第56話「VS国家権力」
本日2話投稿……!1話目です!
「ありす……」
自室の椅子に腰かけて、僕はぼんやりと呟いた。
あれからどうやって帰って来たのか覚えていない。気が付いたら自宅に戻ってきていた。
帰ってきたときにくらげちゃんやお母さんに話しかけられたような気もするけど、今はそんなことを考える余裕もなかった。
とにかくありすと話がしたい。
僕はスマホのホーム画面ををじっと見つめ、SNSアプリを起動しようとした。しかしその指が、凍り付いたように動かない。
今の僕には何を言えばいいのかわからなかった。
ごめん、か? 誤解だ、か?
だが何を謝ればいいのだ。
僕に非があることは間違いない。ありすは何ひとつ悪くない。
しかしどうすれば僕の悪いところを改善できるのかがわからない。
「泣かせちゃったな……」
去り際の涙を思い浮かべて、僕は胸が締め付けられる思いがした。
こんなはずじゃなかった。
ありすを悲しませるようなこと、絶対にしたくなかった。
僕はただ、ありすに笑っていてほしいだけだったのに。
無理やり土下座させようとしておいて今更何を言ってるんだ、と自分の中の冷静な部分がなじってくるが、あくまでもそれはじゃれあいの範囲の話だ。
もし仮にそうなってもありすなら許してくれるだろうという予感があったから、到底実現不可能な目標として立てられた。
本当にありすを傷付けるつもりなんてこれっぽっちもなかった。
「僕は大馬鹿野郎だ」
頭を抱え、呻くようにひとりごちる。
この出来損ないめ。人間の真似をするロボットめ。
ありすに手を引かれて、ミスターMやEGOさんに指導を受けて、にゃる君やささささんとはしゃいで、少しはマシになれたと思っていた。
ようやく人間に近付けたとうぬぼれていた。
笑わせる。ただ単に、人間の真似をするのが上手くなっただけじゃないか。
結局僕は人間にはなれなかった。
人間に興味を持てないモノが、人間になれるわけなかったのだ。
いっそこのまま死んでしまいたかった。
ありすを悲しませるような存在になってしまった自分が呪わしい。
だが、自殺なんてできない。
そんなことをすれば……ありすはもっと悲しむだろう。
「最低だ」
この期に及んで、僕はありすが悲しんでくれるだろうなんて思っている。
どこまでありすに甘えれば気が済むんだ。
ありすの期待に応えることもできないくせに、ありすの好意だけはほしいと思っている。好意を返す方法も知らないくせに、与えられるものは欲しいとは、何という恥知らずだろう。
だけど。それでも。
「ありすの声が聴きたい」
ありすと会話がしたい。笑い声を聴かせてほしい。たわいない話題でも彼女の意見を訊きたい。彼女の好きなものをもっと知りたい。僕のつまらない話に呆れてほしい。懐かしい思い出を語りたい。しりとりをしたり、素数を数えたり、円周率を暗唱して遊びたい。どんなちっぽけなことでもいいから、語り合いたい。
これまでありすとしたあらゆる会話を、もう一度したい。
ありすの声を聴きたいと、心が焦がれている。
……結局僕にありすの声の力への耐性なんてあったんだろうか?
何のことはない。僕はとうの昔にありすの声の中毒になっていて、今更何か暗示を埋め込まれる余地もないほど彼女に夢中になっているだけなのかもしれない。
やっぱりありすに電話しよう。
何を言えばいいのかわからないけど……。
とにかく、ありすと話をしないといけない。
じゃなきゃ、何も始まらないじゃないか。
そう思いながら僕が通話ボタンを押そうとしたとき、スマホが着信音と共にブルブルと震え始めた。
一瞬ありすから電話してくれたのかと思ってドキドキしたが、知らない番号だ。……間違い電話か? ワン切り詐欺か?
僕はじっと着信画面を見つめたが、着信音は早く取れと言わんばかりに鳴り続けるばかりで、一向に途切れる様子はない。
……僕は諦めて通話ボタンを押し、スマホを耳にあてた。
「はい、もしもし」
『ようやく出ていただけましたか。葉加瀬博士くんの携帯で間違いありませんね?』
「そうですけど、どなたですか」
僕は人の顔を覚えるのが苦手なのと同様に、人の声を覚えるのも苦手だ。
だが、僕の狭い人付き合いの中で、こういうセリフ回しをする人間はいない。間違いなく僕の知らない人間だ。
まだ若く、しかし社会人としての経験がある女性の声だな、と思う。
『催眠アプリを知る者……とでも名乗っておきましょうか』
「…………」
『何を言われているか、心当たりがあるようですね』
僕の沈黙に、通話相手は満足そうな響きをにじませた。
「いえ、何の話をしているのかさっぱりです。いたずら電話なら切ります」
『おっと、それはやめておいた方がいいですね。貴方のためになりませんよ。貴方にとってとてもいい話があるんです、ちょっとお話しませんか?』
「お断りします。自分の素性も名乗らない人と話すことは何もありません」
僕がきっぱり否定すると、通話相手はふぅんと鼻を鳴らした。
『困りましたね。じゃあちょっと私と話をしたくなるようにしましょうか。催眠アプリほど万能じゃなくても、私も相手に話を聞いてもらう魔法を知ってるんですよ』
「魔法?」
『天幡ありす、新谷流、佐々木沙希……』
唐突に通話相手はありすたちの名前を挙げ始めた。
こいつ……。
僕が黙っていると、通話相手はクスクスと笑い声をあげた。
『素敵なお友達がいるようですね。いやぁ、青春っていいですねぇ。クリスマスのデート、楽しかったですか?』
今日一日、ずっと僕を見ていたぞということか。
しかもありすたちの素性もすっかり調べ上げられている。
「僕の友達に何をする気だ?」
『ふふ、名前を読み上げただけじゃないですか。何もしませんとも。貴方が交渉に応じてくれるのでしたらね』
「脅迫か」
『いいえ、私は別に貴方やお友達に危害を加えようなどというつもりは一切ありません。少なくとも今はね。貴方にとって素晴らしい待遇をご用意しているのも本当です。私たちは良いパートナーになれますよ』
彼女はとても友好的な口調で、まるで信用できないことを言った。
どうするか……。いや、答えは既に決まり切っている。
「わかった。交渉に応じる」
『ありがとうございます、その言葉をお待ちしていましたよ。それでは今から15分後に、貴方の家の近くの公園に来ていただけますか。ええと、名前は……』
彼女が指定してきたのは、かつてありすがストーカーに襲われた公園だった。そして、僕とありすにとって大切な出会いがあった場所でもある。
どうやらあの公園は僕たちにとってよくよく縁がある場所のようだ。
「15分は短いな。1時間後にしてくれ」
『えっ。いや、今すぐ出てきてください』
「こちらにも支度がある」
『わがままを言える立場だと思っているんですか?』
苛立った口調になった相手に、僕は強気で言い返す。
「フラれてたのを見てたんじゃないの? こっちは傷心中なんだ、シャワーを浴びて涙の跡を消す時間くらい用意してくれ」
『あ……すみません……』
折れた。1時間後でいいという返答を残して、いったん電話が切れる。
……この人は結構可愛げがある人なのかもしれない。
「まあ、だからって容赦するつもりなんてないけど」
僕はそう呟きながら、パソコンを起動してチャットアプリを立ち上げた。
ミスターMとEGOさんにコールを送ると、すぐに2人が反応してくれる。
いずれ来るこの時のために、前々から備えてもらっていた甲斐があった。
「ついに接触してきました。1時間後に交渉します」
「いよいよお出ましか」
「意外と遅かったね。しかしよりにもよってクリスマスイブにとは……仕事熱心にも程がある。空気読めよと言いたいね」
事の起こりは先月、ミスターMのところに公安調査庁の調査員が訪ねてきたことだった。ミスターMが私的に行っていた催眠アプリの試作実験に目を付けた彼女は、研究資料を没収しようとしてきたのだという。
その場では拒絶したミスターMだが、これはヤバいと思った彼はその日の夜に僕とEGOさんにこんなことがあったとチャットで洗いざらいぶちまけた。
ミスターMが試作催眠アプリを持っているとなれば、いずれ金の流れを辿ってEGOさんにたどり着く可能性が高い。
そこまでたどれば、EGOさんのPCをハッキングするなり、冤罪をふっかけて押収するなり、EGOさんの会社の桜ヶ丘電子工房の役員に名を連ねている僕に目を付けるなりして、僕が催眠アプリを作ったことまでたどり着く可能性もある。
ミスターMとEGOさんは何とか僕のことを隠そうと頭を悩ませていたが、僕からすればいつ見つかるかとビクビクして暮らすなんてまっぴらごめんだった。別に何も悪いことしてないのに、何で国家権力に怯えなくちゃいけないんだ。
だから僕はそのとき提案したのだ。
『いっそわざと尻尾を出して、僕を見つけてもらいましょう。その上で交渉に臨むのが気が楽でいいんじゃないかと思います』
師匠方は最初『この子またとんでもないこと言い出したぞ……』『危ないからやめなさい、無理やり誘拐される可能性もあるんだぞ』と止めてきたが、僕が怯えて暮らすのはごめんだと主張すると、やがて諦めたように僕の意見を受け入れてくれた。
そして案の定EGOさんのところにやってきた調査員に、『まさかあの子、ついに何かご厄介になることをしでかしたんじゃ……!?』と口走ってボロを出してもらった結果、今日の一本釣りに至ったというわけだ。
「最後にもう一度確認するが……国に催眠アプリを渡すつもりはあるのかね?」
ミスターMは真剣な口調で、僕に問いかけた。
「国にアプリを渡せば、彼らはきっとそれを世界を支配するために使うだろう。冗談ではなく、世界征服が始まる。他国の首脳を洗脳して傀儡にすることも、日本国民の民意を束ねることも容易い。日本は確かに豊かで強い国になるだろう。……それを知ったうえで、国にアプリを渡すつもりはあるか?」
「ありません」
「彼らが好待遇でキミを迎えたいというのは確かだろう。潤沢な研究費や最新の機材も使い放題だ、何せ国家機密のプロジェクトになるだろうからね。それでも断るのだね?」
「でも、監禁同然で二度と外には出してもらえないんでしょう?」
「必然的にそうなるだろうね」
じゃあ、考えるまでもない。
ありすにも、にゃる君にも、ささささんにも、家族にも会えない暮らしなんてまっぴらごめんだ。
「僕は大切な人たちと、自由に会える生活がしたい。断固拒否します」
「そうか」
「自分の答えを出せたね。それならよかった」
ミスターMとEGOさんは何やら嬉しそうに頷いた。
そもそも僕が交渉に臨むと聞いたときに、ミスターMとEGOさんは交渉の行方を僕に委ねると言っていた。これまで僕を見守って来てくれた2人は、僕が最終的にどんな答えを出したとしても、僕の判断を尊重すると言ってくれたのだ。
『お上にもお上の正義がある。日本という国の世界における地位を向上させ、国民の生活を豊かにしたいというのもまたひとつの正義だろう。たとえそのために他国を踏みつけにしたとしても。私は科学者とは善を為すためにあると思っている。だが、どの意見を正義と捉えるかは、その科学者次第だ。つまり、キミ次第だよ』
『難しく考えずに、ひぷのん君の好きにしなよ。エンジニアってのは暮らしを便利にするためにいるんだ。その成果を独り占めしようってやつがいるんなら、お前なんかに渡さないって言うのも自由だし、高値で売り付けたっていい。僕はこの4年間で、キミなりの判断ができるだけの下地は整えたつもりだ。だから最後は、キミが決めなさい』
僕はこの2人の弟子になれて、本当に幸せ者だった。
何もない空っぽの僕に、知識だけじゃなくて考える力を与えてくれた。
じっくりと見守って、最後は僕の判断を尊重すると言ってくれた。
師匠方が太鼓判をくれたのだ。なら弟子としては、自信を持ってそれを貫くのみ。
……まあ、そんなことは最初から決めていたのだが。
僕がこの局面で師匠方を呼んだのは、もっと他に相談したいことがあるからだ。
「そんなことより聞いてください! ありすとのデートが失敗したんです!」
「お、おう」
「今ってその話をする場面?」
「何を言ってるんですか。今これより大事な話がありますか!?」
僕が断固として主張すると、ミスターMとEGOさんはしばし黙った後、ハハハと笑いだした。
「まったく……世界の命運がかかった局面でこれだものなぁ」
「いやいや、青少年にとって惚れた腫れたは世界の命運なんかより大事ですとも。私たちが歳食って余計なことを考えるようになったんです。これも老いですね」
「昔懐かしのセカイ系ってやつか。クソアニメマイスターの私がねぇ」
「いいよ。既婚者のおじさんが恋のお悩みになんでも答えてあげようじゃないか」
さすが僕の師匠だ、なんて頼りになるんだろう。
僕はこの際恥を捨てて、抱えていた悩みを洗いざらいぶちまけた。
ありすを泣かせてしまったことも。
自分が生まれつき他人に興味を持てない欠陥品だから、他人の悪意にも好意にも鈍感であることも。
ありすの好意に好意で返す方法がわからないことも。
ありすに何と謝ればいいのかわからないことも。
2人は僕の中に燻っていた悩みと嘆きと理不尽のすべてをただ聞いてくれた。
そのうえでEGOさんは、優しい口調で応えた。
「ひぷのん君。私はキミのお父さんと会ったことがある。それは知っているね?」
「はい。僕の会社を興すときに、挨拶に行ったんですよね」
僕がEGOさんの会社の役員となって会社を興すときに、お父さんは東京まで出かけてEGOさんと話をした。大人の話だからと、僕は普段通り学校に行っていたが。
「私はね、キミのお父さんと話して、なんて家族を愛している人なんだろうと思ったよ」
「……」
「当座で見込める数億円の収入も、今後の役員報酬も、金の話は二の次だった。何よりもキミのことを案じていた。若い身空で金に振り回されることはないか、将来の進路を契約に縛られることはないか、悪い人間は寄ってこないか……。そういったことをすべてに先駆けて、根掘り葉掘りじっくりと確認されたよ。キミは本当にお父さんに愛されているんだ。多分キミが思っている以上にね」
……知らなかった。
僕の前では、お父さんはうまくやってやったぞと笑うばかりだった。
「だからひぷのん君は大丈夫だよ。キミはあの家族想いのお父さんの自慢の息子なんだ。誇りを持ちなさい。お父さんから受け継いだ人を愛する心は、キミの中に確かに根付いているはずだ。今はそれに気付いていないだけなんだよ」
EGOさんがいつにもなく穏やかな口調で語った言葉は、僕の心に染み入るようだった。
その後に続いて、ミスターMが呟くように語る。
「実際ね、他人に共感を持てない人間なんて珍しい話じゃないんだよ。かくいう私だってそうだ。だからいつまで経っても恋人もなく、独身なのさ」
「ミスターMも、ですか」
善性の塊のように思っていた人から意外なことを言われ、僕は目を見開いた。
「そうだよ。でもね、かといって人を愛せないわけじゃない。私は私なりに人間を愛しているし、善き科学者でありたいと思っている。キミだって人を愛する心は持っているはずだよ。今はそれに自覚を持ってないだけだ」
「そうでしょうか……」
「ああ。何しろ私から見れば、キミはありすくんが好きで好きで仕方ないように見えるからね。いや、むしろこれまでの人生で私が出会ってきた誰よりも愛に生きている男だろう。キミよりも熱烈に恋している人間は見たことがないね」
「は……?」
思ってもみなかったことを言われて、思わず目を剥いた。
僕が愛に生きているだって? そんなバカな。
愛という概念を、まるで理解できないのに。
ミスターMはそんな僕の反応に、ふうとため息を吐いた。
「では、今からする質問に1秒以内に答えたまえ」
「はい」
僕は居ずまいを糺した。
「キミが催眠アプリを作ったきっかけはなんだ?」
「ありすを無理やり土下座させたかったからです」
「4年もかけて誰のために情熱を燃やしてきたんだ?」
「ありすのためです」
「1日のうち研究するかありすくんと過ごすか、どちらかしかできないならどっちを選ぶ?」
「ありすと過ごします」
「自分が死ぬこととありす君を失うこと、どちらが怖い?」
「ありすを失うことです」
「人生で享受できる幸福のうち、ありすくんは何%ほど関わっていると思う?」
「95%くらいです」
「……ベタ惚れじゃねえか……」
EGOさんが耐えかねたといった感じで口を挟んできた。
ミスターMがうむ、と頷く。
「というわけでキミはまだ自分が抱いている愛情を自覚できないだけだ。無意識ではありすくんのことを死ぬほど愛しているので、安心したまえよ」
僕はぽかんとして、自分の口元を押さえていた。
え……? 今の、僕が言ったのか?
そんな僕に、ミスターMは俺もようやく人生の先輩らしきことが言えたぞと笑い掛けてきた。
「これで私の講義は全部終わりだ、ひぷのん君。国家権力など軽く蹴っ飛ばして、ハッピーエンドを掴み取ってきなさい!」
面白かったら評価とブクマしていただけるとうれしいです。




