163 対五十八の精鋭
ヴィルヘルム伯の保有する私設兵団に所属するカストロ・ガルシアは南方諸国における紛争で活躍した元傭兵だった。
望んでこの道を選んだわけではない。
生きていくために戦うしかなかっただけだ。
両親は物心ついた頃には死んでいたし、二歳年下の妹は足に障害を抱えていた。
彼は妹を食べさせるために盗みを働き、もっと大きな額の収入を得るために少年兵になった。
幸い、カストロには才能があった。
友人と大人達は次々に死んでいったが、彼は別だった。
どんな難局からも生還する天性の勘と強靱な精神力。
彼は依頼主から報酬を得るとそのほとんどを妹のために使った。
周囲の人間にはからかわれたが、彼はまるで気にすることなく妹へのお土産を選んでいた。
そういう生き方が彼は好きだったのだ。
唯一の家族である彼女のために。
血のつながりを彼は大切に思っていた。妹と血が繋がっていないことがわかると、血のつながりを大切に思わなくなった。
「血のつながりなんて関係ない。あいつは俺の家族だ」
彼は変わらず妹として彼女を愛した。
結局の所、彼にとって必要なのは愛情を受け取ってくれる誰かだった。
自分を必要としてくれる存在。
自分がいないと生きていけない存在。
「あいつの喜んでる顔を見ているときだけ、俺はこの世界にいていいんじゃないか。そんなに悪い人間じゃ無いんじゃないかってそんな風に思えるんだ」
彼は妹が思っている以上に彼女のことを必要としていたのだ。
尽くすことによって救われていた。
そんな彼がヴィルヘルム伯の下で働くことを選んだのは、ひとえに報酬と待遇が良かったからだった。
いつまでも危険な紛争地域で戦い続けるのは明らかに無理があったし、学がなく文字も書けない彼を雇ってくれるところは限られていた。
雇い主がろくでもない人間であることはすぐにわかったが、ろくでもない人間なのは自分も同じだった。
(俺が地獄に落ちるのは既に決まっている。あいつを幸せにするためなら、俺はどんなことでもやる)
幾多の戦いを経験してきた彼にとって、目の前の王宮魔術師は決して難しい相手ではなかった。
腕が良いことはわかっている。
《アーデンフェルドの閃光》と呼ばれるルーク・ヴァルトシュタインの天才ぶりは王国では有名な話だし、隣にいるノエル・スプリングフィールドも国別対抗戦であの《精霊女王》と互角に渡り合って話題になった新星。
対等な条件なら勝機はごく僅か。
しかし、現状においてあまりにも苦しい状況に彼らはいた。
《魔光阻害盤》により、魔法の効力は十分の一に制限されている。
連戦の疲労に加え、ノエル・スプリングフィールドに至っては手負いの状態。
その上、二人を取り囲むのは私設兵団の中でも腕利きの精鋭五十八人。
(結果は見えている。だが、容赦はしない)
有利な状況でも一瞬の油断が予想もしない事態に繋がることを彼らは知っていた。
(狙うのは、手負いのノエル・スプリングフィールド)
一斉に襲いかかる兵士たち。
ルーク・ヴァルトシュタインを集中放火して動きを止めつつ、手負いのノエルを確実に潰す。
対して、ノエルの対応は鈍く非力だった。
魔法の効力が制限された状態、負傷を抱えた状況での戦いに戸惑いがあるのだろう。
後手後手に回る対応。
放たれる弾丸の雨。
《固有時間加速》を起動しても紙一重でかわすのが精一杯。
踏み込む兵士たち。
背後からの斬撃が彼女に直撃するその刹那だった。
《明滅する閃光と咆雷》
視界を白く染める閃光。
十分の一とはとても思えない異常な威力。
しかし、咄嗟に高出力の魔法式を起動したせいで、ルーク自身の背後への対応がおろそかになっている。
無防備な背中に迫る弾丸の雨。
《烈風砲》
轟音が響いたのはそのときだった。
弾丸の雨と共に、後方にいた兵士二人をピンボールのように弾き飛ばす風の大砲。
「ナイスノエル」
「お互い様でしょ」
かわす目配せ。
一見互いのミスを補い合っただけに見えるその連係。
(いや、違う)
カストロはそこにある本質に気づいていた。
(仲間が魔法を放つことを信じて意図的に隙を作り、敵を誘い込む罠に使った。恐ろしい胆力と空間把握能力)
一歩間違えれば致命的な傷を負っていたはず。
にもかかわらず、相手の力を信頼して背中を預ける。
ノエルの空間把握能力は、一人ではとても処理しきれない地獄の中で周囲の仲間をサポートしてきた中で常軌を逸した域にまで磨き上げられている。
そしてルークはそんな相棒のことを知り尽くしていた。
使う魔法式の起動速度からほんの些細な癖まで。
彼女のことを目で追っていた時間が作る異常なまでの理解度。
(だが、どれほど互いの力を引き出す連係ができたとしても、優位は決定的だ。打開するのは不可能)
数の利を活かしつつ、確実に二人を追い詰めていく兵士たち。
力の差は明白。
しかし、とどめを刺そうと踏み込んだそのとき、カストロを襲ったのは強烈な悪寒だった。
(動きの鋭さが増して――)
頬をかすめる風と電撃の大砲。
轟音。
屋敷に空く大穴。
一瞬で三人の仲間が戦闘不能になった現実を、理解するまでに時間がかかった。
(バカな、魔力を十分の一に制限されている状態なんだぞ……)
ありえないはずのことが現実に起きている。
絶望的なはずの劣勢をものともしない。
追い詰めれば追い詰めるほど想定を超えて力を増す二人の怪物。
(なんだ……なんなんだ、こいつら……)
カストロは背筋に冷たいものが伝うのを感じていた。






