して訊ねた。
「ともかく、じゃあ、『自分より強い第一主人』は、その暴帝期のときに自分を止めてもらうための相互協力的な主人か」
予想だ。
かつての〈暴帝〉の逸話を聞いて、暴帝期がどういうものであるかにある程度の予想をつけていた。
それに今までのマリーザの話を加えると、『自分では止められない類の力』であろうことは確信できる。
「止めてもらえないではありませんか」という彼女の言葉の裏には、「止めて欲しい」という願望が含まれていた。
そしてそんなサルマーンの言外の言葉を肯定するように、マリーザは頷きで答えていた。
「――そうですね。より根源的な意味で、わたくしの主人でなくてはなりません。しかしわたくしを身体を張って止めて下さる主人でしたら、わたくしはその方に命を捧げます。わたくしが人として、メイドとして生きるために欠かせないお方になるでしょう。わたくしにその自由を与えてくださる方でしたら、すべてを捧げてもいい」
マリーザの言い様と、強い感情の乗っていた紫色の目を見て、サルマーンは、
「――そうか」
ただそう言って、それ以上を訊かなかった。
本当は、もう少し訊きたかった。
「もしその主人がお前を止められなかったら?」と。
だが、今の状況であえて悪い予想を立てて訊ねるのは、彼女の胸中をおもんばかると躊躇われた。
このまま、全員で協力して逃げるとするならば、放っておくべき事柄ではないかもしれない。
それでもサルマーンには――勇気がなかった。
今の状況でそこまで踏み込んでしまえる『無遠慮な勇気』を、持ち合わせてはいなかった。
しかし、最後には、
「――大丈夫です。もしわたくしのせいでこの集団が危うくなったら、わたくしはここを去ります。だから、大丈夫。あなたがそう心配になることではございませんよ」
まるでサルマーンの内心をも見透かしたように、マリーザが薄い笑みを宿して言っていた。
普段の、色を持たないマリーザの人形のような笑みと違って、その笑みは悲しげな色をたたえているように見えた。
ふと、隣で静かに話を聞いていたアイズが、マリーザの手にその小さな手を重ねていた。
「大丈夫?」と心配げな顔を見せている。
マリーザはそれに、アイズにだけ見せる柔らかな笑みで応えていた。
「でも、わたくしはようやく『可能性』を持つ方に出会いましたから。偶然だったのかもしれませんが、いっそのこと今は『運命だったのでは』と、乙女らしく思ってしまったりもします。だから、図々しいとは承知しておりますが、希望を抱かずにもいられないのです」
いつの間にかマリーザの視線はアイズからもサルマーンからも外れ、別の方向を向いていた。
マリーザの視線はメレアの背に向けられていた。
そのときサルマーンは、たしかに彼女の願いの輪郭を見た。
会話はそこでようやく途切れ、なんとも言えない雰囲気が漂う。
マリーザは目を伏せ、いつもの色のない微笑を口元に浮かべていた。
サルマーンも一旦は同じく目を伏せ押し黙ったが、そうやって黙っているのもなんだか耐え難くて、またすぐにメレアの背に視線を移した。
彼女自身がメレアに自分の願いを乗せていることをまだハッキリとは言っていないから、それを部外者である自分が先に言おうなんて思わないけれど、
――「がんばれよ」か、「頼むぜ」くらいは。
そういう含ませた言葉を掛けるくらいはいいだろうかと思って、サルマーンはメレアに近寄った。
風に雪白の髪を靡かせる男の背が近づき、
――よし。
「おろろろろろろろろろ」
「台無しだよッ!! おめえどんだけ吐くんだよ!! ホント台無しだよっ!!」
思わずツッコんでしまっていた。
結局励ましの言葉は言えなかった。





