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百魔の主  作者: 葵大和
第十四幕 【世界が動き出す日】
174/267

170話 「魔神のもう一つの名前」

4巻発売まで残り:【1日】

「戻るぞ、サーヴィス」

「え? もう帰っちゃうんですか? なんだか盛り上がってきたところじゃないですか。俺、結構こういう雰囲気好きなんですけど」

「それはお前が術式に『やられている』からだ」


 〈白神〉メレア=メアは〈アイオース革命政府〉の決起集会がはじめて執り行われた日、すでにその場にいた。


「術式?」

「待ってろ。今解いてやる」


 金に染め上げた髪。

 髪型もいつもと違い、それなりに長い髪は後頭部で無造作に結われている。

 ただし赤い瞳はいつものままで、澄んだ輝きを放っていた。


「動くなよ」


 そんなメレアは隣に座ってこの熱狂に参加しようとしていた一人の少年――〈術王〉サーヴィスの額に手を添える。

 そしてメレアがサーヴィスの額に触れると、その手からおもむろに術式陣が展開された。


「〈反転術式〉」


 メレアが小さくつぶやくと同時、サーヴィスの額に展開された術式がぱりんと割れる。

 直後、サーヴィスが一瞬停止した。


「……あれ?」

「正気になったか?」


 サーヴィスはクリーム色の巻き毛をふわふわと揺らしながら、あたりを見回す。

 きょとんとした表情を浮かべながら、一回りしてようやくメレアの顔を見た。


「俺、なんかおかしくなってました?」

「ああ。見事にやられてた」

「うああ……、またララに怒られる……」

「気にするな。俺も予想外だったが、これはかなり強力な術式だ」


 メレアは腕を組んで眼前の光景を観察する。

 あの台座に立って学生たちを扇動しているオスカーという男。

 彼の言葉に学生たちは熱狂している。


「あれ、でもなんでメレア様――じゃない、キリエ様は俺みたいにならなかったんですか?」

「見えたからな」

「見えた?」


 メレアがサーヴィスやほかの学生と同じように熱狂の渦に巻き込まれなかったのは、この熱狂が術式によって起こされていることに気づいていたからだった。


 ――ヴァージリアでの経験が生きたかな。


 かつてヴァージリアでジュリアナの動きに水色の光を見たときと同じような妙な『赤い光の膜』。

 それがこの場にいた学生たちの身体をすっぽりと覆い、ゆらゆらと揺らめいていた。

 赤い光の膜は最初、メレアにとっても明確に術式であるとは認識できなかったが――


 ――これも最近の魔眼の異常のせいか。


 メレアは自分の身体を覆った光の膜に対し、反転術式を『編めてしまっていた』。


 ――なんだか最近は以前にも増して反転術式が編みやすくなった気がする。


 頭で考えるよりも先に自分の中の『術式感覚』が勝手に反転術式を生成する。

 二十年近く積み上げてきた経験が、今になって新たな形に成形されようとしている気さえした。


「まあとにかく、今はここを出よう。さっき気になるやつも見つけたし」


 メレアはほんの数分前、自分たちより先にこの広間を出て行った二人の青年が気になっていた。

 彼らも同じく、この熱狂には巻き込まれていないようだった。


「どういうわけかな」


 メレアは疑問を胸に留めて、サーヴィスと共にアナスタシア大聖堂を出ることにした。


◆◆◆


 メレアたちが学術都市アイオースに到着したのはちょうど四日前のことだ。

 黒鱗の地竜〈ノエル〉の足は通常では到底ありえないような早さで旅路を行った。

 

 ――でも、足だけじゃないな。


 今回の道行きの途中、メレアはノエルの妙な進化に気づく。

 たしかに地竜の疾走と跳躍は駿馬すら置き去りにする莫大な速度を発揮したが、とある草原を駆けている最中、メレアはノエルに術式の発動を確認した。


 ――竜が、術式を使う。


 まったくありえないわけではない。

 レミューゼの大星樹は、あの青や緑や金に輝く光の粒を何らかの術式で生み出していると言われている。

 自然事象も突き詰めればまた術式。

 これはこの世界で常々格言のごとく言われていることだが、そう考えると人間以外の生物が術式を扱うのも特段におかしな話ではない。


 ――ただ、ノエルの術式は若干危うい。


 まだノエル自身が制御しきれていないという印象を受けた。

 草原を走っていたときにノエルが発動させた術式はおそらく加速術式だ。

 あのザイナス荒野でのムーゼッグとの戦で、敵の騎兵が使った加速術式によく似ている。

 たぶん、ノエルはあれを独学で模倣した。


 ――学習能力の高さは尋常じゃない。


 一方ではじめての術式の行使に確固たる意志が作用していたかは怪しいところだ。

 ノエルはなんとなくで術式を発動させた可能性が高い。


 ――下手に効力が強力だと、乗っている俺たちの身体が持たないな。


 メレアはノエルの術式の行使に勘付いたと同時、ノエルを叱った。

 今は使うな、と。

 ノエルは不満そうに鳴き声をあげたが、メレアは断固として譲らなかった。


 ともあれそういう出来事を経て、メレアたちはアイオースへたどり着いた。

 メレアはあらかじめ用意しておいた染料を使って髪を染め、髪型も少し変えてから街の中へ入る。

 街の中で名乗るべき偽名も、ちゃんと用意しておいた。


「そういえばキリエ様。その偽名って最初から用意してたんですか?」

「ああ」


 青薔薇区画の宿への道を歩きながら、メレアはサーヴィスの問いに答えた。


「なにか意味があるんですか?」

「不器用な俺が唯一自然と反応できる偽名なんだ」


 メレアはシャウやリリウムほど自分が器用ではないことを自覚している。

 彼らは偽名を装っても不自然さを見せるようなことはしないだろうが、自分はそうではない。

 だからメレアはある名前を使った。

 それは自分の――この世界では名乗るはずのなかった――もう一つの名前。


「ふーん」

「俺のもう一つの姓みたいなものだ。同じようにメレアって名前以外にもう一つ名前があるけど、そっちは少し皮肉っぽいから使わない。決して嫌いってわけじゃないんだけど、俺はその名前に見合った生を刻めなかったから」


 ――あっちの世界では。


 メレアは小さくつぶやいた。


「さて、リリウムたちは宿に戻ってるかな」

「ララのやつ、リリウム様に迷惑かけてないといいけど」

「大丈夫だろう。ララはリリウムに似て頭が良いから。少しおっちょこちょいなところはあるけどな」


 メレアは楽しげに笑って、青薔薇区画の隅にある宿へと足を速めた。


◆◆◆


「リリウム様、今さらなんですけど、わたしたちって偽名使わなくてもいいんですか?」

「いいのよ。メレアと違ってあたしたちは名前が売れてるわけじゃないから」


 〈炎帝〉リリウム=アウスバルト=クレール=ミュウ=レ=ラルーザは、自分の長すぎる名前に胸裏で辟易しながら黒薔薇の学園の中を平然とした顔で歩いていた。


「あたしもどちらかと言えば『リリウム』って名前の方が安全だし」


 リリウムは以前『アウスバルト』という偽名を使って青薔薇の学園に所属していた。

 今は素直にファーストネームを使っている。

 理由はいくつかあるが、そのほかの名前よりこのファーストネームの方が魔王的印象が薄くなる確信があったのが最たる理由だった。


「『クレール』と『レ=ラルーザ』っていう方が〈炎帝〉の家系に繋がりやすいのよね」

「へー」

「ララも同じでしょ。『ソレイユ』って姓の方が〈陽神〉の家系に繋がりやすい」

「そうですね。たしかに」


 ララはリリウムとよく似た茜色の髪を弾ませてうんうんとうなずく。


「まあ、あたしは前にこのあたりにいたから変装はしなきゃならないけど」

「黒い髪も似合ってますよ」

「黒くらいしかまともに塗れないのよね……」


 リリウムは自分の黒に染まった髪を撫でてため息をこぼす。

 自分の紅の髪はもともとの色が強すぎて、黒くらい強い色でないとまともに染まらないのだ。


「すっごく重い気がしてくる」


 ただでさえ長く、量も多い自分の髪は、黒に染め上げた途端に異様な視覚的重さを発する。

 不思議と肩にかかる髪が重くなったように感じるほどだ。


「メレアはいいわよね。元が白いからどんな色にも染まるし」

「でもメレア様、普通の染料じゃ髪が染まらなかったですよね」

「ああ、そうだったわね。レイラス=リフ=レミューゼの白い髪はいろんな意味で癖が強いみたい」


 最初、ある植物から作った染料を使ってメレアの髪を染めようとしたが、ものの数時間で色が落ちてしまった。

 まるで白い髪が別の色に染まるのを拒否するかのように。

 だから最終的に〈錬金王〉特製の金色染料を重ね塗りすることで、かなり無理やりに髪を染めた。


「あのときのシャウさん、発狂間近でした……」

「『金を髪に塗るなんて贅沢、私でもしたことないのに……!』ってね」


 それでも何日か置きに重ね塗りしなければメレアの雪白の髪はすぐに元の色に戻ってしまう。

 まったくもって奇妙な身体だ。

 リリウムは改めて思った。


「それにしてもこの街は変わらないわね」


 ふと、リリウムはあたりを見回して言う。


「リリウム様がいたときも、やっぱり若者で溢れてたんですか?」

「そうね。でも前よりも今の方が数は多いかもしれない」


 青い薔薇。赤い薔薇。黒い薔薇に、白い薔薇。

 この街は以前にもまして花に溢れている。

 それは今の時代における逃避の暗示。

 戦乱の時代に行き場所を失った――あるいはつらい現実に戻りたくないと思う若者たちが、それだけこの街に最後の安寧を求めに来ている証明でもある。


「戦いは往々にして若い芽を摘む。ここで死ななければきっと別の分野で大成したであろう若者たちが、大人たちの欲望の巻き添えになって枯れていく」


 たとえ〈魔王〉でなくとも、大人に従属するしかない子どもたちは同じように虐げられる。


「……そんな立場を戦うことで覆そうとしているあたしたちが言えたことじゃないけど」


 なぜ戦いが起こるのか、なんて大それたことを今さら問いはすまい。

 自分たちはこの脆弱な命を守るのに精いっぱいで、だからこそ大局的な戦争の根絶なんてものを考える余裕もない。


「〈魔王〉なんてしがらみを除いても、今の時代はろくなもんじゃない」


 人は歴史を繰り返す。

 神がいるなら、人間をこんな欲深い生き物に作ったことを非難しよう。

 きっと神は、同じ生き物同士で争いを続ける自分たちを、さぞ楽しげに眺めている。


「リリウム様……?」

「……変なこと言ったわね。今のは忘れて。さ、そろそろ黒薔薇の学園の蔵書室よ。さっさと〈パラディオンの狂書〉を見つけてパパっと持ち出さないとね」

「あるといいですね、その本」

「ええ。それであの狂人が、あたしたちにとっての英雄になることができれば、なお良いわね」


 メレアの魔眼の異常が、あの狂人の書によって少しでも解明されればいい。

 リリウムは再度今の目的に意識を集中させ、エキゾチックな雰囲気を醸す黒薔薇の学園の蔵書室へ足を踏み入れた。


次話:3月10日投稿予定。

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