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百魔の主  作者: 葵大和
第二幕 【時代の奔流】
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23話 「ムーゼッグの王子」

 戦乱の時代の寵児(ちょうじ)(うた)われた天才、〈セリアス=ブラッド=ムーゼッグ〉は、その日、リンドホルム霊山の中腹で山を滑走する奇怪な黄金船を見た。


◆◆◆


 セリアスは灰色の髪を揺らし、周囲をムーゼッグの精鋭に守られながら、リンドホルム霊山を登っていた。


 ――いらぬと言ってもついてくる。


 ぐるりと周囲を見回して、ぎょうぎょうしく密集して行軍する部下たちを観察する。

 その部下たるムーゼッグ軍人たちは、強い決意の表れた精悍(せいかん)な表情を顔に貼り、鍛え上げられた肉体を黒鎧に包んで、ものものしい雰囲気とともに山を登っている。

 リンドホルム霊山中腹にて増えた洞窟のようなほら穴に、得体のしれぬ『物体』がうごめいているのを見てから、いっそう彼らの表情は引き締まった。

 同時、まとった雰囲気は殺気をたたえた。

 

 ――霊、か。


 セリアスは子どものときからそういうものに対してあまり興味を示さなかったが、さきほどのほら穴の奥にいた『物体』を見てから、多少は興味が湧いた。

 生きているのか、死んでいるのか。実体なのか、霊体なのか。

 よくわからぬ『物体』だった。

 生き物が、怨念ある霊に憑かれるとああなるのかもしれない。

 まるで奇声をあげる肉の塊だった。


 ――霊とは、ああも品位のないものか。


 これから向かうリンドホルム霊山の山頂には、あくまで噂だが、『英霊』が住んでいるらしい。

 セリアスはその情報を信じていない。

 リンドホルム霊山の山頂が、なんだかんだと人の踏み入らぬ場所であるから、そこに幻想を求め、噂を作ったのだろう。


 ――いつの時代も、人はどこかに叶わぬ夢を置き去りにしようとする。


 触れられる場所に置いてしまっては、すぐに中身を暴かれてしまうから、あえて人の手の入りづらい場所に置いていく。


 ――私はそうはなるまい。


 思いながら、セリアスは山頂を見上げた。


「おい、本当に山頂に英霊がいると思うか?」


 セリアスはふと、一番近くにいた部下の一人にそう(たず)ねた。

 そのムーゼッグ軍人は、突然のセリアスからの問いに緊張したように身体をビクつかせ、やや震えた声で答えた。


「ど、どうでしょうか……、私は一応、そういうものを信じる性質(たち)ですので、さっきの肉塊のこともございますし……いるのでは、ないでしょうか」


 引け目を感じるように細切れにしながらも、その軍人は言った。

 対し、セリアスはふっと軽く笑って答える。


「なるほど、まあ、そうだな。さっきのあれを見ると、まったくいないと思うのもかえって不自然か。あるいは誰かの術式による仕業だったとも考えられるが」

「死霊術のたぐいでしょうか」

「魔王の中にはそういうものを追求しようとした者もいる。だいぶ昔には特に。――その方面で有名だった魔王は、おのれの術式研究のために無辜(むこ)の民の命を多数奪い使ったため、英雄に狩られた。今はそんなわかりやすい『魔王』はいないだろうな」


 セリアスはまた山頂を見上げた。


「まあいい。もし山頂に本当に英霊がいるのなら――ついでだ、その力をもらっていこう」

「セリアス様なら、きっとたやすいでしょう」


 ムーゼッグ軍人が心酔したような目でセリアスを見た。

 その視線を受けて、セリアスは漠然とした不安を抱いた。

 ただ、その不安がどうして湧き起こるのか、なにを予想して不安を覚えたのか、たしかなことはセリアス本人にもわからなかった。

 それなのに不安を覚えたというのは、もしかしたらその身、その精神にさえ収まらぬ天賦の才が、セリアスの理性をも越えて、超越的に警笛を鳴らしていたからかもしれない。

 虫の知らせだとか、第六感だとか、そういうものに近い。


 ただ、王族と軍人という二つの立場で、政治的にも軍事的にも理性的であったセリアスは、あえてそのよくわからない不安に身をゆだねることはしなかった。

 ほうっておくとその不安の鐘がうるさいので、セリアスは適当に理由づけて、鐘の鳴りを止めることにした。


 ――まあ、私は彼らにとっての英雄だからな。


 そういうふうに(あが)められていることはセリアス自身知っていた。

 だからそれを客観視して、ともすれば軍人たちは自分の身に何らかの夢を見るかもしれないと、そう思った。


 ――私は触れざる夢の大地か。


 少しおかしく思う。

 山頂に英霊の夢を見るのとは、少し勝手が違うだろうが、しかし類似するものではあるかもしれない。


 ――違いは、近くにいるか遠くにいるか……だろうな。


 ゆえに、一番初めに思った『いらぬと言ってもついてくる』という現状にも、納得が得られた。


 ――国の王族が最前線に出ている手前、臣下でありつつも本質はあくまで『国民』である軍人たちは、自分を守らずにはいられないのだろう。


 まったく関知せざる場所に夢を置くのとは別だ。そこには繋がりがある。

 そしてまた、かえって守れる力をもっているからこそ、そういう守護の意志が強くなるのだ。


 ――しかた……ないか。


 セリアスはそうやって納得を()に落とした。


 ――むしろ一人の方が周りを気にせず動けるのだが。


 それが事実だとしても、次期国家元首になるやもしれぬ者が一人でふらふらしていたら、危なっかしくて見てられないのかもしれない。

 最終的にセリアスは、「まあ、守らせてやるか」などと、軍全体の士気のために、やや窮屈な現状をあえて甘受することにした。


 そんなセリアスと護衛の軍人たちに、急な状況変化が襲いかかったのが、それからわずか二分後のことであった。


◆◆◆


 唐突に霊山の上方から声が飛んできていた。

 否、正確には声と音だ。

 人の口から発せられる声と、何かをガリガリと削るような音。

 先に明確な形となって届いたのは声の方だった。


『殿下ッ!! ()けてください!!』


 言われ、上を向いたときには、視界の上端に『黄金の船』が映っていた。

 霊山の急こう配を滑走する奇怪(きっかい)な船だった。

 そのぴかぴかとまぶしい色もさることながら、山を船が滑り下りるという状況自体が異様だ。

 船は猛然とした速さで進路をこちらに向かってきていた。


「殿下ッ!!」


 声の主はセリアスの周りの精鋭部隊よりさらに上へ先行していたムーゼッグ近接兵の一人だった。

 どうやら上からああして滑り下りてくる異常を察知して、警笛を鳴らすために斜面を急いで下りて来たらしい。

 よく立っていられるものだと思ってしまうような無茶苦茶な体勢で、その近接兵は斜面を転げおりていた。


 殿下、殿下、と叫ぶその兵士に、セリアスは片手で答え、すぐに黄金船に視線と注意を向け直す。

 じきに接敵する。


 ――魔王か。


 まだ確証はない。

 だが、おそらくそうであろうとの思いもある。

 

 ――威力偵察は失敗、と。


 一番先に偵察に行かせた術式兵団は、おそらく失敗した。

 まんまと逃げられたのだ。

 こうして警笛を鳴らしに来たのがその術式兵団の術師ではなく、もう少し手前にいた近接兵であることからも、術式兵団の方はなかなか手痛く反抗されたのだろうと予測できる。


 しかしまあ、またずいぶんと派手な船だ。

 術式によるものであることは間違いないだろう。


 ――となると、〈剣帝〉以外にもいるな。


 霊山の周囲に放った斥候(せっこう)の話から、どうやら他国家も幾人かの『別の魔王』を追ってこのリンドホルム霊山に登ってきている、という話は聞いていた。

 そもそも、この霊山の方面に来る際に、ほかの国家の動きを感知したからこそ、不意の遭遇に備えて多めに軍力を割いてきたのだ。

 だから、ある意味予想どおりといえば予想どおりだった。


 ――ほかの国家も魔王の秘術を利用する意気に燃えたか。


 今にはじまったことではないが、自分がそういうことを派手にしてみせたから、他国もより活発にそういう意気に燃えたのかもしれない。

 ともあれ、あえて魔王の力を他国に収集させるわけにもいくまい。


「さて、まずはあの黄金の船をどうにかせねば」


 セリアスは不意の臨戦態勢を迫られて、思わず笑みをこぼした。

 戦狂いの笑みだった。


◆◆◆


 戦いは良い。

 戦乱の時代に生まれて良かった。

 セリアスは常々そう思っている。


 歴代ムーゼッグ王の貪欲な力への探究心もあって、ムーゼッグには様々な力の書があった。

 そういうものを読み漁っていくうちに、どんどんと力が身に付いた。

 術式、体術、学術、弁論術。

 すべてを完璧に会得したとは言わないが、おおよそに理解が及んだとは言えるくらいに、セリアスはそれを身につけた。


 加えて、最近ではそれらを使って魔王を征伐(せいばつ)した。

 その中の魔王が〈槍帝〉の号を持つ魔王であったため、〈魔槍〉を手に入れることができた。

 非常に使い勝手の良い魔槍だ。

 事象貫通をなす、剣帝の魔剣と似たタイプの槍。


 そのあとにも幾人かの魔王と相対して、彼らを倒し、魔王の秘蔵してきた術式等を、独学で習得した。


 魔王の力は魅力的だが、彼らの力は必ずしも奪える形にあるわけではない。

 世代を重ねて身体の変性を達成したものや、脳の制御(リミッター)を外す術を身につけた者など、どうしても一代かぎりでは手に負えないものもある。


 そういうものは殺した。

 技術とともに、生得者(しょうとくしゃ)を殺した。

 ムーゼッグの敵になるからだ。


 だが、それ以外、形になっているものはだいたい奪った。

 貪欲に力を求めたムーゼッグ王家の血に感謝せねばなるまい。

 自分に才覚が宿ったのは、きっとそういう血の系譜があったからだろう。


 黄金船の進行ルートの予想をついに脳内で確定させ、セリアスは完全な戦闘態勢へ移行した。

 黄金船に鋭い視線を穿(うが)つ。


 ――あれは魔槍でも止められまい。


 速度が相当に速い。

 仮に穿(うが)てても、引っかかりでもしたら魔槍の方も折れてしまうかもしれない。

 金で出来た船とは、またなんとも悪趣味だ。


「下がれ、術式で止める」


 ここはその方法が妥当だろう。

 

「〈地王(アルフ=クルーゼ)の剛鎚〉」


 かつてとある山の山頂を一撃で吹き飛ばしたと言われる〈地王〉号を持つ魔王の術式。

 硬度の高い地中の物質を集め、凝縮し、(つい)の形に造形した一撃粉砕の術式。

 セリアスはそれを発動させた。


 こちらに滑り下りて来る黄金船の船頭をこれで叩けば、さしもの黄金で出来た船と言えど横転して山壁にめり込むだろう。

 中にどの魔王が入っているのかはわからないが、まずは動きを止めることだ。

 あの様相を見るに、向こうはこのまま霊山を突っ切ろうというのだろう。


 ――させぬ。


 意気、


 ――来る。


 黄金船が〈地王の剛鎚〉の射程圏に入ろうとした。

 セリアスは残忍な笑みが浮かぶのを理性で抑えつつ、巻き添えを喰らわぬようにと部下たちに離れるよう指示した。

 そして、ついに、黄金船が目前にまでやってきて――


「地王の――」

「――〈天王(エクシル=フローラ)の剛鎚〉」


 剛鎚を振り下ろそうとした瞬間、セリアスは自分のものではない声を聞いた。

 その声は、術式の完全起動のために紡ごうとした術名を、やたらに優雅に響く声音でもって、遮ってきていた。


◆◆◆


 反射的に視線が動く。

 声がした方へ。

 〈地王の剛鎚〉を撃ち下ろそうとしていた対象、その黄金船の中から――


 雪白の髪を宿した幽鬼のような男が姿を現していた。


 そしてその男が、異様な速度で右手に巨大な術式を展開させ、その勢いのまま――

 振り下ろした。


「ッ――」


 ほんの一瞬。時の狭間だった。

 気づいたときには男の右手は振り下ろされていた。


 ――何かが、


 来る。


 セリアスは嫌な悪寒を感じ、〈地王の剛鎚〉を船に対してではなく、自分の上方に向けて撃った。

 目の前に鎮座(ちんざ)していた〈地王の剛鎚〉が、その身を一瞬で振り上げ、天空を面で打撃する。

 轟音が鳴った。

 空気をぶち割ったような、耳をつんざく轟音。

 次いで、バキ、という何かが割れる音が来た。


「――」


 セリアスがその音に顔をしかめ、耳を塞ぎながら空を見上げると、自分の放った〈地王の剛鎚〉と、あの雪白の髪の男が放ったであろう天からの剛鎚が、魔力の暴流を巻き起こしながら()り合っていた。

 黒い土の剛鎚と、白い空気の剛鎚。

 その競り合いに敗れたのは、


「ぐっあ……っ!」


 セリアスの〈地王の剛鎚〉の方だった。

 術式操作のために接続しておいた魔力の糸を通じて、〈地王の剛鎚〉が割れた衝撃が伝わってくる。

 頭の中に痛みが走った。

 その瞬間に、黄金船が一瞬で目の前を過ぎ去っていく。

 とっさに〈槍帝〉の〈魔槍クルタード〉を術式空間から召喚し、黄金の船に刺しこもうとするが、その魔槍の槍身を、今度は男の後ろから現れた〈剣帝〉エルマの〈魔剣クリシューラ〉が弾いていた。

 セリアスが追っていた、あの〈剣帝〉である。

 「やはりいたか」と思う傍ら、もはや自分の槍が届かないことをとっさに察し、セリアスは声を飛ばしていた。声だけでも届かせようとした。


「待てッ!!」


 放った声は虚空に消える。

 黄金の船に乗っていた複数人の魔王たちには届かない。

 声も、手も。

 セリアスはどんどんと眼下に滑り落ちていく黄金の船の後尾に向けて、いくつかの魔術を放ったが、そのすべてが、ことごとくあの雪白の幽鬼のような男の術式によって叩き落とされた。


「追えッ!! 逃がすなッ!!」


 セリアスは叫ぶ。

 まだ片手で頭を押さえているが、指示の声はよく通った。

 部下たちが山を駆け下りていくが、彼らの手があの黄金船には届かないであろうことは、もはやセリアスにもわかりきっていた。

 だが、だからといってほうっておくわけにもいかず、ひとまずという形でそんな指示を出してから、ようやく思考を(めぐ)らせた。


 ――響いた。


 あの天からの一撃はずいぶんと頭の中に響いた。

 〈地王の剛鎚〉の一撃と競り合い、それでいてこちらの剛鎚を粉砕する一撃。

 相当の手練れだ。

 しかし、見たことのない魔王だった。

 魔王の乱立するこの時代に、見たことのない魔王は数多くいるだろうが、かつての英雄譚の中でも、魔王譚の中でも、あんな白い髪と赤い瞳をしている姿は見聞したことがない。


 ――いや。


 『別々に』であれば、実に特徴的な魔王の姿をセリアスは知っていた。


 ――忌まわしい〈レイラス=リフ=レミューゼ〉の白髪(はくはつ)


 かつてムーゼッグ王国で〈白帝〉と呼ばれた『魔王』。

 かつてレミューゼ王国で〈白帝〉と呼ばれた『英雄』。

 同じ号でも、その号が内包する意味合いは正反対。

 魔王と、英雄。


 あの白い髪は、世界で最も美しいと言われた女の白髪に、よく似ていた。


 そして、


 ――〈術神〉、〈フランダー=クロウ〉の赤い瞳。


 セリアスはその名に特別な思いを抱いていた。


 ――いや、憶測でものを言うな。フランダー=クロウは死んだ。


 彼が最後にどこで死んだかはわからないが、フランダー=クロウに未練があっただろうことは予測できる。

 もしかしたら、その未練ゆえに、このリンドホルム霊山をさまよっていたのかもしれない。

 だが、


 ――やつは死んだ。


 それはたしかだ。

 いかに術神でも、時の流れには逆らえまい。

 あの時代から、いったいどれだけの年月が過ぎたと思っている。


 ――なにより、あの毒を受けてはな。


 だから、あれはフランダー=クロウではない。

 そもそもリンドホルム霊山にしか留まれぬ霊であるなら、ああして外には出られないだろう。


 そう思いながら、一瞬、セリアスの脳裏にとてつもない予想が浮かび上がった。

 それこそありえないだろうと思ってしまうような、不思議な答え。


 ――あれは、レイラスとフランダーの子どもなのではないだろうか。


 それでもやはり、ありえない。

 時間という大きな問題が、その予想の前に立ちはだかる。

 セリアスは即座にそんな馬鹿げた予想を投げ捨て、再び部下たちを鼓舞するような声をあげた。


「追え! 追えッ! 東に逃げたぞ! 鳥で父上に伝令を! 東に捜索線を張るようにッ!」


 セリアスは部下たちに指示を出しながら、彼方に消えていく黄金の船をずっと見ていた。

 さすがにここからでは追いつけまい。

 転がり落ちるように、我が身さえ気にせず落ちていく黄金船の速度は驚異的だ。

 まるで地獄まで一直線に滑走する死者の船のようだ。

 だが、


「逃げられると思うなよ」


 地獄へ行くのは構わないが、力をおいていけ。

 自分の手の届く場所に、力をおいていけ。


 それはセリアスの圧倒的な意志の現れだった。

 戦乱の時代の寵児と言われたセリアスは、その名に違わぬ戦鬼の意志を露わにする。


 ――自分は〈ムーゼッグの英雄〉。


 そういう名を、国民に背負わされている。

 同時、自分でも背負うつもりでいる。


 ――私はいずれ、世界を股にかける強国の王とならねばならない。


 祖国ムーゼッグのために、ムーゼッグの災厄となりうる芽は摘もう。

 そしてその災厄の力を、ムーゼッグが育つために自分が活用して見せよう。


 〈セリアス=ブラッド=ムーゼッグ〉は戦乱の時代の寵児である。



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