184 瞳に映るもの
「レティシアさんとガウェインさんが捕まった……?」
ルークの言葉に、私は立ち尽くした。
いつもあたたかい声をかけてくれて、平民出身であることなんてまったく気にすることなく接してくれたやさしい先輩。
逮捕されるなんて想像もしてなかったから、目の前が真っ暗になって言葉を失う。
「あくまで嫌疑の段階だし、大丈夫。あの人が証拠を残すとは思えない」
ルークは言う。
「証拠不十分で釈放されるよ。高等法院もそれはわかってる。無理筋だというのはわかった上で、それでも動かないわけにはいかなかった」
「どうして?」
「裏で誰かが糸を引いている。おそらく、御三家――アルバーン家とエニアグラム家だ」
「アルバーン家とエニアグラム家……」
私でも名前を知っている超大物貴族。
御三家と呼ばれる三公爵家が二つも敵に回っている。
私たちは想像していた以上に危険なところにいるのだろう。
敵の狙いは、レティシアさんとガウェインさんを拘束し、動きを封じること。
そして、王宮魔術師団に悪評を振りまき牽制することにあるというのがルークの見立てだった。
数日後、開かれた査問会議。
この件に対する王宮貴族たちからの叱責は苛烈を極めた。
『ここまで無能揃いだとは思わなかった』
『平和になった今の時代に王宮魔術師団は規模を縮小するべきなのではないか』
『この国の負債になっていることを理解してほしい』
攻撃の中心にいるのは財務大臣を務めるフーリエ・エニアグラム。
宰相を務めるグラハム・アルバーンが見つめる中、子飼いの貴族達も厳しい追及を続けている。
その矛先は新設された七番隊にも向けられた。
私とルークも呼びだされ、弾劾を受けた。
『必要だとは到底思えない』
『隊長と副隊長があまりに若すぎる』
『平民女の指示を聞かないといけない者たちの気持ちも考えたまえ。彼らがどれだけ苦い思いをしているか』
(苦い思いをしてるのは今の私なんですけど)
言い返したい気持ちをぐっと飲み込んだ。
彼らの狙いは私への挑発だったから。
怒りを引き出し、不用意な発言の揚げ足を取って追い落とそうとしている。
(今は我慢するところ。彼らが間違っていることは結果で証明すれば良い)
貴族達の舌鋒は王宮魔術師団の存続を問うところまでエスカレートした。
『王立騎士団と王の盾もある。王宮魔術師団は解散を検討するべきなのではないか』
『血税を無駄にしている。恥を知って欲しい』
『君たちはこの国の足を引っ張っている。王宮魔術師団はこの国に必要ない』
彼らの言葉には強い悪意と敵意が込められているように感じられた。
自分たちの目的を実現するために、王宮魔術師団の力を削ごうとしている。
そういう意図が背後に見える気がした。
(何かある。多分、ルークが追いかけていることと関連する何かが)
臨時会議の後、七番隊の隊長執務室で私はルークに言った。
「どうするの?」
「何の話?」
「ずっと準備してたんでしょ。連中が、ここまで強硬な手段を執らずにはいられないくらい恐れている何か。状況を一変させる一手」
「どうしてそう思うの?」
「長い付き合いだから、それくらいわかる」
私はルークを見つめる。
「気づいてないと思ってた?」
「ノエルなら気づくだろうなと思ってた」
「だったら最初から言えっての」
深く息を吐いてから、私は言う。
「話して、あんたの作戦。私も協力する」
「助かるよ。ここからはノエルにも力を借りたいと思ってたから」
ルークは七番隊が発足する前から何を追っていたのかと、その結果わかっていることを説明してくれた。
「《薄霧の森》でのゴブリンエンペラーと西部地域を襲ったドラゴンさんの事件。犯罪組織《黄昏》。《封印都市》での《古竜》の復活。そして、ヴィルヘルム伯の事件まで裏で糸を引いている何者かがいるなんて……」
「事実だよ。彼らは王国の中枢まで深く入り込み、アルバーン家とエニアグラム家とも関わりを持っている」
「そんなところまで……」
簡単には信じられない話だったけど、腑に落ちる部分もあった。
「それで、貴族達はあんなに王宮魔術師団を攻撃してたんだ」
「王の盾と王立騎士団に比べて、王宮魔術師団は個人の持つ裁量が大きい。各隊長と副隊長が大きな権限を持っているし、下位の魔術師たちにも多くの裁量権を与えようという風土がある」
「他の組織は違うの?」
「組織全体が集団で仕事をこなすためにより最適化されている。上下関係が強く、下位の構成員に主体性は求められていない。だからこそ、貴族たちからすると動きを封じやすい。警戒すべき数名さえ抑えれば、それで組織全体の動きを封じ込めることができるから」
「動きを止めづらい王宮魔術師団は邪魔な存在なんだ」
「そういうこと」
ルークは窓の外を一瞥して言う。
「元々苦々しく思ってたんだろうね。免税特権廃止問題によって、王室との対立が生まれたことで今まで以上に邪魔な存在になった。隙を見つけて解体しようと狙っている」
「なにその自分勝手な考え」
何より私が許せなかったのは、一生懸命仕事をこなしてきた先輩達を私欲のために追い落とそうとしていることだった。
不正の追及も、悪い組織と関わりを持っている貴族への対処も、この国をより良い国にするために必要なことで。
みんな自分の仕事をこなしているだけなのに。
欲に振り回されて悪いことをしなければいいだけなのに。
どうして懸命に働いている先輩達が、苦しい思いをしないといけないのか。
(悪いことしてるのを暴いて、思いきりぶっ飛ばしてやる)
決意する私に、ルークは言った。
「レティシアさんは自分に何かがあったときのために、執務室の書棚に調査記録を隠してた」
「でも、レティシアさんの執務室って高等法院の査察官が逮捕の直後に踏み込んだんじゃ」
「そうだね。細かい備品まで全部持ち去られてる」
「じゃあ、調査記録は――」
「既に持ち去られてるよ」
ルークは淡々とした口調で続ける。
「ほんの数分、彼らに先んじた僕によってね」
「ほんと抜け目ないね、あんた」
「今回は大分ギリギリだったけどね。クリス隊長が時間を稼いでくれなかったら危なかった」
「クリス隊長が助けてくれたの?」
「あの人はレティシアさんとガウェインさんと学院時代からの付き合いらしいから」
どうやら、二人が窮地にあるのを知って手を貸してくれたらしい。
「レティシアさんはさすがだよ。【竜の教団】と呼ばれる組織の情報。そして、アルバーン家とエニアグラム家にとっては致命的になり得る情報をつかんでいた」
ルークは懐から手帳を取り出して言った。
「二日後の夜。王都の第十九地区中心部にある廃墟の一角。アルバーン家とエニアグラム家から裏で糸を引いている【教団】への莫大な量の金貨の受け渡しが行われる」
「二つの家が合同で行うの?」
「裏切りを警戒してのことだと思う」
「なるほど。先に取引を行ったところで密告されたら困ったことになるもんね」
「僕らにとっては好都合だ。もっとも、警戒態勢はその分通常よりはるかに厳重だと考えられる」
「踏み込んで証拠を押さえるのも簡単じゃない、か」
「アルバーン家とエニアグラム家からすると致命的な傷を負うことになるからね。万に一つも間違いが無いように万全の準備をしてるはずだ」
「こちらも最高の準備をして臨まないと」
しかし、意見が対立したのは現場に踏み込むメンバーの選定をしているときのことだった。
「七番隊だけじゃ力不足だよ。他の隊の先輩に力を借りた方が良い」
「ダメだ。敵は王宮の中にかなり奥深くまで入り込んでいる。間違いなく監視がついてると考えた方が良い。少しでも違和感があれば、連中は取引をやめる。彼らを追っていた僕にはわかる。それだけ慎重だったからこそ、僕とレティシアさん、そしてミカエル殿下の調査網をかいくぐり、今もなお闇に潜んでいる」
「新人さんには荷が重すぎる。明らかに経験が足りてない」
「取引の証拠と敵につながる情報。それだけ持ち帰れれば十分だ。戦闘自体必要ない。むしろ避けるべきだと僕は考えてる」
「それでも接敵したときのために安全を確保するのが隊長の仕事でしょ。戦ったら命を失うかもしれない場所に部下を送ろうとしてる。その意味をちゃんと理解してる?」
「理解してる。でも、それが僕らの仕事だ」
「その台詞、家族を亡くした部下のご遺族に言えるの」
私はルークを睨む。
「このチャンスを逃せば、ずっとたくさんの罪のない人が傷つき損なわれることになる」
ルークは目をそらさなかった。
「安全確保の必要性はわかってるよ。僕だって部下を危険にさらしたくない。こんな危険な場所に君を送りたくない。できるなら、僕一人で踏み込みたいって思ってる」
ルークは深く息を吐いて続けた。
「その選択肢をずっと考えてたんだ。でも、どう考えても無理だった。君の力が必要だった」
「それはダメだよ。絶対ダメ」
私は慌てて言う。
長い付き合いの私は、ルークが本当にその選択肢を考えたことがわかってしまう。
誰かに頼ることが苦手で、放っておくと黙って一人で危険を背負い込むのがルークという人なのだ。
それだけは絶対に止めないといけない。
「私は協力するから。任せて」
「でも、二人では君の安全を保証できない」
「それはルークも一緒でしょ。大丈夫、私生命力強いし」
「ダメなんだよ」
「信頼してよ。私なら多少雑に扱っても文句を言う人もいない。ここで取引を暴かないともっとたくさんの人が傷つくなら、そのために命を懸けられる。私もルークと同じでそういう覚悟で戦えるから」
「違うよ。君と僕の覚悟は違う」
「同じだよ。ルークが危険なところに飛び込むなら、私も隣で一緒に戦う。それが相棒ってことなわけで――」
「君は何もわかってない」
「何がわかってないって言うのさ! 大体あんた、自分の命を軽く見過ぎなんだって。少し目を離したら一人で無理して、背負い込んで。もっと自分のことを大事にしてよ。出世なんてたいしたことじゃない。あんたの命の方がずっと大事なんだから。あんたがいなくなったら悲しむ人がいることも理解して――」
「だから何もわかってないって言ってるんだよ」
ルークの言葉には強い怒りの色があった。
サファイアブルーの瞳が私を睨んでいた。
「出世なんてどうでもいい。僕は君のことが大切なんだ。君がいれば他に何もいらない。君のためなら命だって懸けられる。身勝手で自分勝手な考えなのはわかってる。それでも、これ以外の生き方はできない。僕には何もないから。君より大切なものが何一つないから」
「何を言って……」
「なのに、君は自分のことを全然大事にしない。自分なんてたいしたことないって深いところで思ってる。わかってよ。君を絶対に失いたくないって思ってる人がいるんだ。君がいれば他に何もいらないって人がいるんだ」
ルークは言う。
「僕はどんな手を使っても君を守る。作戦は七番隊で行う」
有無を言わさぬ口調だった。
ルークが部屋を出て行く。
私と音のない静かな部屋が残った。






