206 秘密
メルちゃんが言う通り、西の礼拝堂には隠し扉があった。
少し迷ってから、探索は明日することに決める。
今は時間が無い。菜園での作業が終わる時間が近づいている。
時間通り戻れなければ、ニーナはもちろん協力してくれているエリーさんとライザさんにも迷惑をかけてしまう可能性がある。
物置の自室に戻ってから、隠し扉を見つけたことをニーナに話した。
「やったね。早速、明日二人で潜入しよう」
声を弾ませるニーナ。
少し考えてから私は言った。
「ニーナにはここに残って欲しい」
ニーナは静かに私を見た。
「どうして?」
「二人で行った場合、何かあったときに対処できない」
「私を危ないところに連れて行きたくないって考えてるでしょ」
一瞬、私は何も言えなくなる。
唇を引き結んでから言う。
「違う。ただ、この状況における一番良い判断として――」
「ノエルってそういうところあるよね。町の集会所の窓を割っちゃったときも、ニーナはいなかったって私を庇おうとしてたし」
「それは、優等生でお嬢様なニーナの経歴に傷を付けちゃいけないって思ったというか」
「私は優等生でもお嬢様でもない。ニーナ・ロレンスっていう一人の人間だよ。守られたいなんて思ってない。私はノエルの隣に立ちたいの。ノエルが探している彼に対して思ってるみたいに」
ニーナは真っ直ぐに私を見返して言う。
「なんだかんだ似てるところあるよね、ノエルとルークさん。一人で背負い込んで、危険なところを全部引き受けようとするところとか」
「似てないって。私はあいつのそういうところが嫌いで」
「似てるからこそ嫌いなんじゃない? 私にはそういう風に見えるけど」
反論したいところが大いにあったけど、余計に悪い状況になりそうな気がしたので、何も言わないことにした。
戦略的撤退の重要性を、お母さんとの豊富な口喧嘩経験から私は知っている。
「わかった。でも、危ないところに行くときは二人で一緒ね」
「それは私の台詞だって」
あきれ顔で言うニーナ。
ノックの音が響いたのはそのときだった。
その音には不穏な何かが含まれているように感じられる。
警戒しつつ、扉を開ける。
立っていたのは知らない顔の修道女だった。
「ノエル・スプリングフィールドさん。マザー・ルイーゼがお呼びです」
罠である可能性を警戒していた私だけど、意外なことに彼女の言葉は真実であるみたいだった。
私が通されたのはマザー・ルイーゼの部屋だったし、変身薬の臭いも感じなかった。
しかし、臭いを隠す方法はまったくないわけではない。
あるいは、マザー・ルイーゼが【教団】と裏で繋がっている可能性もある。
警戒を続けつつ、言葉を待つ。
「まずは貴方に謝らせてください。私はあの菜園で貴方たちを長くは働かせないつもりでした。枢機卿に掛け合い、菜園では無く私の近くで働けるようにと伝えようと考えていました。実際にここ数日、何度か枢機卿と話し合いをしました。しかし、うまくいかなかった」
マザー・ルイーゼは頭を下げる。
「枢機卿には、貴方たちを菜園に置いておきたい強い理由があるようです。何か心当たりはありますか?」
思い当たるところは大いにあったけど、それをここで伝えるべきか迷った。
マザー・ルイーゼが本当に枢機卿と繋がっていないのかわからないし、下手なことを言うと危険な状況に巻き込む可能性もある。
少しの間押し黙ってから私は言った。
「いえ、特には」
「そうですか」
声には感情があまり込められていないように感じられた。
私の言葉をマザー・ルイーゼが信じたのかはわからない。
「今日貴方を呼んだのは、伺いたいことがあったからです」
刃物のような目がすっと私に向けられる。
「なんでしょうか?」
「貴方の経歴について」
私は背筋に冷たいものが伝うのを感じる。
アーデンフェルドの王宮魔術師だったことに関連する何かだろうか。
国際問題に発展する可能性もあるし、細心の注意を払って答えないといけない。
押し黙る私に、マザー・ルイーゼは言った。
「新人冒険者として小川を掃除するクエストをこなしていたというのは本当ですか?」
「はい。事実です」
「全部で十五件。大聖堂の近隣地域が中心だったと」
「そうですね。言う通りです」
「その中には、この小川も含まれていますか?」
マザー・ルイーゼは机の上に開かれた本の一点を指さした。
聖都の地図が書かれた本だった。
その小さな石造りの橋がかかった場所には覚えがある。
「はい。最初にこなしたクエストがそこでした」
マザー・ルイーゼは小さく息を呑んだ。
視線をさまよわせ、腕を組んで顔を俯けた。
唇を噛み、何度もまばたきをしてから、恐る恐るという感じで私を見た。
「依頼者は……」
別人のように力ない声だった。
「いえ、なんでもありません」
どう見ても何も無いとは思えない。
そこには明らかに何かがあるように感じられる。
「この場所に何かあるんですか?」
マザー・ルイーゼは何も言わなかった。
静かな時間が流れていた。
深く息を吐いてから、マザー・ルイーゼは口を開いた。
「この小川はよく友人と遊んでいた思い出の場所なのです。彼はおてんばな私をいつも見守っていてくれました。わがままを言っても許してくれた。そして、一生懸命守ろうとしてくれました。暴力を振るう父親から」
マザー・ルイーゼは言う。
「私は彼が好きでした。でも、思いを伝える前に私は聖女候補として選ばれた。私たちに恋は許されません。にもかかわらず、私は半世紀以上の時が経った今も時折彼のことを思いだすのです。もしあのとき彼に想いを伝えていたら、どうなっていただろう、と。愚かでおかしな話ですよね」
「素敵な話だと思います」
自嘲気味に言うマザー・ルイーゼに私は言う。
「依頼者のおじいさんも大切な場所だと話していました。聖女候補に選ばれた好きな人と過ごした特別な場所だ、と」
マザー・ルイーゼは小さく目を見開いた。
瞳がかすかに揺れていた。
それから、深く息を吐いて目を伏せた。
悲しみと喜び、様々な複雑な感情がないまぜになっているように感じられた。
「愚かですね。まったく」
部屋を沈黙が浸した。
少し考えてから、私は言った。
「会いに行ってみたらどうですか?」
「それはできません。私は聖女候補の模範でないといけませんから。我欲を捨ててあるべき自分でいるように努めなければなりません」
マザー・ルイーゼは目を細めて続けた。
「教えてくれたお礼をしないといけませんね。何か私にできることがあるといいのですが」
「お礼、ですか」
何かお願いしたいことはあるだろうか、と考える。
ルークを助けるために、と思ったけれどここでこの人に私の目的について悟られることはそれ自体がリスクにもなり得るように感じられた。
秘密を守る一番の方法は、知っている人の数を最小限にすること。
絶対に叶えたいことだからこそ、最も達成できる確率が高くなる選択を選びたい。
代わりに何か、と考えたとき思い至ったのはメルちゃんのことだった。
自分を機械人形だと言った彼女のこと。
「ひとつ聞きたいことがあります」
「なんでしょう?」
「聖女様は特級遺物の機械人形なんですか?」
マザー・ルイーゼは息を呑んだ。
その反応で十分だった。
いろいろなところから少しずつ感じていた違和感。
聖女と大人がついている嘘。
死んだ聖女が復活したルタゴの奇跡。
生まれ変わりとして必ず魔力の高い新たな聖女が見つかる理由。
メルちゃんは聖女候補生じゃない。
あの子こそが聖女で機械人形なのだ。
「そんなことあるわけないですよね。わかっています」
私は言う。
「聖女様を大切にしてあげてください。少しでも幸せに日々を過ごせるように」
一礼して、マザー・ルイーゼの部屋を後にする。
クラレス教国の抱える秘密。
聖女が機械人形であるという事実を隠すための聖女候補制度。
しかし、その嘘が悪いものだと私は思わなかった。
聖女が機械人形であることがわかったら、多分たくさんの人が傷つき悲しむことになる。
クラレス教の最上層にいるわずかな人たちは懸命にその秘密を守ってきたのだ。
みんなのために聖女を続けているメルちゃんが少しでも幸せに過ごせることを願う。
(でも、このことを聖女暗殺を企む【教団】は知ってるんだろうか)
枢機卿の動きにも気になる部分があるし、知っている可能性も十分にある。
だとすると、彼らの目的は単純に聖女を暗殺することではないのかもしれない。
(どちらでもいい。暗殺もそれ以外の何かも絶対にさせない)
決意を胸に、私は前に進む。
(敵を叩き潰し、ルークを助けだす)






