第58話「世界の支配者」
「さあ、他に訊きたいことはあるかしら。なければそろそろ返事を聞かせてもらいたいわね」
公安の女は交渉とすら呼べないような提案を一方的に並べ立てた挙句に、話をまとめ始めた。
正直なところ、ありすの人権を無視した侮辱に僕の内心は相当怒りで煮えたぎっている。今すぐぶん殴ってその口を黙らせてやりたいが、この女の言葉が正しければスナイパーが僕を狙っている。そしてそれは多分本当だ。
僕がわずかでも怪しい動きを見せれば、遠距離からの銃撃を撃ち込むつもりだろう。
体内時計で時間を確認しながら、僕は唇を舌で湿らせた。
今はまだ話を続ける必要がある。
何か適当な話題を振らなければ……ええい、こういうとき陰キャの貧相なボキャブラリーが恨めしい。
頭を必死にひねって、何とか疑問をひねり出す。
「ひとつ聞かせてほしいんだけど、僕を狙ってるっていうスナイパーの弾って実弾? それとも麻酔弾?」
「……どういう意図の質問かしら?」
どういう意図も何も、単に適当なことを口走ってるだけだよ。
眉をひそめる女に、必死に脳みそを回して質問の意味を後付けしていく。
「いや、本当に僕を殺すつもりなのかなと思って。僕が死んだらアプリの内容はおじゃんになるわけだけど」
「自分の命を人質にでも取るつもり? 可愛いわね、それで交渉材料になるとでも思ってるのかしら」
公安の女はクスッと笑い、芝居がかった仕草で首をゆっくりと横に振った。
「アプリの現物さえあればいくらでもリバースエンジニアリングは可能よ。高校生の作ったアプリ程度、プロのエンジニアにかかれば簡単に解析できる。貴方の身柄を押さえようとしているのは、アプリをネットに放流させたり、分不相応な復讐を企むようなバカな真似をさせないために過ぎないわ」
「へえ、そうなんだ。じゃあ僕自身は別に必要じゃないってわけだ」
「もちろん貴方の才能は高く買ってはいるわよ? でも、それは貴方が私たちに素直に協力すればの話。従わないのなら命の保証をしてあげる必要はない……」
「それなら僕をすぐに殺してしまって、アプリを奪わない理由は?」
「私たちはこの日本の秩序を守る者。たとえ相手が凶悪な犯罪者であっても、無抵抗な子供を殺さない程度の情けはあるということよ」
そう言って公安の女は両手を広げ、不敵な笑みを浮かべた。
「貴方が素直に協力することを期待したいところね。いかに貴方が歳不相応の狡猾な頭脳を持っていたとしても、簡単に洗脳が可能なアプリを開発したとしても……貴方はもう“詰み”。私たちの勝ちなのよ」
「……あ、そうなんだ」
こんな状況だが、僕は素直に感心した。
それは大したものだ。やっぱ国の機関というのは違うなあ。
もちろん僕が感心したのは、彼女たちが勝ったということにではなく、僕のアプリを解析できるということに対してである。
「さすが国の機関だけあって、優秀なエンジニアを抱えてるんだね。いやぁ、師匠が僕が書くコードはクセが強すぎて勝手にブラックボックスになっちゃってるって言うから、渡したところでちゃんと解析できるのか不安に思ってたんだ」
「えっ?」
「師匠の会社じゃ、師匠も含めて誰もコードを理解できないんだって。でもまあ、国の機関に勤めるような優秀なエンジニアでも解析できないなんてことあるわけないよね。さすがは国の機関だけあって優秀な人材を揃えてるんだなあ。確かにどんな人たちなのか興味が湧いてきたし、機会が許せば会ってみたいかも」
「ま、待ちなさい!」
彼女は慌てたように僕の言葉を遮ってきた。
「この期に及んで下手なハッタリを! 桜ヶ丘英悟はまだ若手とはいえ、業界でも指折りと噂される一流のエンジニア……。そんな人材でも解析できないなんてことあるわけが……!」
「別のアプリ見せたときに、できないって言ってたよ? 『ワンだふるわーるど』って言うんだけどね。解析できるんならアプリの権利だけ売り渡してもよかったんだけど、できなかったから僕が翻訳サーバーやマニュアルまで作る羽目になったんだ。まあ、競合他社も全然解析できなくてデッドコピーしか出せなかったっていうから、それも良し悪しなのかな」
「……!!」
彼女はぱくぱくと口を開いて、何か言葉を探しているようだった。
なんか動揺してるのかな?
何を考えてるのか知らないけど、銃を突き付けて身動きを封じた高校生相手に今更何を慌てる必要があるんだろう。
「ところで手が疲れたからそろそろ下ろしていい?」
「絶対下ろすな! ……聞こえてる? 今から弾を麻酔弾にできる? ……無理? じゃあ何かあっても威嚇に留めて……」
彼女は僕を放置して、何やら耳を押さえてぼそぼそと呟いている。インカムで誰かと会話してるんだろうか。
うーん、もう30分近く挙げっぱなしなんだけどなあ。そろそろ下げたい。
……あ、そうか。もう30分近く経つのか。
僕は体内時計で時間を確認して、ほっと一息ついた。
それならもう話を引き延ばす必要もない。
時は満ちた。
「お話し中悪いけど、そろそろ話をまとめようか」
「ちょっと待ってなさい!」
「嫌だよ。もう茶番は終わりだ」
僕がそう言って笑うと、公安の女はギリッと歯ぎしりしながら、腰のホルスターから拳銃を抜いて突き付けてきた。
「ガキが撃たれないと思って調子に乗って……! 言っておくけど、下手な動きをしたら本当に撃つわよ!」
「ふうん」
「……それで? 私たちに協力するつもりになったのよね?」
「協力? するわけないでしょ。日本が国民や外国を洗脳して世界征服なんて笑えないよ。そんなのみんな不幸になるだけじゃん」
「愛国心というものがないの!?」
僕の言葉に、彼女はカッと目を見開いて叫んだ。
「今この日本がどれだけ苦境に立たされているのかわからないの!? GDP成長率は落ち込み、かつて経済大国と呼ばれたのも今は昔! 少子高齢化は進み、産業は衰退し、破綻への道を歩み続けている! だけどそれが……催眠アプリがあれば、すべてを変えられる! 日本国民みんなが豊かになり、日本が世界のリーダーとして君臨できる時代が来るのよ! 日本人ならばそれを願ってしかるべきでしょう!?」
「催眠アプリで少子高齢化解消? 国民みんなを洗脳して、無理やり結婚させて子供でも産ませるわけ? そういうのディストピアって言うんだけど」
「国が豊かになるためなら、結婚に自由意思なんていらないでしょうが! 昔だって結婚に自由なんてなかった、少し昔に戻るだけよ!」
ありすが誰か知らない男と無理やり結婚させられる姿が一瞬脳裏に浮かび、僕は猛烈に胸がムカムカした。
こいつの偏った思想には、ただの一片も同意する余地はない。
「バカバカしい。一部の人間が好きなように振る舞いたいだけだろ。そんなくだらない欲望を日本のためだなんて、よく言えるね」
「違うわ! 催眠アプリを持つ人間がゆるぎない理性を持ち、国益のために正しくその力を使うことで日本は世界中のどこよりも素晴らしい理想の国になれるのよ!!」
「日本の権力者に、そんなバランス感覚があるとは思えないけど?」
「できないなら、そのアプリで作ればいいの! 清く公正で正義感を持ち、無謬にして無私の理想の権力者を!! 催眠アプリがあれば、永遠に繁栄を続ける理想の日本が実現されるのよ!!」
……つまりそれは人間ではなくなるという意味だと、彼女は気付いているのだろうか?
日本どころか世界中のどんな人間だって、欲望を完全に律することなんてできるわけがない。人間性は欲望と密接に結びつくものだから。
僕がこのアプリを作ろうとしたのも、彼女が永遠に繁栄する日本とやらを求めることも、欲望という原動力があってのことだ。
それを持たない者が理想の権力者としてふさわしいというのなら、それはもう人間ではない。
僕は血走った目で銃口を向けてくる目の前の彼女が、自分の理想に振り回された哀れな人間に思えてきた。
「……誰にやらせるつもりなんだ、その権力者とやらを。そんなの欲望も人間性も剥奪された哀れな生贄じゃないか」
「誰もやらないのなら、私がやるわ!」
彼女は興奮で上ずった声をあげながら、拳銃を握る手を震わせた。
「私が自分に催眠をかけて、理想の権力者になる!! 日本を正しく、あるべき方向に導いてみせる! 欲望を持たず、完全に公正で、理性によってのみ判断する最高の権力者に!! 政界のすべてを、国民の意思の総てを体現する、国体の器となるのよ!! さあ、そのアプリを渡しなさい!! あるべき日本のために身を尽くす、私こそがその所有者に相応しいのよ!!」
間違いなくこれだけは言える。
彼女こそが、絶対に催眠アプリを手にしてはいけない人間だ。
彼女の手に渡ったが最後、世界中のすべての人間は意思を奪われ、ただ日本に富を集中させるだけの人形に成り果てる。日本は確かに豊かにはなるだろうが、そこに暮らす者はもう人間とは呼べない。ただ資源が豊富に集められただけの、人形しかいない伽藍堂ができるだけだ。
恐らく彼女の寿命が尽きるまで、その地獄は続く。
EGOさんが決して催眠アプリを国に渡してはいけないと言っていた理由が、僕にもようやく理解できた。こんな危険思想を持つ人間の手に渡れば、容易く世界を滅茶苦茶にできてしまう。そして恐らく世界を自分の思うままにしたいと思う人間は彼女だけではない。この女に催眠アプリを強奪するように命令した権力者も、きっとその手の人間なのだろう。
ありすや友達、家族がいる世界を、そんな奴らの好きにさせるわけにはいかない。絶対に。
僕はため息を吐くと、ポケットに手をやった。
その瞬間、パァンと乾いた音と共に足元近くが爆ぜた。威嚇で撃たれたようだ。
だが怯える必要はない。もう腹を括った以上、恐怖などまるで感じなかった。
彼女に僕を殺せるわけがないからだ。
「勝手に動くなと言ったでしょう!!」
「……アプリが欲しいんだろう? それとも現物はいらないか?」
興奮しきって気が立った彼女を落ち着かせるために、あえてゆっくりと落ち着いた口調で語りかける。
僕の言葉に合理性を認めたようで、彼女は銃を握ってない側の手を自分に向かってくいっと傾けた。
「スマホを投げ渡しなさい。余計な真似はするんじゃないわよ。隙を突いて私にスマホ画面を見せようなんて思ったら、即座に狙撃されると思いなさい」
「はいはい、わかったよ」
「言っておくけど、私がスマホを受け取ったら時間差で催眠アプリが起動する……なんて小細工はしないことね。何のために私の他に狙撃班を用意したのか考えなさい」
よほど用心しているようだ。
対策はバッチリしてきた、というわけか。
喋っているうちに自分の優位を思い出したのか、彼女は余裕の笑みを浮かべた。
「もっとも……もしどうにかして私に催眠をかけて操れたとしても、貴方は絶対に逃げられない。狙撃班は容赦なく貴方を狙うし、それがなくたって貴方の存在はここにいない同僚全員が知っている。私に何かあれば、他の者が貴方を拘束しようとこぞって動き出すわ。顔も知らない相手全員に催眠をかけることなんてできるかしら?」
ククッと彼女は喉を鳴らし、勝ち誇る。
「貴方は『日本』というこの国で最大の組織を敵に回した。のこのこと姿を現した時点で、私たちの勝ちなのよ!」
「…………」
僕は無言でスマホを取り出すと、彼女に向かってぽいっと投げた。
玉入れのときに身に付けたコントロールどおり、彼女の手元へと放物線を描いて飛んでいく。
彼女はそれを空いた手で器用に受け取り、スマホ画面にちらりと目を走らせる。そして堪えきれないといったように満面の笑みを浮かべた。
「やった……!! これで日本は救われた!! 今日から未来永劫に続く、繁栄の歴史が始まるのよッッッ!!」
「そうか。おめでとう」
「フフフッッ……!! なんだかんだ口にはしていましたが、素直に協力する気になったこと、褒めてあげましょう。約束通り、貴方にはしかるべき地位と恵まれた環境、それと逆らうことのない恋人を……」
「あと3分だよ」
20時27分になったので、教えてやった。
怪訝そうに僕を見る彼女に告げる。
「あなたが言う繁栄の歴史とやらの残り時間だ」
「何を言って……」
「まあ聞いてよ。あなたたち全員に催眠をかけました。今更あがいても、もう手遅れです」
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