第67話「彼の知らない裏取引」
「……!? すごい怪我してるじゃない! 何があったの?」
ハカセが怪我した状態で遅刻して登校した、という噂を耳にした瞬間、私は全力で彼のところに飛んでいった。
右腕に包帯を巻いたハカセは、私が事情を問いただすと視線を逸らしてそっけなく呟く。
「転んだ」
「そんなわけないでしょ」
どんな転び方をしたらそうなるというのか。本当にそれでごまかせると思っているのは微笑ましいが、トラブルに巻き込まれたというなら見過ごせない。
「その怪我は何? 病院行ったのよね? どんな怪我なの」
「転んでぶつけて腕の腱が麻痺してるだけだよ」
「ふーん、そう。それで何があったの? いじめられたの? 何かあったのなら正直に言いなさい」
「本当に何もないよ。ぼーっと歩いてたら転んだ」
「どこで? 何にぶつけたの? いつ怪我したの?」
「えっと……」
嘘が苦手なハカセは、しどろもどろで視線をさまよわせている。
対人経験が少ないハカセの嘘を見破るなんて、私にとっては簡単なことだ。
だけどとても頑固だから、黙秘を決め込んだら絶対に口を割らない。
じゃあいいわ。加害者本人に聞きましょう。
私はハカセの隣で震えている金髪の不良に目を向ける。私の視線を感じた瞬間、大柄な不良がビクッと肩を震わせた。
こいつは見覚えがある。去年クラスが同じだった……確か新谷だったか。
佐々木をグループから追放したときに、私の殺意を受けて震えていた男だ。数日前にハカセのスマホに声を吹き込んだときも、やけにハカセに絡んできたっけ。
間違いなくこいつが犯人だ。
「ちょっと来なさい、話を聞かせてもらうわ」
「は、はい……」
新谷は神妙な顔で立ち上がり、しおしおと私の後をついてきた。
たとえ不良であろうが、私の声の支配下にあるのなら怖くもなんともない。
……にしてもやけに素直ね。そんなに私が怖いのかしら?
階段の裏にある人目につかないスペースに新谷を連れて来ると、私は腕組みして彼を見上げた。
「あなたがやったのよね?」
「……それは……」
「やったのよね?」
「……言えない。男の約束だ」
新谷は私の質問を受けて、口を濁した。
ハカセを傷付けておいて、責任逃れをしようというのか。
彼に怪我をさせたうえに、自分をかばわせて口封じとは、なんて卑劣な……何が男の約束だ。
ハカセが素直なのに付け込んで……! 私は頭に血が昇るのを感じた。
「『正直に言いなさい』。あなたがやったのよね?」
私が『声の力』で命じると、新谷はびくんと体を震わせた。
「お、俺がやりました……。ありすサンと仲が良いハカセにムカついて、何度も殴ったり蹴ったりの暴行を加えました……」
「ふん」
くだらない嫉妬でよくもハカセに酷いことをしたわね。
さあ、どうしてやろう。二度とハカセの前に顔を出せないようにするのは当然として、よっぽど酷い目に遭わせてやらないと私の気が済まない。
あれこれと冷酷な処刑法を考えていると、新谷はその場にしゃがみこんで頭を抱えた。
「お……俺はなんてことを! ハカセは許すって言ってくれたけど、やっぱりダメだ。俺は最低の人間だ……!! 今すぐ自首して、罪を償わないと……!!」
「あ、あら?」
私はぽかんとして新谷を見つめた。
彼はガンガンと階段に頭をぶつけ、オイオイと男泣きに泣き始めたのだ。
「ちょっと……そんな演技をしても騙されないわよ」
「演技じゃねえ……! 俺は本当に今までの自分を悔いてるんだ。叶うなら全部やり直してえ……! 曲がっちまう前の俺に戻って、警察官になる夢をもう一度目指してえんだ……!! ハカセが思い出させてくれた、ガキの頃の俺に……!!」
「ハカセが……? 詳しく話しなさい」
そして新谷は涙ながらに今朝起こったすべてのことを話した。
ハカセに嫉妬して襲い掛かったこと、いくら殴られてもハカセは説得を諦めなかったこと、私に危害が加えられると聞いたハカセにノックアウトされたこと。
そしてハカセの説得で、警察官になるという子供の頃の夢を思い出し、これまでの悪事を死ぬほど後悔していること。ハカセへの暴行を警察に自首したいと口にしたら、ハカセがすべて許すと言ってくれたこと。
なるほど。
「嘘つけ」
「!? ホントだぞ!?」
私の冷静なツッコミに、新谷は心外だと言わんばかりに目を剥いた。
「ハカセがそんなこと言うわけないでしょ」
あのハカセだよ? 他人を説得するなんて発想がまずあるのか疑わしい。
私に危害が加えられそうになったら逆襲したというのは……まああるかもしれないけど。それにしたって全体的に私の知ってるハカセの人物像からかけ離れている。
しかし新谷は私の言葉を必死に否定しようとする。
「ホントだ! 誓って嘘なんかついてねえ! 俺とハカセは小学校の頃からの親友なんだ! 俺たちの友情に誓って、全部本当なんだって!!」
「はあ?」
こいつ、何を言ってるんだろう。
私たちの小学校にこいつはいなかったはず。ましてや小学生の頃のハカセに友達がいたなんてありえない。間違いなく嘘だ。
だが……。私は新谷に正直に言え、と命令した。
つまり今、こいつは嘘はつけない状態にある。……ならばどういうことか。
少なくともこいつの中では、それが本当のことだと信じているということ。
……頭がおかしいんだろうか? 自分で作った妄想を信じ込んでいる?
私はじっと新谷の目を見つめた。
……いや、狂人の目ではない。小学校の頃に何度か私を娘だと思い込んだ変態とかに迫られたことがあるが、そういう連中特有の熱に浮かされたような危険な目つきをしていない。
ちなみにそいつらは私が去れと命令したり、ハカセが追い払ってくれたりしたので私は今も無事だ。
「……ハカセがあなたを友達だと言ったの?」
「ああ、もちろんだ! あんだけ一方的に殴った俺を、まだ友達だと……親友だと言ってくれた。あいつこそ真の男だ……! 本当のことを言うと、ありすサンに謝りたいと言った俺に、絶対に言うなとあいつが口止めしたんだ」
これはどういうことだろう。
こいつの一方的な思い込みではなく、ハカセがこいつを友達扱いしている?
つい先日まで赤の他人だったはずなのに?
まったくわけがわからない。
まるで唐突にハカセと新谷が親友でいる世界に迷い込んでしまったかのようで、軽くめまいがした。
だけどそんなわけはない。私は正常で、新谷がおかしいはずなのだ。
おそらくだけど……ハカセが新谷に何かをした? だけど何を?
ハカセに過去を書き換えるようなことなどできるはずがない。
それじゃまるで私たち魔女の力みたいじゃない。
だけどハカセが魔女の一族なんてことあるわけないし、そもそも彼は男の子だ。もう声変わりしてしまったし、もしも彼が『声の力』を持っていればさすがに私が気付いているはず。みづきちゃんや瑠々香さんだって普通の人間だ。
それなら他に過去を書き換えるような、私が知らない力が存在しているの?
でもそれがハカセと新谷を友達だと認識させている理由がわからない。
そんなことができる者がいるとして、目的は何?
混乱する私をよそに、新谷はまだ何やら話し続けている。
ああ、うるさいな。私は今考えごとしてるのがわからないのかな。
ハカセと友達、ねえ。
……排除しちゃおうかな、とちらりと考える。
ハカセに友達なんて必要あるのかな。だって私がそばにいるんだもの。
これまでずっと私とハカセの二人っきりの世界でいられたのに。
そこに赤の他人が入ってくるなんて、邪魔だよね?
私の感情的な部分が直感的にこいつを邪魔な侵入者とみなし、それを宥めようと理性の部分が説得を考えようとしたところで……新谷がひと際大きな声で言った。
「男の約束を破っちまって、ハカセにはすまないと思ってる。だけど、やっぱりありすサンには謝っておきたいんだ。申し訳ない! あなたをいやらしい目で見てしまって、恋人を怪我させたこと……本当に詫びのしようもねえ!」
そう言って、新谷は深々と頭を下げた。
ここまで潔く詫びを入れられたことなんて初めてで、物騒な考えに囚われていた私は、驚きのあまりにハッと目が覚めた。
「あ、うん……。って、恋人って言った? それってハカセのこと?」
不意にハカセと恋人扱いされて、私はついそわそわした。
そんな私を見て、新谷は首を傾げる。
「ええ。……あの、付き合ってるんスよね? ハカセは付き合ってないなんて言ってましたけど……」
「え、えーっと……」
どう言おうか。
私はもちろんハカセのことが大好きだし、ハカセだって私のことが好きに決まってるんだけど、でも明確に恋人だよねって確認したことはないし。
まだデートもキスもしたことないし……彼の家にお泊りはしたことあるけど、それは小学校の頃だし、幼馴染だから当たり前だし。
というか私の好きの度合いと彼の好きの度合いが釣り合ってないと、それって付き合ってるとは言わないような気がするし。
でも付き合ってないってきっぱり言っちゃうのは嫌だし。これからそうなれたらいいなーって思うわけで、その可能性を私が否定するのはなんだか違うなーって。
そんなふうに答えに迷っていると、新谷はなるほどと頷いた。
「わかりました、これから付き合いたいんですよね? なら任せてください! 俺がハカセとありすサンがくっつく手伝いをします!」
そう言ってドンと胸を叩く彼に、私は目を丸くした。
「えっ……? 私まだ何も言ってない……」
「見ればわかりますって。ハカセは俺のダチです、あいつを幸せにしてやらなきゃならねえ! その相手がありすサンならなおのこと……! これが罪滅ぼしになるなら、全力を尽くすってもんです!」
うーん。
何やら突然そんなことを言われても、信用できないのよね。そもそもこいつをハカセのそばから排除するかどうかを考えていたところだし。
大体他人の恋の応援なんて、こんな不良にできるの?
非常に疑わしいが、念のために訊いてみる。
「全力を尽くす、ねえ。何ができるのよあなたに?」
「とりあえず夏休みに2人でどっか一緒に行くのはどうです? クラスのダチがいろいろアウトドアのイベントを考えてるんスよ。そこにハカセを連れ出します!」
「!?」
犬ならピンッと耳を跳ね上げるように、私は興味深い提案に耳を澄ませた。
ハカセと夏のイベントができる……!?
私の反応を見て、新谷は言葉を続ける。
「キャンプにバーベキュー、山登り、潮干狩りとイベント盛りだくさんッスよ。連れ出しちゃえばこっちのもの、2人きりで仲良く遊べばいい。俺は邪魔しませんから、思う存分イチャイチャしてください」
ゆ、有能……!
昨年の夏、浴衣の写真を撮ってハカセに送ったことを思い出す。
とびっきり可愛くて気に入った浴衣を見つけて、思わずハカセに自撮り写真を送ってしまったのだ。
あれを着てクラスの女子たちと夏祭りに行ったけど、本当はハカセと一緒に行きたかった。こんな可愛い浴衣買ったんだよ、私を夏祭りに誘うなら今がチャンスだよ? ってアプローチのつもりだった。
だけどハカセは誘ってくれなかったし、弱虫な私ははっきりと一緒に行こうと言うことができなかったのだ。強気に挑発する演技はできるくせに、本当に言いたいことは言えない。プライドばかりが無駄に高くて、なんて臆病なんだろう。
私は内心しょんぼりした気分で、夏祭りを行きたくもない女子たちと回った。苦く悲しい記憶だった。
だけど新谷が提案するプランなら、私は変なプライドとか抜きで心置きなくハカセと夏の思い出を作ることができる。
「本当にあなたにそんなことできるの?」
「大丈夫ッス、割と顔は広いんで。俺が言えば、嫌だなんて言わせませんよ」
頭の中でパチパチと打算のそろばんが弾かれ、GOサインが出た。
ハカセと彼の関係にはいろいろ疑問があるが、それは今考えても仕方ない。それよりも彼がハカセをそばに置いておくメリットの方が格段に大きい!
え、彼を排除する? なんで? 彼はとても役に立つ良い子だわ。
それにハカセにも友達というものが必要なのかもしれない。維持できるかどうかはともかくとして、人と話す経験があって悪いことはないだろう。
私は新谷君にグッと親指を立てた。
「わかったわ。新谷君、これからもハカセの友達として仲良くしてあげてね!」
「あざーーっす!!」
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