第28話「お兄ちゃんは諦めない」
「ヤバいことになった。お前の妹が狙われてる……!」
昼休みに慌てて僕のところへやってきたにゃる君は、僕を人気のない場所へと連れ込み、緊迫した面持ちで告げた。
突然の警告に驚きながら、僕は聞き返す。
「くらげちゃんが狙われてるって……誰に?」
「他校のタチの悪い高校生グループだ。女を食い物にして、ボロボロに使い捨てるような連中に目を付けられてる。お前の妹がこいつらに混ざって夜の街を遊び歩いてるのを見た奴がいるんだ」
僕とくらげちゃんの仲は、春先よりもさらに険悪になっていた。僕は仲良くしたいのだが、くらげちゃんが一方的に僕を嫌っている。何か話しかけようとしてもくらげちゃんの方から避けていくし、目が合うとチッと不機嫌そうに顔を背けられてしまうのだ。
それだけならまだいいのだが、服装はますます派手というか、露出の増えた格好をするようになっていた。家に帰ってくる時間もとても遅く、夜遊びをしているようだ。
以前心配した両親が何をしているのかとか、来年は高校受験なのに遊び歩いていてはいけないとかそういった忠告をしたのだが、「うるせえよババア! 私が何してようが関係あんのかよ! キモ兄貴には甘いくせに、今更構うんじゃねえよ!!」と喚き、物を壊して当たり散らすのだ。
くらげちゃんは多分不良になってしまったんだと思う。
両親への態度に見ていられず僕は止めに入ろうとしたが、くらげちゃんは心底嫌そうな顔で「気持ち悪いんだよ、アンタは! 今更人間の真似かよ!」と吐き捨てて、部屋に閉じこもってしまった。
もう手が付けられなかった。昔のくらげちゃんとはまるで別人だ。
僕にはくらげちゃんにどう接すればいいのかわからなかった。
そんな悩みが顔に出ていたのだろう。相談に乗ると言ってくれたにゃる君は、僕の話を聞くなり自分の胸を叩いて「俺に任せろ、何が起きたのか調べてやる」と頼もしげな笑みを浮かべた。
そしてついにその全容を把握したというわけなのだろう。
「女を食い物に……?」
「ああ。こいつらは可愛い女の子を見つけては、集団で近付いて遊び仲間に引き入れる。そして言葉巧みに家出するように促して、自分たちのアジトに監禁するんだ。そして……その……」
にゃる君は苦しそうな顔で顔を歪めた。
「くそっ……こんな酷いことをお前に聞かせたくない」
「言ってくれ、頼む」
にゃる君がそう言うってことは、本当に酷いことをするのだろう。そしてくらげちゃんが今まさにその毒牙にかかろうとしている。
くらげちゃんは僕にとって大事な家族だ。躊躇している場合ではない。
「……集団で性的なことをしたり、クスリを打ったりして、欲望のはけ口にしてしまう。そうすると監禁された女の子は段々頭が変になって、逆に奴らに依存するようになっちまう。ストックホルム症候群と薬物で洗脳された、奴らの言うことを何でも聞く都合のいい人形ってわけだ。そしてその子に客を取らせたり、ビデオに撮って売ったりするらしい」
想像をはるかに上回って最低な話だった。
にゃる君は相当言葉を選んでくれたようだが、きっと実際にはもっとひどいことが行われているはずだ。
胸がムカムカする。くらげちゃんがそんな目に遭わされるところを想像するだけで、背筋を粘っこい汗が伝い、吐き気がこみあげてきた。
くらげちゃんはもっと賢い子だったはずだ。
なんでそんな悪い男に捕まってしまったんだ。
もう僕が知っていた、可愛い妹ではないのか。
ありすと僕の3人で実の兄妹のように過ごした日々はもう二度と帰って来ないのか。
目の前がぐらぐらと揺れ、まともに立っていられそうになかった。
「しっかりしろ! 何とかできるのはお前だけだぞ!! お兄ちゃんなんだろ!!」
そんな僕の肩を力強くにゃる君が掴み、現実に引き戻す。
そうだ。こうしている場合ではない。
「ハカセ、今すぐ家に戻れ。それで妹さんを止めるんだ。まだ家出してないなら、これが最後のチャンスになると思う」
「……でも、説得なんて今更通じるとは思えないよ」
「ダメでもやれ。あいつらの正体を暴露すれば……いや、お前には無理やりにでも言葉を届ける手段があるんだろ。使うなら今だろうが!」
「……わかった」
僕は頷くと、急いで家に戻ろうと背を向けた。
「待った!」
「?」
「……何か荒事をするなら、俺を呼べよ。ボディガードならできるはずだ」
「ありがとう」
僕はにゃる君に頷いて、駆け出した。
だけどそんなことをにゃる君にさせるわけにはいかない。もしもケンカして他校の生徒に怪我でも負わせたら、にゃる君はもう警察官になれなくなってしまうだろう。にゃる君の夢をこんなことで絶つわけにはいかない。
この件は僕が解決するべき話なのだ。
※※※
なけなしの体力をすべて使って家路を急ぎ、玄関先にたどり着く。
電車以外の全道程を僕なりに全力で走ったら、もうへとへとだった。こんなにも日頃運動してないことを悔やんだことはない。
クソッ、やっぱり運動はしないとだめだ。いざというとき役立たずになる。
……しっかりしろよ、お前はお兄ちゃんなんだろ。
自分を叱咤して力を振り絞り、玄関のドアノブを引いた。
玄関のドアには鍵がかかっていなかったが、両親の靴がない。出かけているようだ。代わりにラメの入ったミュールが乱雑に脱ぎ捨てられていた。
くらげちゃんが家にいる。登校はしていたはずだから、きっと途中で引き返して家に戻って来たんだ。
2階に続く階段がギシギシと鳴り、くらげちゃんが降りて来る。
「げっ」
僕を見たくらげちゃんは、幽霊でも見たような顔をした。
私服の彼女は、肩に大きなバッグを掛けている。明らかに通学に使うようなものではない。旅行とか……それこそ家出に使うような。
間に合った。恐らく今まさに家出する直前だったのだろう。
奇跡的な巡り合わせだった。にゃる君が今すぐ帰れと言ってくれなければ、体力を使い切ってでも走らなければ、きっと間に合わなかった。
だが話はここからだ。
「くらげちゃん、大荷物じゃないか。どこへ行くんだ?」
「アンタには関係ねーだろ」
「あるよ。くらげちゃんは僕の妹だ。関係大アリだろ」
僕はそう言いながら玄関のドアを後ろ手に閉め、道を塞ぐ。
するとくらげちゃんは非常に苛立ったように、僕を睨み付けた。
「どけよ!」
「どかないよ。家出なんかしたらお母さんたちが悲しむぞ」
「……うぜぇ!! うぜぇうぜぇうぜぇ!! 今更何を兄貴面してんだよ!! 人間の血も通ってないロボット野郎が!!」
「機械じゃない。傷付いたら血が出るよ。くらげちゃんと同じ親に産んでもらった血だ」
「うるせぇよ! アンタなんか大嫌いだ!! 人の心なんか持ち合わせてもない冷血漢のくせに、こういうときだけ出てきて止めるんじゃねえよ!! もう私はアンタから自由になりたいんだ!!」
くらげちゃんが何故こうなってしまったのか、僕にはわからない。
僕から自由になりたいという言葉の意味も理解できなかった。
彼女を束縛したことなんて、一度もなかったはずだ。
だが、今のくらげちゃんが間違っていることだけは理解できている。
くらげちゃんは今まさに不幸に向かって転げ落ちようとしている。それはくらげちゃんを傷付けるだけでなく、両親を深く悲しませるだろう。
3人もの家族が不幸になることを、僕は許さない。全力でその不幸を排除しなければならない。どんな手を使ってでも。
「くらげちゃん、聞いてくれ。この玄関の向こう側に待っているのは自由なんかじゃない。不幸せだ。僕はキミをあんな奴らのところに行かせるわけにはいかない」
「束縛するな! 私に干渉するなよ!! 何なんだよアンタは! アンタがいるせいで、パパもママも私に構わない!」
「そんなことはなかっただろ。くらげちゃんの思い違いだ」
くらげちゃんはちゃんと両親に構われているはずだ。
少なくとも育児放棄のようなことをされたことは一度もない。
だがくらげちゃんはそうではないと言う。
「気付かないのかよ!! パパも! ママも! ありすちゃんも! アンタはみんなを束縛してるんだ! アンタが欠陥品だから! 人間の心を持って生まれてこなかったせいで、みんながアンタに気を遣わされてるんだ! ……私も!!」
欠陥品、という言葉に胸がズキリと痛んだ。
他人に何を言われても痛くも痒くも感じない僕だが、さすがに実の妹に面と向かって指摘されると響くものがある。
そしてそれは事実だ。
僕の心は生まれつき、人間にとって非常に大事な部分が欠落している。
「人間の心をもたないひとでなしに、私の気持ちの何がわかるんだよ! そんな奴が私の兄貴面するんじゃない! 気持ち悪いんだよ!! もうほっといてよ! 自由にしてよ!!」
くらげちゃんの叫びに、僕は反論する言葉を失う。
きっとくらげちゃんは僕のせいでずっと傷付いていた。その傷がどれほどのものなのかは、マトモな人間ではない僕には推測することもできない。
だけどきっと僕の存在が、くらげちゃんにとっては重荷だったのかもしれない。僕といることがくらげちゃんを傷付けるというのなら、いっそ彼女の自由にしてあげたほうがいいのだろうか。
心の欠落から僕を覗く何かが、深い闇のように僕を包み込んでいく。
(……お兄ちゃんなんだろ!!)
不意に脳裏に響いたにゃる君の言葉が、視界を晴らした。思考がクリアになる。
そうだ。自由にさせることが彼女を不幸にするなら、否定しなければならない。この手を離してはいけないのだ。
ありすが、両親が、何があろうとも僕の手を離さなかったように。
「くらげちゃんがどれだけ僕を気持ち悪がろうが、僕はキミを止める」
「…………!!」
くらげちゃんの投げたバッグが、僕の顔にぶつかる。
ぐわんとした衝撃に耐え、僕はその場に踏みとどまった。
「……私の名前を覚えられもしないくせにッ! それでも兄貴かよッ!!」
目からぼろぼろと雫をこぼしながら、彼女は叫ぶ。彼女にまったく似合わないケバいアイシャドウが滲み、血涙のように頬を伝っていた。
そうだな。それは確かにくらげちゃんの言うとおりだ。
僕は客観的に見て兄失格の人間だろう。どこの世界に妹の名前もまともに呼べない兄がいるものか。
だが、たとえそうであっても、僕はくらげちゃんの兄でありたい。
本当は妹相手にこんなことはしたくなかった。そんなものがなくても言葉は通じると信じていた。
それでも僕は人間として欠陥品で、手段はきっとひとつしかない。
だから僕は自ら作った翻訳機で心を交わそう。
「みづきちゃん」
「……!?」
本当の名前を呼ばれた彼女が、眼を大きく見開いた。
そんなみづきに向けて、僕はアプリを起動する。
「催眠!」
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