第13話ー① フリージアの母は侯爵夫人。カトルは昔、ヴァイオレットと出会っていた?
ヴィオラ様を好きになるよう頑張る。
なんて決意したのはいいけれど、
「……むりぃ、死ぬ、へばぁ」
仕事に忙殺されて死にかけていた。
王都での生活が1ヶ月を過ぎ、都会の忙しなさにも慣れてきた頃、一通の手紙が届く。
『いい加減帰ってきなさい』
文面から伝わってくる母上様の怒り。顔も見ていないというのに、鬼の形相が思い浮かび、顔が青くなった。
そういえば、移住じゃなくて旅行だったね、今回の王都行きは。
帰るや否や、出迎えたのは笑顔の母上様。
ただ、目は笑っておらず、額には青筋がピキピキと浮かんでいた。そして、足元に転がるのは物言わぬ屍――ではなく、白目を向いて虫の息の父上だった。
『随分と楽しい新婚旅行だったのね?
勧めた私も嬉しいわぁ』
語る言葉に感情はなく、寒々しい声が恐ろしい。
『王都土産を期待したいところだけど、うふふ。
私からもお土産があるの。受け取って――積みに積まれた仕事の山を、ね?』
『…………はい』
触らぬ神に触れてしまった僕は、天罰がごとき書類の山に押し潰されていた。物理的に。
執務室で過ごすこと数日。部屋から出られず、監禁生活を送っているが、一行に終わりの見えないデスマーチに力尽きそうだ。
「……ヴィオラ様は今頃どうしてるのでしょうか」
書類を枕にするように突っ伏しながら、王都に置いて来た妻に思いを馳せる。
僕が男爵領に帰ることになった時、当然ヴィオラ様も一緒という話は上がったのだが、
『騎士団の仕事があるのでダメです』
ニッコリ笑ったメイド長に首根っこを捕まれ、泣く泣く残ることになった。
『絶対騎士団長辞めますからー!』
と、引きずられながら残していった言葉が印象的だった。正式に辞めるのはいつになるやら。
ふ、と息が溢れ、口元が緩む。
「もう少し頑張りましょうかねー」
身体を伸ばし、固くなった身体をほぐす。
改めて書類に向き直ると、遠慮がちなノックが室内に響く。「どうぞ」と声をかけると、申し訳無さそうに顔を覗かせたのはヴィオラ様だった。
「お仕事中に申し訳ございません。今、お時間宜しいでしょうか?」
目を丸くする。騎士団の仕事は落ち着いたのかな。
ふと思い立ち、僕は笑みを浮かべる。
「お帰りなさい、ヴィオラ様」
「え、あ……」
そう帰ってくるとは思わなかったのか、声が上ずり、戸惑うヴィオラ様。
視線を泳がせ、どうしたものかとあたふたするが、最後には恥ずかしそうに俯いてぽしょりと呟いた。
「ただいま、帰りました……」
微笑ましい反応に頬を緩めていると、僅かに開いた扉の向こうから、おかしそうに笑う女性の声が聞こえてきた。
「ふふ、相変わらず仲が宜しいのですね」
ヴィオラ様の後に続いて入ってきたのは、以前、王都で迷子になっていた少女フリージアのお母様だ。
「ご機嫌よう、カトル様」
上流階級の夫人らしい、上品な微笑み。
突然の来訪に驚いたのも束の間、今のやり取りを見られていたことに思い至り、顔が熱くなる。間が悪すぎでしょう、僕……。
■■
「――ごふっ!? こ、侯爵夫人!?」
応接室に移動し、告げられた言葉に思わず咽た。
「マシコット侯爵家のダリアと申します」
豊満な胸に手を当て、優雅に微笑む様は典雅だ。
身分の高い方だとは思っていたけど、まさか侯爵夫人とは。前回失礼な態度を取っていなかったか、今更になって不安になる。
落ち着こうと、カップの紅茶を一口飲む。僕と並んでソファーに座るヴィオラ様は居心地悪そうに肩を窄めていた。
「その、先日のお礼も兼ねて一度お会いしたいと仰っておりまして、
私がライラック男爵領に帰るというと、ではご一緒にと……事前にご連絡ができず、申し訳ございません」
「いやぁ……それはまぁ、ぜんぜん」
しょうがないよね。
「急な来訪となってしまったこと、誠に申し訳ございません」
「い、いえ……大丈夫ですのでお気になさらず」
むしろ申し訳なさそうにされたほうが焦る。久方ぶりに胃の軋む音が聞こえてくるようだ。
「王都にて、フリージアを助けていただいたこと、感謝いたします」
「助けたというか、なんといいいますか……は、はい」
誘拐から助けたというのは事実だが、その後は一緒に迷子になっただけなのでなんとも。
「そういえば、フリージア様はご一緒ではないのですね」
「フリージアにもお礼をさせたかったのですが」
困ったように、頬に手を当てる。
「あの子、見知らぬ土地であろうと、目を離すと直ぐどこかに行ってしまうので」
「あぁ」
納得。
そういえば、前回迷子になっていたのも、冒険心に火がついたとかだった。
「助けていただいたお礼をしに来て、こちらでもご迷惑をかけるわけにもいきませんので、
屋敷で留守番をさせております」
お留守番……屋敷を抜け出してなければいいけど。一抹の不安を覚える。
「それで、お礼の品として我が領で採掘される宝石を贈ろうかと」
「ほ、宝石……」
顔が引きつる。どうしてこう、ヴィオラ様を始めとする上級貴族たちは、贈り物を受け取るハードルが高いんだ。
受け取るに受け取れない。
「そう思っていたのですが、ヴァイオレット様に止められてしまいました」
「はい。旦那様はあまり高価な物を受け取っていただけないので……」
ヴィオラ様……!
思いがけない助け舟に歓喜する。平民の金銭感覚への理解が伺える。
「受け取っていただきたいのですが」
「困りますねぇ」
揃って残念そうな表情を浮かべる公爵令嬢と侯爵夫人。貰ったら貰ったで僕が困るんですよね。
「なので、どのようなモノであれば受け取っていただけるのか、直接伺うため足を運ばせていただきました」
「行動的ですね……」
喜々として語るダリア様に、僕は苦笑い。
そんな理由でわざわざ田舎の男爵領に足を運ぶって、変わり者というかなんというか。冒険好きなフリージアとの血の繋がりを感じる。
「お礼の品、ですか」
といってもなぁ。正直困ってしまう。
お礼を頂くためにやったわけでもないし、大したことをしたつもりもない。
それだけで物を貰うのは抵抗がある。だからといって、なにもいりませんって帰すのも申し訳ないし……。
表情には出さないよう努めながら、頭を悩ませる。
あ。と、思いつく。もらいたいものを。
「よろしかったらなのですが、ヴィオラ様のお話をお訊かせ願えませんか?」
「だ、旦那様!?」
なにやら隣で驚きの声が上がったが、気にしないことにする。
「ヴァイオレット様のお話……ですか?」
「はい。その……」
説明するのは少し照れくさい。指先で頬をかき、視線を床に落とす。
「ヴィオラ様と結婚はしましたが、恥ずかしながら彼女のことをあまり知らなくって。
ダリア様は以前からヴィオラ様と知己のご様子。
少しでもヴィオラ様のことを知れれば……と」
「旦那様……」
戸惑いとは違う、熱い視線を頬に感じる。そのせいか、僕の頬まで熱くなったように感じる。
ある意味、丁度良かったのかもしれない。
好きになりたいなんて言ったものの、どうすればいいのか考えてもいなかった。忙殺されて後回し。キッカケと思えばダリア様の来訪は願ってもない幸運だった。
ダリア様が頬を緩める。
「ふふ。本当に、夫婦仲が良くて羨ましいわ」
「いやぁ、はは……」
乾いた笑いが溢れる。好きになるため、なんて理由は聞かせられないな。
「ヴァイオレット様のお話、ですか」
唇に指を添え、悩む素振りを見せるダリア様。
困らせちゃったかな? 不安に思っていると、彼女の瞳がちらりとヴィオラ様へと向く。
「一年前のお話、されていますか?」
「ダリア様……!」
ヴィオラ様が慌てたように立ち上がる。
その反応を見たダリア様が苦笑する。
「やはり、お伝えはしていないのですね」
なんの話だろう。
二人のやり取りに首を傾げていると、ヴィオラ様がおろおろと僕を見たりダリア様を見たり忙しなくなる。
「その件については後日機会を伺い私からお伝えしますので……!」
「機会と仰るけれど、王都でお会いした時も良いタイミングだったのではありませんか?」
「うっ……」
のほほんとした指摘に、ヴィオラ様が呻く。
なにやらやり込められているのは珍しい。ヴィオラ様にこんな表情をさせるのは、後はコリウス様ぐらいだろう。
困り果てて固まってしまったヴィオラ様を見て、ダリア様は満足そうに頷く。
「ヴァイオレット様の許可も降りましたので、お話しさせていただきますね」
許可とはいったい……。
指摘したくもあったが、ヴィオラ様が過度に反応するお話しというのも気になる。
一年前でダリア様関係というと、フリージア様との迷子の話か。
……なんかやぶ蛇になりそう。
「カトル様がヴァイオレット様と初めてお会いしたのはいつ頃でしょうか?」
「へ?」
突然の質問に変な声が出る。
なんの関係があるのか。不思議に思いながらも考える。
ヴィオラ様と出会ったのは…………
「数ヶ月前、婚姻の話が上がった頃ですね」
今思い出しても、あの状況は不思議でならない。勢いというか、なんというか……なんだったんだろうなぁ。
隣で顔を覆って俯いているヴィオラ様。思い出して恥ずかしくなってるのかもしれない。
僕たちの反応がおかしかったのか、ダリア様に「ふふ」と笑われてしまう。
「ごめんなさい」
口元を押さえ、穏やかに微笑むとダリア様が言う。
「……昔、フリージアが迷子になっていた時、あなた達も会っているんですよ」
「会って、る?」
僕と、ヴィオラ様が?
いやいやまさか。1年以上前のこととはいえ、ヴィオラ様と会っていたら忘れるはずがない。
同意を求めるようにヴィオラ様を見ると、潤んだ紫色の瞳が僕を出迎えた。
戸惑うような、期待するような、そんな色。え、嘘……。
「会ってるんですか……?」
「……」
躊躇うようにしながらも、ヴィオラ様はゆっくりと、確かに頷いた。
そんな、まさか。だって……えぇ?
僕の頭の中は混乱状態だ。そんなに記憶力なかったっけ?
だって、あの時居たのはフリージア様と、ダリア様、そして全身鎧の騎士様……と、そこまで思い至り、ようやく悟る。
「あ、あの時の赤い鎧の騎士って……」
「……は、い。私、です」
頬を赤らめ、諦めたように肩を落とす。
マジかぁ……。






