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121 白雷


「どうして、貴方は棄権しないのですか?」


 観衆が詰めかけたフィールドの中央。

 試合開始直前、エステルはルークに言った。


「どういう意味ですか?」


 ルークは低い声で言葉を返す。


「純粋に疑問なのです。貴方の先輩を私は圧倒した。貴方が彼より強いのは事実でしょう。ですが、同様に私は貴方より強い。千年を超える時を生きてきた私と貴方では、魔力量でも魔法に対する研究量でも差は明らかです。もっとも、貴方が万全の状態なら勝機もあったでしょうが」


 エステルは言葉を選びながら言う。


「貴方は負傷を抱えている。それも、下手をすれば今後の魔法使い生命に関わるレベルの」


 ルークは目を見開く。

 エステルは続ける。


「その状態で私には勝つことは不可能。戦う前から結果は決まっています。貴方の今後を考えても棄権するのが正しい選択であるように思いますが」


 ルークは何も言わなかった。

 沈黙。

 やがて、言った。


「手を伸ばさずにあきらめたら後悔するんですよ。僕は一度大きな後悔をした。そして学んだんです。本当に大切なものがあるのなら、そのためにできる限りのことをする。懸命に手を伸ばしたという事実が大事なんです。それがあれば、理不尽に満ちたこの世界の中でも僕はきっと人間でいられる。生きていける」

「理解できませんね。不合理な選択です」

「それに、ひとつ考え違いをしていますよ」

「考え違い?」

「貴方が思ってるより僕は強いですから」


 ルークは言う。


「気をつけてください。加減できないかもしれません。手負いの獣は凶暴なので」

「無益な戦いは避けたいところでしたが、仕方ありませんね」


 エステルは言う。


「森羅万象を統べる偉大なる精霊の名の下に、貴方の驕りを正しましょう」


 試合開始を告げる鐘が響く。

 金糸雀色の魔法式を起動するルーク・ヴァルトシュタイン。

 瞬間、フィールドを光が染め上げた。


雷閃墜煉獄(らいせんついれんごく)


 炸裂する轟雷。

 大地が振動する。


 無詠唱での《多重詠唱(マルチキャスト)

 並の魔法使いではそよ風ひとつ起こせない超高等技術。

 しかし、幾重にも展開する魔法式は常人のそれを完全に超越している。


 光が網膜を焼く。

 太陽が目の前にあるような眩しさ。


 立っていられない。

 どちらが上でどちらが下なのかさえもわからない。


(違う……あまりにも違いすぎる……)


 呆然とする観衆たち。


(これがルーク・ヴァルトシュタイン……!)


 その数秒間を彼らは生涯忘れないだろう。

 稀代の天才が見せた人知を超えた電撃魔法。


 漂う何かが焦げた香り。

 空気に混じるざらついた粉塵。


「絶望というものを知っていますか」


 しかし、粉塵の中から現れた森妖精(エルフ)の魔法使いの身体には傷ひとつつけられなかった。


「貴方はその人生におけるすべての時間を魔法に捧げて来たのでしょう。しかし、私は千年を超える時間を魔法に捧げてきたのです。私は魔法障壁を展開していません。それでも、貴方の魔法は私に傷ひとつつけられない」


 無慈悲に言葉を続ける。


「これが貴方と私の力の差です。絶望というものがわかりましたか」


 ルークはじっとエステルを見つめていた。

 沈黙。

 やがて、言った。


「違いますよ。全力を尽くして戦って、届かない相手を知る。それは幸せって言うんです。貴方がいるから僕はもっと強くなれる。貴方を超えられる僕になれる」

「この期に及んで何を……」

「絶望しないでくださいね」


 ルーク・ヴァルトシュタインは言った。


「これからの僕は少し、強すぎるので」

「続行を選択しますか。残念です。若い芽を摘みたくはなかったのですが」


 エステルは無表情で魔法式を起動する。

 爆発的に増大する魔力量。

 濃縮された魔力が彼女の周囲の空間を歪める。


 起動する蒼の魔法式。

 しかし、目の前のすべてを一掃するはずだった水の轟砲は放たれなかった。


(魔法式にノイズが――)


 不完全な状態で起動する魔法式。

 暴走。

 エステルの持つ莫大な量の魔力が回路を焼き尽くしながら疾駆する。


 魔法式が爆ぜる。

 放たれた飛沫は弾丸のようにエステルの身体を裂く。


(まさか、私の魔法式に干渉して――!?)


 その事実がエステルにもたらした衝撃は大きかった。

 理論上可能なことではある。

 しかし、細部の構造が人によって異なる高度な魔法式の構造を操作するのは、決して簡単なことではない。


 その上、エステルの魔法式は現代魔法とは異なる体系を持つ精霊魔法。

 専門の研究者でも式構造の解析だけで数週間。

 干渉する反魔法式を作り上げるにはさらに倍以上の時間が必要になる。


 とても一発勝負の実戦で使えるような技術ではない。

 しかし、ルーク・ヴァルトシュタインが突いたのはそんな常識が作り出した盲点だった。


(この人間、私と戦うことを想定して大会前から準備を――)


 加えて、反魔法式が機能しているという事実は、さらにもう一つ戦況を大きく左右する情報を彼が握っていることを意味していた。


(私の位置を正しく把握している。幻視結界を看破された)


 エステル・ブルーフォレストには秘密があった。

 ライアンの炎魔法と、ルークの電撃魔法を魔法障壁さえ張らずに一蹴したその裏にある見えない罠。


 巧妙に隠された精霊魔法。

 無数に張られた羽のように薄い水の壁。


 光の屈折――


 目に映るエステルの実像は現実の彼女を映していない。

 位置関係を錯覚させて優位を築く。

 誰より慕う女王に少しでも近づくために、編み出した秘術。


(問題ありません。力勝負でも私に分がある。こちらの魔法式を研究し対策した努力は賞賛しますが、私が見せていない魔法には無力です)


《水精霊の輪唱》


 対象を眠らせる精霊魔法。

 しかし、エステルの魔法式は暴走し回路を焼き尽くして破砕する。


(私が見せていない魔法に対しても対策を――!?)


 さらにエステルを驚かせたのはその反魔法式がほとんど同時のタイミングで放たれて自身の魔法式に干渉したという事実だった。


(行動を先読みしている……!? ありえない。そんなことができるわけが)


 戸惑いの中で起動する魔法式。


「知ってる」


 響く冷たい声。


「それも知ってる」


 爆発。

 飛沫が肌を裂く。

 もはや否定することはできなかった。


(この人間、いったいどれだけの準備を――)


 異常な量の研究と試合対策。

 おそらく、狂気に身を委ねたのだ。

 単純な力勝負では叶わない相手に勝利するために。


「この世界は強い者が勝つのではありません。勝った者が強いんです」


 冷ややかな声が響く。


「そして、勝つために僕は手段を選ばない」


 轟雷が大地を揺らす。

 その光景は、衝撃的なものとして観衆たちの心に刻まれることになる。


 今大会最強格の実力者と目され、圧倒的な強さで勝ち進んでいたエステル・ブルーフォレスト。


 アーデンフェルドの若き天才は――

 その怪物を、わずか62秒で粉々に粉砕した。




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