139 魔術師殺し
「第一王子殿下が動いた。他にも複数の派閥から彼女に関心を持っているという打診が来ている」
王宮魔術師団本部。
一番隊隊長を務める《明滅の魔法使い》アーネスト・メーテルリンクの執務室は十八の魔法結界が張られた異界になっている。
王国において最も優れた魔法結界術士である彼が自ら手がけた西方大陸屈指の攻略難度を誇る特殊な空間。
事実上の最高責任者である彼の執務室に入ることを許される者は、王宮魔術師団の中でも極めて少ない。
そして、訪れている大柄な男はその数少ないうちの一人だった。
空間が歪んで見える強烈な魔力の気配。
三番隊隊長を務める《業炎の魔術師》ガウェイン・スターク。
王国内で最高火力を誇る炎熱系最強の魔法使い。
「あいつの持っている可能性に皆が気づき始めたというわけですか」
「あれだけの活躍を見せられれば無理もない。こと表側世界において、国別対抗戦には非常に大きな影響力がある」
アーネストは冷静な声で言う。
「問題は彼女を排除したいと考える者たちも多くいるということだ。平民出身の女性魔法使いというのは国内外の貴族主義者を否応なく刺激する。加えて、封印都市で起きた古竜種の復活未遂事件が示すように世界の裏側で蠢く者たちの動きも活発化している」
「高い魔法技術に加えて、未踏領域に面した立地の持つ将来性。この国の利権を狙う者たちも今まで以上に動きを見せてくるでしょうね」
「早急に組織体制の強化を図る必要がある。王国史上初となる八人目の聖宝級魔術師選定と七番隊の創設も早めることになるだろうな」
「現状の第一候補は二番隊のシェイマス・グラスですか」
「そうだな。第二候補はレティシア・リゼッタストーン。加えて、ライアン・アーチブレットとバシール・プルマンというところか」
「ルーク・ヴァルトシュタインは?」
アーネストは静かにガウェインを一瞥した。
「負傷している者を頭数に入れるほど我々の層は薄くない。優れた魔法使いは彼以外にもいる」
否定する言葉は、しかし言外のメッセージを含んでいるように感じられた。
(怪我が早く治れば可能性はある、か)
現状を把握してガウェインは思案を巡らせる。
「そんな状況下で今日、世界情勢を大きく揺るがす事態が発生した」
アーネストは低い声で言う。
「《精霊女王》エヴァンジェリン・ルーンフォレストが帝国領西部を訪問中に襲撃を受けた。犯人は逃走中。エヴァンジェリンは行方不明。既にこの世にいない可能性も高いと言われている」
目を見開くガウェイン。
「……笑えない冗談ですね」
「現実だ。既に複数の情報筋から裏付けが取れている」
「殺しても死なない類いの相手ですよ、あれは」
「対象者の魔力を封じる《魔術師殺し》と呼ばれる類いの特級遺物が使われた形跡があったそうだ」
ガウェインはしばしの間黙り込んでから言う。
「たしかに、それなら可能性はありますね」
「王都の警戒態勢強化と迷宮遺物の取り締まりは行っているが、それにも限界がある」
アーネストは言った。
「我々の真価が問われるときだ。王宮魔術師としての責務を果たすぞ」
《精霊女王》エヴァンジェリン・ルーンフォレストが襲撃を受けて行方不明。
そのニュースは、瞬く間に西方大陸の国防関係者の間を駆け巡ることになった。
動揺を避けるために、各国は報道各社に対して情報を伏せるよう動いているみたいだけど、一部の国では既に噂やデマが広がってしまっているとか。
『本当は自殺なのを帝国が隠蔽している』とか『すべて彼女自身が仕組んだ陰謀』みたいな心ない誤情報も多くあるみたいで、胸が痛くなる。
(無事だといいんだけど)
その日の帰り道は、王立騎士団の方が送ってくれることになった。
国別対抗戦で活躍を見せていた私も、エヴァンジェリンさん同様狙われる可能性があると判断されたのだ。
襲撃に使用されるという特殊な迷宮遺物《魔術師殺し》への対策として、王立騎士団の精鋭が二人。
心強くはあるけれど、そこまでしてもらっていいのかなって少し落ち着かない。
「ご安心ください。我々がノエルさんの安全は保証いたしますので」
鍛え抜かれた体躯の騎士さん二人。
歩き方を見ているだけでも精鋭であることがわかる身のこなしに感心しつつ、暗くなった道を歩く。
「女性だと夜道を一人で歩くのも怖いですよね」
「いや、意外とそんなに怖くないですよ。大体殴れば勝てるな、って感じなので」
「え?」
目を丸くする騎士さん。
(はっ! 女子として、この回答はなんか違う気がする!)
慌てて言葉を探して取り繕う。
「いえ、そうなんですよ。ほんと怖くて。やっぱり男性に力では勝てないですし」
「ですよね。女性は大変そうだなって思います」
納得している様子に、正解を出せたみたいで一安心。
(ふふん! 私が本気を出せばこんなものよ!)
いつも女子力無いって言ってくるお母さんに見せたい完璧な振る舞いだった。
(さすがクールでかっこいい大人女子である私。その気になれば女子力くらいちょちょいのちょい)
卓越した女子力で完璧な回答を返す自分を思い返して悦に浸っていた私は――
(――――ん?)
不意に何かの気配を感じて足を止める。
月の見えない夜。
闇に沈んだ街。
自然豊かな田舎町を駆け回って磨いた野生の勘が私に伝えていた。
(何かが、いる)
「……ノエルさん?」
立ち止まった私に、不思議そうな顔で言う騎士さん。
「伏せて!」
鋭く伝えつつ、目の前にいる騎士さんの襟元をつかんで引き倒す。
瞬間、路地の壁を貫通して殺到したのは弾丸の雨だった。
思考の時間は無い。
咄嗟に《固有時間加速》を起動した私は、騎士さんを引っ張って敵から死角になる位置に身を隠す。
【硬化】の付与魔法で壁の耐久力を向上させ、安全を確保してから周囲の確認。
(敵は二十から三十。使用されているのは東側諸国で開発された最新の違法魔導杖か)
手鏡を使って背後をのぞき見る。
もう一人の騎士さんもうまく敵の死角に身を隠すことに成功したらしい。
(さすが精鋭)
ほっと息を吐きつつ、反撃するための攻撃魔法を選択。
狙いを定めて、魔力を込めようとして気づく。
(魔法式が起動しない)
先ほどまで使えた補助魔法と付与魔法も今は使えなくなっている。
(おそらく、エヴァンジェリンさん襲撃に使われた《魔術師殺し》の迷宮遺物)
効果範囲と起動条件はわからないけれど、今私が迷宮遺物の影響下にいることは間違いない。
(状況は極めて不利。とにかく、迷宮遺物の範囲外に出ないと)
最も確率の高そうな経路を選んで距離を取ろうとした私は、敵の動きに気づいて絶句する。
(読まれてる――)
そこで私は敵が入念に計画を立ててこの襲撃を実行していることを知る。
敵の動きに反応して、あらゆる可能性を瞬時に考えないといけない時点で私は後手に回っていて。
どんなに早く判断しても、あらかじめ計画された包囲網を破るには遅すぎた。
咄嗟に起動しようとした攻撃魔法は、そよ風ひとつ起こすことなく霧散して消える。
(まずい――っ!)
魔導杖を構える敵の群れ。
絶望的な状況。
放たれる無数の弾丸。
敗北を悟って息を呑んだ私の目の前で閃いたのは、形あるものすべてを一掃する疾風だった。
閃光のような速さで繰り出される無数の斬撃。
そこにいるのが誰なのか、姿を見てなくても感覚的にわかった。
第一王子殿下の懐刀にして、王立騎士団団長。
御前試合で戦った王国最強の剣士。
剣聖――エリック・ラッシュフォード。
他にも複数の騎士さんが現れて、敵に向けて攻勢をかけている。
(いったいどこから――)
周囲にそんな気配はなかったはずなのに。
だけど、その答えはすぐに見つかった。
《空間を削り取る魔法》
空間系の精霊魔法と、雲間から覗いた満月を背に煙突の上に立つドレス姿の美しい女性。
「効果範囲内で魔法が使えなくなるなら、範囲外で魔法式を起動すればいい。聡明で最強かっこいい私に二度同じ手は通用しないのよ」
芝居がかった決めポーズで不敵に笑みを浮かべて。
それから、見上げる私に気づいて弾んだ声で言った。
「親友である私が助けに来たわ、ノエル!」
自由奔放な森妖精の女王様がそこにいた。






