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155 或る少女の記憶


 先生は正義の味方だった。


 誇りと信念を持ち、常に虐げられる者の味方だった。


 家は貧しく簡素で、風が吹くたびにがたがたと揺れた。

 屋根は雨漏りし、床は腐っていた。


 小さな私塾を経営していた。

 月謝をほとんど取らず、庶民の子供にも親切に魔法を教えた。


 孤児院で手の付けられない乱暴者だった男の子がいた。

 いつも年上の不良少年と喧嘩しては、問題ばかり起こしていた。


 そんな彼にも熱心に魔法を教えた。

 目線を合わせて、真摯に向き合い続けた。


 少年は魔法が好きになった。


 喧嘩して問題を起こすことはなくなった。


 娘が病に倒れた父親がいた。

 嵐の夜だった。


 彼は貴族家の当主だった。

 お抱えの魔法医に連絡を取ることができず、近隣にある魔法医師の家へと走ったが橋は洪水で決壊していた。


 彼はこの世界の誰よりも無力だと感じた。

 娘は、多分この夜を越えられないだろう。

 絶望しそうになったそのとき、思いだしたのが先生のことだった。


 みんなに落伍者と言われるみすぼらしい老人。


 普段は歯牙にもかけない相手だったが、祈るような気持ちで父は彼に「助けてくれ」と頼んだ。


 先生は娘を見事な魔法で治してくれた。


 おかげで、私は今も生きられている。


 私は先生に深く感謝した。

 先生の私塾に通うようになった。


 そして、少しずつ先生のことを知っていった。


 先生は昔、王宮魔術師だった。

 腐りきった世界と戦った。


 ある大物貴族の不正を告発しようとしたのだ。


 収賄。

 禁止薬物と違法武器の密輸。

 孤児院の子供への性的虐待。


 もみ消し続けた悪行を白日の下にさらそうとした。


 そして、負けた。


 何の希望もない、救いようのないみじめな負け方だった。


 先生はみんなに後ろ指を指されていた。


 禁止薬物と違法武器の密輸。

 孤児院の子供への性的虐待。


 救いようのない最低の犯罪者。


 魔法監獄で三十年服役した後も、着せられた無実の罪が先生の上に重たくのしかかっていた。


 先生はいつも申し訳なさそうだった。


「みんなを怖がらせて心苦しい」というのが口癖だった。


 七十歳を超えた先生の身体は小さくて、なんだか儚げに見えた。


 だけど、魔物が町を襲うと自分の身を挺して人々を守ろうとした。


 先生はかっこよかった。

 皺だらけだったし、頭は禿げ上がっていたけれど私には誰よりもかっこよく見えた。


 私は先生が好きだった。

 深く尊敬していたし、守ってあげたいとも思っていた。


 世界中すべての人が先生の敵になったとしても、私だけは先生の味方でいよう。


 そんな私を、先生はみんなに内緒で家に呼んだ。


 十歳の夏だった。


 先生は私に冷たいお茶を出してくれた。


「すまないね。ひとつだけ私のお願いを聞いて欲しいんだ」


 先生は言った。


「君にこのノートを託す。もし私に何かあったら、これを君のお父さんに渡してほしい」


 先生は「絶対に中を見てはいけない」と言った。


 私は先生の言いつけを忠実に守ろうとしたけれど、その意味深なノートに隠された秘密には抗いがたい魔性の力があった。


(誰にも言わなければ大丈夫)


 私はノートを開いた。

 だけど、その内容を私はなかなか理解することができなかった。


 先生の字は綺麗だったけど、使われている言葉は幼い子供には難しいものだった。

 暗号の形式であえてわからないように書かれているところもあった。


 誕生日にプレゼントされた辞書を手に、丁寧に少しずつノートの意味を私は理解していった。


 そして、知った。


 そこに書かれていたのは、先生が四十年前に告発しようとして失敗した大物貴族による不正の証拠記録だった。


 記録の中には過去十年に行われたものについての記述も付け加えられていた。


 先生はあきらめていなかったのだ。


 無実の罪を着せられ、三十年刑務所に入れられても正義の味方であり続けようとした。


 思いだされたのはいつかの先生の言葉。


「私は、自分が何のために生まれたのか。そして、何のために生きているのか知っている。それだけで、どんなにみじめに見える状況でもこの上なく幸福で満ち足りた気持ちになれるんだ」


 私は先生を心の底からかっこいいと思った。


(いや、思うだけじゃいけない。ちゃんと言葉にして伝えよう)


 多分私は先生を勇気づけたかったのだ。


 みんなに後ろ指を指されている先生に、私だけは味方だよって伝えたかった。


 次の日の朝、私は先生の家に向かった。

 いつもと何ら変わらない穏やかな朝だった。


 青空と天頂に張り付いた薄雲。

 どこかから聞こえる蝉の声。

 夏の日差しは透き通っていて、風はやさしく私の頬を撫でた。


 なんだか気持ちよくて、先生の家へと走った。


 家の前は人だかりができていた。


 そのときに見た光景を、私は生涯忘れないだろう。


 先生は死んでいた。

 死体は傷だらけで、ひからびた猿のようにひどく赤茶けて縮んでいた。


 目を覆いたくなるような拷問の跡があった。


 死体を処理したのは大物貴族の息がかかった人たちだった。


 先生は、新たに二十九の罪を着せられて、後ろ指を指される罪人として死んだ。






 それから、私は先生に託されたノートを父に渡した。


 ノートを読んだ父はふるえる声で言った。


「これはとても恐ろしいものだ。お前はこのノートを知らない。見たこともない。ノートは、パパが偶然見つけたもの。いいね」


 父の言葉には、普段と違うひどく切迫した響きがあった。

 私は初めて見る別人のような父の姿に、困惑しつつもうなずいた。


 父はノートを高等法院に提出した。


 アーデンフェルド王国の最高司法機関。

 通常の司法権限に加えて、勅令や法令の登記や国王に建言する立法的行政的権限を持つ。


「少しお話を伺いたいのですが」


 尋ねてきたのは高等法院の司法官だった。

 司法官は仲間と共に、私と私の家族に話を聞いた。


 私は父に言われたとおり、何も知らないふりをした。


「ご協力ありがとうございました」


 その後ろ姿を私は頼もしく思いながら見送ったことを覚えている。

 同時に、心の中には深い安堵もあった。


 先生に言われた頼みを無事に果たすことができた、と。


 一年が過ぎた。

 嘘のように静かで平和な一年だった。


 先生が告発した悪徳貴族は正義の味方のような顔で、王国の徴税制度の批判をしていた。


 二年が過ぎた。

 まだ何も起きない。

 証拠集めに時間がかかっているのだろうか。


 十年が過ぎた。

 愚かな私もそのときにはすべてを理解していた。


 高等法院は先生の証拠を握りつぶしたのだ。


 すべてを闇に葬ることを選択した。


 調べてみれば当然のことだった。


 高等法院には貴族による裏金と収賄が蔓延していた。


 正直者が馬鹿を見る世の中だ。


 正義も正しさも権力には敵わない。


 肥え太った救いようのない悪党どもが作った腐りきった世界。


 だからこそ、私は先生の跡を継ぐことにした。


 正義の味方として。


 絶対に先生の遺志は私が果たす。


 ノートの復元に六年かかった。

 覚えていない細部を懸命に絞り出して、形にした。


 その裏取りに十三年かかった。

 巧妙に隠蔽された証拠を集めるには、血の滲むような努力と執念が必要だった。


 だけど、これくらい大したことじゃない。


 先生の三十年に比べたら。

 失った名誉と悲しく儚い生涯に比べたら。


(先生見ててください。外道どもは私が必ず地獄にたたき落とします)


「――副隊長?」


 私は少しぼんやりしていたらしい。

 こめかみをおさえてから、振り向く。


「何かしら?」

「先週行った遠征の報告書を提出したくて参りました」


 礼儀正しい後輩は、きびきびとした所作で報告書を差しだして言う。


「その、大丈夫ですか? なんだか、少し怖い顔をしていたように見えましたが」

「そうだった? 少し疲れてるのかも。ありがとう」


 後輩を見送りつつ、冷静になれと自分に言い聞かせる。


 悟られてはならない。


 知られたら、巻き込んでしまうかもしれないから。


(ごめんね、ノエルさん)


 力になりたいと言ってくれた後輩。

 見送った後ろ姿に、少しだけ胸が痛くなる。


 それでも、優先順位を間違えてはいけない。

 大切な後輩をこんな危険なことに巻き込むわけにはいかないから。


(見ててください。先生)


 レティシア・リゼッタストーンは、秘密の弾丸を隠し持っている。





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