236 隣にいる資格
「殿下の目的が見えてきましたね」
七番隊の隊長執務室。
イリス・リードの言葉に、ルーク・ヴァルトシュタインは冷ややかな声で言った。
「この部分、情報元はどこ?」
「え? 隊の誰かが聞き取ったことだと思いますけど」
「いつどこで誰が聞いたか明記して。じゃないと、情報として信頼できるかどうか判断ができない」
「一々そこまでしなくてもいいと思います。それほど重要な部分じゃないと思いますし」
「ノエルなら何も言わなくても書いてる。負けたままでいいのか」
イリスの眉根がぴくりと動いた。
「確認してきます」
資料に視線を落としたまま、執務室の扉が閉まる音を聞く。
(扱いやすくて助かる)
ルークは紅茶を口に含みつつ思う。
イリス・リードとの非公式の相棒関係。
共に働く相手としてイリスは想定していたよりずっと扱いやすかった。
(協調性がない問題児という噂だったが)
おそらく、入団してすぐに鼻っ柱を折られたことがよかったのだろう。
指示を出せば熱心に職務を全うし、期待以上の結果を出してくれる。
時折、自己中心的な部分が顔を覗かせるところはあるけれど、それも許容範囲内。
まだ入団一年目の十八歳であることを考えると、能力的には末恐ろしいものがある。
(とはいえ、ノエルと比べるとまだまだ甘い、か)
特に大きいのは魔法以外の部分だった。
状況判断と最善の仕事を選択する速度。
そして、単純に仕事を処理する速度ではノエルには到底及ばない。
共に働く相手に対する配慮や気遣いといった部分も新人らしい甘さがある。
(元々、人の中にいなかったタイプだろうしな)
ルークは彼女を観察してそう判断していた。
人と接する際の動きに不自然なぎこちなさが混じることがある。
そこにはかすかな不安と怯えが見える。
それを隠すための強がりと意地が見える。
(人なんて適当に合わせておけばいいのに)
幼い頃から貴族社会で揉まれ、仮面優等生として周囲に好かれる振る舞いを習慣化していた経験のあるルークからすると、どうしてそんなに不器用に接しているのかわからない。
(まあ、人間できることとできないことがあるしな)
あるいは、状況的にそれが難しいという場合もある。
ルーク自身、ノエルと再び一緒にいるためにすべてをなげうって働いていた頃は、周囲への気遣いなんてしている余裕は欠片もなかった。
(あの子も、相当余裕はなさそうに見える)
おそらく、焦りがあるのだろう。
学生時代とは異なる環境。
一年目はすべてが初めての経験で、足りない能力を突きつけられることも多い。
(何かフォローした方がいいのだろうか)
考えてみたがまったくわからなかった。
一年目の自分を思い返してみて、先輩からフォローされたいと思ったことがルークには一度もない。
『構わないでくれ』とずっと思っていた。
『放っておいてくれたら勝手に結果を出すから』と。
彼女を見て改めて思う。
(僕も随分扱いづらい後輩だったんだろうな)
人間的な付き合いを放棄し、関係性を拒絶する。
にもかかわらず、結果だけ誰よりも出してくるのだから、同僚や先輩からすると扱いづらいことこの上ない。
目の敵にされていじめられてもおかしくなかったはずだ。
しかし、ルークの場合はその類いの経験が一度も無かった。
三番隊が陰湿なところがまったくない集団だったからだ。
『取っとけ。俺からの褒賞だ』
三番隊の隊長執務室で、ガウェインさんに渡された封筒のことをルークは覚えている。
『僕は貴方の命令を破りました。二番隊から連絡が入ってますよね』
『獲物を横取りされたとか言ってたな』
『叱らないんですか。処罰されてもおかしくないことをしたと思っています』
『わからないやつにはどんな手を使ってもわからせるだろうさ。でも、お前は感性があるしちゃんとわかってる。わかった上で理由があって無視してるんだろ。そして、それは俺が押さえつけたところで止められるような軽いものじゃない』
『……それは、そうですけど』
『どうせ止められないなら好きにさせておいても同じことだ。お前は他の隊員の三倍仕事してるしな。多少横取りしても許されるだけのことをしてると思ってる』
『そんなことは』
『嫌がらせしてくるやつがいたら俺に言え。全部俺の指示だと伝えてやる。余計なお節介かもしれないがそれくらいのことはさせてくれよ。俺はお前の上司なんだからさ』
言葉のあたたかさが信じられないくらいだった。
周囲を顧みない姿勢を肯定されたことに戸惑って、それまでより少しだけ周囲のことを考えるようになった。
横取りのような強硬手段は可能であれば避けるようになったから、自分に対する上官の接し方としては正しいアプローチだったのだろう。
ひねくれたところのある自分には、あえて止めない方が効果的なやり方だという考えもあったのかもしれない。
(あの人はよく人を見てるから)
同じ隊長として自分の足りない部分を痛感する。
できるからこそできない人の気持ちがわからない。
自分は冷たい人間なのだろう。
ノエルやガウェインさん、レティシアさんのようなあたたかい心を持った人とは違う。
(だからこそ、近づきたい。あんな風に人に与えられる人間になりたい)
そんな思いが自分の中にある。
執務室の扉を叩く音が響いたのはそのときだった。
入って来たその人を見て、ルークは視線をそらした。
「少し話せるかしら」
レティシア・リゼッタストーン。
いろいろと思いだしていたところだったからこそ、悟られないようにいつも通りの自分を装う。
「構いませんよ。何ですか」
「ミカエル殿下のこと」
「敗者同士傷のなめ合いでもしますか」
「冗談を言うの珍しいわね」
「ちょっと人間になろうと思ってまして」
軽い口調で言うルーク。
レティシアは笑わなかった。
表情を変えずに口を開いた。
「私たちは王政派貴族の追究からガウェイン隊長を守り切れなかった。裏で糸を引いていた殿下にノエルさんを差し出す形になった」
「ノエルは自分の意思で行くと言ってましたけどね。でも、王宮魔術師団に復帰させてくれたことでガウェインさんが責められている経緯を考えるとそれ以外の選択は事実上なかったようにも思いますが」
「おかげで、こちらは随分落ち着いたわ」
「ガウェインさんはどうしてますか?」
ルークの問いに、レティシアは深く息を吐いて言った。
「納得いってないみたい。ノエルさんが自分を庇ったんじゃないかって気になってるみたいよ。一時は殿下と直談判寸前まで行ったわ。今は大人しくしておきなさいって止めたけど」
「よく止められましたね」
「氷漬けにしたから」
「氷漬けにしたんですか」
「そういうこともあるわ。これが初めてじゃないから」
「そう言えば、僕が入団した頃も借金を期日に返せなくて半日凍ってましたね」
「人が毎月真面目に貯めたお金を返さないって万死に値すると思わない?」
「思います」
ルークはうなずいた。
他の言葉を発するべきではないとはわかっていた。
人間は大抵ひとつくらい、意見を言わない方が良いこだわりや思想を持っている。
レティシアは遠い目で窓の外を見つめた。
「ノエルさん、王の盾で筆頭魔術師としての職務に打ち込んでるみたいね」
「そうですね。王の盾の情報は外に出てこないので細かい部分はわからないですけど」
「寂しい?」
「寂しいですよ。だからといって嘆くほど子供ではないですけど」
レティシアは何も言わなかった。
観察するようにルークを見つめていた。
「ノエルさんを取り戻す計画があると言ったらどうする?」
その言葉は、ルークの心を揺らした。
重みのある衝撃があった。
固めていた足場が崩れる感覚があった。
しかし、バランスを崩しはしなかった。
ルークはその心の揺れを冷静に見つめていた。
静かに言葉を返した。
「ノエルは今、自ら望んで殿下の隣にいます。僕は何があってもノエルの側に立つ」
ルークは言う。
「場合によってはレティシアさんの敵にならないといけないかもしれません」
「あの子を取り戻さないでいいの?」
「もちろん隣にいたいですよ。そのためなら、どんなことでもできるくらいに。でも今、僕はそれ以上に、あいつに幸せに生きてほしいと思うんです。迷わずに心からやりたいことをして欲しい。進みたい道を進んで欲しいんです」
「無理してない? 気持ちを抑え込んでいるといつか反動が来るわよ」
「無理はしてます。でも、強がることで少しずつ強くなれる部分もあると思うんです。強くならないといけないと思っています」
ルークは真っ直ぐにレティシアを見て言った。
「あいつのありのままを受け入れて、応援できるように。そうじゃないと多分、あいつの隣にいる資格がある人間になれないと思うから。何より僕が自分を許せないから」
レティシアはじっとルークを見つめてから目を伏せた。
「大人になったのね」
「そうかもしれません。少しだけですが」
「元々貴方には協力を要請しないつもりだったの。貴方は今回の作戦行動に私情を持ち込む可能性があるから。でも、隊長がどうしてもと強く主張するから私はここに来た。貴方が今どういう風に考えているか確認するために」
「結果はどうでした」
「隊長が正しかったわ。今の貴方になら協力を要請できる」
レティシアの言葉に、ルークは眉根をひそめて言う。
「穏やかじゃないですね。何かあったんですか?」
「殿下の製造プラントで帝国に輸出する二倍の量の魔法武器が見つかったの。しかも、さらに生産量を増やすように指示が出てる」
レティシアは言う。
「殿下の目的は、帝国内に足がかりを作ることじゃない。間違いなくそれ以上の何かがそこにはある」
「元老院最高議長に近づく以上の目的がある、と?」
「私はそう考えているわ」
「殿下の狙いは何ですか」
「わからないわ。一応、仮説ならあるけど」
「教えて下さい」
沈黙が流れた。
レティシアは言葉を探すように押し黙ってから口を開いた。
「武力による帝国上層部の制圧」
その言葉にはいくらかの畏れが混じっていた。
「殿下は帝国上層部を武力により排除して、権力を握るつもりかもしれない」






