234 叙任式
できる限りのことはしたと思う。
込められるだけの思いは込めて話した。
だけど、ミカエル殿下の心にはまったく届いていないように見えた。
彼は既に修羅の道を進むと決めているのだ。
そうせずにはいられないだけのものを彼は見てきたし、それに値するだけの理由が彼にはあった。
彼がどれだけの地獄を見てきたのか私にはわからない。
推測することしかできない。
それでも、まともな状態ではいられないだけのものが、そこにあったことは間違いないように感じられた。
人の心がなくなってしまってもおかしくない。
それだけの経験を彼はしてしまっている。
だとしても――いやだとしたらなおさら、私は殿下の行動をチェックしてたくさんの人が傷つく事態にならないように見張らないといけない。
殿下には、殿下の心に忠実に生きる権利があるように、私には私の心に忠実に生きる権利がある。
私は可能な限り殿下に同行して、届いた手紙を盗み見たり、会談に聞き耳を立てたりした。
警護の騎士さんが剣に手をかけた。
私はびくっとした。
「ノエルさん。今日の筆頭魔術師任命の儀についてなんですけど」
眼鏡をかけた部下の魔術師さんの言葉に、「な、なんでしょう」と前のめりに言いつつ警護の騎士さんから距離を取る。
その日は、年に一度行われる王国勲章授与式の日だった。
式典の前に、王国における名誉職の任命式が行われる。
新しく大臣になった貴族さんへの任命の儀が行われた後、王の盾の筆頭魔術師である私もこの儀式に参加することになっていた。
絶対に失敗できない重要な式典だ。
(やばい……めちゃくちゃ苦手分野……)
貴族社会におけるマナーや礼法に関しては勉強中で、完璧にできているとは言い難い状態の私だ。
大丈夫かな、と不安を感じつつ伝統的に着られている式典用の礼服に腕を通す。
男性用に仕立てられた服であることもあって、明らかにサイズが合っていなかった。
大人の服を子供が着ているみたいになった私が鏡の向こうで愕然とした顔をしていた。
「だ、大丈夫です。私たちが必ず風格と威厳あるお姿にしてみせますので」
王宮に勤めるベテランの女性使用人さんたちは、三人がかりでお化粧と着こなしの調整をしてくれた。
積み重ねた経験と恥ずかしい仕事はできないという職務への誇りのおかげで、なんとか筆頭魔術師として納得してもらえる姿にはなれたように思う。
威厳と風格は大分足りてないけど。
前任者のサヴァレンさんが叙任式で着たときの写真と比べると、まったく違うお遊戯会の服みたいに見えるけど。
(違う……これはたまたま男性用の服が私に合っていなかっただけ。私が低身長で手足が短い残念な体型をしているからではない……!)
懸命に自分に言い聞かせつつ、指示された場所に待機する。
今日の式典では三人の大臣と私、そしてもう一人誰かが国王陛下から任命の儀を受けることになっているらしい。
式典が行われるのは王宮一階にある『栄光の間』。
私が王宮魔術師団に入団して最初の仕事――緋薔薇の舞踏会が行われた会場だ。
大王宮において最も広い部屋では、美しい蝋燭台と天井から吊り下げられた水晶のシャンデリアが光を放っている。
式典の警護は王の盾により行われる。
とはいえ、筆頭騎士の男性と前筆頭魔術師のサヴァレンさんが担当してくれているので参加者である私の仕事はないのだけど。
(殿下は私に、通常の筆頭魔術師とは違う仕事をさせたいみたいだしな)
実務上のことはサヴァレンさんが取り仕切っていて、私が意見を求められたことは一度も無い。
私が求められているのは、戦闘能力を活かした殿下の警護なのだろう。
予知夢で見た未来を変えたいと殿下は言っていた。
起こってしまう悲劇を回避したい、と。
そのために、リスクを侵して危険なところへ向かおうとしているのを感じる。
私は唇を引き結ぶ。
(殿下を止められるとしたら私だけ。何をしようとしているのかちゃんと見極めなくちゃ)
考えているうちに、式典が始まる。
名前を呼ばれた新しく大臣に選ばれた男性が、国王陛下の前に歩み出る。
跪いて祈るように顔を俯ける。
礼服に身を包んだ国王陛下は、手渡された儀礼用の剣を握る。
儀礼用の剣には魔法契約の術式が施されている。
職務と役職に応じた秘密保持の魔法契約。
アーネストさんの部下である一番隊の魔術師が、付与する契約の内容を調整している。
大臣や王宮内における他の役職に対する縛りはそれほど厳しいものではない。
丁寧な所作で、大臣の左肩に添える。
儀礼用の剣に刻まれた術式が光を放つ。
魔法契約が結ばれたことを示す光が大臣を包む。
細部に至るまで洗練された所作だった。
蝋燭台の光を纏った国王陛下はどこか幻想的な雰囲気を帯びていた。
普通に生きている人とは違う特別な何かがあるみたいに感じられた。
背中が汗ばむのを感じる。
心臓が早鐘を打つ。
(落ち着け。冷静に)
自分に言い聞かせる私の耳に響いたのは、知っているその人の名前だった。
「聖宝級魔術師――ルーク・ヴァルトシュタイン」
王宮魔術師団の関係者が待機している区画から、ルークが歩み出る。
美しく形作られた歩き姿。
(聖宝級への昇格は、国王陛下による叙任の儀が行われるから)
ルークは国王陛下の前に跪く。
顔を俯ける。
国王陛下が儀礼用の剣をルークの左肩に添える。
魔法契約が結ばれたことを示す光がルークを包む。
非日常的な儀式が音もなく進んでいく。
唇を引き結んだその青い目は静かで、何の感情も宿していないように見える。
私に接するときのルークとは違う姿。
学生時代の仮面優等生だった頃とも違う。
刃物のような冷たさがそこには感じられる。
(時々、あいつはああいう顔をする)
離れたところから見ていると、異なる道を進んでいることを改めて実感した。
単に部署が違うくらいの話で、そんな大げさに捉えることでは無いのかもしれないけど。
でも、ずっと同じところにいたからこそ、違うところにいることを強く感じる。
寂しいという気持ちがあった。
だけど、仕方の無いことだとわかっていた。
私はもう大人だから。
思い通りにいかないことが世の中にはたくさんあるのを知っているし、大切なのは自分にコントロールできることを誠実に続けることだってわかってる。
何より、私には追いかけたい願いがあるから。
今よりも少しだけできる私になるために、小さなことを一歩ずつ積み重ねていかないといけない。
「王の盾筆頭魔術師――ノエル・スプリングフィールド」
国王陛下の前に歩み出る。
やわらかい絨毯の感触。
頬をちりちりと焼く蝋燭台の灯り。
注がれるたくさんの人の視線。
今までならやらかしていそうな状況でも、私の心は落ち着いていた。
目の前で立派に叙任を受ける人としての振る舞いをした、あいつの姿を見たからかもしれない。
置いて行かれたくないという気持ちがある。
対等な存在として胸を張れる自分でいたい。
立派な友達の姿が私の芯を強くしてくれる。
国王陛下の前に立つ。
跪く。
真紅の絨毯と国王陛下の足下が視界に映る。
目を閉じて、顔を俯ける。
冷たい何かが左肩に添えられる。
それほど重たくはない。
だけど、質量とは違う重さがそこにはあるように感じられる。
剣身の術式が光を放つ。
王の盾に選抜された者には、王国内の魔法契約で最も厳格なものが付与される。
王室関係者について、職務上知ったことを外部の人に話せない秘密保持契約。
魔法契約が結ばれる。
身体が光に包まれる。
国王陛下が剣身を持ち上げる。
叙任の儀が終わった。
私は王の盾の筆頭魔術師になった。






