第47話「失われた逢瀬を求めて」
(よしよし、ちゃんと再生されているな)
催眠アプリで昨夜の記憶を思い出す暗示はしっかりと効力を発揮して、眼を閉じた僕の視界の中で映像が流れ始める。
というかこれすごいな。聴覚や嗅覚、触覚もバッチリ再現される。これなら完全に追体験できるぞ。
そう思っていた矢先、僕はストレッチを開始した。
これからの運動でダメージを受けてしまわないように、丹念に関節を伸ばしていく。
うっ、これ運動するときの感覚まで追体験してしまうのか……。
ストレッチはいいとしても、この次の筋トレの辛さまで思い出してしまうのはきついものがある。
そう身構えていた僕の予感を裏付けるように、昨日の僕は腕立て・腹筋・スクワットの3点セットをこなし始めた。
(……あれ? そんな辛くはないな)
以前授業でやったときはひいひい言ったはずだが、思ったよりも辛くない。
不思議に思っていたが、よく考えたらこれはいつもこなしているセットメニューだ。きっともう体と脳が慣れ切っているのだろう。
というかむしろ体から汗が流れてくるのをちょっと気持ち良く感じていたりする。
しかし僕の認識では貧弱モヤシ坊やだった時期からいきなり少し腹筋が割れて見える現在まで飛んでいるので、自分の体がすいすいと腹筋をこなせるのは何とも言えない不気味さがあった。
記憶を全部取り戻せば別におかしなことでも何でもないのだろうが、かといって初期のめちゃめちゃ辛かった記憶を追体験するのはやっぱり嫌だ。
(しかし筋トレまでは何の異常もないな)
そうこうしているうちに、筋トレも終わり僕は外へと向かう。
この後はジョギングをするはずだが……。
「お兄ちゃーん♪」
そう思いながら追体験していると、自分の部屋から出た直後に待ち構えたようにくらげちゃんに声を掛けられた。というかドアの外で絶対待ち構えてたぞ。
「今日はねー、ちょっと寒くなってきたし肉まん食べたい気分なんだけど」
「わかった、買ってくる」
「やったー! お兄ちゃん大好き♪」
「調子がいい奴だな。太らないようにしろよ」
「ちゃんと運動してるから平気だもーん」
(くらげちゃんのパシリにされてる-ーーー!?)
というか普通に会話してるじゃねえか! 催眠状態じゃなかったのか!?
……いや、よくよく考えたら別に僕は「催眠状態で運動する」とは言ってなかった気がする。暗示の内容はあくまでも「運動している間の記憶を思い出せなくなる」であって、催眠状態でぼんやりしたまま体を動かすわけではないのか。というかそれだといくらなんでも外で運動するのは危なすぎるもんな。
そう思いながら見ていると、くらげちゃんはニコッと笑いかけてきた。
「お兄ちゃんってジョギングに行くときだけは何でも言うこと聞いてくれるから好き!」
「はいはい、じゃあ行ってくるよ」
「うん、気を付けてねー!」
あ、何でも言うことを聞くってところだけは催眠状態が持続しているのか?
僕はくらげちゃんに軽く手を振って、外へと出ていく。
もう11月なのでだいぶ肌寒いが、ジャージ姿の僕はふっふっと腹式呼吸で息を吐きながら、小走りに夜の住宅街を駆けていった。
このコースは小学校の登下校に使っていた道か?
視界の先に、ブロック塀にもたれかかっている赤いジャージの人影が見える。
彼女は僕に気付くと、嬉しそうに微笑みかけてきた。
「こんばんわ、ハカセ」
「うん。ありす、寒くなかった?」
「大丈夫、今来たところだから」
(!?!?!?!?!!?)
ありす!? どうしてありすが……。
というか、その場所は僕たちが小学校のときの登校時に待ち合わせに使っていた場所じゃないか。
しかもありすが着ている赤いジャージは、僕の青いジャージと同じデザインだ。ありすは背中に小さなリュックを背負っているが、それ以外はサイズ以外ほぼ同じ格好。もはやペアルックである。
愕然としている僕の視界の中で、昨日の僕はありすの手を握っている。
「……うん、ほんとだ。冷たくないな。というかあったかい」
「ポケットにカイロ入れてるからねー」
「わふう!」
ありすの足元で何かが鳴き声を上げ、僕の視界がそちらに向けられる。
ヤッキーだ。
尻尾をブンブンと振り回すヤッキーは、ハッハッと口から白い息を漏らしながら僕を見上げている。
「ヤッキーもこんばんわ」
「くぅん♪」
「ふふ、ヤッキーもハカセに会いたかったって言ってるね」
「そっか。よしよし」
僕がしゃがみこんで頭を撫でると、ヤッキーは「おん!」とひと鳴きして答えた。えっ、なんかすごい親密そうじゃん……。
「じゃ、そろそろ行きましょ。じっとしてたら体冷えちゃうわよ」
「そうだな。じゃあ今晩もジョギング兼ヤッキーの散歩を頑張ろう」
「わぅん!」
そんなやりとりをして、僕とありす、ついでにヤッキーは夜の住宅街を走り出す。
風を切りながらフッフッと腹式呼吸しながら走っているのでお互い言葉少なだが、ときどき思い出したように会話している。
それがまた自然な感じで、昨日学校であったこととか家族の話題とか、僕ならこんなことを話すだろうなってことを一言一句そのままに、ありすとやりとりしている。
違うのはそのやりとりのすべてを、今の僕が覚えていないということだ。
何故僕がジョギングを1時間に増やしたのかようやくわかった。体を鍛えるためではない。毎晩ありすと一緒にいられる時間を増やしたかったからだ。
……それならそうとメモを残しておけよ! 何で僕はこんな素敵な時間を忘れてるんだ!?
まさかこれまでずっと、僕はありすと毎晩ジョギングし続けていたのか? 道理でありすが僕の体の変化に驚かなかったはずだ。ありすは毎日僕が体を鍛えるところを間近で見ていたのだから。
というか、ありすと同じように腹式呼吸やまっすぐな姿勢で走っているところから考えて、ジョギングはありすが指南していた可能性が高い。
そんな2人きり+1匹の夜の散歩を始めてからおよそ40分。
小学校までのコースを往復した僕たちは、家の近くにある公園に入って行った。
ここは思い出深い場所だ。
子供の頃は放課後はいつもここで花や雪を見ていて、夕方になったらありすが探しに来て家に連れて帰ってくれた。
そんな場所にやってきた僕たちは、ベンチに座ってひと息ついている。
そしてありすはリュックを降ろすと、中からバスケットを取り出した。
バスケットの中身は……ラップに包まれたおむすびだ。
ありすはバスケットを僕に向けて差し出して、にっこりと笑った。
「今日もお疲れ様。はい、今晩のお夜食よ」
「ありがとう。これはどれがどの具?」
「えっとね、これがおかか、ツナマヨ、しそ梅干し。それからこれがチーズ」
「じゃあ……おかかとチーズがいいな」
「はい、どうぞ」
(あああああああああああああああああああああ!!!!)
ありすのおにぎりじゃないか!!
しかも記憶にあるものよりもずっと形が良くて美味しそうになってる!!
僕ならそれが欲しいと思うおにぎりを選びやがって、僕め!
っていうか今晩の夜食ってなんだ!? まさか……まさか、お前これまで毎晩ありすが握ってくれたおにぎり食べてたのか!?
なんて羨ましいことを……!!
僕はラップを剥くと、ぱくりとおにぎりを食べた。
うん、すごくおいしい。
ちょっときつめに塩が振られているが、それが運動して疲れた体にはすごくぴったりだ。おにぎりの握り具合も口の中でちょうどよくほぐれる加減だった。
「ごめんね、いつまで経ってもこんなのしか作れなくて。私が包丁使えればいいんだけど」
そう言って、ありすがしゅんとした顔をする。
何を言うんだ。ありすはありすなりに、包丁を使えなくてもおいしいおにぎりを作れるようになってるじゃないか。
食べてみればわかる。できるだけおいしいものを食べてほしいって気持ちが込められている。それをバカになんてできるわけがない。
「何言ってんだ。ありすはありすなりに、包丁を使えなくてもおいしいおにぎりを作れるようになってるだろ」
「えっ……そうかな。だったら嬉しいけど」
僕の言葉にありすははにかむように微笑んで、自分の指をそわそわと組み変えた。
(あああああああああこの野郎!! それは僕のセリフだぞ!! うん、僕のセリフだわ!!)
羨ましさと怒りで頭がおかしくなりそう……!
なんとも言えないことに、昨日の僕はどこまで行っても完全に僕なのである。僕なら絶対そう言うだろうと思うことを言うし、同じ視野で同じ反応をする。しかし今の僕にだけ、その記憶が残っていないのだ。
……というか、ありすのおにぎりが上達しているのって……。もしかして、僕は毎晩夜食を作ってもらっていたのか? 3カ月をかけてヘタクソなおにぎりから今のおいしさになるまでの過程をまるまる忘れている?
な、なんてもったいないことを……!!
「わうー」
人間たちがベンチの上で夜食を食べているのを見て、ヤッキーが物欲しげな声を上げた。
それを聞いたありすが、はいはいと言いながらカンパンの缶を取り出す。
「ごめんね、ヤッキーもお夜食ほしいよね。はい、ハカセ」
そう言いながら、ありすが缶を振って僕の手のひらに中身を出す。
ドッグフード。
僕はしゃがみこみ、手をヤッキーの顔の前に持っていった。
「くぅん♪」
ヤッキーが嬉しそうに舌を出し、僕の手のひらの上のドッグフードを舐めとって食べていく。
……く、くすぐったい……。
全部食べ切ると、ヤッキーはその場にころんとひっくり返って、お腹を出してきた。
ありすがそれを見てクスクスと笑う。
「ヤッキーったらホント甘えん坊ね」
「飼い主に似たんじゃない?」
「えー、私そんな甘えたりしないでしょ!」
いや、ありすはすごく甘えん坊だよ。
……ということは口にせず、僕はヤッキーのお腹を撫でてやった。
ヤッキーは嬉しそうにきゅーんと甘えた声を出している。
くっ、ヤッキーのくせに意外と可愛いところもあるじゃないか。
夜食を食べた終えた僕たちは、公園の水道で手を洗ってからコンビニに向かう。
「今日はくらげちゃんに何を頼まれたの?」
「寒いから肉まんだって」
「あ、いいなー。私も買おうかしら」
「さっきおにぎり食べたばっかだろ……」
そんなことを話しながら、僕たちはコンビニをぐるりと物色。
最後にブロック塀のところに戻ってくると、お互いに労い合って別れた。
「じゃあ今日の運動はここまでだな」
「うん、今日もお疲れ様」
「おにぎりうまかったよ。……じゃあ、また明日」
「うん。また明日、学校でね」
僕が少し進んでからちょっと振り返ってみると、ありすがまだ僕を見ていた。
小さく手を振られる。
僕は少しだけ手を振ってそれに応えると、振り返らずに夜の街を小走りに帰って行った。
秋の夜の風は冷たく。
でも、心の中はとても暖かかった。
※※※
追体験から戻った僕は、椅子に座ったままぐったりと脱力していた。
「こ……」
バン、と机を叩いて声を絞り出す。
「こんなの……デートだろぉ!? これをずっとやってた!? 3カ月の間毎日!? う、嘘だろ……!!」
ああああああああああああああああああ!!!
毎晩こんな思いをしておいて、僕の記憶にはまるで残ってないとか……そんな絶望的なことってある!?
僕はセットした髪がぐしゃぐしゃになるのも構わず、頭を掻きむしった。
だがこれでジョギングの謎は解けた。
『そうね。ハカセは最近すっごく頑張ってるもの。きっと何かの競技で活躍できると思うわ! 頑張ろうね!』
体育祭のときのありすの態度の理由もわかった。
そりゃ毎日一緒にトレーニングしていれば、そういう態度にもなるだろう。
催眠運動タイムが終わるとすごくお腹が空いていたのに、一時期からお腹が減らなくなった理由も理解できた。
減らなくなっていたんじゃなく、食べていることを忘れていたのだ。
では次の問題は、何故ありすとこんなことになったのかということだ。
思い当たるてがかりはひとつしかない。
「僕が頬に怪我をした状態で目覚めたあの日。何かがあった……」
次の催眠の内容は決まっている。
失われたあの日の記憶を追体験するのだ。
僕は催眠アプリを自分に向けて発動する。
「催眠!」
記憶の中のハカセは催眠がかかってるので、
普段より思ったことを素直に口にしています。
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