第22話「サイミン桜」
「な、なあハカセ……ちょっと休憩しないか?」
「そうだよね、学校も1時間ごとに休み時間あるし」
2人は僕に指導するうちに集中の糸が完全に切れてしまったのか、そわそわとゲーム機の方に視線を送っている。
うーん、まだ勉強初めて1時間も経ってないぞ。
そんなにゲームがやりたいのか……。
仕方ないな。
「いいよ、休憩しよっか」
僕がそう言った途端、2人はゲーム機に飛びついた。
「よっしゃ! どれからやろうかなー」
「ネヌオ! まずはネヌオを鍋に入れようよ!!」
ささささんは速攻で例のパッケージを手に取ると、にゃる君が配線をつなぐなりゲーム機にディスクを挿入した。
そんなにネヌオを鍋に入れたいのか……。僕もいいゲームだと思うけど。
「念願のネヌオがアタシの手の中に……! ねえ、ハカセくんはこのゲームクリアできるの?」
「うん、できるよ。1周1時間くらいかな」
初回は30時間かかったが何度も繰り返して遊んでいるうちにクリアタイムがどんどん短くなり、最終的に1時間まで短縮された。
小学生のときはずっとこのゲームに執着していて、1日3周はしたものだ。
今はプログラムというもっと面白い遊びに出会ったので、ゲームはめっきりやらなくなってしまったが。
「えっ、1時間ってRTA世界記録とタイだよね……すごい! ハカセくんやるじゃん!! ねえ、見せて見せて!!」
そう言いながらささささんがキラキラした瞳でコントローラーを押し付けてくる。残念だけどそんなにすごいすごいと言っても、オタサー姫ムーブは僕には効かないぞ。
「いや、ゲームやりたいのはキミたちでしょ。僕がやってどうするんだ」
「むう……そうだけどぉ。後でプレイ見せてね? ね?」
「じゃあ俺がやろっと!」
すかさずにゃる君がコントローラーを拾うと、ゲームをスタートさせた。
「あーずるい!」
「ミスしたら交代でいいんじゃない?」
「……じゃあそれでいいよ」
僕が仲裁案を出すと、ささささんは渋々とそれを飲んだ。
本当にゲームが好きなんだな。
※※※
にゃる君もささささんもゲームはかなりうまく、何度か初見殺しにやられながらもどんどん攻略していく。
今はにゃる君がステージ1のボスのもぎとり猫タスペアーと死闘を繰り広げていた。ファンシーな見た目に反してえげつない攻撃でネヌオの手足をもごうとする、食欲も難易度も鬼畜なにゃんこである。
にゃる君の奮戦を眺めていると、ささささんがぽつりと訊いてきた。
「そういえば、今日はありすちゃん呼ばなかったの?」
「ありすは今日読者モデルの仕事してるからね。邪魔するわけにもいかないし」
「あー、なるほど」
それにありすは天才肌だから教えるのうまくなさそうなんだよな。
そもそも、ありすが同じ高校に連れていきたがってるのはあくまで僕であって、にゃる君とささささんはありすにとって他人だ。あいつにこの2人も同じ学校に連れていくよう手伝ってほしい、と助力を求めるのはお門違いだろう。
だからありすは誘わなかった。
「ありすちゃん、拗ねないかなぁ」
「拗ねる? 何で?」
「何でって……」
ささささんはため息をついて僕を見た。
??? よくわからない……。
「今回の勉強会にありすは関係ないよ? そりゃ確かにありすと僕は同じ高校に行く約束はしてるけど。今回呼ぶ理由がないし」
「理由がないと一緒にいちゃいけないってことないでしょ。仲が良いなら、自然と一緒にいたいなって思うのが人間ってもんじゃん」
「……」
話を聞きながら、ふと小学校の雪の日を思い出す。
結晶を眺めるのに夢中になって風邪を引きそうな僕の手を引いて、ありすは教室のストーブに当てた。そしてかじかんで赤くなった僕の手が肌色に戻るまで、ずっと隣にいたのだ。
「アンタってホントバカね。バカは風邪ひかないっていうけどアンタは風邪を引くバカだわ。帰ったらお風呂入って、ひどくなる前に寝るのよ」
そんな文句を言って僕を叱っていたありすは、誰かに言われて僕の手を温めてくれたわけでも、隣にじっと座っていたわけでもないだろう。
「次はちゃんと誘ってあげてね」
「わかった、そうする」
僕は素直に頷いた。
「よっしゃあああ! ステージクリアだっ!!」
ボスを倒したにゃる君がガッツポーズを取った。
僕たちの話も耳に入らないくらい集中してプレイしていたようだ。
ささささんがパチパチと拍手して、その健闘を讃える。
「おっ、やるじゃん。最初のステージにしては結構難しかったはずだけど」
「ふふん、俺にかかればこんなもんよ。さーて次のステージはどんなのかなー」
コントローラーを握り直すにゃる君は、本当に楽しそうだ。
もう軽く1時間は経っているのだが、息抜きの方が長くなってる……と指摘するのも野暮かな、と思えてきた。
にゃる君にとっては多分、勉強よりもゲームの方が楽しいのだ。僕は新しい知識を得ることを楽しく感じるが、にゃる君にとって勉強は苦痛なのだろう。
そもそもにゃる君には進学校に行く理由がない。彼の目標である警察官になるためには高校卒業後に警察学校に入学する必要があるが、卒業する高校はどんな学校でも構わないのだ。
それを僕の都合で無意味な努力をさせてしまっている。苦労して高校に入学したとしても、進学校の勉強だって楽じゃない。3年間も彼に苦痛な勉強をさせるとあっては、にゃる君が可哀想だ。
……『可哀想』?
楽しそうにゲームにのめり込むにゃる君を眺めながら、僕は少し自分の頬が緩むのを感じた。
可哀想か。そんな気持ち、『他人』に対して思ったこともなかった。
僕はこの半年で、にゃる君のことを随分好きになっていたようだ。
そうだな。にゃる君のためを思えば、同じ高校に進まないのも有力な選択肢だろう。僕の監視からは外れることになるが、それもやむを得ない。
それにしても、にゃる君もささささんも本当に集中してゲームしてるな。相当面白いと思っているんだろう。
勉強でもこれくらい集中してくれたなら……。
「いや、待てよ?」
そうか。その手があった。
「にゃる君、ささささん、ちょっとこっち見てくれる?」
「ちょっと待って今良いところ……!」
「ポーズすればいいじゃん。で、どうしたの?」
振り向いたにゃる君とささささんに、僕はスマホを向けた。
「催眠!」
「「うっ」」
にゃる君とささささんが、トロンとした顔になる。
例によって催眠が効果を発揮したようだ。
催眠の重ね掛けで最初の効果が消えないか心配だが、それもまた実験のうち。
僕は手早く暗示を埋め込むことにする。
「キミたちは今から、勉強して知識を得ることをそのゲームと同じくらい面白く感じるようになります」
「勉強を……このゲームと同じに……」
「面白く……わかりました……」
今回試すのは催眠術の定番のうち、『認識のすり替え』だ。
たとえば氷を熱いものと錯覚させたり、ケーキを梅干しと同じ酸味と思わせたりするように、勉強の面白さをゲームと同等にすり替える。
単に『勉強が面白く感じるようになれ』と言ってもピンとこないだろうが、具体例を今まさに体験しているのならば話は早い。
そして、やっぱり意欲が湧かないと勉強に身は入らないものだ。漫然と何かをやれと言われてもなかなかやる気は出ない。
だから勉強そのものではなく、知識を得ることを目標に設定してやる。
「さらに、僕が指を鳴らしてから次にもう一度鳴らすまで、キミたちは勉強にすごく集中できるようになります。ゲームのボス戦と同じくらい夢中になって集中でき、内容もするする頭に入ります。なお、この集中できる効果と先ほどの勉強をゲームと同じくらい面白く感じる効果は、僕が2回目に指を鳴らすと止まります」
「2回指が鳴るまで……」
「集中できる……わかりました……」
加えて、集中できる制限時間を設定してやる。
人間が集中できる時間なんて決まっているのだ。脳が疲労しているのに無理して集中させ続ければ、頭がおかしくなってしまう。
それに勉強がいくら面白くなるとはいっても、あまりにも夢中になりすぎて四六時中勉強を続けて体を壊されては困るのだ。
被験者を僕の管理下に置けとミスターMに言われていることだし、あくまでも僕の制御できる範囲で集中してもらおう。それが2人の体と脳を守ることにもなるはずだ。
……勉強を面白く感じるんだから、無理やり勉強させられて可哀想ということもないよね。うん、そういうことにしよう。
にゃる君とささささんの催眠状態を解くと、2人は目をぱちくりとさせた。
「あれ……? 俺今寝てた?」
「なんか時間が飛んだような……」
「はい、じゃあゲームは後の楽しみにして、勉強を再開しよっか」
パチン!
訝し気な2人の前で指を鳴らすと、彼らは無言でテーブルに向かいだした。
猛烈な勢いで眼球を動かして参考書を読み込み、カリカリとひっきりなしにノートに文字を書き込んでいる。
「おーい」
小さな声で呼びかけてみるが、2人は勉強する手を休めようとしない。
どうやら催眠が効いたようだ。よしよし。
では僕も勉強するとしよう。早速国語の問題にチャレンジだ。
……おお、2人が真剣に集中してる前だと、僕も頑張らなきゃと思えてきたぞ。
なるほど! これが勉強会の真の効果なんだな!
※※※
2時間が経過した。
そろそろ集中も限界だろう。
パチン!
僕が指を鳴らすと、2人はハッと目が覚めたように手を止めた。
「うっ……!? あ、頭が痛え……!」
「あ、あれ!? 今、また時間が飛ばなかった……!?」
うーん、頭痛があるのか。ボス戦と同じくらいの集中を2時間はちょっときつかったかな。今度はステージ道中くらいにしておこう。
「2人とも2時間の間、すごく集中して勉強してたよ。はい、甘いもの。糖分取ると頭が休まるよ」
2人が勉強してる間に台所に行って取ってきたクッキーを勧めながら、温かい紅茶をカップに注いであげる。
僕だって気を利かせてねぎらったりできるんだぞ。
「俺が2時間も夢中で勉強……!? いやいや……無理だろ……」
「でも確かに時計が2時間進んでるね……」
にゃる君とささささんは、訝し気な顔でお茶とお菓子を口に運んでいる。
とりあえず集中して勉強させることはできた。
では、次にその効果を調べてみよう。
催眠中に勉強したことは、果たしてちゃんと頭に入るのか? 催眠中は半ば寝ているようなもので、その間に何を勉強しても記憶に残らないというのなら、いくらやってもまったくの無駄だ。
「じゃあ疲れているところ悪いけど、ちょっとこの問題を解いてもらえる?」
参考書を1ページ前にめくり、催眠中の2人が直前まで解いていた問題を示してみる。
「いやぁ……俺にはちょっと難しいんじゃねえかなぁ……」
にゃる君は半笑いを浮かべ、シャープペンを手に取った。
そしてペンをすらすらと滑らせ、計算式を書いていく。
「……えっ?」
にゃる君が真顔になった。
その間にも手はどんどん計算式の続きを記述する。
「な、なんで解けるんだ!? ひいっ! 頭の中から公式と定理がどんどん湧き出てくるっ!? 勉強した記憶がないのに! こ、怖いよォ!?」
「アタシこの問題の答え知ってるッ!? いやあッ! 歴史の年表が次々に埋まっていくッ!! 特に語呂合わせもしてないのに年号がぱっと出てくるぅ!?」
「いや、キミたちがさっき勉強したんだよ」
そう言いながら僕も紅茶をすすり、クッキーを口の中で溶かした。
あー糖分が疲れた脳に染みる。やっぱり甘いものはいいね。
「………………」
「………………」
自己採点もバッチリな答案を、2人はまじまじと見つめている。
うん、この調子なら偏差値47からでも65の高校を目指せそうだな。
とはいえ集中は2時間ほどしか続かないだろうから勉強会は頻繁に開く必要があるだろう。中学3年生の1年間は、催眠アプリの開発はほどほどにして2人の学力を上げることに費やすことにしよう。
一応こうやって催眠することでデータも取れているわけだし。
それにしてもすごいな、催眠中でも頭に入るのか。ミスターMも催眠アプリの新たな可能性に喜んでくれるに違いない。
「言われてみると確かにここを勉強した記憶はうっすらとあるな……」
「でも、なんか……頭に入りすぎて不気味というか……」
「まあいいんじゃない、楽しく勉強できたみたいだし」
そのとき、すごい勢いで誰かが階段を駆け上がってくる音が聞こえた。
体重が軽い足音だし、くらげちゃんかな?
「ハカセーーーー!! アンタ女連れ込んだってどういうことよ!!!」
バーンとドアを開けて入って来たのはありすだった。
あたたかそうなコートと帽子がモフモフして可愛らしい。
でも全力でハアハアと息を荒げているのはいただけないな。何をそんなに急ぐ必要があったんだよ。
「お前、ここ僕んちだぞ。ちょっとはお行儀よくしろよ、階段痛むだろ」
「やかましいわ!」
ありすはジロッとささささんを睨む。
が、ささささんが邪気のない感じで笑いながら小さく手を振っているのを眺め、次ににゃる君とテーブルの上の参考書に目を向けて、はーっと深く肩を落として息を吐いた。
「よ、よかった……勉強会かぁ……」
「あっ、もしかして、勉強会に誘わなかったのを拗ねてるの?」
「は!? そんなわけ……いえ、そうよ! 私をのけ者にしないでよね!!」
一瞬否定しかけたようだが、ありすはすぐに頷いて腕を組んだ。
素直じゃない奴だな。
それにしてもささささんはすごいな。キミの言ったとおりだった。
「ごめん、もう勉強は終わったんだ。次は呼ぶからな」
でもここでありすを帰すのは可哀想だな……そうだ。
僕は4人で遊べるゲームのパッケージを持ち上げると、ありすに訊いた。
「これからゲームするけど、お前もやる?」
「やるわよ! 当たり前じゃない!!」
ある日のSNSログ
『たいへん! お兄ちゃんが女の子連れてきた!』
『は?』
『ありすちゃんどーしよ!?(∀・;)』
『秒で仕事終わらせてそっち行く』




