19 ベルガモットの香り
『緋薔薇の舞踏会』は、近隣諸国の王族や有力貴族との社交の場でもある。
銀水晶のシャンデリアの下や、色とりどりの花が飾り付けられた花瓶の隣。
至る所で貴族さんたちが親しげに会話を交わしている。
誰と誰が話をしているのか観察しながら、どのような順番で挨拶に行くかをうかがう。
そんな駆け引きもあるみたいだけど、庶民の私にはよくわからない世界だ。
だけど、そんな私にもわかることがある。
それは飾り立てられた王宮のフロアが、言葉を失うくらいに美しいということ。
黄金の女神像がかたどられたキャンドルスタンドに、鮮やかなワインレッドの絨毯。
執事さんたちは長い列を作って料理やグラスワインを運び、二階の一角では王室お抱えの管弦楽団が美しい音色を響かせている。
「皆様にご来賓の王女様をご紹介いたします。ブランダール公国のシエル王女。クラレス教国のデナーリス王女。ノインツェラ皇国の――」
本当に王女様もご出席されてるんだ。
読み上げる声を聞きながら、とんでもないところに来てしまっていると改めて実感する。
フロアが見渡せる奥の玉座ではアーデンフェルド王室の方々がご歓談されてるし……。
「ミカエル王子殿下。こちらに」
付き人にうながされて王子殿下が近くを通る。
一斉に頭を下げる周囲の人たち。
少し遅れて私もあわてて頭を下げた。
すぐ傍を王子殿下が歩いて行く。
なに、この空間……。
あまりに現実感がない光景に呆然とする。
私、田舎で育ったただの庶民なんだけど、こんなところにいていいんだろうか……。
っていけない。
今は仕事中。
ガウェイン隊長も期待してくれてるんだし、しっかり警護の仕事を務めないと。
張り切ってあやしい人がいないか辺りを見回す。
しかし、疑えばどの人もあやしく見えるし、逆にあやしくなくも見えるような……。
「なかなか難しいね。これ」
隣に立つルークに言うと、
「僕がやるからいいよ。ノエルにそういうの期待してないし」
そんなことを言う。
むかっと来たので、絶対にルークより先にあやしい人を見つけてやることにした。
王宮魔術師としての仕事でもルークには負けないんだから。
ここで私が紛れ込んだ悪い人を見つけだして捕まえれば、
『さすがだなノエル! 早速結果を出すとは。お前は最高に頼れる部下だ! ルークの二億倍は上だな!』
ガウェイン隊長は私のことを絶賛し、
『すごいわね、ノエルさん。お手柄よ。ノエルさんの実力は三番隊で一番ね。ルークくん? 彼も優秀だけどノエルさんが五十億倍上じゃないかしら』
レティシアさんや隊の先輩たちもちやほやしてくれて、
『そ、そんな、完敗だ……。僕がライバル? いやいや、とんでもない。僕の九千億倍すごい最強の君と競うなんて僕にはとても』
ルークは私に敗北を認め、頭を垂れる。
そして、世界の覇者となった私は、世界中すべての人がひざまずき、私を称える賛歌を歌う中、魔王っぽい感じでワイングラスを揺らすのだ。
「また変な妄想してるでしょ」
あきれ顔で言うルークに、
「まあまあ、ルークは親友だから特別に世界の半分をあげるよ。感謝したまえ」
と言ったら、
「はいはい」
とあきれた反応が返ってきた。
やれやれ、私の世界征服計画が進んでいることにまるで気づいてないようだねぇ、ルークくん。
それじゃ、手始めにさくっと悪い人見つけちゃいますか。
三十分後、私はくらくらに疲れ切った頭を抱え、ふらふらしていた。
わかんない……。
誰があやしくて誰があやしくないのか全然わかんない……。
「慣れてないことするから」
ため息をつくルーク。
不意に先輩の一人が近づいてきて、ルークの耳元で何か言う。
「わかった。行こう、ノエル」
うながされるままフロアの外に出てから、小声でルークに言った。
「なんだったの?」
「配置の交代だって。舞踏会が始まったら僕ら踊らないといけないでしょ。それで」
「あー、なるほど」
周囲の監視ができなくなる分、他の人がフォローをしてくれるらしい。
「少し休んでいいって」
「あ、じゃあ私お手洗いに行きたいかも」
案内してもらってフロアから離れたお化粧室に行く。
「なんでこんなに遠くのお化粧室?」
「誰も使わないところじゃないと、所作でボロが出かねないし」
「あう……」
言うとおりすぎて何の反論もできない。
慣れないロングドレスの扱いに苦戦しつつ用を足してから、鏡の前でおかしなところがないか確認していると、ふとなつかしい匂いが鼻をついた。
柑橘系の強い香り。
ベルガモット?
いや、違うな。
この匂いは、ベルガモットを使った魔法薬の香りだ。
二角獣の角の粉末、魔女草、マンドラゴラの根、魔晶石とベルガモットの実を調合して作るその薬は変身薬。
私はこの薬についてよく知っていた。
学生時代、大人のお姉さんみたいな体型になりたくてこの薬の研究をしまくっていた時期があったのだ。
って恥ずかしいからあまり大きな声では言えないんだけど。
なつかしい。
でも、いったいどうしてこんなところで変身薬の匂いが――
はっとする。
あわてて奥の個室を覗き込む。
むせかえるような強烈な匂い。
間違いない。
誰かがここで変身薬を使ったんだ。
「ルーク、来て」
「は? いや、僕男だから」
「変身薬が使われた形跡があるの」
ルークは真剣な顔でうなずいて中に入ると、魔法薬が使われたらしい個室を点検する。
「まだそんなに時間が経ってないね」
「私もそう思う。問題は何に変身したかだけど」
「おそらくは、会場にいる誰か」
ルークはトイレを見回すと、鍵がかかった物置の前で魔法を起動する。
《放電》
視界を焼く閃光。
物置の鍵が弾け飛ぶ。
「ちょっと、ルーク!?」
「変身した相手に身動きされたら台無しだ。どこか近い場所で動けなくされてる可能性が高い」
物置の扉が開く。
中から転がり出てきて崩れ落ちたのは、白髭の老執事さんだった。
よかった、息はある。
眠らされてるだけみたい。
「王宮で特に信頼されてるベテラン執事の一人だね」
「でも、どうして執事さんに」
「……グラスワインを配れるから。中に遅効性の毒を入れれば」
「より安全に対象を暗殺することができる」
目を見合わせる。
それ以上言葉は必要なかった。
《固有時間加速》
会場へ向け地面を蹴る。
お願い。
どうか、間に合って――






