223 王子殿下の目的
一番隊隊長執務室。
褒められた喜びを全力で堪能しきってから、私は顔を上げた。
「堪能しました。ありがとうございました」
「…………」
アーネストさんはしばしの間押し黙ってから、
「何よりだ」
と言った。
「話を続けよう。君の存在は他国の関心を集めている。君の年齢と性別。そして出自がその大きな要因になっている」
「と言いますと?」
「二十一歳という年齢の女性。平民出身者であるにもかかわらず高い魔法技術を身につけているという事実は、アーデンフェルドの魔法文化と教育体系が先進的である証左として伝わっている。既に複数の国でアーデンフェルドの魔法教育体系を取り入れようとする動きがあるようだ」
「でも平民の女性が学びやすいかで言うと、アーデンフェルドの教育体系って正直先進的じゃないと思うんですけど」
貧しい平民向けに私塾を開いている魔術師さんもいるという話を聞いたことはあるけれど、そんな環境は極一部。
ほんの少しの例外を除けば、平民が魔法を学べる環境はほとんどないと言って良い。
私が魔法を勉強できたのも、近くに魔導書をたくさん持っていた友達――ニーナがいて、好きなだけ勉強をさせてもらえたからだ。
魔法学院に入ってからも、平民出身者は少なくて肩身が狭かったし、先生によっては貴族出身者より後回しにされることも多かった記憶がある。
「実際に経験した君の感想の方が実態に即しているだろうな。しかし、他国の文化は得てして自国のそれよりも綺麗に見えるものだ。教育に関しても良い面ばかりが取り上げられて、実態以上に良い物として広がることも多い」
「そういうものなんですね」
たしかに、私も昔あった国を舞台にしたおしゃれなロマンス小説を読んで、なんて素敵なところなんだろうと夢が膨らんで止まらなくなった経験がある。
後でその国は衛生観念が残念で、道ばたに排泄物が落ちてたりしたって聞いて「ええ……」ってなったのだけど。
隣の芝生が綺麗に見えるのは、外国に対しても適応されるのかもしれない。
「おそらく、君を王の盾の筆頭魔術師に抜擢することにもアーデンフェルドの先進性をアピールする狙いがあるのだろう」
「先進性をアピールして殿下は何をするつもりなんですか?」
「わからない。だが、推測できる可能性はいくつかある」
アーネストさんはじっと私を見つめる。
口を開く。
「帝国が魔導国に魔道具技術輸出を断られていたという話があっただろう。帝国は魔道具技術を欲しがっている。アーデンフェルドの魔道具技術は帝国が求める水準を超えつつある」
「輸出するために魔道具製造プラントを作っていると考えると筋は通りますね」
「それを足がかりにして覇権国家である帝国との関係を強固なものにするというのが現実的な仮説だろう」
「帝国は大きいですし、国力は他国の比じゃないものがありますもんね」
迷宮資源には乏しい分、魔法分野に関しては遅れているけれど、それ以外の産業に関して帝国ほど進んだ国はない。
ミスリル、金、鉄鉱石といった鉱物資源。
小麦や大麦、ライ麦などの農業主力穀物。
綿花、麻、羊毛を代表とする繊維産業。
紅茶や煙草、お酒といった嗜好品に関しても帝国ほど大きな生産力を持つ国は他にない。
大陸で最も広大な国土と国力は、他国への侵攻を繰り返していたことに起因する。
大陸最強と名高い帝国騎士団を持ち、軍事教育と士官の育成にも先進的で、国家予算の多くが今も軍備に使われている。
本格的な戦闘になればまず勝機は無い大陸最大の覇権国家。
(魔法技術で密接な関係を築くというのは、たしかに効果的な施策かもしれない)
殿下の狙いを推測して、心の中で納得する私に、アーネストさんは言った。
「それだけで済むなら良いのだがな」
「帝国とパイプを作る以上の何かがあるんですか?」
私の言葉に、アーネストさんは答えなかった。
重要な何かが含まれているように感じられる沈黙だった。
低い声が響いた。
「殿下は今回の動きに向けて過去に例がないところまで周到に準備を重ねてきた。ただ関係を構築するだけならここまで情報を統制して動く必要は無い」
「では、殿下の真の狙いは何だと推測されますか」
「帝国政権の傀儡化」
何を言っているのかわからなかった。
思考が固まって動けなくなって。
それから、戸惑いを言葉にした。
「帝国上層部を籠絡して支配下に置こうとしていると。そう言っているんですか」
「あくまで可能性の話だ」
「危険すぎます。何より、現実的じゃない。アーデンフェルドの何十倍もの国土と国力を持った国なんですよ。対等に外交するだけでも大変なんです。それを支配下に置くなんて」
「もちろん殿下があのような方でなければ、こんな可能性は考えることさえしなかっただろう。だが、私が見る殿下はいつもひどく退屈していた。自らの能力を限界まで発揮できる挑戦を。敗北と死の恐怖を感じる場を求めているように見えた」
未来が見えていると称されるほどの天才的な頭脳。
恵まれた地位と圧倒的な才能が生む退屈。
それゆえに生まれる命を懸けて自分の力を試せる場への渇望。
ありえる話かもしれない、と私は感じ始めていた。
もし私が殿下だったとしたら。
大好きな魔法を本気でぶつけられる経験が一度もなかったとしたら。
一度くらい本気で戦ってみたい。
すべてを失うかもしれない戦いがしてみたい。
そんな無責任な願望を絶対に抱かないとは言い切れない。
「危ないことをするつもりなら止めないと。冷静に諭すことができる相手が必要です」
「今、王宮の中で殿下に対してそれができる者はいないように見える。彼は今まで目に見える失敗を一度もしていない。重臣の中には彼は失敗しないと盲信している者も多い」
「もしものときに止められる人は一人もいないんですか」
「アーデンフェルドは皆が思っているよりも危険な状態にあるのかもしれない」
アーネストさんは両手を組み合わせて言う。
「いくつもの選択肢を検討した。殿下を止められる可能性がある唯一の存在。それが君ではないかと私は考えている」
「わ、私ですか?」
予想外の言葉に声が上ずってしまう。
混乱する私に、アーネストさんは続けた。
「殿下は君のことを高く評価している。そこには他の相手に向けるものとは違う特別な何かが感じられる。加えて、君には権威者が相手でも物怖じしない強さと行動力がある」
「たしかに、『偉ぶってんじゃねえ』っていう気持ちもないわけじゃないので、そういうところはあるかもしれません」
「今回に関して言えば君ほど適任な相手はいないだろう。だが、すべては君に選択権がある。王の盾で筆頭魔術師をするか、七番隊に残るか」
「私に選択権があるんですか?」
意外な言葉だった。
ここまで状況ができているのだから、何らかの命令が下されるんじゃないかと思っていたのだけど。
「ガウェイン・スタークがそう強く主張している。君自身に選ばせるのが筋だろう、と。それが守られないなら俺は何をするかわからない、と言っていた」
「犯行予告みたいなこと言ってますね」
「犯行予告みたいなことを言っていた」
やばい人だ。
思っていたよりやばい人だ。
でも、その姿は私に元気をくれる。
私のことを部下の一人として大切に思ってくれているのが伝わってくるから。
あそこまでかっこよくはなれないと思うけど。
でも、少しでも近づけたらなって思わずにはいられない素敵な先輩。
人としての筋を通すこと。
背中で教えてくれた大切なことを意識しつつ、目を閉じて自分の心に問いかける。
私がするべきことは何なのか。
選びたいものは何なのか。
目を開けた。
「少し時間をください」
私はアーネストさんに言った。
「ルーク隊長と話してきます」






