205話 「その者の名は」
「まじぃ。なんだこの料理は」
サイサリス教国〈第四教区〉。
サイサリス教の影響が少ない『上流区画』とも呼ばれるその場所の一角で、ぽつりと不機嫌そうな声が響いた。
「大金払ってんのにどういうことだ」
場所は人足の途絶えない小奇麗なレストラン。
凝った内装と落ち着いたオレンジの術式灯を多用しており、いかにも高級店というふうだった。
「この国の連中は金の価値がわかってねえな」
繰り返し文句を垂れているのは逆立った金色の髪が特徴的な若い男だった。
体のいたるところに金の装身具をつけ、手指のすべてに宝石のついた金の指輪をはめている。
「よォ、オレ様は金を払ったよな? 前払いだからって」
「は、はい」
個室の隅にひかえていたウェイターへ、金髪の男が鋭い視線を向ける。
「オレ様はよ、高級店っていう肩書きを信用して前払いに応じてやったんだよ。んで、これだけの大金を払うんだから当然うまいもんが出てくるだろうって思うよな? なのによ、その金に見合わねえ料理を出されたら、そりゃあキレて当然だよなァ?」
「も、申し訳ございません」
男の文句にウェイターはびくりと肩を震わせる。
「なぁ、あんたもそう思うだろ?」
と、そこで金髪の男は対面に座って同じく食事を取っていた一人の美女に問いかけた。
「あなたの口が肥えているのでしょう。わたしはこれらの料理にまったく文句はありません」
「は? なんだよ、つまんねえな」
その美女は床についてしまうのではないかと思うほど長い紺色の髪を持っていた。
「というか、少し静かにしなさい。食事の邪魔です」
「あ?」
すると、今度は紺色の髪の美女が男に言う。
「こんなに良い物を食べられるのだから、しっかり味わわなくては」
「かー! これだから貧乏なやつは嫌なんだ! 金がありゃ世界中の美味珍味を味わえるってのにこんなもんで満足しやがって」
「価値が高いから美味と決まっているわけではないでしょう。それに、趣向は人それぞれです。あなたにとって美味なものも、わたしにとっては美味ではないかもしれない」
「だろうな。間違いなくそうだ。オレ様とあんたじゃ趣味が合わねえ。そもそも持ってる金の量がちげえ」
金髪の男が金の指輪を天井の術式灯にかざして見つめる。
「……はあ、興が削がれたな。とりあえずお前は下がっていいぞ」
「このたびは申し訳ございませんでした……」
何度も頭を下げるウェイターにしっしと手を振り、男は一息をつく。
それから目の前に座る紺色の髪の女に再び視線を向け、にやにやとした笑みを浮かべた。
「オレ様とあんたじゃ趣味が合わねえ。だがよ、オレ様はあんたの能力にゃ一目置いてるんだ」
「そうですか」
「あんたの〈神土〉とかいう術式生成物、ありゃあ金になる」
「あれは生きるために生み出したものであって、金にするために生み出したものではありません」
「つれねえな」
まったく相手にする素振りもなく、淡々と答える紺色の髪の女に男は嘆息を返す。
「お互い生き返った身だろ。少しくらいオレ様の金儲けに協力してくれてもいいじゃねえか」
「あなた、自分より弱いと判断した相手にはさきほどのように強く出るのに、そうでない場合は意外とおとなしいのですね」
「……あ?」
女がナイフとフォークを使って皿の上の薄い肉を切りながらなにげなく言った。
「ああ、難しい。銀食器を使って肉を切るのがこれほど難しいとは知りませんでした」
どうやら女はその高貴さをともなう美貌に似合わず、ナイフやフォークといった銀食器の扱いが苦手なようだった。
「こんなことなら〈霊山〉でほかの子たちに教わっておくんでした。レイラスやフランダーあたりなら、王族ですしテーブルマナーもお手のものだったはず……」
女はぶつぶつと言いながら皿の上の肉を四苦八苦してさばいている。
「おい、さっきの言葉を取り消せよ」
「事実を述べただけなのに、どうして取り消す必要が?」
金髪の男が威圧的な雰囲気を出して告げても、女はまったく動じず、視線すら向けずに淡々としている。
「オレ様は商人の世界で頂点に立った〈ガルド=リム=ウィンザー〉様だぞ」
「はあ、そうですか。わたしはそんな名前存じ上げません」
「……くそ、生きていた時代が違うってのはめんどうだな」
金髪の男は小さく悪態をついた。
「まあ、たとえ同じ時代に生きていたとしても、結果は変わらなかったと思いますが」
「どういう意味だ」
男が訊ねると、ようやく女は男へ視線を向けて悪びれもなく言った。
「あなたがわたしの時代に生まれていたら、そんなに長生きしなかったでしょうから」
「は?」
「あなた、たしかに経済力という点では人より優れているのかもしれません。しかしわたしの時代でそれはあまり役に立ちませんでした」
「バカいうんじゃねえ。金の力は万能だ」
「――ははは」
女は男の言葉を聞いて笑った。
さして大きな笑い声ではなかったが、心底おもしろがっているようであった。
「なにがおかしい」
「いや、時代が違うとここまで価値観が変わるものなのだとおもしろく思いまして。金の力は万能。なるほど、思い上がりの極まったおもしろい冗談です」
「……おい」
と、そこでついに金髪の男が我慢ならないといったていで立ち上がった。
テーブルの上に置いてあった銀食器を手に取り、それを女に向ける。
「あの気色わりぃ死霊術士に縛られてるからこうして一緒にいるが、あんまり図に乗るんじゃねえぞ」
術式の発動があった。
男が手に持った銀食器がみるみる金色に変わり、やがて形状まで変えてそれは一振りの剣になった。
「一度わからせてやるよ」
男が金の剣の切っ先を女に向けたまま、テーブルを回り込むように一歩進み出る。
「そのつもりなら別に構いませんが……一応忠告はしておきましょう。二歩目を踏んだらわたしも術式を発動します」
「やれるもんならやってみろ。オレ様はあの死霊術士にお前がどういう存在だか聞いちゃいるが、それをこの目で見たことはねえ。だからさして信じてもいねえ」
そう言って男は二歩目を踏んだ。
「いいでしょう」
その瞬間。
女の背後に巨大な術式陣が展開される。
おそろしく速く、そして美しさすら感じ取れる精緻な術式陣だった。
直後、それは事象となって現れる。
「〈黒土の三尾〉」
それはまるで、大蛇のように太い三本の黒い尾だった。
「っ」
一目見ただけで精密にコントロールされていることがわかる。
部屋を覆い尽くすほどの大きさであるにもかかわらず、それはまったく壁に傷をつけていない。
「べつに、あなたがいようがいまいが戦力という点では変わりがないので、ここで殺してしまってもいいと思っています」
女はまったく悪びれずに言った。
「――ああ、しまった。メレアに教える過程で三本に収める癖がついてしまいました。少し待ってください。気持ちよく潰れられるようにモノを増やしますので」
と、女は思い出したとでもいうように術式を重ねる。
三本だった尾が、六本になった。
「た、たかが石で出来た尾だろ」
「そう思うのであれば三歩目を踏み込めば良いと思います」
男は唾を呑みこみながら尾を観察する。
はたから見るかぎり材質は鉱石だ。
色がどこまでも深い黒であること以外に妙な点は見られない。
だが、男は自分がどんな鋭い武器をもっていたとしても、その尾に傷をつけられる気がしなかった。
「やる気がないなら座ってください。何度も言いますが食事の邪魔です」
女が再び視線を皿の上の肉に落とす。
この間も女は手に持ったナイフとフォークを手から放していなかった。
少しつたない握り方で、女は再び肉を切ることに集中する。
大人びた美貌とは対照的に、皿の上の肉に苦心する姿は幼い少女のようでもあった。
「……くそが」
男は大きな悪態をついて足を引く。
「良い判断です。ああっ、やっと切れました!」
背に六本の黒尾をうねらせながら、女がうれしげに声をあげる。
「……なんなんだ、お前らは」
男は目の前の女がとある派閥に属していることを知っている。
派閥といっても正式にそうであると決められているわけではない。
こうしてあの死霊術士に〈魂の天海〉から呼び出され受肉した死者の中で、同じルーツを持つ者たちがいたのだ。
生まれた時代も違う。
生きた環境も違う。
呼ばれた号も違う。
けれど彼らはなにか大きな光のもとに結束しているようだった。
「しかも、どいつもこいつも『神号』を持ってきやがって」
「わたしに言われても困ります。号はわたしたちが自分でつけたものではなく、人々が勝手につけたものですので」
男――〈ガルド=リム=ウィンザー〉はそうではなかった。
彼はかつて、みずから〈錬金王〉を名乗った。
「ああ、そういやあんたの号は知ってるが、名前はまだ聞いてなかったな」
諦めたように椅子に座り直したガルドは、女に訊ねた。
女は口に入れた肉を嚥下したあと、軽く前髪を払ってから告げる。
「――〈クリア=リリス〉。人々はわたしのことを〈土神〉と呼びました」
メレアが学術都市アイオースで〈風神〉ヴァン=エスターと再会する少し前。
遠く離れたサイサリス教国の地に、〈風神〉よりもさらに古い時代を生きた『最古の英霊』のひとりが、降りてきていた。





