第46話「知らないうちにサブご主人になっていた件」
「きゅぅーん」
「な……なんだ……!?」
冬も近付く11月のある日、帰り道にコンビニの前を通った僕は戦慄した。
コンビニの前の電柱にありすの飼い犬、ヤッキーが繋がれていた。
いや、それだけならまだいい。どうせ激しく吠え掛かってくるだろうと身構えた僕に向かって、ヤツは甘えた声を上げて見上げてきたのである。
なんだ、どういうことだ。僕を油断させてから噛みつく作戦か……?
そう思って様子を窺っていると、なんとヤッキーはその場にころんとひっくり返って、お腹を見せてきた。
僕は激しく混乱しながら、『ワンだふるわーるど』を起動して翻訳を試みる。
「きゅーんきゅーん」
『どうした、サブご主人。お腹を撫でていいのだぞ? さあ来られよ』
「…………!?」
なんということだ、今になって誤作動が見つかるとは……!?
いや、しかし『ワンだふるわーるど』の精度は約90%。10%の誤訳を踏んでしまったのかもしれない。
「きゅーん」
『ほら、撫でるがいい。腹の毛はもふもふして暖かいぞ』
「きゅんきゅん?」
『この寒空で腹を出すのも、こちらとしては寒いのだぞ?』
「きゅうーーーん」
『風邪をひいてしまうじゃないか。さあ、こちらにおいで』
10%の誤訳を4連続で引いた!?
いきなり小数点以下の確率で僕を追い詰めて来るとは、なんて犬だ。
ごくり。
僕は意を決して、ヤッキーに近付くとお腹に手を当ててみる。
ヤッキーは素直に僕の手を受け入れ、撫でさせてくれた。
あ、柔らかい……。それに毛がフカフカしている。
「くぅん♪」
「あら、ヒロくんじゃない。元気ー?」
そのとき、コンビニの中から出てきた人が僕に声をかけた。
黒髪を肩で切り揃え、勝気そうな瞳をした女性だ。瞳の形は僕の親しい人にとてもよく似ている。少なくとも40後半のはずなのだが、まだ30代前半のように若々しい。
「こんにちわ、ヨリーさん」
「体育祭ぶりねー。あーさぶさぶ、コンビニの中あったかかったから温度差こたえるわー」
ありすのお母さんのヨリーさんだ。料理研究家をしていて、たまにテレビに出演しているほかに動画配信サイトで料理動画チャンネルを持っている。
人の顔と名前を覚えるのが苦手な僕だが、彼女の場合はありすと関連付けることで覚えることに成功していた。
ヨリーさんは僕にお腹を撫でられているヤッキーを見ると、くすっと笑ってしゃがみ込む。
「おー、ヤッキーもようやく懐いたわねー。まああんだけ毎日可愛がってあげてればそりゃ懐くか。リラックスした顔しちゃってまあ」
「……毎日?」
「うん、毎日一緒でしょ? うちの子も毎晩そわそわしながら出かけちゃってまあ、我が子ながらわかりやすいわよねえ」
ドキッと心臓が跳ね上がった。
ヨリーさんはうりうりとヤッキーの顔を撫でている。
「小学校のときはヒロくんもたまにうちに遊びに来てくれたのに、中学生になってからさっぱりで。たまには顔を見せなさい、私も独立して自宅で仕事できるようになったんだし。おもてなしするわよ?」
「あはは……まあ、それは」
「あー……もしかしてうちの旦那のこと気にしてるわけ?」
僕が浮かべた愛想笑いから、ずばりと本心を読み取ってくる。相変わらず勘が鋭い。
実際その通りで、僕はありすのお父さんが苦手だった。
いや、苦手というか嫌われているんだと思う。
「気にしなくていいのよー。どーせあいつ家にいない時間の方が長いんだし、いくら来てもらってもバレないって」
「はあ……」
万が一にも顔を合わせたくないんだよなあ。
どうも僕のことを娘に近付く悪い虫と思われている感じがある。小学生のときの僕は今よりも機械的というかかなり精神が虚ろだったので、第一印象も良くなかっただろうし。
僕がそう思っていると、ヨリーさんは手をパタパタと振って笑った。
「ああ、ちなみにこの前の体育祭のお姫様抱っこの映像、一部始終旦那に送っておいたから」
「えっ……!? あれ見せたんですか!?」
割と本気で顔から血の気が引いた。
体育祭のお姫様抱っこ事件は僕にとって最新のトラウマだ。やってるときは自分が何してるかあまり自覚がなかったが、うちのお母さんが撮影したビデオを後から見せられて穴があったら入りたい気分にさせられた。
なんでお姫様抱っこなんだよ! ナイト気取りかお前!
そもそも普通に一緒に走ればいいだろ、抱える必要あった!?
「あの……シンさんはなんと?」
「今度日本に戻ったときに挨拶に来るように言ってたわよ? ふざけんなよねー。娘が小さい頃から散々家族ぐるみで世話になってんだから、お前が行けっての。そういうところが配慮ないのよホント。ごめんねー」
そう言ってヨリーさんはケラケラと明るく笑う。
シンさんというのはありすのお父さんの名前だ。
「まあ帰ってくるのも来年だし、それまでには立ち位置が逆転してるかもしれないけどね。娘をもらってくださいって言わせればいいんじゃない?」
ヨリーさんは僕が手にしたスマホを見てそんなことを言った。多分ありす経由で僕が『ワンだふるわーるど』を作ったことが伝わってるんだろうなあ。
ありすのお父さんは海を股にかけるビジネスマンで、すごく稼げる人だ。僕なんかがそうそう追い越せるとは思えないけど。
というか、娘をもらってくださいって、ありすとはそういう関係では……。
そんなことを思っているうちに、ヨリーさんは話を変えてくる。
「そういえば来月にはクリスマスだけど、あんたたちってクリスマス会とかしたりする?」
「あー……どうでしょう。まだ何も決めてないけど、それも楽しそうですね」
「でしょ?」
ヨリーさんはニコニコと笑い、僕の頭をぐしぐしと撫でた。
セットした髪が乱れたけど、そうされるのは全然嫌じゃない。
「いっちょ前にオシャレするようになって、あのヒロくんがねぇ。……ありすの友達の子たち、あんたが紹介したんでしょ?」
「にゃる君とささささんのことですか?」
「うん、そう。あの子家だとあんたのことばっか話しててね。最初はハカセが変な子と一緒にいる、騙されてるんだーみたいなこと言ってたんだけど……いつの間にか友達になっててさぁ」
当初はにゃる君やささささんを信用してなかったのか。
まあ、にゃる君はともかくささささんは自分で取り巻きから追放したんだし、当たり前か……。
「あの子も人間とのまともな付き合い方全然わかってない子だから。あんたのおかげであの子もやっと友達が作れたみたい。ありがとう、本当に感謝してるのよ」
そう言ってヨリーさんは僕を優しい目で見つめた。
なんだか気恥ずかしくなって、僕は頬を掻く。
「いえ、そんな……僕は大したことは。それに、友達第1号は僕ですから!」
「……いや、あんたは友達っていうより……」
ヨリーさんはンンッと咳払いした。風邪かな?
「まああんたのことは昔から息子だと思ってるから、私は!」
「……ありがとうございます」
僕の中で、ヨリーさんの顔と名前がひと際鮮明になった気がした。
ヨリーさんはニコニコと笑顔を浮かべたまま、話を戻す。
「だからありすとあんたがクリスマス会するなら、腕を披露してあげるから気軽に言ってね。クリスマスケーキととびきりの寿司フライを用意するから!」
「あ、はい。そのときは是非」
そこはチキンじゃないんだ……という言葉を飲み込む。
寿司フライは料理研究家としてのヨリーさんの得意料理で、富山名物のます寿司をカラッと揚げたフライだ。聞いた人は誰もが何そのゲテモノ……と思うのだが、ます寿司は元々固めに握られた寿司なのでフライにしやすく、酢と油が予想外に合うのだ。誰が言ったか「ます寿司の伝統を冒涜する美味」。
ヨリーさんはこの寿司フライで旦那さんの胃袋を掴んで惚れさせたのだと豪語している。
ちなみに日英ハーフなのは旦那さんのシンさんの方で、ヨリーさんの本名は頼子。純日本人である。旦那さんが彼女をヨリーと呼ぶので、ヨリーさんは娘のありすや知人全員にも自分をヨリーと呼ばせている。ぞんざいそうに見えて旦那ラブなのだ。
※※※
ヨリーさんと別れて家に戻ってきた僕は、机に腰かけて頭を抱えた。
「……絶対におかしい」
体育祭のあたりから何か変だとは思っていた。
日中に意識が飛んだり、気が付けば覚えのない場所にいたり。にゃる君やささささんと会話してる最中に、さっき自分が何を言ったのかわからなくなったり。
だが、今日のヤッキーの態度とヨリーさんの言動でようやくてがかりがどこにあるのか掴めた。
催眠中の運動タイムだ。
僕の意識がない間に、何かが起こっている。
僕は催眠アプリを起動すると、自分に向けて発動することにした。
内容は昨日の運動タイムの記憶を取り戻すこと。
自分が運動している間の記憶を忘れるように命令している僕だが、そもそも記憶そのものが脳から削除されてたわけではない。単に思い出せなくなっているだけで、記憶自体はしっかりと残っているはずだ。
いわば記憶の引き出しにしっかりと鍵がかけられて開かなくなっているわけで、催眠アプリを使ってその鍵を開けてやれば記憶を再生できるのだ。
さあ、一体何が起こっているのか……暴かせてもらうぞ。
「催眠!」
ツンデレは母譲り。
好きな人を『アンタ』と呼ぶのもお母さんから学習しました。
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