164 最善の提案
幾重にも展開する魔法式。
二人の魔法使いは、周囲の想像をはるかに超える戦いぶりを見せたが、そんな奇跡のような時間も永遠には続かなかった。
魔法の効力を制限された極限状態における消耗。
さらに、ノエル・スプリングフィールドに至っては戦いが始まった時点で深い傷を負っている。
次第に近づく限界。
なんとか攻撃を防ぎ、時間を稼ぐのが精一杯。
「ごめん、ルーク」
ノエルの動きが鈍くなる。
処理しきれなかった弾丸の雨が彼女に迫る。
「いいよ。僕がなんとかする」
炸裂する閃光。
激しい光が周囲を染め上げる。
それからのルーク・ヴァルトシュタインの動きは対峙する者たちを思わず恐怖させるほどのものだった。
人生において初めてに近い療養による長期休暇。
大切なものを手にするために、三年以上まともに休息を取っていなかった彼にとって万全でない状態が日常だった。
しかし、今の彼は違う。
上官によって無理矢理取らされた休息によって、彼のコンディションはかつて経験したことがないほどに良い状態にある。
(こいつ、底が知れん……)
息を呑むヴィルヘルム伯。
しかし、そんな奮戦にもやがて限界が来る。
次第に落ちていく魔法の出力。
なんとか耐え凌いで、時間を稼ぐのが精一杯。
「あきらめろヴァルトシュタイン家の跡取り。これ以上続けても無駄なのはお前が一番わかっているだろう」
低い声で言うヴィルヘルム伯。
「生憎ですがあきらめが悪いんですよ。僕も彼女も」
傍らで膝を突くノエルの目もまだ死んではいない。
周囲を見回しながら、的確にルークの隙をカバーする魔法を放っている。
口を引き結ぶヴィルヘルム伯。
「ただ、別の形なら譲歩することもできるかもしれません」
対して、ルークが言ったのは周囲にいる誰もがまったく予想していなかった提案だった。
「先輩たちと僕らの命を保障してくれるなら、貴方の悪事については全面的に見逃し無かったことにしてもいい。僕はそう考えています」
小さく目を見開くヴィルヘルム伯。
張り詰めた空気と沈黙。
「は?」
言ったのは、彼の傍らで膝を突くノエルだった。
「いや、ダメでしょ! めっっっっっっっっちゃ悪いやつだよあいつ! 絶対ぶっ飛ばさなきゃ!」
「わかって。現実的に僕らは厳しい状況にある。この場を納めるにはこれが最善だ」
「…………」
ノエルはルークを見上げる。
しばしの間押し黙ってから、目を伏せて言った。
「…………そうだね」
零れる深い息。
「信用できない。何故突然そんなことを言う」
「このまま戦いを続けても状況を打開するのは難しいと判断したんです。ここにいる兵士たちを倒しても、貴方には人質がいる。先輩達を犠牲にしてまで貴方を追い落としたいと僕は思わないんですよ。上に立ち人々を統治する立場の人間には、綺麗なままではいられない事情があるということも理解できますしね」
ルークは言う。
「ヴァルトシュタイン家次期当主として貴方の活動を援助することを検討してもいいと考えています」
「ヴァルトシュタインは王政派。お前の父は我々地方の貴族を嫌っていたはずだが」
「だからこそですよ。僕も父とは仲が悪いんです。情報通の貴方ならご存じだと思いますが」
爽やかに目を細めて続けた。
「僕らは良いパートナーになれると思いますよ。目的のために手段を選ばないやり方も似ていますし」
「同じ穴のムジナだというわけか」
「その通りです」
ルークは言う。
「王政派の筆頭である御三家のひとつであるヴァルトシュタイン家と関係を持つのは貴方にもメリットがある。貴方の力を借りれば僕も予定より早く当主になれそうですし」
「なるほど。利害は一致しているというわけか」
ヴィルヘルム伯はしばしの間、押し黙った。
顎先に手をやり、思案げに視線を落とす。
「言いたいことはわかった。だが、忘れてはいないか。今この場で私は絶対的に優位な状況にある」
「だからこそここまで譲歩した提案をしているわけですが」
「これで足りていると?」
ヴィルヘルム伯は嗜虐的な笑みを浮かべて言う。
「足りないな。私を納得させるに足る条件を提示しろ、ヴァルトシュタインの跡取り。ここで君と君の先輩の人生を終わらせたくなければ」
見下ろすヴィルヘルム伯。
「貴方ならそう言うと思ってましたよ」
ルークは深く息を吐いた。
「利益を提示されれば検討せずにはいられない。金勘定が大好きな肥え太った豚は、いつも大切なものを見落としてしまう」
首を振り、肩をすくめて続ける。
「援助なんてするわけないじゃないですか。僕の狙いは時間を稼ぐこと。この状況を変えてくれる援軍が到着するのを待っていた。それだけです」
「援軍は来ないぞ。外部と連絡が取れないようこの屋敷には通信妨害の結界を張ってある」
「来ますよ」
ルークは、静かに口角を上げて言った。
「うちの隊長は身内に甘いんです」
ヴィルヘルム伯は気づいた。
ひりつくような強大な何かの気配。
それはゆっくりとした足取りで近づいてくる。
何故気づくことができなかったのか。
しかし、振り向いたときにはもう彼は既にそこに立っている。
鍛え上げられた鋼のような身体。
鮮やかに燃える赤髪。
王国最強火力を誇る《業炎の魔術師》――
ガウェイン・スタークがそこにいた。






