第37話「ハンプティダンプティ転がり落ちた」
本日ゲリラ2話投稿、1話目です。
途中でハカセがネットに疎い人にはよくわからんことを言いますが、
後書きに書いてある理解で十分です。
「そんなわけで自分にも催眠が効くことがわかりました」
「……普通自分を被検体に選ぶか……?」
「ワハハハ! マッドサイエンティスト感出てきたねえ」
僕の報告を聞いたミスターMは呆れたように呟き、EGOさんは手を叩いて笑い転げていた。
「EGOくん、笑い事じゃないよ」
「いや、でもフィクションのマッドサイエンティストって大体自分も改造手術して、ヒーローに追い詰められたら変身して怪人になるじゃないですか?」
「自分の身を被検体にするなど科学者として意識が低いよ。そもそもロクに戦闘経験もない科学者が矢面に立たないといけない時点でもう負けてるだろう」
「まあロマンですよ、ロマン。実際そういう科学者枠って、変身怪人になってもあっさり負けますけどね」
うーん、これは科学者として意識が低い行為だったのか。
反省しなきゃなあ。科学者になったつもりはないけど、ミスターMの弟子として恥ずかしくない研究者でありたい。
「しかしひぷのん君、催眠状態で運動したということだが……体調に変化はないのかね?」
「ええ、最初は疲労と筋肉痛で死ぬかと思いましたが。次の日はベッドから動けなくなりましたからね……」
運動直後の疲労もヤバかったが、筋肉痛はそれ以上にヤバかった。
全身の関節がギシギシ鳴るわ、筋肉が真っ赤に腫れるわで、まさか運動した直後よりもしばらく経った後の方がキツイとは思わなかった。
「でも自分に筋肉痛の痛みを軽減する催眠をかけたので何とか耐えられました」
「かなり何でもアリになってきましたね……便利すぎる。私も欲しいなあそれ」
「あまり痛みを消すのはオススメできんけどなあ。痛みは今は体を動かすなという危険信号だからな、まったく感じなくなると逆に無茶をさせて壊してしまうよ」
「でも半日休んだら筋肉痛もなくなりましたよ」
僕がそう言うと、ミスターMとEGOさんは「かぁーーー!」っと叫んだ。
「若いっ! 若いなあ! ホント高校生の体って疲れ知らずで羨ましいよ。私なんか1時間フルに運動なんてしたら、次の日は大丈夫でも2日後に絶対寝こむ」
「あー、おじさんになると時間差でくるって言いますもんね。私も最近は歳を感じますよ。嫁さんからお腹がだらしなくなったって叱られてますからね」
えっ?
「EGOさんって結婚されてたんですか?」
「ああ、そうだよ? 3つ下でね。剣術をやってるからよく私も運動に付き合わされるんだが……さすがに社会人になるともうだめだね。プログラマーだの社長だの、ケツで椅子を磨く仕事に就くと運動量についてけない」
ば……馬鹿な!?
他人に堂々とクソアニメを勧めてくるような異常者がまっとうな結婚生活を営んでいたなんて!? 絶対この人生涯結婚できないと思ってたのに!
「み……ミスターMは!? ミスターMは結婚なさってるんですか!?」
「いや、私は独身だよ。多分生涯独り身じゃないかなあ。教授どもからは結婚しないなんて一人前とはいえないなんて言われてるけどね。ジジイは考え方が古いんだよ」
僕はほっと胸をなでおろした。
よかった、ミスターMは“こちら側”の人間だったんだ。
「そ、そうですよね! ミスターMが結婚できるわけありませんよね!」
「やめろ! 不意に鋭い刃で俺を傷付けるのはやめろ!!」
「ぶははははははははははははははは!!!」
「笑ってんじゃねえぶっ殺すぞEGOォ!!」
あっ……何故かミスターMが傷付いている!
同志として必死の声援を送らなくては!
「安心してくださいミスターM、僕たちは生涯結婚できない仲間ですよ!!」
「油断したところでさらに深い傷を重ねてくるのやめてくれないかなぁ!?」
「ぶはーーーーーはっははははははははははは!!! は、腹が……!!」
ややあって。
「……とまあ、そんな馴れ初めでね。家内とは駆け落ち同然に結ばれたってわけさ」
「へえー……そういうことだったんですか」
文章にすれば文庫本1冊ほどにもなるEGOさんの波乱万丈の恋愛体験を聞いた僕は、人には思わぬ歴史があるんだなあとしみじみ頷いた。
「だから私とEGOくんは同じ九州の大学卒なんだけど、EGOくんだけ東京に出てきたわけだね」
「まあ同じ大学ってだけで、6つくらい年が離れてますけどね。私が18で入ったサークルに、院生OBとして先輩がいたんですよ」
「薄々そんな気はしてたけど、やっぱりミスターMはアラフォーくらい、EGOさんはアラサーくらいなんですよね」
「まあ四捨五入すればね」
「はー、先輩と出会ったときは私もピチピチだったのに。時の流れを感じますね」
「いや、初対面のときこいつ絶対同い年だと思ったけどな。俺と完全に話が合うんだもん……」
クソアニメの話でもしたのかな。
しかしそうなると……。僕は気になっていたことを口にした。
「……ちなみになんですけど、奥さんってEGOさんがクソアニメ大好きなことどう思ってるんですか?」
「いや? 別にどうとも……並んで見てるよ。家内も大好きな任侠モノ映画をしょっちゅう見てるし、私もそれに付き合ってるからお互い様かなぁ」
そういうもんか。
夫婦で趣味が合わなくても、それはそれで仲良くやっていけるもんなんだな。
僕の両親はゲーム好きという点で合致しているので共通の趣味がないと夫婦になれないのかと思っていたが、どうやらそんなこともないようだ。
「ところで私の嫁の話はもういいだろ? 『ワンだふるわーるど』に翻訳対応言語を増やす件ってどうなったかな」
EGOさんはそわそわと話を変えた。
結構内部からせっつかれてるのかな。
「以前言ってた全言語に対応するなんて冗談はともかく、せめてドイツ語くらいは目途が付いてれば嬉しいんだが……」
「ああ、あれですか? 割と形になってきましたよ。来年の春にはビルを借りてサーバーを設置して、全言語のリアルタイム翻訳が可能になる見込みです」
「そりゃ素晴らしい! ……え、待って。サーバー? ビルを借りて? ……全言語のリアルタイム翻訳?」
僕の返答にEGOさんも声を震わせるほど喜んでくれているようだ。
うんうん、期待に応えて頑張った甲斐があったな。
「ええ。全世界からアクセスが集中するので、それに耐えられるように大型のサーバーを設置しようと思いまして」
「……待って。待て待て待て……一体どういう形で実現しようとしてるの? アプリの中に対応言語の翻訳データベースを追加で組み込むだけでいいよね?」
何やら呼吸が苦しそうな感じで呟くEGOさんに、僕は笑って応えた。
「あはは、やだなあ。全言語のデータベースをアプリに収めたらすっごい容量食っちゃうじゃないですか。それに新語も続々出てきてるわけですし、頻繁にデータベースを更新しないといけないんだから、外部にサーバー建ててそこにアクセスさせた方が効率的ですよ。データベースを更新するたびに再ダウンロードしないといけないなんて、ユーザーも開発者もお互い面倒でしょう?」
「た、確かにそうだけど……」
「ですよね! なので『ワンだふるわーるど』はクライアントソフトとしての役割に徹させて、実際の翻訳作業はサーバー内に入れた全言語対応翻訳システム『バベルI世』にやってもらいます!」
「……」
「……」
クライアントソフトというのは、サーバーを利用するための窓口となるソフトウェアのことだ。
アプリ単体で動かすには重い挙動も、処理をサーバーに任せればアプリ側の負荷は軽くなるし、アプリ自体のサイズも小さくて済むしで、とても効率的なのだ。
「スマホで撮影された動画から『ワンだふるわーるど』のAIが犬語を抽出して、サーバーに送信。それを『バベルI世』が翻訳して、『ワンだふるわーるど』に文章を送り返すんです。電波さえ届くなら、理論上は地球上のどこにいてもリアルタイムで翻訳できますよ」
「…………」
「…………」
ちなみに、『ワンだふるわーるど』側にも動画から犬語を抽出するAIが組み込まれる。こちらは動画内の音声や仕草、状況を読み取り、各要素を端的に『バベルI世』に送信する機能を持つ。さすがに動画そのものを逐一サーバーに送信なんてやってたら、4G回線じゃ通信負荷もタイムラグもでかすぎるからね。話は簡潔にまとめること、これに尽きる。
「今自宅に作ったラボで全世界の言語を学習させてるんですよ。いやあ、本当に時間がかかってしまって申し訳ないです。意外と地球に存在する言語の数って多かったんですね。でも待たせただけのクオリティには仕上がりますよ!」
「………………」
「………………」
師匠方は無言を貫いている。
これはきっと僕と同じく、感動に打ち震えているんだな。
ここに到達するまで苦労したもん。そりゃ学習自体はAIがやってくれたけど、学習システムを構築するのは僕がやったわけだし。
僕がそんなことを考えていると、EGOさんが何やら声を震わせながら、まるで恐る恐るとでもいうような感じで訊いてきた。
「あのさ……もしかしてなんだけど……。元が犬語じゃなくてもいける、それ? たとえば日本語の話者をアプリで動画撮影したら、ジェスチャーや表情まで含めて意訳した英語になるとか」
「ああ、できますよ? 仕組みは同じですし。犬の音声や仕草を読み取る代わりに、人間の音声とジェスチャーと表情を読み取るAIを組み込むだけでOKです。同じ人間の言葉だし、犬語より翻訳の精度も高いと思いますよ。でもまあ犬語翻訳アプリですから搭載しませんけどねそんな機能……」
「う……うわあああああああああああああああああああああああ!!!!!」
ガラガラドッシャーーーーーン!! とマイクの向こうからすごい音が聞こえた。椅子が思いっきり倒れた音に似ている。
「EGOさん!? どうしたんですか! 何があったんです!?」
「ぜ、全言語リアルタイム完全翻訳システムだああああああーーーーーーーーーッ!?」
「……すごいことなのかね?」
冷静に尋ねるミスターMに、EGOさんはすごい勢いで反応した。
「す、すごいのすごくないのって! めちゃめちゃにすごいことですよ! 人類史に残る快挙です!! 歴史の転換点ですよ!? これまでどれだけの時間と人員と研究費が費やされてきたと思ってるんですか!!」
「しかし今はリアルタイム翻訳機能とかネットにいくらでもあるじゃないか?」
「あれは文章や音声として入力しないといけないし、機械翻訳だから精度も全然でしょう! これは違いますよ、アプリで動画を撮影するだけで、音声に加えて仕草や表情といった非言語部分まで完全に翻訳できてしまえるんです! 音声だけだと翻訳できなかった細かいニュアンスも、完全に意図が伝わります! 手話だって誰もが理解できるようになります! 加えて不自然な訳はAIが判断して弾いてくれるから、精度もバッチリですよ!?」
「ほほー。海外旅行や講演で助かるな」
「それだけじゃないです、アプリで撮影するだけで書籍や書き文字から直接リアルタイムで翻訳することも可能になります! どんな言語の書籍でも日本語でそのまま読めてしまえるんですよ!」
「それは便利じゃないか、海外の文献を読むのが捗るぞ」
「便利……!? 何言ってるんですか、先輩! これは技術革命ですよ! 言語の壁が地球上から消滅しようとしているんです! 僕たちはその瞬間を目の当たりにしているんですよ!?」
「いや、正直どれだけすごいことなのかピンと来てなくてな……」
へえー、そういう使い方もあるのか。面白いなあ。
さすがEGOさんは僕の尊敬する師匠だ、着眼点が違う。
あ、それならこういうのはどうかな。
「じゃあ将来VRチャットとかで、高速回線を通して直接海外の人と対面で会話する時代になったら便利ですね。人間の音声や仕草を高精度で判別するAIと翻訳AIを常時走らせれば、動画撮影なんてしなくてもジェスチャーを含めて齟齬なくリアルタイムで会話ができますよ。VR空間でなら全世界ボーダーレスになりますね!」
「……………………」
ばたーーーーん!!! とマイクの向こうで何かが倒れる音がした。
「EGOさん!?」
「EGOくん!? しっかりしたまえ!!」
……とりあえず『バベルⅠ世』は犬語翻訳AIにだけ使うことになった。
EGOさんいわく。
「これはいくらなんでも僕らの手に余る発明だ。ひとつの国家が独占していいレベルのものですらない。時期を見てオープンソースとして世界に公開しよう。そのとき世界は大きな転換期を迎えるはずだ。世界がひとつだった時代、すなわち神話の時代が再来するぞ……! ネットはすべての人間が国境を超えて共通の言葉で分かり合える場所になるんだ!」
大げさだなあ。
そもそもオープンソースといっても、僕以外が解析するのは結構手間なんじゃないかと思うんだけど。相当乱雑なコードにしちゃったし、AIも学習進んでるし、サーバーだって必要だし。
まあ、僕みたいな一介の高校生が作れる程度のものなんだから、世の中いっぱいいる天才たちが何とかしてくれるか。
ちなみに『バベルI世』のサーバーについては、EGOさんの会社の社員が管理を行ってくれることになった。これはとても助かる。
そのためのマニュアルを作ってくれと言われたのは面倒だけど。
誰が読んでもわかるマニュアルを作るなんて、僕にとってはAIを作るより大変だよ。
さて、僕がマニュアル作りと運動でてんやわんやになっていた夏のある日。
催眠ジョギングから戻った僕を見たくらげちゃんは、顔を真っ青にして叫んだ。
「お……お兄ちゃん!? その顔どうしたのっ!?」
<翻訳の仕組みがよくわからん人向けの解説>
要するにアプリで犬を撮影したらサーバーに「この子なんて言ってるの?」って問い合わせて翻訳してくれます(完璧な理解度)
EGOさんがどうして倒れたのかわからん人向けの解説は外伝として同時投稿してますので、
そちらを読んでみてください。
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面白かったら評価とブクマしていただけるとうれしいです。




