104話 「道化師の約束」
「人ってこんなに密集できるんだな……」
「毎度のことながらボクもそう思うよ」
レーヴ歌劇場前。レーヴ=オペラ座とも呼ばれる歌劇通りの片隅の劇場に、メレアはいた。
さきほどの小休憩のあと、早めに劇場へ向かったメレアたちであったが、そんなこと関係ないとばかりにレーヴ=オペラ座の近場は人であふれかえっていた。
「はぐれないように手を繋いでおこう」
メレアが言うまでもなく、魔王たちはそれぞれはぐれないように互いの腕や手を握っていた。
特に、背の低いリィナとミィナにいたっては、そのまま地面を歩いているのではかえって危険なので、リィナはサルマーンの肩に乗り、ミィナはメレアの肩に乗っていた。
今ばかりはサルマーンも文句ひとつ垂れなかった。
「開場と同時に自由席を求める亡者たちによってここは戦場のようになるから、覚悟しておいてね」
そんな一行の先頭で、シーザーが慣れた手つきで人込みをかきわけていた。
「特に今日はシーズン最多だ。ボクでもちょっとうまく渡り切れるか不安になってくるよ」
慣れているシーザーでさえ、どうやら今日は特別に盛況であるらしかった。
それでもシーザーが徐々に徐々に劇場入口へと進んでいき、最終的に扉の目の前までたどり着く。
「うーん……、いやぁ、でもここはここで危ないかなぁ……」
シーザーは扉の前までたどり着くと、今度はうなり声を一つあげる。
それから後ろを振り返って、周囲の様子を窺った。
「うわぁ……」
シーザーの視界に、鬼気迫る表情で今か今かと開場を待っている娯楽者たちの顔が映った。
それらを見て、シーザーはうんざりしたように顔をしかめる。
「……しょうがない、ちょっとずるい手段を使おう。――メレア」
「ん?」
するとシーザーは、ミィナを肩車していたメレアの方を向き直り、声をかけた。
メレアはそのすらりとした形からは想像がつかないほどの強靭さで周りの人波からの圧力を跳ねのけているが、しかし表情はどことなく硬い。
おそらく、自分ではなくほかの魔王たちの心配をしているのだろう。
「今日の混雑具合を予想できなかったのはボクの不手際だから、特別にある方法を使う。できれば、ほかの人たちには黙っていてくれると助かるんだけど」
シーザーが額に汗を浮かべながらも、剽軽さを乗せた笑みを浮かべた。片目をつむって、メレアにウィンクをする。
メレアはその言葉と表情からシーザーの胸中を推し量って、
「もちろん、チケットを取ってくれただけでも感謝しているくらいだから、シーザーがそういうならちゃんとそれは守るよ。みんなも分かってると思う」
同じく笑みを浮かべて返した。
「よし、じゃあついてきて」
そういうと、シーザーが再び人込みをかき分けはじめる。
ゆっくりと、転ばぬように足下に細心の注意を払いながら、メレアたちはシーザーについていった。
◆◆◆
シーザーの後をたどっていくと、次第に人の波は穏やかになった。
そしてついに――人の波が完全に止む。
たどりついた場所は、
「本当は役者が使うための裏口なんだけどね」
レーヴ=オペラ座に面する裏側の路地だった。
本来の入口のある幅広の表通りからいくつか細い路地を通過し、入り組んだ迷路のような道を抜けた先。
その薄暗い路地は、とてもではないが華美な歌劇場に面している通路だとは思えない様相でもあった。
「ここ?」
表通りとのあまりの豹変ぶりに、メレアが首をかしげて問う。
「そうだよ。人気のある役者とかだと、表通りで出待ちするファンなんかがいてもみくちゃにされることがあるんだ。だからこうしてあえて人目につかない場所に裏口が作ってある」
そういってシーザーが指差す先には、壁があった。
くすんだ赤い煉瓦造りの壁。
それ以外には何の変哲もない。
「見てて」
しかし、シーザーがおもむろにその煉瓦のひとつを叩くと、鈍くこすれる音と共に、その煉瓦が向こう側へとずれ落ちた。
がこん、と無造作に落下する音が響いたあと、シーザーは煉瓦が抜けた場所に手を突っ込み、なにやら思案気な表情で中をまさぐる。
「――あったあった」
いくばくもしないうちに、シーザーがパァっと表情を明るくさせ、向こう側に突っ込んだ手で何かを引いた。
同時、壁の向こう側から再びガコン、と音がして、
「メレア、押してみなよ」
シーザーが手を引き抜きながら、メレアに壁を押すように促した。
メレアは不思議がりながらもその言葉に従い、煉瓦造りの壁を軽く押す。
すると、
「おお、開いた!」
その壁は、摩擦部分から煉瓦の粉を落としながら、しかしそれなりのなめらかさをともなって、向こう側へと押し込まれた。まるで、扉が開くかのようだった。
そして、ちょうど人が一人通れるか通れないかくらいの隠し扉が、そこに現れた。
「こういうのがほかにもいくつかあってね。いろいろと使い分けているのさ。特にレーヴ=オペラ座は、今でこそ少しさびれているけど、昔にとてつもなく栄えたことがあってね。おかげで少し古いけれど、こういうものがたくさん作られている。当時ここで公演をしていた有名な役者たちのためにね」
「へえー!」
メレアは隠し扉に興味津々で、その目をいつも以上に輝かせていた。
その目の爛々とした輝きを見たほかの魔王たちは、「またいつものか」とそれぞれに苦笑を浮かべたり、微笑を浮かべたりしている。
しかし彼らは彼らで、この隠し扉の仕組みに少なからず驚いているようだった。
「と、いうわけで、今日は特別にこの裏口を使っていいよ。でも、場所がバレるとあとあと面倒だから、一応黙っておいてね?」
と、シーザーが両手を合わせて懇願するように言った。身体の動きに合わせるように、グラデーションのある長い髪が揺れる。
「もちろん。なにからなにまで面倒を見てもらってすまないね」
それに対し、メレアは笑顔で答えた。
「お近づきの印さ。ボクはボクで、メレアたちに会えてうれしいんだよ。キミたちはなんだか、ボクには抱けないいろいろな可能性を持っていそうで、こんなボクにも不思議な楽しさを感じさせてくれる」
「可能性?」
シーザーの遠回しな表現の言葉を聞いて、裏口をくぐろうとしていたメレアは振り向いた。
「アハハ、ちょっと表現が遠回しすぎたかな。まあ、次にもう一度ゆっくりできるときにでも、くわしく話すよ」
しかしシーザーは両手を胸の前で振って、「なんでもないんだ」と自分の言葉をはぐらかした。
メレアはシーザーの様子に首をかしげながらも、シーザーがそれ以上踏み込んで欲しくなさそうであったので、大人しく裏口をくぐることにする。
それからほかの魔王たちも、続々と裏口をくぐっていった。
「――あ、シラディス、気をつけてね。あんまり広くないから、頭をぶつけそうだ」
しばらくしたあとで、中側からメレアの声が響く。
ちょうどそのとき、全身鎧に兜姿のシラディスが裏口をくぐろうとしていたところで、
「あっ……、遅かった、みたい」
ガン、と、鈍くも派手な音がその場に鳴っていた。
シラディスの後ろに立っていたアイズが、目の前で扉の上枠に思いっきり頭突きをかましたシラディスを見て、驚いた表情を浮かべながらメレアに知らせる。
「次からはもっと早く気づけるように努力する……」
「というかお前自分で気づけよ……」
扉の中側から、メレアとサルマーンの声が響いていた。
◆◆◆
全員が裏口をくぐったあと、シーザーがその隠し扉を再び閉めるのを待って、一行は先へ進んだ。
薄暗い通路を歩き、劇場のための小道具が重ね置かれた部屋を過ぎ去り、ついに広々とした場所へ到着する。
劇場だった。
「これが劇場か――」
メレアはその空間へ視線を巡らせる。
広い。
なにより天井が高かった。
派手な幕が垂れ下がった舞台を中心として、扇状に観客席が広がっている。
それは階段状に昇っていき、ある高さまで昇ると今度は上階席へと続く。
そちらは下の客席と比べてどことなく豪奢だ。バルコニーのように高い位置に設置されている上階席は、複数人のためのグループ席のようでもあって、小さな丸い机が置かれていた。
「これはこれで、それのみで芸術品のようでもあると、常々ボクは思っているんだ」
「あながち間違いじゃないと俺も思うよ」
シーザーもメレアと同じようにその光景を見渡していた。
メレアたちが立っている場所は劇場の中段右端で、舞台も上階席もよく見えた。
「ま、今日は上階席は閉まってるんだけどね」
「そうなんだ」
「うん、ちょっと訳あって。――だから、メレアたちの席はこの階段状の席のどこか。今日は全部自由席だから、どこに座ってもいいよ」
今、客席はすべて空席だ。当然、まだ開場していないからだろう。
「でも、最初からこの場にいるとほかの客に不審がられるから、もう少し座るのは待っててね。今に開場して、娯楽に飢えた亡者たちがやってくる。うまくその波にまぎれるように、席を確保してくれたまえ」
シーザーが演技ぶった仕草で両腕を広げながら言った。
「なかなか難易度が高いね?」
「なんのこれしき。この時代の密偵業なんかと比べたらずいぶんマシさ」
「はは、まったくだな」
メレアは笑みを返して、今度は仲間たちに目配せをした。
メレアが視線を向けると、魔王たちはそれぞれにうなずきを返す。
そんな様子を見ながら、シーザーは顔に少し儚げな微笑を浮かべ、
「じゃ、ボクはボクで劇場側としての仕事があるから」
また一礼をしながら言った。
「あっ、そうなのか」
メレアはてっきりシーザーも一緒に観劇するものだと思っていたため、突然の言葉に少し驚く。
しかし、すぐに納得の表情を浮かべて言った。
「――うん、まあ、それならしょうがないな。わかったよ。じゃあ、またあとで」
「うん、またあとで。――それでは皆々さま、ごゆるりと今宵の舞台を楽しんでいってください」
最後にシーザーは敬語でもってメレアたちに言い、口上を締めるようにして流麗な一礼を見せた。
そして、踵を返す。
一歩、二歩と、道化師がメレアたちから遠ざかった。
すると不意に、そんなシーザーの後ろから声が掛かった。
「シーザー! さっきの『可能性』うんぬんの話、ちゃんとあとで聞かせてくれよ!」
それはメレアの声だった。
シーザーはその声を聞き、しかし振り向きはしなかった。
その代わり、片手を肩の上にまであげて、ひらひらと振って見せる。
シーザーはそうやってメレアの声に応えたあと、ついに舞台側の扉の奥へと消えていった。
◆◆◆
「喋りすぎたボクもボクだけど、キミはキミでひどく勘がいいね、メレア。あの金の亡者がキミを慕う理由が少しわかった気がするよ。……もし本当に、『もう一度会うことができれば』、そのときは話そう。――約束だ」
舞台裏の片隅で、振り向けなかった道化師の意味深な言葉がぽつりとこぼれていた。
その言葉は誰に届くでもなく、外から響いてくる観劇者たちの喧騒に――人知れずかき消された。





