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115 夜に潜む


「何をしている。前代未聞だぞ。どこの馬の骨ともしれぬ平民の小娘に最終予選を突破されるなんて」


 薄暗い部屋に叱責の声が響いた。

 高貴な身なりをした二人の男が話している。


「申し訳ございません。抽選を担当する者達を買収して絶対に勝ち進めない状況に追い込んだはずなのですが」

「結果に繋がらなければ過程になど何の価値もない。結果がすべてだ。そんなこともわからないのか」


 美しい刺繍のウエストコートを着た男は言う。


「平民は貴族に比して劣った存在だ。先人達が作り上げてきた歴史と伝統がそう示している。我々は連中に決して可能性を与えてはならない。神から賜った権利と繁栄を守るために。悪銭から良貨を守らなければならないのだ」


 組んだ両の指を点検するように見つめてから言った。


「暗殺者を向かわせろ。負傷による辞退が理想だが最悪殺しても構わん」

「しかし、そんなことをすれば国際問題にも」

「足さえつかなければ何の問題も無い。王国と帝国が敵対すれば私にとってはむしろ好都合だ」

「ですが、さすがに暗殺というのは」


 声をふるわせる片眼鏡の男。


「平民が力を持つようになれば、私たち貴族は確実に力を失う。想像してみろ。息子が、孫達が地盤を失い苦しむ姿を。絶対にあってはならない。我々の一族が末永く繁栄を続けるために、不適切な存在は排除しなければならない」


 美しい金糸と模造宝石の刺繍が揺れる。

 男は淡々とした口調で続ける。


「やれ。既に議論のフェーズは終わっている。お前は私の指示に従っていれば良い」

「……承知しました」


 指示に従って、暗殺者の手配をする。心に重たい何かが積もっていく。


 正しい行いであるはずだ。

 当主として先祖代々受け継がれてきた家名を守るため。

 家族を、息子達の未来を守るために。


 手段を選ばず生き残るための道を選ぶ。

 それは、弱肉強食の過酷な世界を生き抜くために、必要なことだ。

 しなければならないことだ。


(しかし、いいのか。いくら平民の小娘と言っても、殺してしまうなんて)


 答えは出なかった。

 生き物を殺してしまった後のような、嫌な感覚が頭の奥に残った。






 夜。

 アーデンフェルド王国代表選手団が利用している練習場。


 個人練習に励むノエルを見つめるひとつの影がある。


「こんな時間まで練習とは。感心感心」


 放たれた独り言は、しかし周囲の空気を揺らしはしない。

 高次元の隠蔽魔法によって作られた空気の壁は、その存在を現実世界の理から隔絶している。


「さて。到着したばかりだし、今日くらいはお休みしたいところだったんだけどね」


 彼は何もない空間を見つめて言う。


「どうやら、そういうわけにもいかないらしい」


 視線の先にあるのは違法改造された迷宮遺物による隠蔽魔法の見えない壁。

 その奥に潜む侵入者の姿を、彼の瞳は捉えていた。


「一人を相手にその数って……まあ、あの子が相手なら無理もないか」


 やれやれ、とため息をついてから彼は言う。


「仕方ない。時間外労働を始めますか」






 ◇  ◇  ◇


(……なんだろう。誰かに監視されてるような)


 使わせてもらっている練習場で、個人練習を終えた後のことだった。


 どことなく感じる見られているような気配。

 野山を駆け巡って磨いた野生の勘が私に告げている。


 ここにいてはいけない、と。


 意識的に装うのはいつも通りの私。

 異変に気づいていないふりで出口を目指す。


「貴方。気づいていますね」


 まばたきの間に、私を包囲する黒づくめの男達。


「我々の気配を察知するとは。さすが舞踏会で彼を止めただけのことはある」


 骸骨のような仮面に身を包んだ彼らが只者じゃないのは感覚的にわかった。

 歩き方ひとつとっても普通の人間とはまったく違う。


「できれば、話し合いで解決したいんですけど」


 私の言葉に、仮面の男は肩をすくめた。


「残念ながらそうもいかないのです。依頼主が貴方の排除を望んだ時点で我々の利害は決定的に対立している。レティシア・リゼッタストーンの警戒網を突破できるのは、これが最初で最後の機会でしょうし」


 依頼主の望みは私の排除。

 おそらく、私が勝ち進むことで不利益を被る誰かの差し金だろう。


「申し訳ありませんが、加減をして戦える相手ではない。ここであなたには死んでもらいます」


 放たれたナイフの切っ先。

固有時間加速スペルブースト》を起動してかわしたその直後、間合いを詰めるその速度に思わず息を呑んだ。


 おそろしく速い踏み込み。

 その動きは細部に至るまで一切の無駄がなく洗練されている。

 ひとつのミスで命を失う異常な環境下で磨き上げられた極地。


 反応できているし、見えてもいる。

 一人なら互角以上に戦えるだろう。


 しかし、敵は見えているだけで十人以上。

 気配を消して潜んでいる者たちを含めれば何人になるのか見当もつかない。


 踏み込んできている相手に対応するだけなら不可能なことじゃない。

 全神経を集中させて対処すれば、十分対処はできるはずだ。


 問題は、その際に生じる隙を潜んでいる者達が狙っているということ。


「貴方の戦いぶりを研究させてもらいました。自身の限界を超える状況への異常なまでの対応力。しかし、察知できなければ対応すること自体できません。意識外からの攻撃で一息で殺しきってしまえばいい」


 研究されている。

 何より厄介なのは、敵の攻撃が絞れないことだった。


 どこにいるのかはもちろん、何人いるのかさえわからない。

 それはつまり、すべての可能性を考慮しながら戦わなければならないということ。


 想定しないといけない事柄があまりにも多すぎる……!


 意識外から放たれたナイフの一閃。

 伏兵による背後からの一撃を、私は認識することさえできなかった。


 気づいたときにはもう刃は私の首筋に吸い込まれている。


 引き延ばされた一瞬。

 そのとき、感じたのは経験したことのない理解を超越した何かの気配だった。



「うちの子に余計なことしないでもらえるかな」



 藤色の長い髪がふわりと揺れる。

 年齢と性別がわからない中性的な顔立ち。


 なんだかこの世の人では無いような、どこか現実感のない雰囲気をまとったその人は、指でナイフを止めていた。


 暗殺者はまばたきすらできずに動きを止めている。

 いったいどうして……と息を呑んでからはっとした。



 相手の固有時間を止める魔法――《固有時間停止スペルストップ



 見たことも聞いたこともないけれど、目の前の魔法式はたしかにその存在を示唆している。


 視界の端で揺れる懐中時計。

 光を反射する聖宝――賢者メイガスの石。


「はじめまして。元気そうで何よりだよ、話題の新人さん」


 穏やかな物腰のその人は、まるで落ち着いた午後の一時みたいににっこり微笑んで言った。


「私は王宮魔術師団総長クロノス・カサブランカス。アーデンフェルド最高の魔法使いと称されるすごいすごーいお兄さんさ」




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