224 偶然の接触
アーネストさんとの話を終えて執務室を出る。
分厚い扉を閉めたところで、周辺視野がその人の存在を捉えた。
小振りの剣を腰に差した二メートル近い体躯の男性。
その隣で、金糸の髪をしたその人は私が出てくるのをわかっていたみたいに、目を細めた。
「奇遇だね」
ミカエル・アーデンフェルド第一王子殿下。
隣にいる人は、たしか王の盾で殿下の側近として警護を務めている男性だ。
「殿下は私が出てくるのをわかっていたように見えますけど」
「買いかぶりだよ。そこまでは私もわからないさ」
その言葉には、少しひっかかるところがあるように感じられた。
(そこまではわからない?)
何かわかっていることがあると言うのだろうか。
(殿下が何を考えているのか真意を探りたい。そのために、何を聞けばいい?)
考え始めてすぐに気づく。
この戦い方で殿下の上を行くことはできない。
もっともらしい答えを引き出せたとしても、それが偽装されたものでないという保証はない。
気づかないうちに手のひらの上で転がされている可能性も高いだろう。
余計な疑念を募らせて、本当に見ないといけないものが見えなくなる可能性もある。
何より、私は頭を使った駆け引きでどんなにがんばっても届かない相手がいることを知っていた。
その分野ではとても太刀打ちできない、あきれるくらいに優秀なあいつがずっと傍にいたから。
向いていないことを知っている。
だからこそ、――向いているやり方も知っている。
「じゃあ、どこまではわかるんですか?」
「考えてから聞いたね」
「考えてから聞きました」
「隠さないんだ」
「私は嘘が苦手ですから。隠しても同じですし、フルオープンで正面から正直に行こうと思いまして」
私は殿下を見上げて言う。
「帝国上層部を傀儡化するのが殿下の狙いですか」
「口を慎め」
警護を務める男性が感情のない声で言った。
いつでも私の身体を二つに分割できる場所に彼は立っていた。
この距離では私の《固有時間加速》も間に合わない。
首筋を冷たいものが流れる。
左手を伸ばして、彼を制したのはミカエル殿下だった。
「邪魔しないでもらえるかな」
静かな笑みをたたえた言葉だった。
そこには、単純な権威者のそれ以上に強く訴えかける何かがあった。
「申し訳ございません」
警護を務める男性が小さく頭を下げる。
彼の剣を遮るように、私に歩み寄って殿下は言った。
「真っ直ぐに正面から。嫌いじゃないな」
「もし仮に帝国上層部を傀儡化することが殿下の狙いだったとして、その気持ちは私にも理解できる部分があるように思います。魔法を全力でぶつけられる相手が一人もいなかったら。やっと出会えたと思った自分以上の相手も、がんばるより先に超えてしまったら。自分が最強の天才魔法使いだとおごり高ぶって、世界を思い通りに変える計画を考えていたかもしれません。この世界にあるすべての定食メニューからごはん小盛りのオプションを消そうとしていたかもしれない」
「君は私が驕り高ぶっていると思っているのかな」
「思っています」
警護の騎士さんが剣に手を添えた。
私はびくっとなった。
「面白いな。君は本当に予想できないね」
ミカエル殿下はくすりと小さく笑う。
「この世界のすべてを知っている悪魔も君の未来だけは見えないだろう。古典力学の一般体系が示唆する決定論的世界観では捉えられないところに君の存在はあるのかもしれない」
「ごめんなさい。聞き取れたんですけど、少しもわからなかったのでもう一度言わないで下さい」
「量子魔法学の不確定性原理と言えばわかるかな」
「あ、それならわかります」
難しそうな言葉というだけで頭がフリーズしてしまうけど、魔法のことだと別物みたいにすんなり考えられるから不思議だ。
「魔素の位置と魔力を同時に正確には測定できない。そこには一般魔法体系とは異なる揺らぎのような状態が存在する。一般魔法体系を作った大賢者が『神はサイコロを振らない』と否定した小さな世界における魔法理論。でも、その複雑さもこの世界のあり方を示してるみたいで私は好きなんですよね。あと、未来にはいくつもの可能性があるとか、別の選択を選んだ私がいるかもしれないとか、そういう空想的な理論も楽しくて」
「多世界解釈だね」
「お、話せますね」
うれしくなって思わず言ってから、自分が緊張感を持って接さないといけない相手と向き合ってることを思いだす。
「ぐ……なかなかやりますね。魔法の話で私を惑わして警戒心をゆるめるとは」
「いや、君が勝手に盛り上がって武装解除しただけだが」
「さすがは殿下。すべて手のひらの上ということですか」
「私は何もしてないよ」
殿下は目を細めてから言った。
「君が何を選び、どのように行動するのか。いくらかの推量はできるけど私には正確に予測できない。だからこそ、私は君を手元に置きたいと思っている。私にとってはその方がずっと面白いから」
その言葉には嘘がないように感じられた。
何を考えているかわからなくて、つい裏を読んでしまいたくなる空気を纏っている殿下だけど。
その表情には珍しく、純粋な何かがあるように感じられた。
「私の選択が正しければ、アーデンフェルドは大陸を支配する覇権国家になるだろう。だが一歩間違えれば、この国は地図上から消えることになるかもしれない。魔術師として刺激的な経験ができることを約束するよ。大切な人たちを守りたければぜひついておいで。これは内緒の話だけど――」
でも、それも錯覚だったのかもしれない。
続けられた殿下の言葉には、人間らしい空気が少しもなかった。
精巧な作り物のように見えた。
「私は、何も感じないんだ。たくさんの人が傷ついても、死んだとしても」






