『マッサのおはなし』
「ぼく、絶対に、絶対に、絶対に、忘れないよーっ!」
叫んだ声が、急に、今までと違って聞こえた。
大人の低い声じゃなくて、子供の声。
そうだ。
子供だったころの、自分の声――
マッサは、ぎゅうっとつむっていた目を、ゆっくりと開けた。
まず、目に入ったのは、自分の足だ。
古いスニーカーをはいた、小さな両足。
自分の両手を見おろすと、剣を握る大人のごつごつした手じゃなく、すべすべした、子供の手だった。
背丈も小さく、服も、元通りになっている。
目の前には、ほこりだらけのカバーがかかった、たんすみたいなものがあった。
それから、王様用みたいな、高級そうないす。
蓋が閉まった、巨大な宝箱――
そうだ、そうだ、思い出した。
ここは、懐かしい、あの日の部屋だ。
おじいちゃんの家の二階の、開かずの間――
「ま……」
そんな声が、後ろから聞こえて、マッサは、ぱっと振り返った。
すると、そこには、工事に使う、でっかいつるはしを持った、おじいちゃんが立っていた。
目をまん丸く見開き、まるで幽霊でも見たみたいな顔で、口をぱくぱくさせている。
「ま……ま、ま……」
一方で、マッサのほうも、
「お……お、お、お……」
と言った。
胸がいっぱいになりすぎて、すぐには、ちゃんとした声が出なかった。
「お、お、お、おじいちゃーん!」
「ま、ま、ま、マッサーッ!」
二人は同時に叫んで、お互いに駆け寄り、がっしりと抱き合った。
「ま、マッサ、マッサーッ! おまえ、どうやって……ほれ、そこにあった『穴』が……わしは、もう、おまえは、二度と戻ってこないんじゃないかと……」
興奮のあまり、涙を流しながら、おじいちゃんが言った。
「おまえが、この部屋に入ったのかもしれんということには、家に戻って、すぐに気がついた。隠してあった鍵が、ほんのちょっぴりだけ、動いとったからな。だが、あの『穴』が消えていた……それで、わしは……壁を壊して、穴を探そうと……だが……わしは、もしかしたら……おまえまで、永遠に……」
「おじいちゃん! 心配かけて、ごめんね。」
マッサも泣きながら、大きな声で言った。
「ぼく、帰ってきたよ! ぼく、今まで、ずっと、向こうの世界に行ってたんだ。おじいちゃんも行った、あの世界に。どうやって、道を見つけたかっていうと――」
と、そこまで話して、
「ブルー!?」
と、マッサは、飛び上がってあたりを見回した。
「ブルー、ブルー! どこにいるの!?」
「何だ、何だ!? 何が、どうしたって?」
「ブルーが、いない!」
マッサは血相を変えて、そこらじゅうの大きな荷物に駆け寄って後ろを確かめ、ほこりだらけの床にはいつくばって、下をのぞきこんだ。
「ブルーは、ぼくの大事な友達なんだ! ぼくが、こっちに帰ってくるとき、いっしょに、ついてきてくれたんだ。絶対、間違いなく、しっかり抱いてたんだ! それなのに……いなくなっちゃった……」
ほこりだらけの床に座りこみ、泣き出したマッサの頭を、おじいちゃんのごつごつした手が、そっとなでた。
「ああ、そうだ……この部屋には、ずっと、小さな白い生き物が出入りしとった。わしが、十年前に、おまえといっしょに連れて逃げてきた、イヌネコネズミウサギリスの赤ん坊だ。あっちの森に逃がしてやったのに、この部屋までついてきて……
あれが、ブルーか? おまえたちは、友達になったのか?」
マッサは、泣きながらうなずいた。
「ぼくたち、ずうっと、いっしょだったんだ。ブルーが、最初に、仲間になるって言ってくれたんだ。それで、ぼくたち、いっしょに長い旅をして……」
「どうやら、おまえは、向こうで、とんでもなくいろんなことを経験してきたらしいな。」
おじいちゃんは、一人で何度もうなずいて、マッサの肩を支え、ゆっくりと立たせた。
「とにかく、下に降りよう。何か、あたたかいものでも飲みながら、ゆっくり話を聞かせてくれ。」
マッサは、今にも倒れそうな気持ちで、おじいちゃんといっしょに一階に降り、キッチンに行った。
すると、キッチンの奥のほうから、ゴソゴソゴソッ! という音が聞こえた。
「うわっ! 何だ、ねずみか?」
ガサガサッ!
床に置かれた買い物袋の中から、りんごをひとつ抱えた、白い、ふわふわの生き物が飛び出して、スタタタターッと戸棚のかげに隠れた。
「ああっ!?」
びっくりしたのと、嬉しいのとで、マッサの心臓は、破れそうに高鳴りはじめた。
「そこにいるのは……ブルー!? きみなの!?」
タタタッ!
真っ白な、ふわふわの毛の、青い目の生き物――ブルーが、戸棚のかげから、りんごを置いて飛び出してきて、マッサの体に、ダダダダダーッ! と駆けのぼってきた。
「ブルー!!」
マッサは、今度は嬉しすぎて泣きながら、ブルーを抱きしめ、ほっぺたを、ぎゅうーっとくっつけた。
「きみ、りんごのにおいがしたから、勝手に、下に降りてたんだね!? おじいちゃんが買ってきたりんごを、勝手にとっちゃ、だめじゃないか。まったくもう! きみがいなくなっちゃったと思って、すっごく、心配したんだよ!」
『マッサ、しんぱいした? ごめんね!』
と、今までのブルーなら、言っていたはずだけど、なぜか、今のブルーは、何も言わなかった。
「あれっ、ブルー、どうしたの? なんで、黙ってるの?」
「その生き物――ブルーは、向こうでは、喋ることができたのか。」
と、おじいちゃんが言った。
「うん。でも、今は黙ってる。……あっ、もしかして、おじいちゃんがいるから、恥ずかしいのかな? ブルー、これが、ぼくのおじいちゃんだよ! ちょっと怖そうに見えるけど、怖くないよ。」
「誰が、ちょっと怖そうだ。」
おじいちゃんは、ぶつぶつ言ってから、ふうーっ、と長いため息をついた。
「たぶん……向こうで、ブルーの言葉の意味が、おまえに分かったのは、向こうの世界の、魔法の力のはたらきのおかげだろうな。こっちの世界には、魔法はない。だから、言葉も通じないんだろう。」
「えっ。」
マッサは、驚いて、ブルーを見つめた。
「そうなの、ブルー? ねえ、ぼくが言ってること、わかる?」
ブルーは、目をぱちぱちさせて、首をかしげ、すぐに、タタタタターッと戸棚のかげに戻っていった。
「待ってよ、ブルー!」
マッサは、慌てて追いかけようとしたけど、ブルーは、すぐに戻ってきた。
よいしょ、よいしょ! と、戸棚のかげから、りんごを運んできて、それを、マッサのほうに押した。
まるで、
『マッサ、かお、しんぱいそう! りんご、おいしい! げんきでる! はいっ!』
と、言っているみたいに。
「ああ、ブルー、ありがとう。」
マッサは、りんごを受け取って、ブルーを、もう一度ぎゅうっと抱きしめた。
ブルーと話せなくなってしまったことは、すごくショックだけど、言葉が通じなくなっても、こうして、お互いの気持ちを通わせることはできる。
だって、これまで、ずっと一緒に冒険をしてきた仲間だから。
友達だからだ。
おじいちゃんが、あったかいお茶をいれて、りんごを剥いてくれた。
ブルーが、しゃりしゃりしゃり、とりんごをかじって、ウフフフフーン……と、おいしい顔をしているとなりで、マッサは、おじいちゃんに、何時間もかけて、自分たちの長い長い冒険の話を語り続けた。
前までのおじいちゃんだったら、
「魔法なんて、嘘っぱちだ!」
とか、
「そんな、作り話ばかりしていると、頭が悪くなる!」
なんて言っていたところだけど、今は、もちろん、そんなことは言わない。
うん、うんとうなずいたり、なにっ!? と驚いたりしながら、何時間も、話を聞き続けてくれた。
マッサが、お父さんと再会するところでは、おじいちゃんは、あんまり驚きすぎて、手に持っていたコップを、床に落っことして、バリーンと割ってしまったくらいだ。
「シュウ!? シュウが……シュウは、生きとったのか! 何てこった、魔王なんかに操られて!」
「そうなんだ……それでね、それから、どうなったかっていうと……」
テーブルの上で丸くなって寝ちゃったブルーのとなりで、マッサとおじいちゃんは、晩ごはんも食べず、夜遅くまで話をした。
そして、夜中の二時をすぎるころになって、マッサの話は、ようやく、マッサとブルーが、この家に帰ってきて、おじいちゃんと再会するところまで来た。
「――と、いうわけだったんだ。」
マッサが話し終わっても、おじいちゃんは、すぐには物も言わずに、じっと座ったまま、マッサを見つめていた。
まるで、そこに座っているのが、小さな自分の孫ではなくて、《炎の心》と呼ばれた立派な男であるかのように。
「あのさ、おじいちゃん。」
マッサは、静かに言った。
「学校のことなんだけど。……ぼく、ちょっと、お休みしてもいいかな。」
「えっ? ……ああ、明日のことか。そりゃあ、無理もない。もう、こんな遅い時間になってしまったからな。朝になったら、連絡しておこう。」
「いや、明日だけじゃ、足りないかもしれない。」
マッサは言った。
「あのね、ぼく、今までのことを、どうしても、ぜんぶ書き残しておきたいんだ。忘れないうちに。
ぼく、絶対に忘れないって、みんなに約束したんだ。でも、時間がたったら、そのうち、ちょっとずつ忘れちゃうかもしれない。
忘れたくなくても、いつか、記憶が薄れて、消えていっちゃうかもしれない。
でも、書いておけば、どんな細かいことも、読み返すたびに、はっきり思い出すことができるでしょ。
ぼく、今の話を、ぜんぶ、おはなしにして残すよ!」
「よし、わかった。」
おじいちゃんは、力強くうなずいた。
「よおく、わかった。明日、目が覚めたら、さっそく取りかかりなさい。……これを使って。」
そう言って、おじいちゃんは、りんごが入っていた買い物袋のところへ行って、何かを取りだした。
それは、真新しい、りっぱなノートだった。
ふだんの勉強に使うような、ぺらぺらのやつじゃなくて、どっしりとした布の表紙のついた、ほんとにりっぱな、分厚いノートだった。
「新しく買ってきたんだ。……マッサ、おまえが大事にしていた、物語のノート、破って捨ててしまったりして、本当に悪かった。許してくれ。」
「うん、もう、いいんだ。」
マッサは、おじいちゃんに、ぎゅーっと抱きついた。
「新しいノート、すっごくかっこいいね。ありがとう、おじいちゃん。ぼく、どんなに長くなったって、絶対に、書き上げてみせるよ。」
次の日、目を覚ましたときから、マッサは書いて、書いて、書きまくった。
ごはんと、トイレと、お風呂以外の時間はぜんぶ書いているというくらい、ものすごい集中力だ。
おはなしのノート事件、家出の計画、ブルーとの出会い、ふしぎな『穴』を見つけたこと、化け物鳥に襲われたこと、ガーベラ隊長とディールとの出会い、はじめて空を飛んだこと。
『青いゆりかごの家』でのガッツたちとの出会い、ガッツとブルーと一緒にお皿洗いの仕事をしたこと、夜の襲撃、《守り石》が初めて光ったときのこと。
騎士団の本部での会議、《三日月コウモリ》隊の人々とともに徹夜で飛んだこと、化け物鳥に襲われたときのこと、タータさんとの出会い。
モグさんの案内で地下の道を通ったこと、穴に落ちて迷子になったこと、岩神さまとの出会い、そして《魔女たちの城》――
書きすぎて、手が痛くなってきても、目がしょぼしょぼしてきても、マッサは書き続けた。
どれも、絶対に、絶対に、忘れたくないことばかりだ。
おばあちゃんと再会したけれど、はじめは全然信じてもらえなかったこと。ガーベラ隊長が教えてくれた偽の呪文のおかげで、はじめて自分で空を飛べたときの感覚。
フレイオとの出会い。フレイオとディールが、けんかばかりしていたこと。
そして、旅立ち。
草原を歩き、森を抜けて、《二つ頭のヘビ》山脈で、大魔王の手下の猿と出会ったこと。真夜中に、《赤いオオカミ》隊の人たちと、危うく戦いになりかけたこと。
川を渡ろうとして、ブルーが流されてしまったこと。そして、ボルドンとの出会い。
マッサが、和平会談のための特使として飛び回り、人と熊とが力を合わせ、猿を山から追い払ったこと。
そして《死の谷》と、ゲブルトの塔での出来事。
死の谷に落ちたときは、もう二度と、みんなと会えないんじゃないかと思った。でも、おばあちゃんがくれた金の押し葉と、お母さんの声が、道を教えてくれた。
さらわれたディールを取り戻すための、塔への潜入。魔法で閉じ込められたお母さんを見つけ出したこと。
ゲブルトに操られたディールの攻撃から、フレイオが、マッサを守ってくれたこと。
死にそうになったフレイオを、今度はマッサが、魔法で助けてあげたこと。
お母さんを、ボルドンの家族に託し、とうとう《死の谷》をこえて旅を続け、海辺の町までたどり着いたこと。
チッチとタック、村の子供たちとの出会い。みんなで力を合わせ、材料を集めて、いかだを作ったこと。
海賊たちの襲撃。いかだが吹き飛ばされ、もうだめだと思ったその時、魔法を解かれたお母さんが、空飛ぶ船に乗って来てくれたこと。
《惑いの海》での、三つの危険を乗り越え、ついに大魔王の島にたどり着いたこと。
思いがけない、お父さんとの再会。
最後の戦い、裏切り、そして、八人の仲間――
マッサは、夜も昼も忘れるくらい、書きに書き続けた。
仲間や家族たちと共にくぐり抜けた、数々の冒険と、平和な日々の思い出を書いた。
どんな小さなことも、きらりと光る宝石のかけらのように、残さず言葉に変えて、物語のなかにはめ込んでいった。
こうすれば、思い出は決して失われることなく、永遠にそこにあって、輝き続ける――
そして、ある朝、
「できた。」
と、窓から射しこむ朝日を受けながら、とうとう、マッサはつぶやいた。
「ほら……できたよ、ブルー。」
机の上に丸くなって眠っていたブルーは、ぱっちりと目をあけた。
その、宝石のように青い目に、立派なノートの表紙に書かれた題名がうつった。
『マッサのおはなし』
このおはなしは、こうして書かれた。
ぼくは、今も、このノートを読み返しては、たくさんの怖いこと、楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、おそろしいこと、すばらしいことが詰まっていた、仲間たちとの冒険の日々を思い出す。
思い出すと、さびしい気持ちになるときもあるけど、ぼくは泣かない。
このおはなしを読み返せば、また、みんなに、心の中で会えるからだ。
それに、もちろん、となりに、ブルーがいてくれるからね。
このおはなしの、最後の言葉はこうだ。
《魔女たちの城》にある『予言の書』にも、きっと、こう書かれることになるだろう。
そして、マッサも、仲間たちも、家族たちも、そのほかのみんなも、ずっと、ずっと、幸せにくらしました。
めでたし、めでたし!
《おわり》




