178話 「神罰の子」
「なあカルト。お前の目から見て俺は今どんな状態になってる?」
「いたるところに精霊にくっつかれてきらきら光ってるよ」
「そうか。やっぱりそうなのか。身体にひっつかれる分には別にいいんだが、顔にまでくっつくのはどうかと思うんだ。心なしか目がちかちかする」
「あはは、今のメレア、光る木みたいになってる。おもしろい」
きゃっきゃと楽しげに歩くカルトを先頭に、魔王一行は〈識者の森〉を奥へ進んで行った。
奥へ進めば進むほど、感覚の鋭い者は人ならざるものの存在に勘付いていくが、それが明確にどんなものであるのかは、誰も答えることができない。
「精霊ってなんなんだろうな」
メレアは目をしばしばさせながらふとこぼした。
「元素、はたまた意志を持った術素、世界の理の狭間を埋める者など、いろいろと呼び名はありますね。ただ存在自体が曖昧で、はっきりとその存在を知覚できる者も限られますから、学術的な研究はあまり進んでいないように思います」
メレアの言葉にマリーザが答える。
「一説には、この世界の理――すなわち『世界の構成術式』が実はあまりしっかりとしたものではなくて、ともすると崩壊しかねない状態にあるのを、意志を持った術素である精霊たちがその身体で繋ぎ合わせて支えている、というものがあります」
「なんだかそれもおそろしいな。精霊がいなくなったら世界が崩壊するってことか」
メレアが頭の後ろで手を組んで「うーん」と唸りながら言った。
「でももしそうだとしたら、精霊はこのうえなく健気だ。術素そのものである精霊が、自分の術素をもとに術式を使って、世界の構成術式のずさんな箇所をフォローしているってことだろう? ……自分の命を燃やしながら世界を支えていることと同義だ」
「でも彼らはそういうものだよ。意志はあるけれど、それは人間の意識ほど高度なものじゃない。喜怒哀楽を持つ精霊も稀にいるけど、彼らの大部分はもっと希薄な存在さ」
先頭を軽い足取りで歩くカルトが、メレアのお古であるボロのローブを翻しながら言った。
周りを飛ぶ色とりどりの精霊とじゃれ合っている姿は、いつにもましてどこか幻想的で、まるで空想絵画の中のワンシーンを想起させる。
「カルト、お前はどうしてそこまで精霊に好かれるんだ?」
メレアが羽の生えた人型の精霊を肩に三匹座らせながら訊ねた。
「言いたくなければ言わなくてもいいぞ」
さらに付け加える。
こういう注意書きのような言い回しは〈魔王連合〉の中でもよく使われるものだった。
「アハハ、メレアは優しいね。でも、気を遣いすぎかもね。メレアらしいけど、疲れちゃうよ?」
カルトは振り返って笑いながらメレアに言う。
薄紫の髪がふわりと揺れた。
「僕はそこまで自分の生を嫌ってはいない。訊かれなかったから言わなかっただけで。サーヴィスには一度話してるし、そこにいるララも知ってる」
カルトの視線がメレアの後ろにいたララに移った。
ララは少し申し訳なさそうな顔でうつむいたあと、メレアを見る。
「その……知ってたけど、カルトの内面に関わることだから本人以外からは言わない方がいいかと思って」
おそらくメレアにカルトのことを報告しなかったのを謝っているのだろう。
メレアもそれがわかって、だからこそ彼女に優しげな笑みを見せた。
「そんなこと気にするな。ララはカルトのことを思って黙ってたんだろう。それで構わない。俺が長だからってなんでもかんでも報告しなくちゃいけないわけじゃないんだから」
むしろララの思いやりは賞賛すべきものだとメレアは思った。
彼女は幼いながらも正しいバランス感覚を持っている。
そのことに嬉しさすら感じた。
「それに、こういうのは直接聞くことにしてる」
魔王たちは表には出さなくともそれぞれ悲しみを背負っている。
それは口に出すのも憚れるものであったり、できれば触れて欲しくないものであることも多い。
だからこそメレアは直接聞く。
無論言えなくたって構わない。
彼らの心がいつか背負っているものを吐き出したいと望むとき、その受け口になれればいいくらいに思っていた。
「僕はね、半分人間じゃないんだ」
ふと、カルトは言った。
「僕は――人間と精霊の間に生まれた者。人は僕のことを〈神罰の子〉と呼んだよ」
◆◆◆
「パラディオンの狂書?」
「ええ。聞き覚えあるかしら」
ベナレスはリリウムの探している本の名前を聞いて、素直に驚きを覚えた。
なぜあんなものを、と思う一方、あんなものだからこそ、とも思う。
それくらいあの本は奇妙で、未知にくるまれたものだった。
「ありますよ。最近僕も手に取ったことがあるので」
「へえ?」
リリウムが片方の眉を器用にあげて、興味深そうな表情を見せる。
「まあ、読めないんですけどね」
たいていの本なら読める。
なぜ読めるのかは例によってわからないが、自分の頭の中には数多くの言語体系が最初から『完成された状態』で存在した。
だから古代の言語で書かれている本も読めるし、希少部族の象形文字ですら読める。
しかしあの〈パラディオンの狂書〉だけは別だ。
あのめちゃくちゃな言語体系で書かれた本だけは、自分の知識をもってしても解読することができない。
そもそも体系だった言語なのかすら疑いたくなるところだ。
「そうなんだ。やっぱり書いてある文字とかがめちゃくちゃで?」
「そうですね、文字に限らず文法にも規則性がまったく見られません。まだ象徴絵画の方がわかりやすい。見てもまったくなんの観念も抱けないという点で、むしろおそろしくすらある。まるで、選ばれし者にしか解読することが許されていないとでも言わんばかりの代物です」
「本当にそうなのかもね」
リリウムが黒い髪を手で払いながら言った。
「なにか特殊な魔眼を必要とするとか、読む者に特定の術式を掛けてから読まなければならないとか。後者に関しては今でも密偵組織で使われることがある暗号技術だし、同じようなことをパラディオンが考えたとしてもまったくおかしくはないわ」
「なるほど。そこは盲点でしたね」
ベナレスが感心したように唸る。
「ともあれ、まずは見てみましょう。たぶん誰もあの本には触れていないと思うので、こっちに残ってると思います」
ベナレスは蔵書室の奥の方を指差してリリウムをうながした。
リリウムとサーヴィスはそのうながしにしたがって歩き出す。
自分たちの主を救うきっかけになるかもしれない本を求めて。
◆◆◆
「〈神罰の子〉?」
「そう。ちなみにそこには二つの意味がある。一つは――僕が神罰を受けた咎人であるという意味。そしてもう一つは、僕そのものがまた別の人間に神の裁きを下す代行者であるという意味。いずれにしても僕は、彼らにとって畏怖すべき対象らしい」
カルトはほのかな笑みを崩さずに、片手を自分の胸の上において言った。
「カルトが、人々に罰を下すのか?」
「彼らの言い分はそうだね」
「いったいなんの罰をだ」
メレアはカルトの説明を聞いて、腑に落ちないという顔をした。
メレアはすでにカルトのたどってきた人生の理不尽さにある程度の予想を抱いている。
だからこそ、怒りを覚えずにはいられなかった。
「人間の傲慢さに対する罰を、さ。――さっきマリーザが言ったよね、精霊は世界の構成術式を支えているって」
「ああ」
「僕が生まれた地方でも、その思想が根付いていた。そしてさらにもう一つ、おもしろい発想が加わる」
「おもしろい発想?」
「人間の理性と精霊への罪の意識が生んだ、尊ぶべき自制心の賜物さ」
罰。精霊への罪。理性。
メレアは次にカルトの口から出てくる言葉を、その口が半分ほど開いたところで察した。
「世界の構成術式がぼろぼろなのは、人間がみだりに『術式』を使うからだ、という発想だよ」
カルトは手の甲に二つの光の珠を乗せてから、慈しむようにそれを撫でた。
「術式は人間の意志によって能動的に発動される。自然現象を人間の意志で起こそうとしたのが術式のはじまりだとも言うね。でもそれこそが、人間の傲慢のはじまりでもある。人間は、自然に逆らってはならない。その模倣も罪深い行いだ。その行為は世界の摂理を乱し、世界を土台ごと破壊してしまう」
「これが僕の地方の考え方」とカルトは最後に付け加えて、メレアを見た。
メレアはカルトのまっすぐな視線を受け止める。
その様子にカルトは満足したようにうなずいて、また口を開いた。
「そしてそんな自然と人間の間に生まれたのが、僕。精霊を自然側の存在だとすればの話だけどね。……でもまあ、彼らの言わんとすることもわかる」
「お前は本当に精霊と人間の間に生まれたのか」
「そうだよ。――意味合い的にはね。僕は普通の生まれ方をしていない。みんなには少なくとも二人の親がいるだろう? 人間の生殖には男女が必要だからね。でも僕には――そもそも親がいない。肉体的なつながりのある者は、一人たりともいない」
普通の生まれ方をしていないという点では、メレアも同じだった。
世界を越えた魂と、英霊たちの因子で形作られた肉体。
親と呼べる者はいるが、それはさまざまな意味で、普通ではなかった。
「〈精霊帝〉は定期的に『生まれ変わる』。長い時を経た身体はあるとき急速に崩壊を迎え、一度バラバラになるんだ。そしてバラバラになったあと、精霊によって補完され、再構成される。『まったく別の個体として』」
カルトの言葉は魔王たちには到底信じられるものではなかった。カルト本人が言った言葉でなければ、おそらく信じなかっただろう。
だが、かといって彼らは、当の〈精霊帝〉から話された内容を否定することも肯定することもできなかった。
「僕の住んでいた村は、ただ〈精霊帝〉を育てることのみに存在意義をおいた村だった。生まれ変わる〈精霊帝〉を育て、守り、記録する。ただそれだけを繰り返す。そんな彼らの言葉を信じれば、僕は十代目の〈精霊帝〉らしい」
「らしいって――」
「さっきも言ったでしょ。〈精霊帝〉は生まれ変わるとき、まったく別の個体として生まれ変わるんだ。つまるところ僕には、生まれ変わる前の記憶がない」
魔王たちは絶句した。
「まあ、実際はもっと昔からいたのかもしれない。正式な記録として残しはじめたのが九代前なだけで。ともあれ、そんなわけで僕は、村の人間たちに大事に育てられた。彼らの畏怖のこもった声は子守歌、彼らの懺悔の言葉は経典、与えられる供物を思春期の悩みの種に。そして僕は――」
カルトが一拍を置いて言う。
「最後に〈魔王〉になった」
いったいどういう経緯がそこにあったのか。
メレアもそこだけはわからない。
「単純な話さ。十代目にしてようやく――『神罰』が下った。……ただの偶然なんだけどね。彼らはそうは思わなかった」
「なにがあったんだ」
メレアが神妙な顔で訊ねる。
「村がなくなったんだよ。天変地異のような大雨のあとの、大洪水で」
「――」
「それから彼らは得体の知れない僕を、わかりやすく形あるものにしておきたかったんだろう。ちょうどよく〈魔王〉という言葉が端に転がっていた。畏怖を憎悪に変換し、神に負けてなるものかと、僕を再起の起爆剤にして彼らはまた立ちあがった。恐怖を屈服させようとする人間の意志は時として繁栄の源になる」
「お前……」
「彼らが再起したこと自体は僕も嬉しかったんだ。でも、そこに僕の居場所はなかった。あの村は良くも悪くも僕を守ってくれていたけど、事件のあとではそうもいかない。彼らは勝手に僕を畏怖し、勝手に憎悪し、そして僕はあそこから逃げた。中途半端に人間であったことが仇になったのかな。感情がなければどれほど楽だったろうかと、今でも思うよ」
カルトは笑みを浮かべ続ける。
けれどその笑みは、どこか悲しげだった。
「僕は自分の存在意義がわからない。僕の存在意義は常に周りが規定するものだったから。なんで生まれ変わるのかもわからないし、謎だらけだ。でも――」
カルトは手の甲に乗っていた精霊たちを空に返し、それからその場にいる魔王たちを見た。
「こうしてみんなと一緒にいれて、最近はとても楽しい。存在意義なんてたいそうなものはなくても、みんなが少しでも笑っていてくれれば、僕も嬉しいんだ。だから僕は、ここを守ろうと思う。それが最近になってようやく自分で規定できた、僕の存在意義」
カルトが柔らかく笑ったときには、メレアがカルトへ近づいていた。
そしてメレアは――カルトを優しく抱き寄せた。
「どうしたの? メレア」
カルトは唐突にメレアに抱きしめられて、目をぱちくりとさせる。
「お前はここにいていいんだ」
「あはは、改めて言われると――なんだか照れるね」
「辛かっただろう」
「まあ……少しだけ?」
カルトはメレアに抱きしめられたまま、心地よさそうに頭をもたげる。
「僕が〈魔王〉になった理由は、みんなとは少し違う。僕はみんなほどどうしようもないしがらみに纏わりつかれてるわけじゃない。だからこそ僕は、みんなのしがらみが少しでも和らぐように、助けたい。本当に、今の僕にはそれだけなんだ」
「ああ、誰もお前の存在意義を否定したりしない。誰にも否定させない」
「うん。――本当はあの村の人たちとも、普通に仲良くしたかったなぁ……」
生まれながらに畏怖される存在であったがゆえの苦悩。
カルトの苦悩はカルトにしかわからない。
だが、魔王たちはありのままのカルトを仲間として認めている。
それこそが、ただ唯一、カルトが求めていたものだった。
『やはりいつの世も、人間は愚かで度し難い』
そして、邂逅の時は唐突にやってくる。
『それにしても、懐かしい匂いを放つ人間だ』
メレアのものでも、カルトのものでもない厳かな声。
メレアがカルトを抱き寄せたまま上を見上げると、一際太い木の上に――
『名乗れ。お前は何者だ』
一羽の大きな梟が止まっていた。





