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157 神様からも見えない時間


「隊長。ルークさんが脱走しました」


 ハリベルの報告に、ガウェインは表情を変えずに言った。


「包囲は万全だったはずだろ。何があった」

「それが、一番近くにいたヘンリーが懐柔されてしまったそうで」

「懐柔?」

相棒バディである彼女がいかに大切な友人か、真剣に打ち明けられたそうなんです。『ノエルがいないと今の僕はない』『ノエルのためなら僕はなんでもする』『あいつの傍にいられなかったら、命よりも大切な何かも一緒に手放してしまう気がするから』などと聞かされた結果、情にほだされてしまったようでして」

「あくまで友人と言い張ってるあたりがあいつらしいな」

「そういういじらしい部分もヘンリーの胸を打ってしまったようです。ヘンリーの裏切りによって事態の発覚も遅れ、既にルークさんはアーデンフェルド国内に入っている可能性もあると」

「間違いなく入ってるだろうな。治療の進捗はどうだった?」

「ほとんど完治したと言って良い状態みたいです。それで、ヘンリーも行かせてやるべきじゃないかって思ってしまったようですが」

「優しいところあるからな、あいつ」

「隊長を裏切ったのは事実。どんな罰でも受けると言っていました」

「お前が行かせてやるべきだと判断したならそれでいいって伝えてくれ」


 ため息をついて言ってから、ガウェインは窓の外に視線をやる。


「それより、取締局から強制捜査についての報告は入ってるか」

「今のところ特に報告は入ってないみたいですね」

「何かあったかもしれない。動ける準備をしとけ」

「心配しすぎですよ、隊長」


 ハリベルは小さく笑って言う。


「今回は助っ人のノエルの他に、元三番隊のやつも何人か参加してるみたいですけど、みんな優秀な手練れ揃い。何せあの二番隊の最精鋭が集う魔法不適切使用取締局ですから」

「それはわかってる。だが、独断で無茶なことをしそうなやつがいるんだよ」

「まさかルークさんですか? さすがにないですよ。この速さはいくらなんでもありえないですって」


(それをやっちまうのがあいつなんだよ)


 ガウェインは深く息を吐いてから、机に置かれた書類に視線をやる。


 半休を取るための申請書。

 美しい字で書かれたそれは、今日の昼過ぎにレティシアから提出されたものだった。


 定時よりも三時間早く退勤したいと彼女が申請したその理由をガウェインは知らない。


 だけど、なんとなく嫌な予感がした。

 彼女の動きは、取締局が強制捜査を行うことを見越してのものであるように見えたから。


(無茶してないといいが)






 ◇  ◇  ◇


「ルーク? いったい誰のことだ?」


 フードの男は低い声で言った。


「私の名前はギレン・ハミット。王国秘密情報局に所属するエージェントだ」

「いや、ルークだよね。どう見ても」

「知らないな。まったく、誰のことだか」


 肩をすくめる男。


 フードの裾を持ち上げようと手を伸ばす。

 男は慌てて身をかわしたけれど、狭い路地の中では私の追撃から逃げ切ることはできなかった。


 零れる銀色の髪とサファイアブルーの瞳。


「やっぱルークじゃん」

「なんでそう勘がいいかな、君は」


 目をそらすルーク。

 どうやら、嘘を見抜かれたのが恥ずかしかったらしい。


 やーい、照れてやんの。


 どうからかってやろうかと言葉を探していた私は、不意に顔の近さに気づいてどきっとする。


「ま、まあ私にかかればこんなものだよ」


 距離を取ってそっぽを向きつつ言う。


「で、ルークはなんでここにいるの?」

「取締局がヴィルヘルム伯の強制捜査に踏み込む。こんな大チャンス黙って見過ごす手はない」

「まさか、療養所を抜け出して――」

「もうほとんど完治してるから」

「それは完治とは言わない」


 唇をとがらせる私に、ルークは目を細める。


相棒バディであり友人として、君だけに危険な思いをさせるわけにはいかないでしょ」


 多分私は怒らないといけなかったんだと思う。


 なに無茶してんだよ、休んでなきゃダメじゃんって。


 しかし、できなかった。

 私はほっとしてしまったのだ。


 第三王子殿下を救えるかどうかは私の肩にかかっていて。


 だけど、力不足かもしれない。

 私では無理かもしれない。


 そんな風にどこかで感じていたから。


 潤んでぼやける視界。

 隣にいる心強さに気が緩んでしまった。


 おかしいな。

 らしくない。


 ルークにだって負けないくらい強い私のはずなのに。


「あれ、埃が入ったのかな」


 慌てて目元を拭う私に、


「そうみたいだね」


 ルークはそう言って、見ないふりをしてくれた。


 神様からもきっと見えない狭い路地の隙間。

 静かに時間が過ぎていく。






「取締局の人たちは罠にかけられて捕まった。ヴィルヘルム伯は魔法を封じる迷宮遺物を持ってるんだ」


 ひとしきり泣いてすっきりしてから、暗い路地の中で情報を共有する。


「《精霊女王》と君の襲撃に使われたのと同じ類いのものか」

「多分百人近い人数の私兵が動員されてる。今は私たちを追ってると思うけど」

「なかなか簡単にはいかなそうだね」

「正直私たち二人だけじゃ厳しいと思う。助けを呼ばないと」

「それは難しいだろうね」

「どうして?」

「高等法院で可決された新法がある」


 はっと息を呑む。


「そっか。新法によれば今回の強制捜査は違法行為だから」

「王宮魔術師団の動きは事実上封じられている」

「でも、よく知ってたね。シェイマスさんも知らなかったみたいなのに」

「高等法院にも弱みを握ってる貴族が何人かいるから」


 こともなげに言うルーク。


「でも、助けが呼べないとなると動けるのは私たちだけ。たった二人で取締局の人たちも勝てなかった厳重な警備態勢を突破するなんて……」


 到底不可能に思える状況。


「できるよ。僕らなら」


 だけど、ルークは言った。


「最強無敵の二人だから、悪徳貴族なんかに負けるわけない。違う?」


 不敵な笑み。

 身体にじんわりとあたたかな何かがみなぎっていくのを感じる。


 それは私に前に進む力をくれる。勇気をくれる。


 私はうなずいた。


「そうだね。二人で一緒に殴りに行こうか」

「言葉のチョイスが豪快だよね、いつもながら」

「だって、正義の味方みたいな顔して裏で悪いことしまくってるんだよ。その上、賄賂と裏金で自分を守るための法律まで作って」

「いいじゃない。それなら破っても心が痛まない。規則を破って悪いことをするのは嫌いじゃないでしょ」


 思いだされるのは学生時代の記憶。

 学院寮の就寝時間を破って抜け出した夜のことを思いだす。


「うん、大好き」


 にやりと口角を上げた私に、ルークは言った。


「それじゃ悪者として、もっと悪い極悪人を退治しに行きますか」





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