第42話「催眠夏休みデビュー大作戦」
「お兄ちゃん、よくここまで頑張りました。褒めてあげましょう」
「はあ」
8月31日。
夏休み最後の日、催眠ジョギングから帰って風呂から上がったところで、僕はくらげちゃんに捕まって彼女の部屋に連れ込まれた。
ベッドに正座で座らされた僕の前で、くらげちゃんは腰に手を当てて何やら武術の師匠っぽいムーブをかましている。
……というか、くらげちゃんの部屋に入るのも久しぶりだな。くらげちゃんは用があるときはもっぱら僕の部屋にやってくるのだ。
最後に入ったのはくらげちゃんが小学生のときだったような。
しばらく見ない間に部屋は随分と様変わりしており、かつてはぬいぐるみと少女マンガだけがたくさん置かれていた棚には、ぽつぽつと美容やオシャレに関する書籍が並べられている。
「ありすちゃんに好かれるためにトレーニングしようという、お兄ちゃんの頑張りはこの夏の間じっくりと見せてもらいました。よくやった感動した」
「いや、別にありすに好かれたいわけでは」
「この際ウソは結構! 好かれたい以外にどんな理由があるかぁーーー!!」
くらげちゃんがくわっと目を見開いて叫ぶので、僕は言葉を飲み込んだ。
またなんかテンションがおかしくなってる……。
「お兄ちゃんはこのひと夏で随分自分を鍛え直し、スラっとほどよく筋肉がつきました。大変すばらしいことです。しかし! まだお兄ちゃんには足らないものがあります。それが何だかわかりますか?」
僕にまだ足らないもの?
うーん、それはやっぱり……。
「僕的にはもうちょっと筋肉がほしいかなって思うんだけど。細マッチョって言うには少し物足りなくない?」
そう言いながら、僕は力こぶを作った。
夏の初めに比べれば随分と腕も硬くなった。しかしやはり男としてはにゃる君くらいの筋肉に憧れるんだよなあ。
しかしくらげちゃんはぶんぶんと首を横に振る。
「もう筋肉はいらないよ! 今くらいがベスト! 男の好きな細マッチョと女の子の好きな細マッチョは全然別なの!!」
「いや、だから別に僕はありすに好かれたいから鍛えたわけでは」
「しゃらーーーーっぷ!!」
くらげちゃんは僕に指を突き付けて叫んだ。
「お兄ちゃんに足らないもの……それは清潔感だよ!」
「清潔感」
なんだそれは。
「僕は毎日お風呂には入ってるぞ。ジョギングした後は汗かいて気持ち悪いし」
「そんなの当たり前でしょ!」
「えー、じゃあどういうこと? 僕ってそんなに不潔そうに見える?」
「違うよぉ! 清潔感っていうのは、『好感が持てる』ってことなの!」
どういうこっちゃ。
僕は混乱した。
「髪がちゃんとセットされてるとか、服がよれてないとか、不精ヒゲが生えてないとか、鼻毛が出てないとか、眉毛がちゃんと整えられてるとか、トイレで手を洗ったらハンカチで手を拭くとか、そういうことをひっくるめて減点ポイントがないことを清潔感って呼ぶんだよ!」
「……要するにイケメン度ってこと?」
それじゃ僕はダメだな。鏡見ても自分のことかっこいいとは思わないし。
間違ってもイケメンではない。
「……近い! 近いけどちょっと違う!」
「違うのか……」
くらげちゃんの美意識は僕には難しすぎる。
「要はね、どれだけ他人から見た外見の評価に気を遣ってるかってことなの!」
「ああ……なるほど」
確かにそういう意味では僕は清潔感皆無だろう。
何しろ他人の評価など気にしたことがない。学業の評価ならまだしも、容姿の評価など生まれてこの方一切気にしていない。
そもそも僕は他人に興味をまったく持てないので、他人が僕をどう思うかなど本当にどうでもいいのだ。
「しかぁし!」
そんな僕の前で、くらげちゃんは胸を叩く。
「私に任せてくれれば、お兄ちゃんを清潔感バリバリにしてあげましょう! さあ、私を信じてここに座ってください!」
「はあ……」
くらげちゃんはドレッサーの椅子をぽむぽむ叩いて僕を呼ぶ。
うーむ。
ちらりと本棚に入っている美容とオシャレの指南書に目を向ける。くらげちゃんは随分とオシャレについて自信があるようだ。
まあ失敗しても失うものはないし、ここはくらげちゃんに任せてみるか……。
「はーい、楽にしてくださいね~」
「はいはい……」
むう……なんか眠くなってきた。
ジョギングの後の疲労と風呂に入ったリラックス感が、僕を眠りにいざなう。
そのまま僕はウトウトと意識を手放した……。
※※※
「できたよー! さあ、鏡を見てお兄ちゃん!」
「これが……僕?」
くらげちゃんの声で目を覚ました僕は、鏡を見て愕然とした。
そこに座っていたのは、流れるような漆黒のロングヘアとスレンダーな体格を備えた美女だった。
姫カットというのだろうか、内側にややカールした髪が輪郭線をほどよく隠しており、化粧はきつすぎない程度に施されていて清楚感を感じさせる。目の周りに薄く入ったチークとやや色味の濃いピンクの口紅が、どこか意思の強さを感じさせた。
見事なまでの和風美人だ。
「完成だよ……我が兄ながら、ここまでの逸材とは。今のお兄ちゃんは、世界で一番可愛いよ!」
「…………」
「いやーそれにしても化粧のノリがいいよね。普段すっぴんだから肌が荒れてないのかな? いや、やっぱり適度な運動と食生活のたまものだよね、うん。この美貌は……お兄ちゃんが掴み取った勝利だよ!!」
「な・ん・で・だああああああああああああッ!!!!」
僕はウィッグを掴むと床に叩きつけた。
「あーー! 何するのお兄ちゃん!? せっかくメイクしてあげたのに!」
「誰が女装させろと言った!? これ見てありすが好意を抱くとマジで思うのか!?」
「は!? ありすちゃんだって可愛い女の子の方が好きに決まってるじゃん!!」
……今、何て言った?
「ちょっと待て……待て待て待て。今、僕のこと女の子って言った?」
「? 当たり前じゃん。お兄ちゃんは生まれたときから女の子でしょ」
「……お兄ちゃんだぞ?」
「そうだよ。私たち姉妹じゃない」
ぐらっとめまいを感じて、僕はその場にしゃがみこんだ。
いや……よく考えると確かに。これまでの態度でおかしいところはいくつもあった。
やたらと一緒に風呂に入りたがったり、一緒のベッドで眠ろうとしたり。
距離感もやたらと近すぎたような気がする。
絶対に催眠で何かミスっている。
くらげちゃんにかけた催眠を思い出せ……。
『あなたはこれから、お兄さんを異性として見られなくなります』
『……お兄ちゃんを……異性として見ない……』
あっ。こ、これかぁ……!!
僕はガリガリと頭を掻きむしった。
確かにそうだ。僕は異性として見ない、と暗示をかけた。
僕としては「恋愛対象として興味を感じない」という意味で言ったが、くらげちゃんはそれを言葉通り「異性ではない=自分と同じ女性だ」と解釈したのだ。
「お兄ちゃん、どうしたの!? しっかりして!!」
「催眠!」
「うっ」
棒立ちになったくらげちゃんを見て、僕はため息を吐いた。
些細な言葉の選び方がこんな事態を引き起こすとは……。
今度こそしっかり「恋愛対象として興味を感じない」と言わないと。
……というか。
僕はぞっとして背中を震わせた。
もしかして、これまで僕のことを『同性だけど恋愛対象の姉』として見ていたんじゃないよな……?
ははは……まさか、そんなわけ……ないよな?
だけどもしあのとき一緒に風呂に入りたがったり一緒のベッドで寝たがったのを受け入れていたら……。
僕はぶんぶんと首を振り、嫌な考えを頭から振り払うのだった。
※※※
くらげちゃんに催眠をかけ直した僕は、今度こそ男性としてくらげちゃんのスタイル指導を受けることにした。
「できたよー」
そう言われて目を開いてみると、そこには丁寧に髪をブラッシングされた男子が座っていた。前髪はすべて左に流して撫でつけられており、頭頂部はややもこもこした感じだがピンと跳ねている髪は1本もない。
眉は細く整えられ、ひげもすべて綺麗に剃られていた。
……この髪型、どこかで見たことがあるな……。
これ、よくテレビに出てる若手男性アイドルがよくやってる髪型じゃないか? 顔を覚えられないので同一人物か複数人なのかはわからないが、髪型には見覚えがあるぞ。
「僕には似合わないんじゃないかなこの髪型」
「そんなことないよ! すっごく似合ってるって!」
「でもこういうのはもっと端正なイケメンがやるものじゃないの? 僕は地味顔だし、全然似合わないよ」
しかし、僕の反論にくらげちゃんはチッチッと指を小さく振ってみせた。
「お兄ちゃんは考え違いをしてるよ! いい? 女の子の可愛いは作るもの。そして男の子のカッコイイも、また作るものなんだよ!!」
「カッコイイを作る」
「そう! 雰囲気イケメンって知ってる? 顔のパーツが決して完璧に整っていなくたって、髪型や眉、服装、姿勢、仕草が整っていれば、こいつはイケメンだとみんなは思ってくれるんだよ!! 下手にパーツが主張しすぎない地味系ならなおさら!」
ええ? 本当かなあ。
さすがにそんなことはないんじゃなかろうか。
「本当だよ? じゃあお兄ちゃん、例を出すけどお芝居でイケメン役と三枚目役がいるとします。でも、遠い客席からはイケメン役と三枚目役の顔立ちなんてよく見えません。しかし観客は誰もがこっちはイケメンで、こっちは三枚目だと認識できます。それは何故でしょうか?」
くらげちゃんはそんなクイズを出してきた。
僕だってお芝居くらいは観たことはある。役者の顔も役名もまるで覚えられなかった僕だが、この人はこの役、とあたりくらいはつけられたのだ。それは何故か?
「……服装と仕草が違うから?」
「そう! イケメンはパリッとした高級そうな服を着て、キビキビと背筋を伸ばして歩く。三枚目は野暮ったい服を着て、情けなさそうな仕草をする。たとえ顔が見えなかろうが、人間はそうやって他人をどういう人間か認識するんだよ。それと同じで、髪型と服装と仕草を整えれば、大体の人はイケメンに見えるんだよ!」
ふーむ。そういうものなのか。
くらげちゃんの知識もまた何かのオシャレの本からの受け売りなのだろうが、これまで僕が意識したことがない理論で結構興味深い。
そうか、普通の人間はそんな感じで他人を認識しているのか。僕は興味がある人間以外はみんなのっぺらぼうに見えているようなもので、見るそばから印象が抜け落ちてしまうからまるでわからないが……。
身だしなみや仕草をきっちりすればありすを驚かせられるというのなら、やってみてもいいかな。
「ちなみにくらげちゃん的にはどうすればイケメンに見えると思う?」
「そうだなー、私が今やったヘアセットやムダ毛のお手入れを毎朝するのはマストでしょ。15分もあればできるよ。体育の後は髪が乱れるから、セットし直すのも忘れないでね」
「ふむふむ」
「それから猫背は直す! お兄ちゃんパソコンの前にずっと座ってるから癖になってるけど、正直上背がある人が猫背になってるとすっごい不気味に見えるんだよね。圧迫感もあるし。ジョギングの成果でちょっとまっすぐになって来たけど、意識して直さないと!」
「なるほど」
そこらへん全部、催眠アプリでなんとかなりそうだ。
朝15分早く起きて催眠状態でヘアセットさせればいいし、猫背はそうならないように常時気を付けろと無意識下の暗示をすればいいのだ。
自分でやるならこんな面倒くさいことはないが、意識の外でやらせるなら楽勝である。これも育成ゲームのオシャレの項目を上げるようなもんだ。
「それから?」
「ハンカチは必ず持つ。歯磨きは寝る前と朝ごはんの後にする。シャツの襟はきっちり整える。制服のズボンは毎日プレスされて折り目がついたものを履く。絶対大事なのは体育の後は制汗スプレーを脇の下にかける! あとはー……」
僕はくらげちゃんからのオーダーを全部メモって、自室に戻ってから音声プレーヤーに吹き込んだ。
途中からくらげちゃんが考える理想の男の条件みたいになっていた感もあるけど、まあ別に構わない。僕自身がきっちり守るわけでもないんだからほぼ他人事だ。もうひとりの僕に頑張ってもらうとしよう。
では、催眠アプリ起動だ。
「催眠!」
お兄ちゃん=男の子っぽくてかっこいいお姉さまの意
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